事務屋と揉め事①
ロンギヌスの店の前には、未だに人だかりができていた。
店内では、倒れた商品棚の片付けや怪我人の手当てをしており、騒動を聞きつけた市民がそれをのぞき込んでいる。店の者が群衆を追い払おうとしているが、通りすがりの市民が次々と立ち寄るので、あまり上手くいっていない。
私たちが現れれば、鍛冶師たちは再び怒るだろう。
何とも気が重い。端的に言って、嫌だ。
腹に力を入れると、人の壁をかき分けて店に入った。
「度々ですみません。徴税官のシム・ロークです」
不遜にならぬように柔らかい声を心掛けつつも、へりくだり過ぎぬようになるべく背を伸ばして声を張った。すぐにガッラがこん棒を担いで飛んで来た。
「てめえっ! 何しに来やがった!」
問答無用で殴り掛かってきそうな剣幕だ。
「やっぱり私が一緒でよかったですわね」
鬼殺しが剣の柄に手をかける。
だが、それは困るのだ。
「クインさん、ちょっと待ってください。竜を速やかに倒すためには、彼らの力が必要です。まずは丁寧にお願いしてみましょう」
私達の会話を聞いていたガッラは、怒り顔に笑みを浮かべる器用さを見せて、近づいてきた。
「なんだぁ? 結局、うちに頼るのか?」
「はい。大量の武具を短時間で用意するには、ロンギヌスの店のような大店の力添えを頂けると、大変心強いのです。ご協力いただけないでしょうか?」
「さて、どうしようかなぁ」
ガッラのニヤついた笑いが、一層に不快感を増す。
それを鬼殺しがバッサリと切り捨てる。
「自分の未熟さの心配は気にしなくていいんですのよ。高度な技術と経験が必要なところは、本当の鍛冶師にやってもらいますので。誰にでも出来るけど人手が多い方が助かるような部分だけ、やらせてあげると言っておりますの」
言い方が悪い。そして、おそらく彼女に悪気はない。だから始末が悪い。
「あぁ?!」
ガッラがこん棒を頭上に持ち上げると、鬼殺しが私の前に立とうとする。それを手で遮った。
「私が話しますので、クインさんは手を出さないで貰えますか?」
「あら、私に指図なさるの?」
「いえ、お願いです。竜を速やかに退治するためには、彼らの協力が必要です。腕力ではなく、話し合いで決着したいのです」
「あ、そう。好きにすると良いですわ」
鬼殺しが一歩下がった。案外、物分かりが良い。これは助かる。
ここで鬼殺しとも揉めるという面倒は、御免被りたい。
とはいえ、ほっとする余裕はない。
こっそりと息を一つ吐くと、ガッラと向かい合った。
「大盾と矢、そして投げ槍を竜素材で作ります。特殊な装備を短期間で大量に作らねばならないという状況ですので、幾人かの職人の方に、分業でお願いしようと考えています。こちらのお店の得意な部分で、活躍していただきたいのです」
「その前に、落とし前をつける事があるんじゃねえか? なあ? 元老院議員とも取引のある名店、このロンギヌスの店をバカにしやがった。許せねえよなあ」
そう言ってガッラは、威圧的に笑いながら私の顔を覗き込んでくる。
「……ちなみに、取引のある元老院議員とはどなたですか?」
私も元老院議員だ。
もし、親しい人物の名が出てきたなら、上手く取りなしてもらえるかもしれない。
「聞いて驚け。大学者プルタルコス様に海戦名人アッティウス様、それに、伝説の竜殺しジムクロウ将軍だ」
驚きが顔に出ないよう、思わず息を止めた。
他の2人の取引状況などは知らないが、私はトナリ市と武具の取引をした記憶は無い。大きな取引の孫請けあたりに入っていたのだろうか。それとも、元老院御用達という看板を出すための方便が何かだろうか。
いずれにしろ私が認識していないのだから、本人に否定されればお終いだ。「ロムレス市のジムクロウ氏へ確認してみましょうか?」という意地の悪い質問が喉まで出かかったが、ぐっと飲み込む。
今の私は、元老院議員でもなれば、一級粛清官もないし、ロムレス王国にその人ありと言われるジムクロウ・グリエント・ロムスではない。
名も知られぬトナリ市徴税官のシム・ロークなのだ。
そんな私の内心など知る由も無いガッラは、自信満々に口を開く。
「で、お前らはどれだけ誠意を見せられるんだ?」
「と言いますと?」
「金だろ、金。普通に」
あまりに直截的な表現に、諧謔心が刺激される。
吹き出しそうになるのをこらえるため、無表情に徹することになったが、これが良くなかった。
私の反応が悪いことに不機嫌になったガッラは、不快気に歯をむき出すと、こん棒を振り下ろした。力いっぱいに振るったわけではないのだろうが、それでもゴツという大きな音と共に瞼の上の皮が裂け、血が噴き出した。
「一万セステルティウスで勘弁してやるよ」
大怪我にならない程度の暴力を振るい、間髪入れずに金銭を要求するとは、この手のことに慣れていそうだ。
それにしても一万セステルティウスとは、法外な要求だ。
二百セステルティウスあれば大人一年分の食費を賄えるし、千セステルティウスあれば成人男性の奴隷が手に入る。
そもそも先に手を出したのはガッラ達であるし、一方的に金銭を要求される謂れはない。だが、そのあたりを指摘しても話は進まないだろう。
「竜退治は、このトナリ市において早急に成し遂げなければならない最優先事項です。先ほどのいざこざで不快な思いをされたのであれば、その点については申し訳なく思います。ですが、市民の安全とトナリ市の未来のために、力を貸していただきたいのです」
周囲の野次馬に聞こえるよう、大きな声を出した。なるべく多くの人をこちらの味方にしておきたい。ロンギヌスの店は規模が大きいし、ロンギヌス氏自身は貴族であるはずだ。
ならば、きっと市民の目と評判を気にするだろう。平民であるガッラには効果がなかったとしても、後に有利に働くはずだ。
「ふざけんな、うちの店をバカにしたのはお前らだろ?! 一人一万だぞ。二人で二万持ってこい」
そう言いながら、今度は私の脛をこん棒で叩いた。大きな音に違わぬ痛みが走る。が、顔に出すのは癪なので無表情に努めた。鬼殺しが剣の柄に手を添えながら前に出ようとするが、その体を手で押さえる。
今はまだ、剣より舌の方が良い。
「竜が近くを徘徊しているだけで、トナリ市は交易から外されるでしょう。知識人も文化人も、この町を避けて通ることになります。農場や牧場は、安全な運営などできません。それだけだはない。今こうしている間にも、街の上空に竜が現れるかもしれません。竜と人とは、その生存圏を奪い合う宿敵なのです。トナリ市のため、ロムレス王国のため、人々のために、共に、竜を倒すべく、戦ってもらえないでしょうか」
「よく回る舌だな、小僧。引っこ抜いて水車の軸にでも使ってやろうか?」
私の演説が効を奏したのか、周囲からガッラ達へ「金の亡者め!」や「守銭奴は死んでしまえ!」といった野次が飛び始める。だがガッラらには、気にする様子はない。
私としては、時間があるならば、ガッラが折れるまで問答を続けてもいい。根比べなら負ける気はしない。
けれど今は、その時間がない。もし前向きに協力をしてもらえないならば他の手も考えなければならない。ガッラの主人にあたるロンギヌス氏本人に当たるか、他の中小の店をいくつか抱き込んで武具製作を依頼するか。
前者はチタルナル監督官を伝手に根回しをすれば可能かもしれない。後者は、時間と手間が増えるので、出来れば避けたいところである。
「お前、俺の話を聞いてんのか? 子どもじゃねえんだ、我儘言ってればそれが通ると思うなよ?!」
ガッラが唾を飛ばす。
この膠着しそうな状況を打ち破ったのは、私でもガッラでも、鬼殺しでもなかった。
私たちを遠巻きにしていた野次馬の中から、髪を短く切り揃えた女性が、気取った足取りで近づいてきた。動きやすそうなズボンと長靴を身に着け、短弓を背負っている。
着衣だけならば男性だ。初めて見る人の目には、眉目秀麗な細身の男に映るかもしれない。
「ああ、なんと酷い! こんな小さな子どもがトナリ市の危機に臨むべく協力を訴えているのに、一方的に殴りつけているぞ! 一体全体、正義はどこにあるというのだ?!」
その女性は、何ともわざとらしい言葉と身振りで、私とガッラの横に立った。しかし目線は常に周囲の市民へ向けている。
「なんだてめえ! 文句あるのか?」
「あるとも! ああ、あるとも! 竜の出現は、我らがトナリ市史上最大の危機と言える。先日の大鬼騒動などとは比べものにならない。そんな危急の事態にあって、トナリ市民は手を携えて、市を挙げての総力戦に突入するべきだ。これまでだって苦難の時には、我々トナリ市民は、手を取り合って果敢に敵を打ち破ってきたはずだ。勇敢にして優れたトナリ市民には、臆する者も身勝手に振る舞う者もいない。なあ、そうだろう、みんな!」
大仰な身振り手振りで聴衆に訴えると、市民達からは「そうだ、そうだ!」とか「俺だって戦うぞ!」といった声が上がる。男装の女は、声援を背にガッラへと向き直ると人差し指を真っ直ぐに向けた。
「見ろ! 市民一人一人が、竜退治を我が事のように捉え、今にも槍を片手に駆け出そうかという程に、情熱を燃やしている! だのに、竜退治のために協力を求められたのにも関わらず、謂れの無い暴力を振るい、不当な金銭を要求するとは! それでも気高きトナリ市民か! 勇敢なるロムレス王国民か!」
声高らかに訴えると、周囲の群衆が「悪徳商人を許すな!」「ロンギヌスの店を打ち壊せ!」と詰め寄り始めた。
「うるせえ! そもそも、最初に喧嘩を売ってきたのはこいつらだ! 監督官の紹介だから相手をしてやったんだが……徴税官のようなクズ官吏、叩き潰すのはワケ無いんだよ」
叫んだガッラが、男装の女へとこん棒を振り上げる。だが、こん棒は振り下ろされることなく、ガンッという衝撃音と共にガッラの手を離れた。
床に転がったこん棒には、矢が突き刺さっている。
男装の女は、いつの間にか背の短弓を両手に構えている。ガッラがこん棒を振り上げると同時に、背負っていた弓を手に持ち替え、矢をつがえて、弦を引き、狙いを定め、射るという一連の動作を一瞬でこなしたのだ。
「神業ですわね……」
背後で鬼殺しが呟いている。
男装の女は、こん棒を遠くに蹴飛ばすと、矢をつがえたままの短弓をガッラへ向けて、満面の笑みで言った。
「殴ろうとしたね。ひどいなあ。でも、僕は優しいんだ、詫び代は一万セステルティウスでいいよ。もちろん一人一万だ。君たちは三人いるから、三万セステルティウスだよ」
彼女の楽しそうな笑顔を見て、私はひっそりとため息を吐いた。
お調子者の詐欺師で、短弓を使わせれば大陸で最も上手い。神弓ピラリスとして知られる私の部下は、そういう女だ。