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事務屋の竜退治  作者: 安達ちなお
1章 事務屋の竜退治
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事務屋と議会③

「竜を退治するにあたっては、一人の英雄が挑むのでは失敗する見込みの方が高いでしょう。もちろん軍も、竜退治に適した戦術を用いる必要があります。そのための予算も措置しますし、竜退治に向けた訓練をするためロムレス市から竜退治の経験者を招聘する予定です」


 既に呼び寄せているが、それは言わない。

 何の権限も持たない私が、議会に報告も無いままにそのようなことをすれば、議会軽視だの独断専行だのと批判を受けるだろう。


 自分が貴族であるという自負を持つ連中は、自分が特別扱いされていなければ、途端に不機嫌になる。粗雑に扱われたとなれば、それだけで敵対してもおかしくない。

 クコロ財務官と呼ばれた赤髪の女は、表情も口調も険しさを隠さずに、さらに質問を投げつけてくる。


「竜退治の経験者とは、どのような人物だ? 信頼できる人物であるという確証は? そもそも私は、トナリ市の徴税官を名乗るシム・ロークと言う人物を寡聞にして知らない。ということは公的な事業に関わったことが無いのだろう? 貴様は、信用に値する人物か?」


「元老院議員であり幾度も幻獣戦を戦ったジムクロウ将軍はご存じかと思いますが、かの将軍の部下から、竜退治の経験を持つ者を招聘できればと考えております。私自身、幻獣討伐の軍に同行したこともあります。全くの未経験ではありません。念のためこちらを提出いたします」


 そう言って、私は先ほど書き上げたばかりの羊皮紙の巻物を取り出した。


「ジムクロウ将軍直筆の経歴保証書です。私、シム・ロークの経歴について記載しております」

「モブス文書官、確認を」


 クコロ財務官が巻物を不機嫌そうに見つめながら指示を飛ばすと、無精ひげを生やした痩せぎすの男が近づいてくる。服には汚れが見えるし、髪はぼさぼさだ。

 だが、私から巻物を受け取ると封蝋をつぶさに調べ、紙を広げて文章と署名を確認するとしゃがれ声で「間違いないですね」と呟いた。


「彼の持つ文書の封蝋は、元老院議員にして幻獣殺しとして名高い英雄ジムクロウ・グリエンド・ロムス将軍のもので間違いないですね。署名と共に三か月前の日付も記載されていますんで、そう古くは無いでしょうな。シム・ロークの名も書いてありますから、他人の書類の盗用でもなさそうだ。これなら問題ないでしょうね」


 この文書官は優秀だ。

 グリエントの封蝋を記憶しているうえに、ジムクロウの署名も知っているのだ。王国の発行している紋章通覧を読んでいるのだろうし、私が布告した公報書面を見たこともあるのだ。


 議場がざわめきながらも、納得の気配を示し始めた。

 だがクロコ財務官は未だにこちらを睨みながら爪を噛んでいる。それを見て、チタルナル監督官が立ち上がった。


「シム・ロークの身元は、このトナリ市監督官たるチタルナル・ナゴムブレス・トナリも保証しよう。彼は、幻獣戦の経験に乏しいこのトナリ市にあって、その知識と実行力を持つ貴重な人材だ。彼とはよく打ち合わせもしている。その知見は信じるに値する貴重なものだ。もし彼の行いに瑕疵があれば、私が責任を持つ」


 チタルナル監督官が明快に断言すると、自然に拍手が沸き起こる。

 それでも収まらないのか、クコロ財務官が立ち上がった。


「人物の保証は良いとして……その戦術はどうか。幻獣戦に不慣れな者に特別な装備を用意し、訓練をしていては時間も金も余計にかかる。その予算はどこから?」


 鋭い投げかけに、チタルナル監督官も強く答える。


「竜征官に課税権限及び徴収権限が付与されない以上は、現行の予算のうち、予備費を回すことになるだろう。加えて、市民から寄付を募る」

「二十万セステルティウスも寄付が集まると?」

「トナリ市存亡の危機だ。苦難に臨んで私財を惜しむ者など、トナリ市にはいないだろう。私は一万セステルティウスを寄付する」


 チタルナル監督官の言葉に、議場が何度目かのどよめきに包まれる。

 下水道掃除夫やオリーブ油絞りの人夫などが一日働いて、ようやく一セステルティウスを稼ぐのだ。貴族といえど、一万セステルティウスは決して安い金額では無い。


 それをあっさりと言ってのけるチタルナル監督官に、心動かされたのだろう。貴族議会の議員たちは、その場で次々と寄付の申し出を始めた。俺は千セステルティウスだ、私は三千セステルティウスだなどという声が響く中、クコロ財務官は相変わらず冷静に口を開いた。


「では、私は九千セステルティウスを寄付しよう。予算は問題なさそうだが、戦術についての疑念には回答が無かったな。幻獣討伐をしようというのに、選ばれた勇者ではなく市民からの徴募兵を用いるのは、どういう了見からか?」

 舌鋒鋭い問いだが、オーギュストは笑みを浮かべたまま答える。


「おうおう、クコロ財務官殿は心底の心配性の様でいらっしゃる。このまま議会が遅滞するようでは、竜への対処が遅れてしまうのではないかと愚考しているところだ。そうなっては、何かあったときは財務官殿が“火元”と指摘されようぞ?」


 これは辛らつな揶揄だ。ロムレス王国において火事は、忌み嫌われるものの最たる例の一つだ。その原因である“火元”とは、“高利貸し”や“人殺し”と並ぶ侮辱である。

 だがクコロ財務官は顔色一つ変えずに応酬する。


「他人を揶揄していられるほど状況は良くないぞ、オーギュスト。お前を詐欺師と指摘する人間は一人や二人ではない」


 わずかに緊張した雰囲気のまま、空気が重くなっていく。

 私が口を挟もうか。それともオーギュストが何とか話をまとめるだろうか。いくつかの考えを取捨選択していると、予想外の人物が前に出た。


 鬼殺しことジョセフィーヌ・クインだ。


「そこの赤髪の方。貴女が誰を念頭に勇者の話をしているかは、とんと分かりませんが、まあ荒唐無稽な馬鹿話に違いありませんわね」


 ジョセフィーヌの発言は、分かりやすく場の空気を変えた。

 クロコ財務官を含めた議場のほとんど全員が、ジョセフィーヌへ敵意と不快感を投げつけている。だが彼女は、気にする様子も見せない。


「トナリ市にはそれなりに名の売れた剣闘士もいますし、この貴族議会には戦争の経験者もいるでしょうけど……あらあら? 皆、私より弱いですわね? たとえ馬と弓を用意したとしても、素手の私に歯が立たないくらいには、弱っちいですわね。すると、竜を倒す勇者とは、一体誰のことを言っているのかしら? 私、トナリ市で最も強い戦士であると自負しておりますが、その私が、一人で挑むより軍を編成して戦った方が良いと考えておりますの。まさかまさか、そこに文句がございまして? 弱いくせに?」


 鬼殺しは、心底不思議でしょうがないという風な表情で、小首を傾げて見せる。


 最悪だ。

 百を超える議席には、不機嫌でない者はいない。歯をむき出して今にも殴り掛かりそうな者さえいる。

 さすが鬼殺しのジョセフィーヌ・クインだ。わずかの間に、貴族議員の全員を激怒させ、敵に回した。

 だが、彼女が強いというのも疑いようのない事実である。


「私より強い人間がいるなら話を聞きますけど、この場にいらっしゃいますの? 今すぐにでも試してあげても良いのですけれど?」


 ジョセフィーヌが満面の笑みで剣を掴み、杖を突くようにその鞘を床にたたきつけた。それだけで轟音が響き、床の大理石が砕け散った。


 議場が沈黙する中、クコロ財務官は黙って座った。

 それを見て、ジョセフィーヌも笑顔で下がった。

 議場の中央には私とオーギュストが残された。


 ここで何か発言するほど命知らずではない。私が貝のように口を閉ざしていると、オーギュストの声が能天気に響いた。


「何とも頼もしいではないか。なあ諸君、そう思うだろう? 議案が可決されるならば、この鬼殺しも吾輩の配下となり、よき働きをしてくれよう」


 この破滅的な雰囲気をものともしない強靭な精神は、一目置くべきところなのかもしれない。あるいは、単に狂人なのかもしれないが。

 何とも言えない空気の中、ベルチ執政官がやれやれといった面持ちで口を開いた。


「それでオーギュスト、竜を倒すのにどれくらいの時間が必要だい?」

「五日あれば十分でしょうな、執政官殿。必ずや平穏なトナリ市を取り戻すと、ここに約束しよう」


 これには、腰が抜けるほどに驚いた。

 何も知らない素人が、勝手に期日を設定して議会に約束してしまった。

 だが、訂正する間もなく話は進んでいく。


「さて、投票の時間だ。準備はいいかい?」

 ベルチ執政官の言葉を合図に、大きな壺が運び込まれた。

 そこへ議員たちが、賛否を記載した陶製の板を次々と入れていく。

 百人を超える貴族議員たちの投票が終わると、その場ですぐに開票された。

 その結果、オーギュスト・セイクリッド・クラウン竜征官及び、シム・ローク主席竜征補佐官、ジョセフィーヌ・クイン次席竜征補佐官の人事が、賛成多数によって承認された。


「さて、若いお二人。吾輩の手となり足となり、存分に働いてくれたまえよ」

 オーギュストが、私とジョセフィーヌを見て笑った。

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