第五話
◇◇◇
ツィラローザ姫の足はエンドリッヒの剣により斬り落とされました。
赤い靴を履いた足はそのままどこかに消えてしまいましたが、足を失ったツィラローザ姫は生き残りました。
エンドリッヒがツィラローザ姫を殺さなかったので、宰相は王様の命令を守れませんでした。
実のところ宰相は、ツィラローザ姫を殺すよう命じた王様の罪を暴き、自分が国を乗っ取ろうと考えていたのです。ツィラローザ姫を殺した後、事情を知っているエンドリッヒも殺してしまえば、自分に逆らおうとする人間はいないので完璧な作戦でした。
ですがこのままではその計画も全て水の泡になってしまうどころか、命令違反を犯した自分の立場も危ういものになってしまいます。
宰相は言う通りにしなかったエンドリッヒと動けなくなったツィラローザ姫をまとめて殺そうと思いましたが、それ以上に良いことを思いつきました。
「そうだ、姫は予定通り死んだと伝えよう。足が無くとも見てくれだけは良い娘だ。こっそり生かしておき、時が来たら私の妻にすれば良い。元王女が妻となれば私の国を築くための説得力が増す。使わなければその時殺せばいいだけの話よ」
宰相は二人に恩を売ることにしました。エンドリッヒには「お前は殺される予定だった」とでも言い、王様に恨みを抱かせれば良いのです。それに剣技に優れた彼を自分の味方につければ、国を乗っ取る時に役に立つかもしれないと思いました。
宰相は二人を人目につかない所で生かしておくことにしました。部屋には幸いツィラローザ姫の足から流れた血だまりが残っています。馬鹿な王様の事なので、この血塗れの部屋を見せてツィラローザ姫が死んだと伝えれば簡単に騙されるでしょう。
それにどうせ世の中から邪魔にされている二人のことです。いなくなっても誰も探しに来ないでしょう。
◇◇◇
王城の後ろに広がる森がある。
元は王家専用の狩場として管理されていたが、今ではただ鬱蒼と木が生い茂るだけの荒れた森だ。
エンドリッヒは兵士に脇を囲まれ、足を失ったツィラローザと共に一軒の小屋の前に案内された。いや、「連行された」という表現が正しいかもしれない。着くなりエンドリッヒは兵士に背中を押しやられ、椅子に座った状態で運ばれてきたツィラローザは無造作に地面に降ろされた。
エンドリッヒは兵士に守られるようにしてついてきた宰相を非難するように睨みつけた。
「約束が違いますよね」
「約束? 何の事だ、約束を違えたのはお前だろうに」
「俺は踊る足を止めました」
エンドリッヒはちら、とツィラローザの様子を伺った。しかし彼女はすました表情で小屋を見つめるだけだった。けれど耳はこちらに向いている様子が手に取るようにわかる。きっとあれが彼女なりの聞こえないふりなのだろう。
宰相は怒りを押し隠しているのか、こめかみをピクピクと痙攣させながらエンドリッヒを見下すように語った。
「そうか、そう思っているなら残念だな。いいか、お前は王女殿下に刃を向け、なおかつ殿下の足を斬り落としたんだ。お前が一歩王城の外に出れば、すぐに大罪人として裁かれただろう。お前がいくら『陛下の御命令だった』と言っても信じる者などいないだろうからな」
そして一歩エンドリッヒと距離を詰め、念を押すように耳元で声を潜めた。
「私が秘密裏に処理しなければお前も殿下も命はなかったのだ。その意味が分かっているな」
「ははっ、自分の命が危なかった、の間違いじゃないんですか? 残念でしたね、思惑が外れて……」
近づいた宰相の胸をエンドリッヒは手のひらでグイっと押し戻すと、咄嗟の動きに反応できなかった宰相は僅かによろめいた。踏みとどまった宰相はカッと顔色を赤くして、エンドリッヒへ声を荒げた。
「止めろ、触るんじゃないっ! お前が何を考えているのかはわからんが、私はお前たちを救ってやったんだ。感謝してほしいものだ」
「へえへえ、そりゃありがとうございました。こんな素晴らしい待遇が待ってるなんて夢にも思わなかったですけどねぇ」
「っく、この『死に損ない』どもが! お前らをあの場で殺してしまっても良かったんだ! それを私が生かしてやったのだ。お前たちの命は私が握っているのだぞ!」
「あんたに殺されるも生かされるも俺はごめんですね。利用しようと思っているなら、それ相応の態度ってもんがあるんじゃないんですかね」
「貴様っ……」
「――閣下っ!!」
何を言っても言い返すエンドリッヒの態度にたまりかねたのか、顔をゆがめ腕を振り上げた真っ赤な顔の宰相を護衛の兵士が慌てて止めた。
「閣下っ、どうぞ冷静になってくださいませ。この騎士崩れは自分の置かれた状況がわかっていないだけです!」
「おやおや、あんたの方が宰相に向いてるんじゃないんですか? 宰相様がこんなに怒りっぽくて、この国はこの先大丈夫なんですかね」
「おいっ、せっかく救われた命を失いたくないなら口を慎め! 今ここで殺されたいのか!?」
「それは嫌ですけど……でもそうなったらあんたと俺、どっちが先に死ぬと思います?」
「……そ、れは」
エンドリッヒのその言葉に兵士たちに一瞬にして緊張が走った。エンドリッヒを諫めた兵士はそれ以上言い返す事なく、真っ青な顔をして腰にぶら下げた剣の存在を忘れてしまったようだった。
エンドリッヒはそんな兵士たちの姿にこれ見よがしにため息をついた。
「冗談ですよ……。俺は丸腰なんですから、あんたらの方が有利に決まってるじゃないですか。まじめに取らないで欲しいっすね」
エンドリッヒは別に敵意を向けたわけではなかったが、兵士たちはすっかり警戒態勢に入ってしまっていたのだ。両手を上げながら膝をつき、エンドリッヒが降参の態度を示しても警戒心が消えたわけではないようだった。それほどエンドリッヒの悪名と剣の腕前は知れ渡っていたのだ。
「で? 俺はどうすればいいんですかね。どうせここに置いて行かれるのは知ってますよ」
エンドリッヒは兵士の陰から自分を睨みつけている宰相に声をかけた。宰相は忌々し気に自分の側の兵士を押しのけてエンドリッヒの前に立つと、おもむろにエンドリッヒを蹴り倒した。
「――ぐっ!」
「ふんっ! よく聞けエンドリッヒ・ジータス。お前はあの魔術師とは違い、味方すら手にかけて武勲を上げようとした薄汚い『首斬りエンドリッヒ』だ。そしてその娘は今や美しさだけが取り柄の嫌われ者だ。お前らを助けるのは私くらいだということを痛感すると良い」
倒れ込んだエンドリッヒを見下ろしながら、宰相は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「私がこの国を手に入れる時まで、あの娘を生かしておいてもらおう。まあそう遠くない未来だがな」
そう言うと宰相は兵士たちを促し、一度もエンドリッヒたちを振り向くことなく元来た道を戻っていった。そして、しんと静まり返った森の中にツィラローザとエンドリッヒだけが残された。
「くっそ、思いっきり蹴とばしやがって……」
エンドリッヒは服についた土を払いながら起き上がると、いまだにぼんやりと座ったままのツィラローザにわざと明るい声を上げた。
「はあ、なんてことになっちまったんだか。困りましたねぇ、王女殿下。泣いても騒いでももう誰も来ないみたいですよ」
ツィラローザは先ほどと同じ姿勢のまま、小屋をジッと見ていた。何も敷かずに降ろされた彼女の服は湿った土に汚れていた。
「さあ、どうします?」
「どうするって?」
ようやくエンドリッヒの問いかけに答えたツィラローザは、怪訝な瞳をエンドリッヒに向けてきた。
「いや、自分の足を斬った得体の知れない男と二人なんて御免でしょうし、俺はどっかに行きますけど」
ツィラローザが不審がるのも当然だろう。年頃の娘、しかも王女として育てられてきた彼女が男と二人で置かれるなどこれまで体験したことのない状況だろうし、そもそもあってはならない事だ。ただそれは彼女が今や令嬢として扱われていないことを意味するのだが。
だが、ツィラローザから出てきた言葉はエンドリッヒが予想しないものだった。
「私を置いていくの?」
その言葉にエンドリッヒは少々面食らってしまった。自分に問うたツィラローザの瞳からは純粋な疑問しか感じられなかったからだ。
「え、あ、はあ。まあ、そうなりますけど。殿下は別に動けないわけじゃないじゃないっすか。何とかなるでしょ?」
「あなたしかいないなら、あなたが私の世話をするしかないでしょう?」
「いや、ちょっと仰っている意味が分からないですね」
「あなたそればっかり」
そう言ってツィラローザは頬を膨らませたが、エンドリッヒは眩暈を起こしそうだった。
(この女、本当にわけがわかんねえ。どういう思考回路を持てばこんな考え方が出来るんだ……? 自分が世話をされて当然と思っているのはわかるが、俺だぞ? 顔が爛れて醜い上に、足を斬った相手だぞ? 怖くないのか?)
戸惑うエンドリッヒの心と同調するかのように、空に黒い雲が流れて来た。そう思っているが早いか、ぽつ、ぽつ、と雨粒が頬に当たり始めた。
「うわ、雨かよ」
勢いを増しつつある雨粒の勢いにエンドリッヒは慌てて目の前の小さな小屋の扉に手をかけた。しばらく出入りがなかったのだろう、その固い扉を力任せに引き開けるともわっと埃が舞い上がった。
暗い室内はきっと汚れているだろうが、小さなかまどやベッドもあり、掃除をすれば使えそうな雰囲気だった。
「はい」
思わず振り返りたくなるような可憐な声がエンドリッヒの背中にかけられた。
振り向くと地べたに座ったままのツィラローザがエンドリッヒに向かって、まるで子どもが抱っこをせがむ時のように両手を伸ばしていた。
「はいよ、って……、は?」
エンドリッヒは思わず手を差し出しかけたが、はたと気づいて驚きの声を上げた。
「運んで下さらないの?」
「はい?」
「私を運んで下さらないの?」
「いや、這っていけば……。あ~、はいはい、わかりましたよ」
雨脚はだんだんと強さを増していた。
雨にただ打たれながらも自分で動こうとしないツィラローザの様子に、エンドリッヒは苦笑いを浮かべながらも負けてやることにした。
彼女は世話をされるのが当然の生き方をしてきたのだろう。この状況に置かれてまでもその生き方を貫こうとするのはただただ愚かだ。だが一方で彼女が育てられる環境を選べなかった事は同情をせざるを得ない。
抱え上げたツィラローザの体は細く、思った以上に軽かった。
「何を食えばこんな風に育つんですかね」
「私は焼いた魚に果実のソースをかけたものが好きよ」
ぽつりと漏れ出てしまった嫌味交じりのエンドリッヒの声に、ツィラローザは至極真面目に返答した。
「……ははっ、お菓子じゃないんすね」
エンドリッヒは今度こそ声を上げて笑ってしまった。