第十一話
あと二話で終わりです
「お気の毒に。どうもお悩みのようだ」
部屋の真っ暗な片隅から聞こえた来た声にツィラローザは身を固くした。しかしこの声にはどこか聞き覚えがあった。
「誰……?」
ツィラローザが問いかけると暗がりから、一歩ずつゆっくりと人の気配が近づいてくるのが感じられた。窓から差し込む月明りに影が浮かび上がり、ツィラローザは胸の中の義足をきつく抱きしめた。
「ご婚約のお祝いを申し上げに参りましたが、主役が不在だったので帰ろうかと思っていたのですよ」
「あなた……!?」
月光に照らされて姿を現したのは、かつてツィラローザが「自分に並ぶに相応しい」と認め、自分を選ぶように求めた相手――あの夜会の晩にツィラローザの足に赤い靴を履かせた魔術師フィルだった。
その男がフィルであることをツィラローザの意識が認めた瞬間、ツィラローザの全身にドッと冷や汗が湧き出た。呼吸が浅くなり、無意識に体が震えてくる。
「おや、ずいぶんと怖がられてしまったものだ。以前はあんなに執拗に迫ってきたというのに」
フィルは愉快そうに乾いた声で笑った。以前はあんなにも美しいと感じたその笑みが今では不気味で、ツィラローザは今にも逃げ出したい気持ちに駆られた。
「では私はこの辺で失礼させていただきましょうか。王女殿下、この度はご婚約おめでとう……」
「――ま、待って!!」
気づけばツィラローザは恭しく頭を下げるフィルを震える声で呼び止めていた。
「何か?」
不思議そうに尋ねるフィルは何もかも見透かしているような視線をツィラローザに向けた。あの時、ツィラローザが初めて会った時に見せた瞳だ。
(怖い。でも私はこの人の恐ろしい程の力を知っている。今、私はこの人の力を借りなければ……)
ツィラローザは心を奮い立たせ、フィルに向き直った。
「お、お願い。力を貸して欲しいの」
「何故?」
聞き返すフィルの冷たい視線はツィラローザの胸の中の義足に向けられていた。突き刺すようなフィルの視線にツィラローザの唇はからからに乾いている。激しく打つ鼓動に息が乱れそうになりながらツィラローザは震える唇を必死に開いた。
「エンドリッヒ・ジータスという者が国境の魔獣窟に行っているのです。このままではきっと死んでしまうわ……。私に出来ることなら何でもします。だから力を貸して欲しいの。あの人に生きて帰ってきて欲しいのです」
ツィラローザは胸の義足を強く抱いた。ささくれだった木肌がドレスの生地に刺さる。フィルは視線をゆるりとツィラローザに移し、表情を変えずに口を開いた。
「自惚れない方がいい。そなたにして欲しいことなど何もないからな」
「じゃあどうすれば……」
フィルの無機質な言葉にツィラローザは床に沈み込みそうな感覚に襲われた。
(私は何も持っていない……。王女としても人間としても、私はエンドリッヒを救うために何もできない……)
フィルは打ちひしがれるツィラローザにさらに追い打ちをかけた。
「例え生き延びたとしても、そいつはそなたの元になど戻りたくないかもしれないぞ? それでも望むのか?」
(そうだ、エンドリッヒは私の元を離れたいと言っていた。私の助けなどあの人は望まないかもしれない。でも私は……)
「それは、わかっています。それでも、私はあの人に生きていてほしい……」
ツィラローザの瞳からぽとりと一粒、涙がこぼれた。それは腕の中の義足に落ち、丸く染みを作った。
「こんな私が望むのはおかしいのかもしれないけれど、でもどうしても生きてほしいの」
「なんと、王女殿下を泣かせてしまったか」
フィルはツィラローザの言葉には何も答えなかったが、その代わりに大げさな身振りでどこからか一枚のハンカチを出し、演技がかった口ぶりでツィラローザに差し出した。
「王女殿下を泣かせるなど不敬に問われても仕方がない。申し訳ない事をした」
「……必要ありません」
「おやそれは残念だ」
ツィラローザは手のひらでグイっと目をこすった。しかしフィルはいつまでたってもハンカチを仕舞う様子がないどころか、これみよがしに自分の汗を拭く真似をしたり、広げて畳んでみたりしている。どうもハンカチには刺繍がしてあるようだ。
(これは、ハンカチに触れてほしいという事なのかしら)
「……素敵なハンカチですわね」
ツィラローザは不審に思いながらも、フィルの誘いに乗ることにした。するとフィルは待ってましたとばかりに勢いよく喋り出したのだ。
「そうだろう! 彼女が私の名前を刺繍してくれたものだ。見ろ、ここが少し歪んでいるんだ。これは私が声をかけてしまった時に慌てて隠してできた歪みらしい。それにこの糸の色を見てくれ。これは私の瞳の色だ。ああ、暗くてわからないか。これでどうだ? 見えるだろう。これは彼女が染めたんだ天才的だ」
「そ、そうなのですね」
「ああ。そなたにはただの布切れかもしれないが、私には愛おしく何よりも尊いものだ」
指先に小さな光の玉を出してまで刺繍を見せようとするフィルは必死すぎて滑稽でもあった。ただこのフィルの言動が、以前のツィラローザのとった行動を非難しているものだということはツィラローザにもよくわかった。
「そうね。今なら、わかるわ……」
ツィラローザは腕の中の義足を撫でた。エンドリッヒの作ってくれた木製の義足は素朴な造りだが、どんな宝石のついた義足よりも大切で、愛おしいものになっていたのだ。
(私は自分が美しいということばかりに囚われて何も見ていなかったのね。あの時、フィル様に私が選ばれなかったのは当然のこと。美しさや身分なんかでは測れないものがあることを、あの人は教えてくれた……)
すっかり黙ってしまったツィラローザをフィルは満足げに眺め、どこからともなく取り出した杖をぐるりと回した。杖の先が床に触れると触れたところから温かな光が溢れ出す。フィルは床に美しい模様を描き始めた。ツィラローザは魔法の生まれる様を目の当たりにし、その光景を呆然と眺めるしかできなかった。
フィルは杖を動かしながらツィラローザに問いかけた。
「実は今日は機嫌が良いのでね。そなたの望み、叶えて差し上げよう。ただし、望みを叶えるのならそれ相応の対価が必要だ。そなたに私が望むものは何もないが、助けたいという者のためにそなたは何が出来る?」
(私がエンドリッヒのために出来ること……)
フィルの問いかけにツィラローザは思いを巡らせた。ジッと黙ったツィラローザをフィルは何も言わずに待ってくれていた。
(私はあの人に生かされた。だから今度は私があの人を生かしたい……)
ツィラローザはグッと唇を噛み、フィルの瞳を真っ直ぐ見た。彼の真っ青な瞳を見据える。身体の震えはとっくに消えていた。
「……命を」
「ほう?」
「私の、命を渡すわ。エンドリッヒの命が削られるようなことがあれば、私の命を……」
そう告げるとフィルはピクリと眉を動かした後、愉快そうに高らかな笑い声を上げた。
「ははは、なんと愚かで安直な自己犠牲の心だ! 王女殿下も人間くさくなったものだな!」
「それは良かったわ」
フィルはあからさまな侮辱の言葉をぶつけてきたが、その笑い声の温かさに気づいたツィラローザは気を悪くすることはなかった。
(彼はこうやって笑うけれど、本気で馬鹿にするつもりはないのね。私が変わったことが面白いのでしょう。それならいくらでも笑うがいいわ。私は変われた事を誇りに思っているのですもの)
ツィラローザは思った。きっとこの人間離れした魔術師は人間という存在を愛している。だからこそ人が人を愛することは決して貶さないはずだ。
フィルはひとしきり笑った後、答え合わせのようにツィラローザに慈しむような視線を向けた。
「……ああ、だから人間は面白い。一つだけ聞かせて欲しいのだが、その男の傷の程度ではそなたが命を落とすこともあるだろう。そなたが死ねばそいつは悲しまないのか?」
「悲しまないかもしれないけど、怒るかもしれないわ。『簡単に死ぬと言うな』と……」
でも、とツィラローザは思った。
(人を生かしたくせに、あの人は自分が死んでも仕方ないと思っている。だから……)
「その言葉そっくり返すことにするわ。私を生かした責任を取ってもらうのよ。エンドリッヒには絶対に生き延びてもらう。ねえ、フィル・リ・ウィギンズ。人の命を誰かに移すなんて高等な魔術、あなたに使えるのかしら?」
ツィラローザは可愛らしく小首をかしげながらも挑むようにフィルを見上げた。唇に美しい笑みを浮かべれば、ツィラローザのその挑戦に応えるようにフィルもニヤリと笑みを見せた。
そして手にしていた杖をおもむろに振り上げると鷹揚に告げた。
「私を誰だと思っている、侮るなよ。ではそなたの望み通り、そなたの命を削りあの男を生き延びさせてやろう」
そう言うとフィルは先ほど床に描いた模様のような魔方陣を杖で突いた。そのままフィルが杖を持ち上げると魔方陣も宙に浮かび、ツィラローザの目の前にかざされた。
「そうそう、おまけだ。そなたはその男に再び会う日まで生きる。会って、生きていることを喜び合うと良い。お互いにな」
フィルの言葉と同時に魔方陣はツィラローザの瞳に吸い込まれていった。途端、ツィラローザの全身をとてつもない怠さが襲った。まるで泥沼に突き落とされたかのような身体の重さだった。
魔術師はツィラローザのその様子を見ながらとても美しく笑い、足元に作り出した転移陣の中に静かに姿を消した。
「あ、……っ?!」
ツィラローザはフィルに礼を告げようと上げた自分の声に驚いた。聞いたこともないしゃがれた声が自分の口から飛び出したのだ。
しかしツィラローザは驚いてしまった自分に少しだけおかしくなって笑った後、その後は声もなく泣いたのだった。
(ありがとう、そしてごめんなさい……。本当に、本当に良かった。エンドリッヒ、どうか生きて……)
ツィラローザは初めて知ったのだ。エンドリッヒへのこの思いが「愛」と言う名を持つことに。そして願うだけの自分が、こんなにも無力だということに。
ツィラローザは生まれて初めて、人を想うことで涙が流れることを知った。
◇◇◇
ツィラローザ姫は魔術師に頼み、エンドリッヒを助ける代わりに自分の命を削ってほしいと告げました。その望みは受け入れられました。
魔術師はエンドリッヒが傷つくたびにツィラローザ姫の命を削って癒す術を施しました。賢いエンドリッヒの事です。きっと自分の傷がすぐに治っていく違和感にすぐ気づくでしょう。そして魔術師が関わっていることに気づくはずです。もしエンドリッヒに会ったらどんな反応をされるかと考えるだけで魔術師は楽しくなるのでした。
咲き始めたばかりの薔薇のように若々しく美しいツィラローザ姫は瞬く間に年を取っていきました。それはつまりエンドリッヒが命を削る危ない目に遭っているという事です。そのためツィラローザ姫は自分が老いていくたびにエンドリッヒの無事を祈るのでした。
王様は日に日に老いていくツィラローザ姫を激しく嫌いました。一度は優しい王様に戻りましたが、今ではツィラローザ姫が踊り続けていた時の王様にすっかり戻ってしまったのです。
「どういうことだ!? 足だけでなく若さまでも失うとは! 邪魔だ! こんな老いぼれは捨ててしまえっ!!」
あれほどツィラローザ姫に言い寄っていたステファンも手のひらを返したように、ツィラローザ姫を避け始めました。
「汚らわしい老婆め! 視界にもいれたくないっ! おい、この老いぼれを罪人塔に入れておくんだ。陛下の御命令だ。すぐに処刑人を手配しよう」
そうしてツィラローザ姫が罪人が入れられる塔に閉じ込められてから数日後、見知らぬ騎士が塔を訪れました。剣を持ち、顔を仮面で隠していましたので、塔の門番は閉じ込められた罪人を処分するためにやってきたのだと思いました。
門番の読み通り、騎士は程なくして塔から出てきました。その腕には大きな麻袋が抱えられていました。ちょうど人が一人入っている程の大きさでした。
その光景に門番は「ああ」と思い、また任務に戻りました。罪人が一人いなくなったところで自分の仕事が変わるわけではないのです。
門番が今日の夕食の事を考え始めた頃、大きな麻袋を抱えた騎士は町を越えた先にある森の奥深くに向かっておりました。森の奥には小さな小屋がありました。かつて若い夫婦が住んでいたその小屋は、小さなかまどと小さなベッドがあるだけの粗末な小屋でした。
騎士が幼い頃、その小屋は兄との隠れ家でした。大切な思い出をしまった隠れ家でこの騎士は試合に負けた時、父に叱られた時、そして兄が死んだ時……、幾晩ものつらい夜をやり過ごしていました。
その大切な小屋に着いた騎士は、床にそっと麻袋を下ろして、中身に声をかけました。
「王女殿下、着きました。狭く汚い所ですが、ここは安全です。あとで私の信頼できる女性をよこします。どうぞご安心ください」
袋の中にいたのは罪人塔に閉じ込められていたツィラローザ姫でした。騎士は尊敬する人物が大切にしたツィラローザを守ろうと思ったのでした。
袋から顔を出したツィラローザ姫は、あたりを見渡し、最後に様々な色が輝く極彩色の瞳で騎士を見つめました。
そして目尻に皺を寄せ「ありがとう」と掠れた声で告げたのでした。




