第三話
◇◇◇
この国が巻き込まれた戦争は「80年戦争」と呼ばれています。
80年もの長い間行われた戦争は、魔術師フィル・リ・ウィギンズが戦乱を治めるその日まで多くの命を奪いました。
戦乱の末期、武勲を立てたエンドリッヒ・ジータスという若い騎士がおりました。幼い頃に親を亡くしたエンドリッヒは兵士に交じり戦うことで居場所を得ていました。
何より彼は数百年に一度現れるかどうかという剣の天才でした。その目は敵の剣筋を見極めて、しなやかにかつ鋭く振り払われる剣先は空気すらも切り裂きました。
彼は戦場において自分の邪魔と見なせば、敵・味方構わず剣を振るい、何百何千もの兵士の首を落としたそうです。
そのため彼は『首斬りエンドリッヒ』と呼ばれるようになりました。
戦争が終わり、エンドリッヒは剣を振るう必要が無くなりました。王様は彼を重要な地位につけようとしましたが、彼の姿を一目見た瞬間に諦めました。
なぜなら彼は剣を向けた味方に負わせられた火傷で顔の半分が醜く爛れてしまっていたのです。
幸いにもエンドリッヒは騎士を辞めたがっていたので、重要な地位につけられないことがわかってもがっかりされませんでした。
ただ、エンドリッヒは騎士を辞めたのでお金がありませんでした。この国では誰でもお金を稼がなければ生きてはいけません。
そのためエンドリッヒは処刑人の仕事をしながら細々と暮らしていました。それくらいしか自分の生きる道を見つけられなかったのです。
◇◇◇
――ドンドンドンッ
乱暴に叩かれた扉の音にエンドリッヒは目を開けた。いつも光が差し込む窓の隙間からはまだ闇しか覗けない。
「なんだよ、夜中かよ……」
エンドリッヒは渋々身体を起こした。
(めんどくさいことになりそうだねぇ)
経験上、こんな非常識な時間に訪ねてくるのは、酔っ払いか、偉そうな誰かのどちらかだ。ポリポリと頭を掻きながら扉に向かう。扉を開けずともにじみ出る雰囲気でわかった。今回は後者だ。
扉を開ければ案の定、上質な騎士服を身に着けた男がランタンをかざしながらまっすぐに立っていた。
「俺に何の用ですか」
面倒くさい挨拶を省き、エンドリッヒが声をかけると男は勢いよく敬礼の姿勢を取った。
「夜分失礼いたします! ジータス殿に国王陛下からの勅書をお届けに参りました」
「はあ」
気の抜けた返事を返しながらエンドリッヒは男の差し出す封書を手に取った。王家の封蝋を乱暴に剥がし、中身を取り出す。暗闇の中で文字に目を凝らしていたら、男が気を利かせ、手に持っていたランタンを差し出してくれた。
「お、助かるね」
エンドリッヒが男に礼を言うと、彼は躊躇いがちに口を開いた。
「いいえ。……あの、私はかつてよりエンドリッヒ様に憧れておりました。お会い出来て光栄です」
「……死にぞこないにはもったいない言葉だよ」
エンドリッヒは男の顔を見ずに答えたので、会話はそこで途切れてしまった。しばらくして顔を上げたエンドリッヒは、またもや乱暴に封筒の中に便箋を押し込め、独り言のように呟いた。
「はは、何でもいいですよ。金さえもらえるなら何でもしますよ」
§
翌日、エンドリッヒの姿は王城にあった。
久しぶりに訪れた王城に以前のような華やかさはなく、シンと静まり返っていた。
(なんだなんだ、ちょっとヤバいんじゃねえか)
エンドリッヒは戦争中に似た緊迫した雰囲気だと思った。理由は王女が魔術師フィルの怒りを買ったあの夜会なのだが、庶民の暮らしをしているエンドリッヒは知る由もなかった。
謁見の間に通されたエンドリッヒがキョロキョロしていると、しばらくして国王が現れた。一応の礼儀としてエンドリッヒは騎士時代と同じ姿勢で頭を下げた。
「頭を上げよ。エンドリッヒ・ジータスよ、久しいな。息災であったか?」
「はあ、おかげ様で」
一度頭を下げてしまえばもう十分だとばかりにエンドリッヒは態度を崩した。エンドリッヒの不敬な物言いに宰相を含む国王の側近たちがピクリと動いたが、国王は彼らを手で制して話を続けた。
「この度、お主を呼んだのには訳がある。お主にしか頼めぬ、重要な任務だ」
「書いてあったんでわかりますよ。で? 依頼は?」
「……ついてまいれ」
エンドリッヒは国王に連れられて、ある部屋の前にたどり着いた。何度も廊下を曲がってたどり着いたそこは、光が差し込まない暗い場所だった。
国王は部屋の前にいる兵士に命じ、少しだけ扉を開けさせた。エンドリッヒはノックもしないことに違和感を抱いたが、国王に促されるまま部屋の中を覗き込み、その訳を理解した。
「見えるか?」
「はあ、なんだか楽しそうに踊ってるのが見えますね」
部屋の中では一人の少女が踊っていた。彼女は軽やかなステップを踏み、見事なピルエットを何度もして見せる。ただ「楽しそうに」というのはちょっとした皮肉だった。なぜなら少女の顔は青ざめ、うつろな瞳で髪を振り乱して踊る姿は気が狂っているようにしか見えなかったのだから……。
隙間から顔を離そうとすると目の前で勢いよく扉が閉まった。危うく鼻を挟まれるところだったと兵士を睨んだが、国王の声にエンドリッヒの文句は消されてしまった。
「あの娘の首を刎ねろ」
思わずエンドリッヒが振り返ると、そこには表情の消えた国王の顔があった。
「あれは罪を犯し、魔術師フィルに呪われた」
「へえ。魔術師フィルってあれすか、『救国の英雄フィル・リ・ウィギンズ』。慈悲深いと言われる彼を怒らせるなんてよっぽど大事をしでかしたんですね」
エンドリッヒが言葉に乗せた小さな棘は国王に見事に刺さったようだ。ピクリと眉を動かして、瞳に怒りの色を滲ませた。そして苛立ちを隠そうともせず、宰相を睨みつけながら吐き捨てるように言った。
「後はお前が説明しろ。私は忙しいんだ。『首斬りエンドリッヒ』などと話している暇などない」
そう言うと国王はエンドリッヒを二度と見ることなく、護衛を連れて立ち去ってしまった。
「怒らせてしまいましたね」
そう言って肩をすくめてみせるエンドリッヒに残された宰相は淡々と告げた。
「あの娘には呪いがかけられている。靴が生命力を奪い、生命ある限り永遠に動き続けるという呪いだ」
「そんな怒らせるようなことするなんて、何者なんですか? まあ陛下が関係するくらいだからただの人じゃなさそうですけど」
遠慮なく驚くエンドリッヒの言葉に宰相は冷たい視線を投げかけた。
「損をする性格だと言われないか?」
「あー、まあ皆『あいつは戦争で頭おかしくなった』って言いますね」
宰相は飄々と答えるエンドリッヒに軽くため息をつき、先ほどの問いに答えてやることにした。
「あの親にしてこの子あり、と言えばわかるか?」
「うわ、王女さまですか?」
大げさな程に驚き、嫌な顔をするエンドリッヒだったが、その声に畏敬も恐れも何も込められていない様子に宰相は少なからず安堵したようだった。
「恐ろしい呪いを断ち切るには、あれが罪を償わねばならないらしい。足が止まるならば話は違ったのだが……。どうやっても靴は脱げず、踊る足を止められない。世話をする人間など今や皆無だ」
「誰も彼も勝手なことで……」
呆れたようにエンドリッヒは答えたが、宰相や国王の言わんとすることはすでに理解していた。
「命を懸けて償え、ってことですかね」
エンドリッヒがそう言うと、宰相は片方の唇を吊り上げて満足そうに頷いた。
「陛下はもうあれの無様な姿は見たくないそうだ」
「ははっ、そういうことですか。その自分の手は汚したくないってところ、相変わらずですよねぇ」
「エンドリッヒ、口を慎め」
軽口をたたくエンドリッヒをたしなめた宰相は、話は終わったというばかりに目の前で閉ざされていた扉に手をかけた。
「で? ちなみに終わったらどうするんです?」
エンドリッヒは宰相が扉を開く前に最後の質問をした。
“終わったら”という言葉に様々な意味を乗せた質問だったが、宰相は意図を汲み取ったらしく、一旦扉から手を離してエンドリッヒに向き直って答えた。
「今、それを聞くのかね?」
「おやおやすんません、野暮でしたね」
国王が望むように王女の命を絶って全てが解決することはないだろう。宰相はその隙を狙っているのだ。エンドリッヒには関係のない事だが……。
エンドリッヒは腰にぶら下げた剣がズシリと重さを増したように感じたが、それはすぐに忘れた。