事務屋と正義漢②
合点がいった。
竜の出現は、都市の存亡が懸かった深刻な事態だ。
竜は、生存領域を奪い合い、人と争う種族の一つである。普段は人が足を踏み入れることのない地底や山奥、森などに生息している。しかし時折、人の生存領域に現れ、家畜を襲い人の町を奪い寝床として数を増やす。
都市と人々の命を守り人の生存圏を守るため、速やかに討滅しなければならない。
だが、竜を倒すとなれば容易ではない。なにせ象ほどの巨体が火を吹き、空を飛ぶのだ。
「一大事ですね。竜が現れたという話しは、初めて耳にしました」
私の言葉に、チタルナル監督官は顔をしかめる。
「そうだと思う。トナリ市から程近い牛の牧場が竜に襲われたのは、ほんの5日前のこと。その後に牧場や近くの街道を使う旅人などへ被害が出ており、この火急の事態にトナリ市では急ぎ対策を始めたところなのです」
「トナリ市の備えは、順調に進んでいますか?」
意地が悪いようだが、これは聞いておかねばならない。案の定、チタルナル監督官は眉間の皺を深くしている。
「実のところトナリ市は、大昔には幾度か幻獣戦を乗り越えてきたのだが、近年はほとんど経験が無いのです。最後に竜が現れたのは120年も昔のことだし、先日、トナリ市近傍に大鬼が現れたときには、誰もが取り乱して右往左往する始末。大きな騒動の末に、やっと乗り越えたばかりなのです」
「なるほど。トナリ市での対応が難しいのであれば、他の都市へ助力を仰ぐという考えは無いのですか?」
「全くない。我が市の執政官は、他都市への援軍要請を否定し、貴族議会も賛意を示したという状況です」
その判断は、理解できないものではない。
ロムレス王国の各都市は、自主自律の気風が強い。そして市民皆兵の伝統から、強い者は称賛され、臆病者は嘲笑を受ける。
相手が竜とはいえ、すぐに救援を求めればトナリ市が侮られる可能性は十分にあるだろう。翻って考えれば、単独で速やかに竜討伐を成し遂げれば、トナリ市の評価は大いに上がるはずだ。“竜殺し”という勲章は、大都市の未来を左右するほどに大きい。
都市行政の長であり、その責任を負う立場にある執政官としては、どちらの選択をすべきか大いに迷ったことだろう。
「今のトナリ市には、当然ながら、竜討伐の経験がある者などいない。討伐への道筋は立たないし、無闇に戦えば、たとえ勝ったとしても大きな損害が生じるはずです」
「そうでしょうね」
初めて竜と対峙して、即座に対処方法を準備できるはずがない。
「私は、少しでも損害を減らし、確実に人々の脅威を取り除くべきだと考えている。なので、竜を退治できる英雄を求めて、個人的にロムレス市を訪れたというわけなのです」
「個人的に……ですか? つまり、トナリ市としては援軍を求めていないのですね?」
私の問いに、彼は頷いた。
「先ほども説明したとおり、トナリ市は他都市の関与を認めないと決めた。トナリ市として公に援軍を依頼しないのであれば、個人的な知人に助力を頼むしかない。生憎と私の友人には幻獣退治を得意とする者がいないので、ロムレス王国にその人ありと言われ、幻獣相手に百戦百勝のジムクロウ将軍を頼らせていただいたのです」
「……私についての噂話は大仰なので、あまり腑に落ちないのですが、まあ、事情は分かりました。しかし、先ほどの三人では不足だと判断されたわけですね」
「彼らは、ジムクロウ将軍の配下に相応しい優れた戦士です。だが、断られてしまった。皆、口を揃えて言っていた。“自分は竜殺し(ドラゴンスレイヤー)にはなれない”と」
そうだろう。
彼らは優れた戦士だ。自身の能力を見誤ることは無い。
「自身で実力が足りないと判断している者を、無理に連れて行くことは出来ない。ジムクロウ将軍、忌憚なく聞かせていただきたいのだが、彼らでは、竜を退治するには足りないのだろうか?」
「そうですね。彼らの力量ならば、たとえ単身で挑んだとしても、大鬼や太妖精くらいならば遅れをとりません。多頭蛇や黄金獅子となると、少し難しい。竜を1人や2人で退治しろと言われれば、間違いなく断るでしょう」
チタルナル監督官は、苦渋の顔で深いため息を吐いた。
「困った。いないものだろうか。竜を倒せる英雄は……」
チタルナル監督官という人物が、分かってきた。
彼の振る舞いは、好感を抱くに足りるものだ。
簡単に感情を見せるような短慮は、ロムレス王国の貴族としてはふさわしいものではない。そして、市の決定に背いて独断の行動を取るというのも、褒められるものではない。場合によっては政治的汚点となるだろう。
だが、自身の名誉や利益を追い求めるのではなく、町とそこに住む人々を守るための行動だ。他者のために自ら汗をかいて行動する姿勢は、端的に言って信用できる。
こういう男は好きだ。
少なくとも、私に一歩踏み込んでみたいと思わせるには十分だ。
「チタルナルさん。もしあなたが望むのであれば、あなたの間違いを指摘させていただきたいのですが、よろしいですか?」
「もちろん。聞かせていただきたい」
こういう人物の場合、回りくどく言葉を重ねずとも、率直に話しても構わないはずだ。そんな経験則は、的中した。チタルナル監督官が、前のめりにこちらを見つめる。
「幻獣退治に必要なのは、一人の英雄ではありません。段取りと根回し、そして前例踏襲です」
「段取りに、根回し……?」
「一度も倒されたことの無い幻獣など、存在しません。我々人間は、大鬼や鋼鉄鹿、黄金獅子、そして竜を一度ならず討伐したことがあるのです。その例に習えば、必ず倒すことができます」
「確かに、そのとおりだ」
「これまでの竜退治では、一握りの勇者が活躍する事もあったでしょうが、大半は大勢で挑んだものばかりなのです。つまり必要となるのは、よく訓練された兵隊と、それが機能するための専用の武器防具なのです」
一息ついて表情を伺うと、真剣な目でこちらを見ている。言葉が届いていることに安堵し、話しを続けた。
「さらに言うならば、それらを迅速かつ効率的に準備するための、予算と権限が必要となります。また、これらを確保するには、議会対応に加えて、軍人や職人、商人らのとりまとめも必要でしょう。つまり、段取りと根回しなのです」
「なるほど。竜殺しの神話や英雄譚は多くあるが、全て一人の英雄が竜を倒し、名誉と財宝を手にしていた。てっきり、そういうものかと愚考していたが……」
「神話は神話です。英雄譚も、たいていは集団で成し遂げたものだと考えてください。この私がそういうのですから、信じていただけると思いますが」
実体験から言っているのだ、説得力が違う。ジムクロウの名は幻獣退治の英雄として知れ渡っているが、そのほとんどは誇張されて吹聴されている。その実は、コツコツとした準備と集団の力の賜物なのだ。
チタルナル監督官は大きく頷いた。
「ジムクロウ殿が言うのだから、そのとおりなのだろう。そうなると、先程の戦士達は、やはり適任ではないな。戦士としては優れているのだろうが、政治家や事務官としての振る舞いは出来ないと思う。少なくとも、トナリ市の貴族議会を満足させ、資金提供について首を縦に振らせ、軍を組織するのは難しいだろう」
「確かに。彼らの得意は、戦場の作法ですからね」
彼らには、事務屋や文官の経験は無い。計画を策定し書類を整え、知識人を納得させる演説する。そんな人物を求めるなら、お門違いだ。
「もしチタルナルさんが知識や作法を重視されるのであれば、私の知り合いの文官のうち、それなりの腕利きを探してみましょうか」
「大変ありがたいのだが、それは竜を退治するのに十分な人材なのだろうか?」
「あくまで文官です。書類仕事に長けていても、幻獣と戦った経験はありません。必ずしも、竜退治を保証するものではないでしょうね」
私の答えに「そうか」と頷いたきり、黙ってしまった。
さて、ここからの発言で私の運命もきまってくるはずだ。まだ決心は出来ていないが、どうにもチタルナル監督官という人物は、見捨てるには後ろめたさを覚えるくらいには好ましい男だ。
好漢と言える。国王が紹介状を書くだけはある。
加えて、名誉を軽んじるつもりはないが、為政者の見栄のためにトナリ市に住む多くの人々が危険にさらされるというのは、やはり許しがたい。
きっと彼も同じ考えだろう。
「ジムクロウ将軍は、竜退治に最適な人物について、心当たりは無いだろうか」
予期していた範疇の質問だが、答えを用意してはいなかった。正確に言うならば、私自身の決心がまだ出来ていないのだ。
「……難しいご質問です。ロムレス王国で竜が多く出たのは100年以上も前のことです。今の世では、竜退治の経験がある者など、ほとんどいないでしょう。誰を推薦しても、確実に成功すると言い切れません」
成人の寿命は、怪我や大病が無いとしても50歳から60歳程度だろう。ほとんどが、70歳を超えることなく冥府の門を叩くことになる。竜が頻出していた当時の経験者は、生きてはいない。
「では確実ではないとしても、ロムレス王国において、竜討伐を成功させる可能性が最も高い者は?」
勿論、私だ。
さて、どう答えるか。