第四話
※流血シーンがあります。
「……誰?」
宰相とエンドリッヒがノックもなく部屋に入ると、踊っていた少女が気づき、声をかけてきた。相変わらず彼女の足は弾むように踊っている。
「初めまして。エンドリッヒと申します」
エンドリッヒは一歩前に進み出ると、騎士時代にしていた礼をとった。そして顔を上げ、あちこち動き回っている少女を目で追いながら告げた。
「その足を止めに参りました」
エンドリッヒはさらに一歩部屋に足を踏み入れて、改めてその異常さに気づいた。鼻を突く、ツンとすえた臭いがツィラローザがステップを踏むたびに漂ってくる。
(なんてこった……)
様々な惨状を目にしてきたさすがのエンドリッヒをしても、若い彼女が置かれたこの状況には目をそむけたくなるほどだった。
動き続ける足はツィラローザが自分の意思で何をすることも許さないのだろう。湯浴みも、排泄も、月の物の始末でさえ……。彼女はひどく汚れていたのだ。
思わず言葉を失ったエンドリッヒにツィラローザが声をかけた。
「初めまして、エンドリッヒとやら。私より先に声をかけたのは許してあげます。私はツィラローザ。ユーディリア王国第一王女ツィラローザよ」
言葉の途中でツィラローザの足はターンを始めてしまい、エンドリッヒに背を向けるような恰好になってしまったが、彼女は首を回してエンドリッヒに視線を向けながら挨拶を続けた。
(こりゃまた、良い教育を受けたんですねぇ)
彼女はまだ王女のふるまいを忘れていないことにエンドリッヒはわずかに驚いた。その態度がさらに彼女の哀れさを引き立てると知らないのだろう。
「ねえあなた、その顔どうなさったの。醜いわね」
エンドリッヒが次の言葉を考えていると、ツィラローザが「あら」と眉をひそめた。そしてエンドリッヒの右側を見て、憐れみと不快感をそのまま声に乗せて言った。
エンドリッヒは顔の火傷跡がジクっと痛んだ気がした。だがそれは気のせいだとわかっていたため、特に手を伸ばしたりはしなかった。それよりも汚物まみれのツィラローザが、自分の事を棚に上げて何を言ってるんだとすら思った。
「まあ、色々あったんすよ」
エンドリッヒが茶化すように答えると、ツィラローザはわずかに悲しい表情を見せた。
「そう、大変だったわね……。でも私も、醜いでしょう」
「まあ、きれいではないっすね」
エンドリッヒが隠さず言うと、後ろで宰相が何か言いたそうに空気を飲み込む音がした。きっと王女への不敬を咎めようとしたのかもしれないが、思いとどまったようだ。どうせこれから死ぬ少女に不敬も何もないだろう、と思い直したのだろう。
「もう一月も、こうなの」
悲しそうにツィラローザは呟いた。
「足は、もう自分のものじゃないみたい。どうなっているのかわからないの。寝る時も、食べる時もずっとこう……」
「はあ、そりゃ大変ですね」
エンドリッヒは余計な話をするつもりはなかった。相手の事を知れば知るほど仕事の負担が増える。同情もしないし、身の上話を聞くつもりもない。早いところ仕事を終え、公衆浴場で湯浴みをして家に帰りたかった。
しかしツィラローザはゆったりと、歌うように続けた。
「あなた、私の足を止めに来たのでしょう? その剣で」
そう問うツィラローザの視線は、動き回っているにも関わらずエンドリッヒの腰にピタリと吸い付いていた。
その視線にエンドリッヒが気づいたことを見抜いたのか、ツィラローザは続けた。
「どうか止めてくださる?」
その言葉に、視線に、エンドリッヒは背筋に冷たいものが走った気がした。むろん気のせいだという事はわかっていたが、この感覚には覚えがあった。
戦場で、何度も向けられた視線だ。
エンドリッヒは戦場で数え切れないほどの首を落とした。その中には敵も多かったが、同じくらい味方もいた。エンドリッヒは様々な理由で動けなくなり、しかし絶命出来ずに苦しむ味方の首を刎ねてきたのだ。
(今更思い出すなんて、仕事の前に嫌なもんだねぇ)
この王女はこれから自分に起こることを知っているのだ。
この視線をエンドリッヒは何度も夢に見て、夢は必ず覚めるものだと納得させて生きていた。
無意識に震えだそうとする手の感覚を取り戻そうとするように、エンドリッヒは剣を鞘から大げさに引き抜き、一度空を切った後、構えの姿勢をとった
「まあ、それが依頼なんで。サクっとやらせていただきますね」
「わかったわ」
ちょこちょことステップを踏んでいたツィラローザが静かに目を閉じた瞬間、エンドリッヒは一気に踏み込み、剣を振り抜いた。
だが、その剣筋はツィラローザの傷んだ髪の毛を数束飛ばしただけで、見事に宙を斬るだけに終わった。
その後も同様の事が続く。紙一重のところでツィラローザの足が弾み、するりと剣先をかわすのだ。
「何をしているっ、早くやらないかっ!!」
しびれを切らした宰相の声が響いた。
(んなこと言ってもなぁ……)
はあ、と肩で息をついたエンドリッヒは人を馬鹿にするように動き続ける足を睨みつけた。
エンドリッヒが決して遅いわけではない。まるで足自身が意思を持ち、殺されたくないと逃げ回っているようだった。足の持ち主はとっくに覚悟を決めているのに、だ。
「ごめんなさいね、私が動かしているわけではないのよ」
何度目かの空を切る音の後、ツィラローザは困ったように口を開いた。
「でも、なぜ私がこんな目に合うのかしら」
「はい?」
思わずエンドリッヒは返事をしてしまった。それを良しとしたのか、ツィラローザはさらに語りかけてきた。
「あの魔術師がおかしいのです。私を選ばなかったのは向こうなのに、怒り出したのですよ」
「ちょっとあんたの言ってることわかんないっすね」
エンドリッヒの歯に衣着せぬ答えにツィラローザは大きな目を丸くした。
「え、どうして? わかるはずですわ? 婚約者を選んで私を選ばなかったのですよ? 誰だって私を選ぶはずでしょう」
「いや、知らねっすよ。なんで婚約者いるのに、あんたを選ばなきゃならないんすか。というか、頭大丈夫ですか?」
エンドリッヒが剣を構え直しながら答えると、ツィラローザはきょとんとしたのち、少し考えた様子を見せた。
「……そう。やっぱり、私の考えっておかしいものなのかしら」
ツィラローザはぽつりと言葉を落としたがエンドリッヒはもう聞いてはおらず、足の動きを注意深く追っていた。
「ごめんなさいね。誰かと話すのは久しぶりだったの。楽しくなってしまって」
すまなそうに答えるツィラローザの足の動きは不規則だが、刃を避ける時の動きにはある程度の規則性がある。
(いったん避けられたとしても、その規則性にはまった動きが出来れば……)
「いっそ狂ってしまえば楽なのかもしれないけれど、それすらどうすればいいのかわからないの」
楽しそうに弾む足元はターンをして、次のステップに踏み込もうとした。
(――ここだ!!)
エンドリッヒは床をえぐるほど勢いよく踏み込み、自重を乗せて剣を薙ぎ払った。ツィラローザの身体はひらりを剣をかわしたが、エンドリッヒの剣は去り行くツィラローザの身体にまるで吸い寄せられるような動きを見せた。
(――行けるっ!!)
ツィラローザの首元で剣先がきらりと光った。
(あ……っ)
エンドリッヒが気づいた時には既に遅く、エンドリッヒとツィラローザの視線はぶつかった。
「夢なら覚めればいいのに……」
その刹那、エンドリッヒの爛れた皮膚に再び火が走るような痛みが襲った。
「――っくそ!」
エンドリッヒは踏み込んだ足を強引に反転させ、重心を下げた。そして回転する自分の身体ごと思い切り剣を払った。
「これは夢じゃないんですよっ!!」
一瞬、ゴリッと固いものに当たる感触があったが、構わず力いっぱい振り抜く。手ごたえは確かにあった。
エンドリッヒの叫びと同時にツィラローザの身体は勢いよく床に倒れこんだ。
「――くふっ!!」
倒れた拍子に歯を食いしばっていたツィラローザの息が漏れた。
「っは、わ、私っ……」
薄く目を開けたツィラローザの目の前で血塗れの赤い靴が二度跳ね、そして窓の方へくるくると去っていった。
エンドリッヒは身体を翻し、ツィラローザの首ではなく足を刎ねたのだ。
「お前っ、なぜ殺さない!!」
「あんた『足が止まれば話は別』って言いましたよね!」
激昂する宰相に言い返し、エンドリッヒは着ていた服を細く破き、ツィラローザの足をきつく縛っていく。
「くそっ、止まれ!」
膝下から叩き切られたツィラローザの足からはブシュ、ブシュっと勢いよく鮮血が噴き出してくる。みるみる床に広がるツィラローザの血は膝をつくエンドリッヒの服にも浸み込み、生温かい湿り気がじわじわと広がってくる。
「おいっ! 医者を呼べっ!! 何を突っ立ってんだ」
エンドリッヒは振り返り叫んだ。宰相の叫び声に廊下にいた兵士も部屋に飛び込んできていたが、みな呆然と立ちすくむだけだった。
「あんたらには足があるだろうっ!」
エンドリッヒは必死でツィラローザに止血を施しながら叫んだ。
「このくそったれがっ!」
誰にぶつけるでもない怒りをエンドリッヒが吐き出すと、真っ白な顔をしたツィラローザがゆるゆると目を開けた。
「私を……、助けてくれたの?」
「ああ、そうっすね! 足はもうありませんけど」
ツィラローザの足からはおびただしい量の血が流れ出ている。ツィラローザの視線は宙を彷徨い、汗まみれで自分の血を止めようとしているエンドリッヒで止まった。
「……見たわ。私の足だけが、行ってしまうのを」
エンドリッヒはその言葉に思わずツィラローザの顔を見た。血の気の無い顔に表情はなかったが、その瞳は美しく輝いていた。
「ありがとう……」
一言、ツィラローザは呟いてゆっくりと瞳を閉ざした。
「だめだ!!寝るなっ……! ……? うわっ、な、なんだこりゃ」
ツィラローザが目を閉じるのと同時に彼女の斬り落とされた足の断面は薄い光に覆われた。そのうちに瑞々しい輝きを放っていた真っ赤な肉も、断ち切られた白い骨も、どちらもすっかり白い皮膚で覆われていったのだ。