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事務屋の竜退治  作者: 安達ちなお
1章 事務屋の竜退治
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事務屋と正義漢①

事務屋と正義漢①


 チターという好青年に初めて会ったとき、私は執務室で羊皮紙にペンを走らせていた。


 普段は客の顔を記憶した奴隷が、どこの誰が何の用で来訪したのかを教えてくれる。しかし、たまたま体調を崩して休んでいたので、その子どもが「元老院からのお客です」とだけ言ったのだ。


 元老院からの使者ならば、大抵は議会への出頭依頼や報告書の催促を持ってくる程度だ。忙しければ、事務仕事をしながら対応することもある。この時も、ペンを握ったまま、奴隷の子に案内をするよう頼んだ。


 しかし現れたのは、一目で貴人と分かる若者であった。20歳を少し過ぎているであろう端正な顔立ちで、その目つきは鋭い。輝く金髪は毛先まで整っている。きっと専門の理髪師がいるに違いない。

 その貴公子は、日当たりの良い窓横に置かれた机で書類仕事している私を見つけて、声をかけてきた。


「そこの少年、ちょっとよいか。将軍にお会いしたい。幻獣殺しとして名高い英雄ジムクロウ・グリエンド・ロムス将軍は、いらっしゃるか?」


 鋭く爽やかな口調で、心地のよい声をしている。

 一目見ただけで、かなりの地位にある富裕な貴族であると分かる。

 身に着けている純白の衣服には染み一つ見当たらないし、ちらりと見える腕や脛に無駄な毛は無い。綺麗好きで真面目な性格なのだろう。香油の良い香りが、ほのかに漂ってくる。


 腰に下げている剣の柄には、正義の女神ミュラを示す天秤の紋章が彫られている。貴族の中でも、高級官職に就いている者に許された意匠だ。精緻な金の腕輪やネックレスは、家が買えるほどの価格だろう。


「ジムクロウは私です」

 私の言葉に、彼は少し目を見開いてこちらを見た。


 名乗って驚かれる。よくあることだ。

 “幻獣殺し”や“百戦百勝の将軍”と呼ばれている男に会いに来てみれば、髭は無いし、背は低く細身なのだ。大抵の人間は驚く。


 軍人らしく髪を刈り上げているわけでもないし、よく日に焼けているわけでもない。武張った様子は無い上に、実際の年齢より若く、時には幼く見られることもある。

 彼としては、事務仕事に精を出す若い従者に声をかけ、主人の元への案内の乞おうとしたに過ぎないのだろう。それが目的の男と分からずに。


 こういった時の対処には慣れている。


「ロムレス王国元老院議員のジムクロウです。一級粛清官を拝命しています」

 椅子から立ち上がると、手元に置いてある短剣の鞘が見えるように掲げた。元老院議員にのみ許された月桂樹の紋章が刻まれている。

 それを見た彼は、華のある微笑みで動揺を隠すと、礼儀正しく一礼した。


「失礼。私は、チタルナル・ナゴムブレス・トナリと申します。不肖の身ですが、トナリ市で監督官を拝命しています」

 どこかの都市の貴族であろうことと、それなりの役に就いているであろうことは想定していた。しかし、監督官ほどの高位の官職とは想像していなかった。


 トナリ市といえば、交易の中継都市として商業的に栄え、人口は10万人を超える。ロムレス王国でも有数の大都市である。

 そして、監督官と言えば、強力な権限を持ち、各都市に一人しか任命されない高位の官職である。

 そんな重職にある者が、片道で5日はかかるこのロムレス市を訪れているのだ。余程の事態が生じたのだろう。


 好奇心が頭をもたげているが、腹の底に押さえつけ、微笑みを保ちながら待つ。

 チタルナル監督官は、優雅な動作で懐から封蝋された書類を取り出した。南方から輸入された植物紙パピルスだ。これも一目で高級品と分かる。


「前触れの無い訪問になってしまい、申し訳ない。だが、人々の安寧と平和を守り、法と正義を貫くためにご容赦いただきたい。このとおり、紹介状を持参させていただいた」


 構いませんよと言いながら紹介状を受け取り、封蝋を確認する。


 驚いた。

 狼を象っている。

 王家の刻印だ。


 これは扱いに困る案件になるな、と内心で身構える。

 ロムレス王国では、王国全体への号令は元老院が取り仕切り、各都市ではそれぞれの都市議会が施政を担っている。王などは実権を持たず、権威だけの存在に過ぎない。莫大な資産と強力な権限を持つ元老院議員の中には、王家をないがしろにする者もいる。


 とはいえ、その影響力は無視できるものでもない。驚きを顔に出さぬよう努力しつつ、中身に目を通した。

 紹介状の内容は簡潔だ。チタルナル監督官の依頼に対して、誠実かつ真摯に対応してほしいという旨が書かれていた。


 王の顔が脳裏をよぎる。不義理は出来ない。

 まずは話を聞いてみようと、応接の椅子を勧め、自分も対面に座った。


「チタルナルさん、本日はどういったご用で?」

「戦士を探しているのです。屈強で勇敢な、何物をも恐れない勇者を」


「なるほど……分かりました。槍を投げるのが上手い者、盾と剣の扱いが巧みな者など、幾人か紹介できます。ですがトナリ市にも、腕に自信のある武芸者は多いのではないでしょうか?」

「腕の立つ者は確かにいるのだが、生半可な腕では不足なのだ。幻獣相手に百戦百勝と言われるジムクロウ殿であれば……一流の者を知っているのではないかと思い、頼らせていただいている。報酬は十分に用意させていただく。出来るだけ早くトナリ市へ来てもらいたいと考えているのです」


 整った眉間に、しわを寄せている。何か苦悩があるのだろうが、初対面で汲み取ることは容易ではない。


「分かりました。腕の立つ部下を何人か呼び出しましょう。すぐに会いますか?」

「ぜひ。お願いしたい」


 彼の言葉を受けて、奴隷に使いを頼んだ。私の配下の中でも、特に優れた腹心の者たちを呼ぶように伝えた。

 呼び出した部下が来るまで、今年の小麦の実り具合やブドウの作付けなど、適当な世間話で過ごした。私が問いかけると、トナリ市の食物収穫量や消費量、流通経路などが淀みなく出てくる。優れた人物だと分かる。


 薄めたワインを一杯飲み終わったところで部下が集まったので、応接の部屋に彼らとチタルナル監督官を残して、私は一人で執務室に籠った。


 部下といえど、一個の独立した人間だ。私がしゃしゃり出て会話に混ざるのは無礼だろう。

 それに私は、忙しくもある。部下と奴隷へ賃金を支払うために、伝票を作らねばならない。武具購入のための見積書も依頼が必要だ。馬の飼料の手配も休むわけにはいかない。


 手ではペンを走らせながらも、頭では別の考えが巡る。


 大盾と短剣グラディウスを扱わせれば達人だが、酒と女のために生きているマルクス。短槍の投げ技と長槍の扱いであれば自信を持って推薦できる、頑固男のファルクス。身軽で金勘定が好きで誰よりも短弓が上手い、ほら吹きピラリス。

 私が声をかけた三人は、性格に強い癖はあるけれど、全員が愛嬌のある屈強な戦士だ。ただの腕自慢を探しに来たのであれば、満足するはずだ。


 だが、そうはならない予感がある。


 そもそも、ただの戦士を探しているのであれば、トナリ市で探せば足りる。

 仮にこのロムレス市に何かの用があったとしても、監督官自身が、わざわざ遠方を訪れる必要も無い。人を使えばよい。


 トナリ市で、余程の事態が起きているのだろう。


 何か手掛かりは無いかと書類箱を取り出し、収集している記事を漁ると、トナリ市近傍に大鬼(オーガ)の群れが現れたと書かれた紙が出てきた。春先のことらしい。

 トナリ市の周辺で麦畑を収奪し、都市城壁を破壊しようとした大鬼オーガの一群を、凄腕の剣士が撃退したと書かれている。


 つまり、チタルナル監督官の抱えている案件がこの記事の程度であれば、トナリ市だけで解決できるはずなのだ。わざわざロムレス市まで訪ねてきたという事は、それを超える事態が起きたという事だろう。


 すっかり日が昇り、昼食を考え始めた頃に、チタルナル監督官が私の執務室へ入ってきた。後ろには、例の三人を従えているが、表情は暗い。


「彼らには帰ってもらっても?」

 チタルナル監督官は、私の言葉にゆっくりと頷くと、執務机の前の椅子に座った。やはり、まだ用件が済まないようだ。


 三人に手厚く礼を言い、「美味しいものでも食べて帰ると良い」とセステルティウス硬貨を十枚ずつ渡した。昼食代には充分過ぎる額だ。

「どうだった?」とさりげなくマルクスに聞くが「内容は口外しないって約束なんでね、言えません」と返ってきた。酒好きの彼らしく、顔は赤みがさしているし呼気からワインの匂いがする。朝から飲んでいたのだろう。


「でも、アンタなら受けるんじゃないんですか? こういう話、好きでしょう」

 そう言って笑いあう三人を見送ってから、チタルナル監督官と向かい合って座った。


「彼らでは、チタルナルさんのご希望には適いませんか?」

 彼は腕輪の宝石をいじりながら、丁寧に言葉を選ぶように話し始めた。


「断られてしまった、全員に」

「けれど、本当に必要ならば、懸命に口説き落とすでしょう? あなたなら、それが出来ると思うのですが、いかがでしょうか」

 私の指摘に、彼は少し口の端を持ち上げた。


「もちろん、ジムクロウ将軍に紹介いただいただけあって、彼らは勇者と呼ぶに値する素晴らしい戦士です。だが足りない。私が求めているのは、どんな敵をも打ち倒す、知勇兼備の絶対的な英雄なのだ」

「なるほど……」

 私は、あえて黙って彼を見つめた。威圧的にならないように気を付けつつ、しかし目を逸らさない。「次の言葉を待っている」と態度で示し伝えたのだ。

 沈黙する私を見ながら、彼は絞り出すように言った。


「竜を退治できる英雄が欲しい」

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