第十話
◇◇◇
エンドリッヒとツィラローザ姫の仲睦まじい様子を気に入らなかったのは、王様も同じでした。
このままではツィラローザ姫がエンドリッヒと結婚すると言い出すかもしれません。そんなことになりにでもしたら、王様は周囲の国々にさらに馬鹿にされてしまうでしょう。
王配の座を狙っている元婚約者のステファンも王様と同じ心配をしていました。そこである日、ステファンが王様にある提案をしました。
「そうだ、国境にまたがる魔獣窟にエンドリッヒを送りましょう。最奥には凶悪な竜が住むというし、あの『首斬りエンドリッヒ』もさすがに生きては帰れますまい」
「なんと、それは名案だ。隣国も魔獣窟の存在は憂慮しているし、上手く行かずとも我が国が討伐に動いたというだけで恩を売るいい機会にもなるだろう。あの邪魔な男を消すにもちょうど良い」
「陛下、これで我が国は安泰です。皆、再び陛下に感謝し、頭を下げるようになるでしょう」
王様とステファンは互いに顔を見合わせ、高らかに笑いました。
邪魔にされたエンドリッヒは準備する間も与えられず、魔獣窟討伐へと旅立つことになりました。
王様の命令は絶対です。逆らったら最後、命を奪われてしまいます。
エンドリッヒは王様に殺されるのは嫌でしたが、何かと戦って死ぬのならそれは仕方ないと思っていました。
なぜならエンドリッヒは自分を「死にぞこない」だと思っていたのですから。
さらにツィラローザ姫が自分に心を寄せすぎている事も心配でした。
今のツィラローザ姫はかつての「美しさ」のみに囚われた傲慢な姫ではありませんでした。自分の目で見て心で感じたものを理解しようと努力していました。
時には自分の犯した過ちを悔い、不安になる様子も見られましたが、エンドリッヒが励ますことでまた立ち上がることが出来るようになるのです。
そんなツィラローザ姫の姿をエンドリッヒは好ましく思っていました。
だからなおの事、彼女の幸せは王女としてこれからも何不自由なく、美しいものに囲まれて暮らす事だと思ったのです。
醜い『首斬りエンドリッヒ』など、美しいツィラローザ姫には相応しくないのです。
たとえ約束を破ることになっても、ツィラローザ姫の側に自分はいるべきではないと思ったのです。
◇◇◇
「だめよ! あんなところに行ったら死んでしまうわ!」
ツィラローザの甲高い声が部屋に響き渡ったが、エンドリッヒは動じた様子もなく困ったように眉を下げ、頭を掻いた。
「いや、確かに死ぬかもしれないですけどわかんないじゃないすか。それにもう決まったことなんですよ」
どこか投げやりに語るエンドリッヒはどこか別人のように見えた。いや、以前会ったことがある。ツィラローザの足を斬りに来た時のエンドリッヒと同じだった。
「どうして? あなたは私と一緒にいてくれるのでしょう? なぜわざわざ死ぬかもしれないところに行かなければならないの?」
「それは陛下に聞いてくださいよ」
何もかも諦めたような顔のエンドリッヒにツィラローザは身体の底から揺り動かされるような苛立ちを感じた。
「わかりました。陛下に頼みに行きます。魔獣窟なんかにエンドリッヒを行かせないよう頼んできます」
「無駄ですよ。行かなければ罰が与えられる」
「なぜっ! 一緒にいてくれるって言ったでしょう?!」
感情的に叫ぶツィラローザを侍女たちは怯えながら遠巻きにしている。なのにこの目の前の男は全く動じる様子がないのがさらにツィラローザの癪に障った。
「嘘つき噓つき噓つきっ!! 私と一緒にいるって言ったわ。……そうだ、わかった。私を見たくなくなったのね! 足もなく身分だけの醜い私を視界に入れたくなくなったのよね! じゃあ良いわ、私の護衛を辞めればいいのよ。そうすれば別に魔獣窟など行かなくても良いでしょう?」
ツィラローザはもう自分で何を言っているのかわからなくなっていた。どうにかしてエンドリッヒが死にに行くのを止めたい一心だったのだ。
「俺は……」
エンドリッヒは必死に視線を捕らえようとするツィラローザの目を一度見て、何かを言いかけたがすぐに目を逸らした。
「……そうです、あんたのお守りはもうこりごりなんですよ。だから辞めます。今までありがとうございました」
「何よそれ! どうして……どうしてそういうことを言うの? あなたにお礼を言われる筋合いなどありません」
ツィラローザは堪らずエンドリッヒにぶつかるように駆け寄り、きつく腕を掴んだ。
「駄目よ、行かせない。これは命令です、エンドリッヒ・ジータス! 絶対に行かせない!」
「……そういうことですよ。あなたは人に命じる立場。俺は命じられる立場。俺とあなたは住むところが違うんです。見た目も違う、考えも違う。種類の違う人間だと思ってください。一緒に生きるなんて夢のまた夢だ」
ツィラローザが固く掴んだ手の上に大きな手が重なった。白くなるほど握りしめられたツィラローザの指を冷たいエンドリッヒの指が一本ずつ解いていく。
「なら、どうして私を生かしたの?」
「……」
「生かした責任があると言ったでしょう?」
「…………」
絞り出すようなツィラローザの言葉にエンドリッヒが答えることはなかった。エンドリッヒの手が自分の指を解いていくことにツィラローザは抵抗せず、されるがままになっていた。
最後全ての指が離れる瞬間、ツィラローザはエンドリッヒの手を掴んだ。
「置いていかないで……」
「あなたはもう自分で動けるでしょう?」
冷たいエンドリッヒの手がわずかに震えていた事にツィラローザはこの時初めて気づいた。ツィラローザが弾かれたようにエンドリッヒを見上げると、そこにはツィラローザを優しく見つめるエンドリッヒの黒い瞳が浮かんでいた。
そして静かにツィラローザの手を離したエンドリッヒは二歩下がり、騎士がそうするように跪き、頭を下げた。
「どうぞお幸せに」
◇◇◇
エンドリッヒは王城から風のように去って行きました。
聞けば王様の命令で討伐には一人で臨むそうです。騎士の中には王様のやり方に異を唱える者もいたそうですが、王様は誰もエンドリッヒに力を貸すことを許しませんでした。
「『首斬りエンドリッヒ』が魔獣窟で死んだとしても、我が国は英雄を二人も生んだ国だと称えられるだろう。戦争を止めた最強の魔術師、この世の物とは思えない程の美しい姫、そして勇敢にも魔獣に挑み国に殉ずる勇者を出したこの国の王は私だ! 私は歴史に名を残す素晴らしい王だ!」
王様は周辺国の王から頭を下げられる自分の姿を思い浮かべては、これ以上ないほど愉快な気持ちに浸っていました。
ツィラローザ姫は公爵令息のステファンと婚約を結び直す事になりました。二人の婚約は国中の貴族たちを呼んで大々的に開かれた夜会の中で発表されました。
ただし王様もそこまで馬鹿ではありません。今回はあの魔術師フィル・リ・ウィギンズは招待しませんでした。仲間外れにされて王様に歯向かった事を後悔すればいいと思ったのです。当の魔術師本人はそんなこと気にもしていなかったのですが、王様はそんなこと知りません。自分に嫌われることが最大の罰になると思っていたのです。
◇◇◇
きらめくシャンデリアに柔らかなカーペット。むせ返る香水の匂いに混ざる肉の焼ける臭い。
そしてツィラローザの耳に届くのは聞きたくもない不愉快な言葉たちだった。
「今日もなんと美しいんだ。こんなに美しいツィラローザの周りを変な虫が飛び回っていては台無しだったな。あの男は辺境に送って正解だったよ。死にぞこないが勇者と呼ばれるようになるんだから、私たちに感謝してほしいものだ」
「私たちのツィラローザの足を奪ったんですもの。あんな醜い男、勇者でもなんでもないわ。魔物の餌にでもなればいいのよ」
国王も王妃も晴れ晴れとした表情でツィラローザに語り掛けてくる。
「やっと僕たちの愛を証明できる日が来たね。これで元通りだよ、愛しいツィラローザ」
「……私、足が痛みますので部屋で休んでおります」
ツィラローザはエスコートしようと手を伸ばすステファンの手を取る代わりにそう告げ、引き留めようとする両親を振り返ることなく広間を離れた。
「皆、皆おかしいわよっ! 何よこんなものっ!!」
部屋に戻ったツィラローザは宝石のちりばめられた義足を思い切り扉に投げつけた。
何かが割れるようなすさまじい音がして、廊下でメイドたちが小さく悲鳴を上げた。しかし誰も部屋に入ってくることはなかった。きっと以前のようにツィラローザが癇癪をおこしたと思ったのだろう。
「おかしい、お父様も、お母様も。あんなにおかしな方だったの?」
国王も王妃をはじめ、自分を取り巻く人々がエンドリッヒを良く思っていないのはわかっていた。だがあれほど悪し様に言う程のことなのだろうか。
(もしかしたら私もあんな風に誰かの事を語っていたの? 世界で私が最も尊いだなんて、どうしてそんなこと思えたの。私は、私は……この世界で一番醜い人間だわ。もう生きている価値なんてないのに……)
混乱の中、ツィラローザに沸き起こるのは以前の自分への疑問と耐えがたい孤独だった。ツィラローザはベッドに這い寄りベッド下に置いた箱の中から大切に仕舞っていたあの木製の義足を取り出した。
「エンドリッヒ……」
何を信じればいいのかわからないツィラローザにとって、今自分を支える唯一の物はエンドリッヒが作ってくれたこの素朴な義足だった。
ツィラローザが小さく丸まって義足を抱きしめた瞬間、部屋の暗がりから低い声が響いた。
「お気の毒に」
その声にツィラローザは身体中を虫が駆け回るような恐怖を呼び起こされた。




