事務屋と正義漢③
ためらう私を見て、チタルナル監督官はさらに身を乗り出してきた。
「実は、ここを訪ねる前に、ジムクロウ将軍のことは調べさせていただいた。ロムレス市の監督官は、ロムレス市の近くに現れた小鬼の大軍を駆逐した業績を、手放しで称賛していた。徴税官は、自前で税金を計算し納期前に納める姿勢に、敬意を払っていた。広場で噂話をしていた商人達は、支払いは気前が良いし人当たりも良いので、大事な客だと言っていた」
「はあ」
「そういった話から私は、筋骨逞しく、正義を心に抱いた、人好きのするような豪快な男だと想像していた。ところが……」
「それは、なんとも申し訳の無い話ですね」
細い指でつるりとした頬をかいた。
男らしさや勇猛さを見せびらかしたい者は、髭を生やすことが多い。だが私はまだ髭が生えていない。
牛に羊毛を求めても得られない。無いものは無いのだ。
「いや、見た目ではない。ジムクロウ将軍は、幻獣討伐に精通しているだけではなく、優れた戦士を従えており、理知に富んだ人物といえる。それに、私の無知を指摘し、わざわざ教えてくれるのは、誠実にして愚直の証拠だと考える」
彼は私を見て言った。
「あなたに来て貰いたい」
想定はしていたものの、想像以上の端的な踏み込みに、私は「なるほど」と思わず意味の無い言葉を発してしまった。それを逡巡と見たのか、彼はまっすぐな瞳で言った。
「私はジムクロウ将軍に竜退治を依頼したい。あなたならば、心から信じられる」
なるほど、さすが監督官だ。並の貴族ならば、首を縦に振るだろう。その力がある。彼は「それに」と更に続ける。
「ジムクロウ将軍は、竜を倒したことがあるはずだ」
「一度だけですが……」
「だが、倒した」
彼の目に力が帯びる。彼の意志と私への信頼を感じさせる。私に決断をさせるのには、十分だ。
「分かりました」
私の言葉に、チタルナル監督官は破顔する。
「ですがチタルナルさん、懸念が一つあります。今回の依頼はあなたの独断であり、トナリ市の執政官や貴族議会が決定したものではありません。むしろそれに反しています」
「私は監督官です。もしジムクロウ将軍が竜討伐の軍を率いてトナリ市へ遠征するのならば、反対する者を罷免し追放する覚悟はある。それが執政官であろうと護民官であろうと」
各都市には貴族議会と平民議会があり、最終的な意思決定は貴族議会で行われる。そして貴族議会の規律を堅持し綱紀を粛正する役目を持つのが監督官である。
その権限は強大で、相手が執政官や貴族議会の議員であっても、相応しくないと判断すれば、罷免したうえに都市から追放することが出来る。
多くの人から畏怖と尊敬の目で見られ、一部からは嫌悪をもって迎えられる役職であり、その職責は重い。だが、今はその権限を使うべきではないはずだ。
「それは悪手でしょう。神殿で小便をするくらいにまずい。トナリ市議会を敵に回しながら、トナリ市に軍を駐留し、その近傍で竜退治をするなど、自殺行為に近い。安全な寝床や食料の確保、装備や物資の補給などはトナリ市で行う必要があります。トナリ市と竜征軍とは友好的でなければならないのです」
「確かにそのとおりだが……では、どういった手段を?」
「監督官の職務の一つは、市民名簿や官職者名簿を作成することですね。チタルナルさんであれば、トナリ市に市民を1人増やすくらいなら、可能でしょう」
「可能ではあるが……架空の人間を作り出すと?」
「そうです。私がトナリ市民として、竜退治に携わりましょう」
「それは出来ない! 法を守り秩序を維持すべき監督官たる私が、法を曲げるわけにはいかない」
「法律は、人が快適かつ安全に暮らすための道具に過ぎません。道具を神のごとく崇め、悪神でも神だと崇拝する行為は、果たして本当に正義と言えるでしょうか。そうは思っていないからこそ、貴方はトナリ市の意思に反して、私の所に来たのでしょう?」
「いや、しかし……たとえ窮地にあっても、法を曲げるのは正しい行いとは言えない。法を守る中で、結果も出すために努力するのが為政者の責務だ。適法に行動する余地があるのなら、そうすべきだろうと思う……。違うのだろうか?」
なるほど。彼の中には、彼なりの守るべき規律があるらしい。
躊躇いを明確にするチタルナル監督官へ、柔らかく笑ってみせた。
「もちろん、トナリ市が単独で竜退治に挑むことも出来ます。しかし、チタルナルさんがお考えのとおり、恐らく失敗するでしょう。また、トナリ市に反逆する形にはなりますが、他の都市へ広く周知して、竜退治の軍勢を招き入れることも出来るでしょう。しかしその場合、現在の為政者を罷免し一掃したとしても、竜の征伐を目指す軍がトナリ市からの全面的な協力を得るのは難しいと思います。妨害を受けるくらいなら、まだ平和的。トナリ市と軍が一戦する可能性すらあると考えます」
ロムレス王国とは、そういう国だ。
自分の意見を通すための戦いを厭わない。
そして、そのような懸念がある状況で、公的な依頼も無しに軍を派遣するお人よしの都市などあるまい。
チタルナル監督官が個人的に私を頼り、私がトナリ市を刺激しない形で携わる。これが今のところ最良の手だ。それには、私の身分を調整する必要がある。
チタルナル監督官は、長い逡巡の末に「分かった」と呟いた。
「法を曲げる行為には、強い抵抗と不快感がある。けれど、その先に人々の安全と繁栄があるのならば、身分を偽装することくらいはやってみせよう」
「ありがとうございます。では、この度の竜退治、引き受けましょう」
「だが、これ一回にしていただきたい。法を犯すという行為は、私には耐えがたい悪事なのだ」
「分かりました。竜退治に一切の係る約束を、書面に残しましょう。契約書を用意します」
ペンと羊皮紙を取り出すと、契約の目的、両者の義務と権利、着手金と成功報酬の支払金額と期日などを取り決めて書き込んでいく。
契約書が存在するという事実は、極めて大きい。いざというときの私の身分を証明するし、チタルナル監督官と私が共犯関係であることも証明する。
「余白は大きく取っていただいて構わない。それと、訂正用の署名もあらかじめ入れておこう」
「よろしいのですか?」
余白が多ければ、後々に書き足すことが出来る。契約書では、通常は余白をなるべく作らないように文字を詰めて書き入れる。訂正の署名などはもってのほかだ。あらかじめ記入するなど、白紙委任に近い。
だが彼は「構わないのです」と気にした様子はない。せっかくの信頼と好意だ。否定せずにそのとおりに作った。
十か条からなる契約書を書き終えると、安物の黄色がかった羊皮紙に、黒い文字が美しく並ぶ。装飾をしたわけではないが、見ていて心が躍る。言いようのない喜びが沸き上がる。
やはり文書は良い。良くできた文書は、作成者の意図を過不足なく伝える。実に美しい。
「あなたは、実に楽しそうにペンを動かすのだな」
「……事務仕事は、嫌いではありませんからね」
書き上げた契約書を見て、チタルナル監督官が呟いた。
「これは……改めて読むと、気の毒になるな。トナリ市を訪れる間は仮初の身分だから、これまでの人脈は使えない。そしてトナリ市で一から軍を組織しなくてはならない。竜を倒したとしても、ジムクロウ将軍の手柄とはならない。さらに、それらすべての原因はトナリ市の我儘に起因すると……。万全とは言い難い状況で竜退治に奔走し、名誉は得られない。ジムクロウ将軍にとってはそんな話なのだが」
「加えて言うならば、そんな話を持ってきたのは、先ほど出会ったばかりの男です」
「まったく君は……なんというか……」
「構いません。今は、早く確実に竜を退治しロムレス王国に平和と安定をもたらす事、これが優先されるべきです。私の事を考えるのは、最後にしておきましょう」
けれど、と契約書を見ながら付け加えた。
「改めて見ると、うんざりしてきましたね」
そう言って、二人で笑いあった。
その後、私はすぐに準備に取り掛かかった。そして5日後には、うだつの上がらない徴税官シム・ロークとしてトナリ市を歩いていた。