破滅①
初夏の青空の下、トナリ市の城門前には多くの市民が集まっていた。
彼らの目的は二つある。
その一つが、トナリ市から遠望できる丘陵の上で動く軍装の一団だ。兵の大半は丘の向こうにいるが、少しずつこちら側に姿を見せ始めている。
竜征軍が、捕獲した竜をトナリ市まで運搬しようとしているのだ。大きな荷車を牛たちに引かせている。竜はまだ丘の向こうにいるので、その体貌は見えないが、もうじきこちらに運ばれ衆目にさらされるだろう。
そしてもう一つの目的が、この私、シム・ロークの処遇を決める裁判だ。
城門から伸びる街道の脇には、臨時の法廷が設えられている。
椅子が半円に並び、貴族議会の議員たちが座っており、その中央の席には、いつもの様にベルチ執政官が自信にあふれた表情で陣取っている。その横には、竜装備を身に着けた兵を五人ほど従えて、オーギュスト竜征官が満面の笑みで座っている。
厳しい顔のチタルナル監督官や戸惑った様子のロンギヌス、鉄面皮のクコロ財務官たちもいる。
そして、それらを囲むように多くの平民が立ち見をしている。ざっと見ただけでも五百人を下らない。竜の到着を待ちながら、裁判を見物しようという考えなのだろう。
中には、鍛冶師のタンヤやガッラたちの姿もあった。私の身を案じるように眉をひそめているのが、救いだった。
ジョセフィーヌ・クインはどこかにいるだろうかと探してみると、喜びと自尊心を具現化したような顔をして、貴族たちの末席とも平民たちの最前列ともいえる場所に座っている。天にまで届くのではないかというほどに鼻が高くなっている。
そして私といえば、相変わらずズボンだけの格好で後ろ手に縛られ、地面に座らされている。両脇には武装した二人の衛兵が立っている。
はっきり言って、屈辱だ。
だがそれを悟られるのも面白くないので、努めて無表情のままベルチ執政官を見る。
自信に満ちた表情でタバコを吸いながら、貴族らの着席を待っていたベルチ執政官は、席が埋まったのを確認して、ゆっくりと立ち上がった。
「さあさ、お集りのトナリ市民の皆様方。我らがトナリ市の竜征軍は、竜の捕獲に成功した。とりもなおさず、我々トナリ市民の強さと勇敢さの結実だ! 竜退治の英雄オーギュスト竜征官とトナリ市民の栄誉に拍手を!」
鼻高々な老女が高らかに謳い上げると、議員たちは万雷の拍手で答え、周囲の市民たちからは歓声が上がる。
「勇敢なる兵たちは、今まさに竜を引きずって帰還するところだ。もうすぐここへ到着するだろう。それを待つ間、シム・ローク竜征補佐官の裁判を執り行う。罪状は、神聖なる軍費の横領罪だ」
ベルチ執政官の言葉に、群衆がざわめく。
「この男はね、竜退治のために措置されたトナリ市の予算と、市民からの寄付金を横領した疑いがかけられている。その真偽を確認するため、公開で裁判を行う。事は重大だからね、これを使うよ」
ベルチ執政官の合図で、天秤を持つ女神の像が運ばれてくる。左手に天秤を持ち、右手に短剣を持つ女神ミュラの天秤像だ。
「審判と真実を司る女神ミュラの加護を受けた天秤だ。証言の虚偽を見抜く神威がある。これを用いて尋問を行う。さあ、シム・ローク。私の質問に“はい”か“いいえ”のみで答えるんだよ。それ以外を口にすることは許さないよ。分ったかい?」
返事をしなかった。
その必要を感じなかったということもあるが、内心の不服をこんな形であっても見せておきたいという幼稚な抵抗でもあった。
だがベルチ執政官は、彼女なりに都合の良い風に受け取ったようだ。
「異論はないようだね。それじゃあ、早速質問だ。お前は竜討伐用の資金で美術品を買ったね? 総額でおよそ六万セステルティウス、ずいぶん高価な買い物じゃないか」
ベルチ執政官の質問に、群衆がざわめく。
確かに軍と美術品とは、あまり結びつけて考えることはないだろう。
私が悪であると印象づけて追放する算段だろう。その思惑に乗るのは気に食わない。せいぜい抵抗させてもらう。
「詳細はベルチ執政官に報告したとおりですが、購入した美術品を……」
背中を衛兵に蹴飛ばされた。
顔から地面に倒れた私を、衛兵たちはさらに二度三度と殴り、蹴りつけた。口に土が入ってじゃりじゃりと不快だし、蹴られたところがひどく痛む。
「“はい”か“いいえ”だけと言ったよ!」
ベルチ執政官の怒声が降ってくる。
「返事は?! 従わないんならここで終わらせるよ!」
衛兵が短剣を抜く気配があった。
ここで反発すれば、奴らは私を殺そうとするだろう。だが、奴らの意のままに動けば命はとられまい。罰金刑なのか追放されるのかは分からないが、殺しはしないだろう。
地に這いながらチタルナル監督官を見るが、彼は私と目を合わせようとはしない。
助けは無いと再確認しただけだった。ぷつりと緊張の糸が切れた気がした。
もう、どうでもよい。
傲慢な老女の筋書きどおりに動くのは業腹だが、従うことにした。
「……はい」
全てをシム・ロークの責任にして、ロムレス市へ帰ってしまおう。シム・ロークが書類上でどうなろうと、ジムクロウには何の影響もない。
久しぶりに風呂に入って、体中を綺麗にする。そして香油をたっぷりと肌に塗ってやる。
涼しい風の吹く場所に食事を用意し、ゆっくりと味わう。深めの井戸で冷やしたブドウやイチジクも良い。しばらくは仕事なんて放りだして、風呂と食事だけに気を配り、後は読書でもして過ごそう。
妄想を巡らすが、実際には口に入った土と雑草が苦く青臭い。
土を吐き出すと、座り直した。
「さ、今度こそ素直にしゃべるんだよ。お前は竜討伐用の資金で美術品を買ったね?」
「……はい」
「アタシにも、オーギュスト竜征官にも内緒でやったね?」
「……はい」
「その美術品をここに持って来て、自分の懐に入れたわけではないと証明できるかい?」
「……いいえ」
ここまでのやり取りで、ミュラの天秤は動いていない。嘘はないと皆が知ったことになる。
「さあ、貴族議会の議員の皆は、これをどう見る? アタシの考えは決まっているけどね」
ベルチ執政官が問いかけると、議員たちから怒号と罵声が飛んできた。「公費を何だと思っている!」「強欲な犯罪者め!」といった言葉が、思っていた以上に私の心を削る。
ベルチ執政官は、こんな些細な裁判ごっこで私が不正を働いたのだと決めつけ、知らしめることができたというわけだ。それらが竜装備に使われたという事実は、誰にも知られることはないのだろう。
「次はこいつだ」
ベルチ執政官が取り出したのは、紙の束だ。
「飲食店の支払いに酒屋の伝票、娼館のツケの始末まである。全部、竜征軍の予算から支出されている。これは、お前が作った書類だね?」
確かに書類の作成は私が行ったが、全てオーギュストが私に命じたものだ。
オーギュストを見ると、そっぽを向いて涼しい顔をしている。
さすがにいら立ちが募るが、あの老人に何かを期待しても仕方ない。大人しく「はい」と答えた。
「それだけじゃない。つい最近、奴隷を買ったようだね。奴隷購入税の書類が上がってきている。価格は一万セステルティウス。これまた、随分高い買い物だね」
ガッラのことだろう。彼は私が私費で購入した。だが、さも公金に手を着けたかのような言い回しだ。狡猾な老人は、言葉を続ける。
「どうだね、皆はシム・ロークという男をどう見る? もし、こんなところに公費と寄付からなる軍費が使われたっていうのなら、許されるものではないはずだ」
ベルチ執政官が煽ると、議席だけでなく周囲の市民らも沸く。私に対する罵詈雑言も聞こえてくる。
「皆の怒りは、しごくまともだ。では、この執政官たるエイギュチーク・ベルチ・トービーの名において、シム・ロークの竜征補佐官解任を提案する。反対する者は起立を」
誰一人立ち上がることは無かった。チタルナル監督官も、ロンギヌス氏も座ったままだ。
「決まりだね」
これで私は一切の義務と権限を失った。終わったのだ。
冷めた目で貴族らを見ていると、赤髪の女性が挙手した。クコロ財務官だ。
「この男の身元を保証したのは、チタルナル監督官だな。どう責任を取るつもりか伺いたい」
厳しい口調で指摘を受け、チタルナル監督官が険しい顔で立ち上がった。
「どのような理由があろうと、違法な行為を看過するわけにはいかない。この男の行為は、許されない。当然に処罰されるべきであるし、私自身もいかなる罰であっても受け入れるつもりである」
チタルナル監督官から責任という言葉を引き出すことに成功したクコロ財務官が、意地の悪い笑みを浮かべる。だがベルチ執政官がすかさず口をはさんでくる。
「いや、それをいうならコイツの人事案を提出した私にも責任があるってことになるさね。だけど、まずは直接の上役であるオーギュスト竜征官の話をしようじゃないか」
皆の視線を受け、オーギュストが立ち上がった。
「ふむ。皆の考えはもっともだ。吾輩の部下が起こした不始末だ。であれば、吾輩の責任となろう。だが、ここに居並ぶ栄光あるトナリ市民の皆さん方に、一つお願いがある。竜征軍が悪であるとは、勘違いしてほしくは無いのだ。竜退治に尽力した多くの兵たちは、全くもって責められるものではない」
身振り手振りを大げさに、演説が始まる。
「彼らは、汗をかき土に汚れ、厳しい訓練を続けた。慣れぬ装備を巧みに操り、勇敢にも竜に挑んだのだ。戦いは熾烈を極めた。彼奴の吐く火炎は、灼熱だ。何人もが大やけどを負った。象にも並ぼうかというほどの巨躯は、それだけで凶悪だ。多くの者が腕や足を折り、血を吐いた。幾人かは命を落とした。しかし我々の用意した特別な武器は、竜の鱗を突き破り、痛手を負わせた。翼を破り手足を砕き、口を縫い付けた」
満座の聴衆は、語られる竜との戦いの様子に、聞き入っている。
「決して弱い相手ではなかった。かの鬼殺しジョセフィーヌ・クインさえ、剣を砕かれ竜を殺すことが出来なかった。だが、我々は勝ったのだ! 竜を打ち倒し、捕縛した。この栄光は、いかなることがあっても翳るものではない!」
竜を捕獲したというより、殺しきれなかったというのが本当のところの様だ。だがそれにしても都市近傍まで運んでしまうというのは、正気の沙汰ではない。
竜利権を確実なものにするための打算なのかもしれないが、浅はかだ。
そしてその愚かな狡猾さは、この弁舌にも見て取れる。
執政官や監督官へ累が及ばぬよう、責任はすべてオーギュストで留めるが、竜退治の勲功をひ
けらかすことでそれすらも黙殺しようというのだろう。実に打算的だ。
だが、私にはそのような些事は、最早どうでも良かった。
私は、オーギュストをまっすぐに見た。
「オーギュスト竜征官、聞き捨てならぬ言葉があった。今の発言に誇張や嘘はないか?」




