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第二話

 夜会の日がやってきた。

 ツィラローザは自分がさらに美しく見えるように、最上級の生地を取り寄せ、最高の技術を持ってドレスを仕立てさせていた。自身の肌も髪も極上の輝きを放つよう手入れをし、満を持してこの日を迎えたのだった。


 純白のドレスを身に纏ったツィラローザは天界から降りてきた女神すらも鼻白むほどの美しさを放っていた。


「ああ、ツィラローザ! お前はこの世の女神だ。誰もお前にはかなわないよ」

「私たちの可愛いツィラローザ。良く顔を見せてちょうだい。ああ、本当に美しいわ、あなたは私たちの誇りよ」


 国王も王妃はいつも以上にツィラローザを褒め称えてくれた。


「ああ愛しいツィラローザ。僕は君の婚約者でいられて幸せだよ。隣に立つのが恥ずかしい程君は素晴らしいよ」


 婚約者のステファンも熱のこもった瞳でツィラローザを見つめていた。招待客たちだってツィラローザの姿を一目見るなりうっとりとため息をつき、目を離せなくなっていた。


「そうでしょう。だって私は世界で一番美しいんですもの。私が望めば手に入らないものはないわ」


 しかしそう口にしても、どれだけ褒められても、ツィラローザの心はざわめいて収まらなかった。


(あの魔術師のせいよ。早く私を選ばせないと――)


 こんなに美しい自分にフィルが見向きもしなかった屈辱ばかりがツィラローザの心をジリジリと焼き続けていたのだ。


 その時突然、人々の歓談の声が止んだ。

 来客と挨拶を交わしていたツィラローザ達も思わず話を止め、静けさの先を見やった。


 人々の視線は広間の入り口に佇む一組の男女に向けられていた。

 周囲よりも頭一つ高い黒髪の男性は、間違いなくツィラローザが美しいと見惚れた青年、魔術師フィルだった。


「フィル様っ!!」

「待ちなさい!」


 ツィラローザは国王の制止も聞かず、人の中に飛び出していった。ツィラローザの声に人々はハッと動きを思い出し、フィルまでの道を作るように割れた。


「フィル様、この度はお越しいただき嬉しいですわ」

「王女殿下におかれましては本日もご機嫌うるわしく……」


 フィルは仰々しく頭を下げたが、ツィラローザはそれすらももどかしく、早く彼の視線を自分だけに向けさせたかった。


「いやだわフィル様。そんなにかしこまらないで頂けますこと? 私、あなたにエスコートさせてあげようと待っていましたのよ。挨拶はよろしいので早く参りましょう?」


 ツィラローザのその言葉にそれまでも表情の薄かったフィルはさらに表情を消した。


「王女殿下、私は申し上げました。『婚約者以外を隣に立たせたくない』と。それにあなたのエスコートはあちらの婚約者様の特権でしょう?」


 フィルはそう言って視線をツィラローザの向こうに投げかけた。彼の視線の先にはステファンがオロオロと戸惑いながらこちらの様子を伺っている。招待客たちは何が始まろうとしているのか、最強と呼ばれる魔術師と美しい姫の動向を好奇心を隠そうともせず見つめていた。


 だがツィラローザはただただ疑問だった。なぜこの青年はツィラローザの隣を選ばないのだろうか。フィルの隣では、困ったように彼を見上げる女性がいる。彼女がフィルの婚約者なのだろう。


(この人は私とは比べ物にならないわ。ごく普通の栗毛に栗色の瞳。顔立ちだって一度別れれば忘れるような平凡なものなのに、どうして私ではなくこの方を選ぶの?)


「なぜ? なぜこの方が良いのです? 私の方が美しいでしょう?」


 ツィラローザは心からの疑問の声を上げた。本当にわからなかったのだ。自分は世界で最も優先され、尊ばれる美しい存在なのに、どうしてこの青年はそう言ってくれないのか。


 しかしツィラローザの投げかけた疑問にフィルはもう答えることはなかった。その代わりにため息をついて落胆を隠そうともせず、婚約者に声をかけた。


「はぁ……やはり来なければ良かった。ミリアムのドレス姿を見たいと思ってしまった私が馬鹿だった。帰ろうか、ミリアム」


 ツィラローザは婚約者に声をかけるフィルの姿を見て、ようやく気付いた。フィルは婚約者に遠慮していたのだ。お茶会をしている友人の令嬢からも聞いたことがあった。婚約者がいる場で他の異性に話しかけるのは気が引けるものだと……。


 そう言うことなら話は早い。ツィラローザは立ち去ろうとするフィルの手を引いた。


「私、ダンスが得意ですのよ。フィル様、この方がお帰りになればよろしいでしょ? さあ一緒に踊りましょう」


 この時ツィラローザがフィルを引き留めようとしなければ、その後の運命は違ったものになったのかもしれない。ただそんなこと、この時のツィラローザが知ることなど不可能だった。


「あっ……」


 ツィラローザがフィルの腕を取った拍子に婚約者がよろめきそのまま倒れこんでしまった。成り行きを見守っていた来客たちが息を飲んだ。


「ミリアム!!」

「きゃっ!」


 フィルは腕にすがるツィラローザを振り払い、血相を変えて倒れこんだ婚約者の元に膝をついた。


「大丈夫か? 怪我は? 痛みはないか?」

「もう、フィル様。そんな大袈裟にされては恥ずかしいです……。申し訳ありませんでした、慣れないドレスの裾を踏んでしまいまして……」


 眉を下げて自分に謝る彼の婚約者を見て、ツィラローザは身体中の血が沸騰するほどの激しい衝動に駆られた。


「――なによ、わざとらしいっ!!」


 ツィラローザは大きな宝石のついた首飾りを自分の首からむしり取り、勢いよくミリアムに投げつけた。周囲から悲鳴が上がる。


 だが投げつけた首飾りはミリアムに届くことなく、宙にピタリと静止していた。信じられない光景に、時が止まったような沈黙がその場に落ちる中、フィルの低い声が響いた。


「ここで終わらせようと思っていれば……。ミリアムに手を出して、ただで済むと思うなよ」

「フィル様、私は大丈夫ですので、――っ?!」


 全て言い終える前にミリアムの姿は光の中に消えてしまった。フィルが転移陣を展開させ、ミリアムをどこかに送ったのだ。


 ツィラローザが呆気に取られている目の前で首飾りが激しく燃え上がり、灰すら残さず消えていった。

 その様子に来客たちの中からさらに大きなどよめきが起こった。怒りを隠そうともしない魔術師の姿にこれから起こることが予想できたのか、蜘蛛の子を散らすようにその場を去っていった。


「ウィギンズ殿! 申し訳ありませんでした。ははは、さすがに婚約者殿の前では素直に選べませんものな。ほら、ツィラローザ。お手を取って声をかけて差し上げるんだ。もう婚約者殿を気にする必要はないし、ウィギンズ殿の怒りも収まるだろう」


 あっという間に人気のなくなった広間に立つ二人に国王が駆け寄ってきた。だが国王の発した言葉はさらにフィルの怒りを増すものだということに、国王もツィラローザも気づくことがなかった。


「そうか、親子そろって気の毒な事だ。話をする気にもならないが一つ教えてやろう。私は彼女を何よりも愛しているのだ」


 ツィラローザの思考は停止した。

 なぜそんなことを言われるのか、見当もつかない。これまで出会った人々は父も母も、友人や婚約者も、皆ツィラローザを褒め称え、彼女をうっとりと見つめてくれた。これが「愛される」ということでないのなら、いったい何が「愛」なのだろうか。


「それが何? 私よりも愛される人なんているはずないでしょう? あなたも私を一番に愛するようになるわ」

「くっ、くくく、あっはははは……!」


 ツィラローザの答えを聞いたフィルは高らかに笑いだした。おかしそうに笑う魔術師の様子にツィラローザは怒りと共に得体の知れない気味悪さを感じた。早くこの男を目の前から消したかったツィラローザは父である国王に向かって声を上げた。


「もうよろしくてよ! お父様、この男はきっと気が狂っているのだわ。早く追い出して下さらない」

「言われずともこちらから出ていくさ。ああ、そうだ。王女殿下、ダンスはお好きかな?」

「ええ好きよ。あなたとは頼まれても踊りたくありませんけれど」

「それならばそなたにはこれを贈ろう。世界中でそなたにしか履きこなせない、唯一の靴だ」


 フィルが告げるなり、ツィラローザの足元から目も開けていられない程の光が溢れ出した。広間は太陽の光を一か所に集めたかのような眩しさに包まれた。


 次にツィラローザが目を開けた時、魔術師は忽然と姿を消し、自分の足は見覚えのない真っ赤な靴に収まっていたのだ。



 ◇◇◇



 あの夜会の日から一月が経ちました。

 王様は困り果てていました。

 なぜならあの晩、魔術師の怒りを買ったせいで周辺の国から「愚かな王だ」と呆れられてしまったからです。

 王様は魔術師の不敬を訴えましたが、自業自得だと誰も相手にしてくれませんでした。


 王妃様は友人が自分を馬鹿にして笑う声が聞こえる気がして、部屋から出るのが怖くなってしまいました。大好きだった茶会にもすっかり出られなくなってしまったのです。


 そして、魔術師の激しい怒りを買ったツィラローザ姫はあの晩以来、昼も夜も踊り狂う狂女になってしまいました。


 足にすっぽりと収まった赤い靴はどうやっても脱ぐことができませんでした。まるで体の一部になってしまったかのように、ツィラローザ姫の足にしっかりとくっついていたのです。


 そればかりか赤い靴は勝手に動き出し、ツィラローザ姫の意思に逆らって踊り出したのです。


 赤い靴を履いたツィラローザ姫の足は止まることを知らず、どんなことをしていても踊り続けました。食事をとるときも、着替えをするときも、寝る時だって止まりませんでしたので、ツィラローザ姫はどんどんやつれ、汚くなっていきました。


 王様は困りました。

 髪を振り乱して踊り続けるツィラローザ姫は自分の望んだツィラローザ姫の姿ではなかったのですから。


 何の役にも立たず、美しくもないツィラローザ姫など迷惑な存在でしかありませんでした。



 ◇◇◇



 国王は国で名高い三人の賢者を呼び寄せ、ツィラローザの赤い靴を脱がせるよう命じた。しかし賢者たちから返ってきた答えは国王の求めたものではなかった。


「申し訳ございません。私どもでは力が及びませぬ」

「なんだとっ!! 三人もいて、力が及ばぬと申すか!!」

「このような高度な魔術。さすがフィル・リ・ウィギンズとしか言いようがありません」


 年嵩の一人が怒りをあらわにする王の前に進み出た。


「あの靴は姫様の命が尽きるまで止まりません」

「どういうことだ?」

「はい。あの靴にかけられた魔法は二つ。姫様の身体の一部になる術、そして生命力を魔力に変える術でしょう。動力源となる姫様の生命力が尽きれば自然と靴も止まり、靴も足から外れるでしょう……」

「ということは……」

「陛下っ! 恐ろしいことはお考えにならぬように。あの靴にはまだウィギンズの魔力が残っております。もし姫様の身に何かあれば、きっと彼の元にも伝わりましょう。彼は道理に逆らうことを嫌います」

「ぐっ……。 あれの命を絶てぬと申すならどうすれば、あれは止まるのだ?!」


 国王の言葉に賢者たちは顔を見合わせ、そして誰ともなく首を横に振った。


「寿命が尽きるまで、としか。私どもがお答えできるのはここまでです。……陛下、なぜあやつの怒りを買ってしまったのですか? これはもう呪いと変わりませぬ。このような術をかけるほどの怒りを、どうして……」


 そこまで聞いたところで国王は兵士に命じて賢者たちを連れて行かせた。役に立たない者を視界に入れる事ほど不愉快なものはなかったからだ。


 しばらく考えた後、国王は宰相を呼びつけ、ある事を命じた。


 その晩、勅書を持った一頭の早馬が王城を飛び出した。

 行き先はこの国でかつて騎士だった男、エンドリッヒ・ジータスの元だった。

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