破滅③
「竜だ……!」
誰かのこぼした独り言が、事実を端的に表していた。
「竜征軍は、何人が戦えますか?」
オーギュストに問うと、老人は口の中でむにゃむにゃと言うばかりで、なかなか答えが返ってこない。重ねて「すぐに戦いに備える必要があります。何人が戦えますか?!」と聞き、ようやく返ってきた答えは「半分くらいだ。残りは死んだか、怪我をしているかだ」というものだった。
子竜の周りやオーギュストの周囲にいる竜装備の兵を数えると、確かに少ない。ざっと見ても四十人ほどだろうか。
「魔法使いや神官は?」
「魔法使い三人いたが、みんな魔法を使い切っている。戦いには出られん。神官は全員が怪我人の治療で神殿に詰めている。今から呼んだとしても……」
間に合わない。神官を呼ぶ暇はない。魔法使いに呪文を用意させるにしても、数日は必要だ。これも期待できない。今いる戦力で、何とかしなくてはならない。
下手くそめ。小さなトカゲ一匹を捕まえるのに、魔法使いだけでなく、竜装備の兵五十人以上を損耗するような無能な指揮官に、あの巨大な竜を退治できるわけがない。
「ベルチ執政官、今この場で、私を竜征官に任命してください。オーギュストでは無理だ」
幸いにもここには貴族議会の面々が揃っている。この場ですぐに提案し議決できる。皆の面前で行われれば、説明の必要もない。直ちに軍へ命令を下せる。
だが、うろたえた老女は動かない。
「何を……馬鹿なこと言ってるんじゃないよ……! なんでアンタに……」
「では、どうするというのですか?」
「どうって……そりゃ、あれだよ……」
こうしている間にも、巨竜は近づいてくる。翼が風を切る音さえ聞こえてきそうだ。
だがこちらは何の準備も出来ていない。
この事態を打開できる人物が、一人いた。
間抜けだが、人々のために無私で行動できる実直な変人だ。その決断力と行動力は、群を抜いている。名をジョセフィーヌ・クインという。
「トナリ市民の皆様方! 護民官たるジョセフィーヌ・クインが、この場で直ちに平民議会を招集いたします!」
護民官の言葉に、全員の目が集まる。
「ここにいる平民はごく一部ですが、緊急事態につき護民官の専決で議事を進めます。正式には、後日に議会承認を得るものとしますわ。その時にトナリ市が残っていればですけれどね」
この期に及んで、ジョセフィーヌは悪戯っぽく笑う。だがすぐに表情を改めると、さらに声を張り上げる。
「議案はただ一つ。このシム・ロークという経験豊富にして勇敢な戦士を、竜征官として指名し、竜討伐において、平民に対する一切の指揮権を与えるものとする! 反対の者は意見を」
平民たちは静まり返っている。
「賛成の者は拍手を!」
ジョセフィーヌの言葉に、平民たちから割れんばかりの拍手と声援が上がる。
「決まりですわね! さあシム・ローク竜征官殿、私たちに命令を!」
平民議会の議決は、平民しか拘束しない。だが、少なくとも平民に対する指揮権限は得た。竜征軍の残存兵や平民たちを見ると、熱い視線をこちらへ向けている。私の言葉を待っているのだ。私は、腹から声を出して命令を飛ばした。
「竜征軍のうち、動ける平民はすぐに整列を! それと、負傷兵や亡くなった方の装備のうち、使えるものを集めてください! 市民のなかで、弓と大盾の経験がある者は前へ! 残りは城壁の中へ、可能であれば反対側城壁から都市外へ避難してください!」
私の指示で平民たちがあわただしく動き出す。腰を抜かした老爺を抱えて城壁内へ走る者。負傷者から竜装備を受け取り、戦列へ加わる者。皆が自分の役割を心得ているかのようだった。
その様子を自慢げに見つめながら、ジョセフィーヌが私の隣に立った。
「あなた、やっぱり神技の使い手だったんですのね。それもとびっきり上等の。神技を同時に複数使うなんて、私でも出来ないのに。後で腕試しですからね?」
「嫌ですよ」
「だめ、決まり」
「痛いのは嫌なんですよ。それにしても、皆さんの動きが想像以上に早くて的確ですね。これは助かります」
「でしょう? それに比べて、貴族連中ときたら、アレですわよ」
貴族たちに動きはない。
忙しく動き回る平民たちを、戸惑ったように見ている。
ジョセフィーヌは、思い出したように貴族たちへ笑いかけた。
「ご存じのとおり平民議会の決定は、平民しか拘束いたしませんわ。よって貴族の方々には、竜討伐へ参加する義務はございません。もし私達を手伝いたければ、ご自由にどうぞ。参加を許可して差し上げますわ」
意地悪く笑うジョセフィーヌを前に、ほとんどの貴族は動けない。だが、そんな中でも機敏に動く者たちがいる。
チタルナル監督官が駆け寄ってきて「大盾の扱いなら慣れている」と怪我人から盾を受け取った。クコロ財務官は「私だって、弓なら扱える」と弩と竜牙矢を抱えている。
その後ろでは、怪我人の避難を手伝うロンギヌスのもとへ、ガッラとタンヤが駆け寄るのが見えた。
竜を前にして、ようやくトナリ市がひとつになったようだ。遅きに失したが、最後まで争ったままでいるよりずっといい。
あわただしく動き回るトナリ市民へ向け、空を砕かんばかりに大きな音を立てて、竜が飛来した。
「上から来るぞ、気を付けろ!」
都市上空から急降下した巨大竜が、城壁に飛び乗ると、まるで砂の山であったかのように城壁が倒壊した。
そのまま都市内部に向けて灼熱の火炎を吐き出す。強い向かい風を受けながら馬を疾走させたときの轟轟という音を、何百倍に大きくしたような轟音だった。
炎を吐き出しながら竜が首を巡らせると、石造りの建物も木造の小屋も、全てが次々と燃え上がっていく。逃げ遅れた人が火だるまになり、尻に火が付いた馬が暴れまわる。
「ピラリス!」
「承知しました!」
私が一声かけると、ピラリスが竜へ矢を射かける。無造作に放ったように見える矢が、竜の鼻先に突き刺さる。巨体とはいえ、顔は小さいものだし、常に左右に動いている。そこへ一射で命中させたのは、ピラリスの腕があってこそだ。
竜は不快気に首を振ると、城壁上のピラリスへ向けて火炎を放つ。ピラリスは火炎から逃れるために城壁から飛び降りた。落下しつつも矢を連射し、次々と竜の首筋へと矢を当てていく。
ピラリスを脅威と見たのか、竜は追いかけるように城壁を飛び降り、こちらへ駆けてくる。
対竜防具を持たないピラリスは、一目散に走って逃げるしかない。
しかし竜は巨躯ながら、猫より身軽で素早い。ほんの数歩でピラリスの前に回り込んだ。逃げきれない。
だが私の配下は歴戦のつわものだ。この程度の危機は、手を取り合っていくらでも乗り越えてきた。
「マルクス!」
「あいよ、旦那!」
竜装備を身にまとったマルクスが、逃げる市民たちの合間から飛び出し、竜へ向けて突進していく。
接近するマルクスに気付いた竜が、大きく口を開けて火炎を吐き出そうとする。だがピラリスの放つ鋭い一矢が、竜の右目瞼に突き刺さった。
「ジムクロウ将軍の忠実なる下僕にして、世界一の弓の名手ピラリス・ヘスペリデスだ、覚えておけ。僕の矢は、星をも射抜くのさ」
全速力で走りながら、背面射ちで激しく動く竜の目を狙うなど、まさに神弓の体現だ。
ピラリスが作り出したわずかな隙を、あの男が見逃すはずもない。
「ジムクロウ将軍が配下の筆頭、城壁マルクス・エリュマントス推参!」
マルクスが、叫びながら神技“大猪進”を使った。
巨猪の勢いでマルクスが竜の前脚にぶつかると、竜が体勢を崩した。巨躯が地面を転がり、土煙と地響きがあたりを包む。
竜を完全に転倒させたマルクスだが、間髪入れずに大急ぎでその場から逃げ出す。だが、間に合わない。その後ろ姿へ向けて火炎が吐き出された。
炎はあっという間にマルクスへ追いつき、飲み込んだ。
一流の戦士が完全に不意を突いたとしても、竜の間合いに出入りするには、命を賭す必要がある。
並の戦士であれば、ここで黒焦げになっていただろう。だがマルクスの持つ竜鱗大盾は、前回の竜退治の時に作った特別製だ。
通常の大盾の五倍ほどの大きさがある半球状で、その端は相手側へ向けて反り返っている。
竜の火は、矢などとは違って盾の側面からも舐めるように回り込んでくるが、それを防ぐ特別な作りだ。代償として、大人の男が五人がかりでようやく持ち上げられるほどの重量になってしまった。あの弱虫男にしか扱えないだろう。
「あっぶねえ、死ぬかと思った、死ぬかと思ったよ!」
大盾を巧みに操り炎から抜け出したマルクスが、泣き言を漏らしながら距離を取る。
この間にも足を止めないピラリスが、こちらへと合流した。
「よくやった。ひとまず安全な距離へ移動していい。適宜、けん制を頼む」
「はい!」
ピラリスは、そのまま走って竜征軍の後ろに回っていく。
二人が時間を稼いでくれたおかげで、こちらは準備を間に合わせることが出来た。
残存する竜征軍に、自主的に参加した市民を混ぜ、八人ずつに分けた九班を編成し終えている。弩の弦も弾き絞られており、合図があれば一斉に引き金を引ける。
巨竜が大地を揺るがしながら疾走してくる。
「さあ、竜退治を始めましょう」




