事務屋と議会②
貴族議会が開催されている議場は、円形の豪奢な作りだった。
その出入り口には、派手な扉が設置されている。木製の扉に細かな彫刻が施され、様々な彩色や金属飾りが付けられている。権威付けのためだけに大金をかけることに眉をしかめる者もいるだろうが、それだけ、この貴族議会が開かれる広間が重視されているという証左でもある。
扉の前に立つと、私達は待機を命じられ、雑用役が到着を告げるために議会内へ入っていった。
気分は重い。
私は、人前に立つのは好きではないし、自己肯定感と自己顕示欲の塊である議員どもが集まる議会は嫌いだ。この扉が開かなければ良いのにとさえ思う。だが現実はそうはいかない。
触れ役が艶のある声で高らかに「ジョセフィーヌ・クイン護民官並びにシム・ローク徴税官が参りました」と告げると、その言葉を合図に、ゆっくりと扉が開かれていく。
ジョセフィーヌは、私よりこの場に不馴れであろう。そんな彼女の前で、弱気な姿勢を見せるわけにもいかない。何でもないような素振りで、議場に入室した。
円形に並んだ百を超える議席には、トナリ市の貴族議会の議員達が座っている。
私とジョセフィーヌが議場内に進むと、一堂の議員達が一斉にこちらを見る。その中央最前列には、ベルチ執政官がいる。
チタルナル監督官やロンギヌス組合長の姿もある。視線を送ると、二人とも困惑したような表情を返してきた。恐らく二人にとっても、この状況は想定外の事態なのだろう。
私とジョセフィーヌが末席に着くと同時に、ベルチ執政官が立ち上がった。
「さあ、役者がそろったね。それでは、執政官たるこの私、エイギュチーク・ベルチ・トービーが上程する二つの議案、“竜征官の権限に関する法律案”と“竜征官及びその補佐官の任命”についての審議を始めさせていただく」
私達の戸惑いとは対照的に、ベルチ執政官は自信に満ちている。
ベルチ執政官は、議場の中央に進み出ると、見せびらかすように羊皮紙を広げた。
「議案第一号は、この度の竜の出現に対応するため、竜を討伐する臨時的な官職として竜征官の創設を提案するものである。竜征官の権限として、次の二つを規定する。一つは、百五十人を上限とした募兵及び軍団を編成し指揮する権限。二つ目は、竜討伐に係る予算を要求する権限。なおこの予算は、貴族議会で審議の上、可決の後にトナリ市の予算から支出するものとする」
説明するベルチ執政官は、活力に満ち爛々とした眼で議会を睥睨する。口の端は、自信ありげに持ち上がっている。
議場の議員たちは一様に、ベルチ執政官の言葉を吟味するように聞き入っている。しわぶき一つ聞こえない。
「続けて議案第二号を説明する。本議案は、竜征官に本市貴族であるオーギュスト・セイクリッド・クラウンを任命するものである。以上、貴族議会の議員の皆様方に置かれましては、審議を尽くされますようお願い申しあげる」
ベルチ執政官の言葉が終わると同時に、議場がざわつき始めた。
ざわつきは、二種類に分けられる。好意的なものと、戸惑いを孕んだものだ。
これは、良くない。
賛否が大いに別れる人選という事だろう。得てして、こういう評価の人物は癖が強い。
そんなざわめきの中、一人の老人が悠然と立ち上がり、議場の中央へと歩み出た。
長い白髪を、分けるでもなく縛るでもなく、後ろへとすき上げている。染料と刺繍をふんだんに使っている衣服は、赤や紫、金、白、黒などで実に煩い。
その顔には、余裕を感じさせるような笑みを貼り付けている。
「さてさて、トナリ市貴族議会に召集されましたる皆々様方よ。この見目麗しい老獪なる勇者こそが、今しがた執政官殿にご推薦を頂いたオーギュスト・セイクリッド・クラウンである。もちろん、吾輩のことを知らぬ者はいないであろうが、念のための自己紹介であることを申し添えさせていただく」
芝居じみた大仰な言葉に相応しく、大きい手ぶりと作り笑顔が目に付く。
「吾輩が竜征官へ就任した暁には、直ちに竜を討伐し、以ってこの地に平穏をもたらす事を約束する。さあ、吾輩の偉業達成に皆の賛同を! 我こそは竜殺しぞ!」
オーギュストが拳を振り回して気勢を上げると、調子のよい者たちが指笛を吹き、拍手をして声援を送っている。それなりに支援者は多いようだ。
だが一方では、「詐欺師!」「とっとと帰れ!」といった野次も飛んでいる。同じくらいに敵も多そうだ。冷たい視線を送るだけならまだしも、忌々しそうに睨んでいる者さえいる。
チタルナル監督官を見れば、眉間にしわを寄せてこめかみを手で押さえている。少なくとも、彼の好みには合わない人物なのだろう。
この空気を断ち切るように、チタルナル監督官が挙手して立ち上がった。
「本議案の賛否に係る検討材料とするため、質問をさせてもらう。オーギュスト、貴君は竜退治にどの程度の自信を持っている? 戦いの経験は如何ほどか?」
チタルナル監督官の口調は、冷たくは無いものの温かみを感じないものだ。
だが、オーギュストは笑顔で首を振った。そして、歯を見せて笑いながら、腰に下げていた細身の剣を抜き放った。
「吾輩は、かつては南方イオス王国との戦争にも従軍した歴戦の戦士である。剣の林を抜け、槍の雨を掻い潜ってきたのだ。そこいらの雑兵とはわけが違う。それに、かつて竜を退治したこともある。そう、あれはまだ吾輩が12人の女性と恋に身を焦がしていた頃……いや、昔話は長くなるから止めておこう。時間が許せば、若い時分の大鬼退治や太妖精討伐の話をしても良いだが……。兎にも角にも、吾輩以上の適任などは、このトナリ市にいないだろう」
力の籠った声で言い切ると、やはり声援と野次の双方が飛び交う。
騒々しい議席から、もう一つ手が挙がった。ロンギヌスだ。重そうなお腹をのそりと持ち上げて、問いかける。
「武器商組合長のロンギヌスです。オーギュスト殿は、竜退治の段取りをどのように整えるお積りですかな。もちろん武具商組合としては協力を惜しまぬわけではありまし、既に準備を始めているところではありますが、宜しければ、そのあたりを少し詳しくご説明願いたい」
「うむ、うむ。その心配はもっともだな。竜を退治するための軍団を組織し、討伐する。人選は監督官が水面下で進めているし、ロンギヌス殿の言うとおり装備の調達は武具商組合と下話が終わっている。何の心配もいらん。もちろん武具は組合を通して調達するし、糧食は食肉加工組合や農畜産組合から仕入れる。飲食店組合や傷病軍人組合にも仕事を依頼するだろう。それ以外の各団体へも、役割と資金を融通することを約束しよう」
この説明に、議場のあちらこちらから拍手が上がる。
要は、竜征官の持つ予算措置権限を活用し、税金を原資とした各団体への利益供与を約束したわけだ。ベルチ執政官がオーギュストを選んだ理由の一端を垣間見た気がする。
必要と分かっていても、恥ずかしげも無く金銭の授受を約束し協力を取り付けるなど、並みの精神では難しい。それを公衆の面前で臆面も無く明言できるのは、一つの才能だろう。
「吾輩が竜征官に任命されれば、シム・ローク徴税官と“鬼殺し”ジョセフィーヌ・クインを補佐官に指名する腹積もりである。もし、もっと説明が欲しいのならば、詳しいことは、吾輩の補佐官から説明させよう」
そう言って、私に手招きをする。
大筋を説明できる程度には、ベルチ執政官から話を聞いていたのだろう。そして、詳しいことは部下に説明させるという体で、私に任せてしまう。自信の不勉強を露見させない、実に政治家的な振る舞いだ。
「さあ、シム・ローク! 君の所見を思う存分に述べるが良い」
オーギュストが、私に向かって大仰な身振りで笑いかける。
こうもお膳立てされて無言を貫くことも出来ない。仕方なく議場の中央へ進み出た。
「シム・ロークと申します。軍の編成や書類の調製といった裏方の部分で、竜征官のお手伝いをさせていただくことになろうかと思います。先ほどお話があったとおり、軍装の準備は調整が終わっており、見積もりを作成している最中です。軍の編成については、監督官に候補者名簿の作成をお願いしております」
一息ついて議場を見渡すが、意外にも皆が熱心に聞いている。トナリ市の未来が懸かっているのだ。政治的な動きがあろうとも、彼らの真摯に向かい合う気持ちには、嘘偽りないのだろう。静寂の中、そのまま説明を続けた。
「概算になりますが、予算について説明させていただきます。軍事行動の期間を十日と仮定して、兵一人あたりの報酬は百セステルティウス、軍装に千三百セステルティウスとして、百人分で少なくとも計十四万セステルティウスが必要です。その他に陣地構築や糧食などを合わせると、二十万から二十二万ほどの予算規模となるでしょう。もちろん、これは少なく見積もっての額面です」
私の言葉に、議場はどよめいた。
その騒がしさを切り裂くように、赤髪の女が挙手した。
「財務官のクコロ・ネルネイヤ・トナリだ。質問させてもらう」
細い目を鋭く光らせる、怜悧な雰囲気の若者だ。
「トナリ市の年間予算が四十万から五十万セステルティウスだ。二十万などという大金を、どこから捻出するというんだ? そもそも、竜退治に軍が必要なのか? 魔剣を持った英雄が活躍するというのが、竜殺しの伝説の定番じゃないのか? 過去の逸話は、どれもそうだ。軍を動かすより一人の勇者を支援する方が、費用は低く抑えられ、時間も短縮出来るだろう」
詰問するような強い口調だが、オーギュストは笑みを浮かべたままゆっくりと頷いた。
「さすがはクコロ財務官殿。金勘定が早い。けれど、心配は無用ですぞ。さあシム・ローク、回答を」
この老人は、でしゃはらずにはいられないが、自分の手に負えないものはさっさと手放す性分らしい。それならば最初から任せてもらいたいものだ。
内心でやれやれと呟きながら、オーギュストの後を引き継いだ。