5.神話
次の日。
またエレファスに連れられて学園に向かうと、既に部屋の中には当然のようにトンボがいた。
扉を開けて私とエレファスの姿を確認した途端、走る勢いで詰め寄ってくる。
「遅い!」
「お前が早すぎるんだ」
ちゃんと寝たんだろうな、というエレファスを無視してトンボは私の手を引く。
「では今から聞き取りを始めよう。僕の質問に答えてくれ」
「………あとは頼んだ」
エレファスは呆れた表情を浮かべつつも私に飯を忘れるなとだけ言い残して部屋を出ていった。
きっと忙しい人なんだろう。
トンボの方を振り返るとらんらんと瞳を光らせて私を見ていた。
………昨日の検査よりましだといいな。
そんなことを願って私は彼と向き合った。
「それで、お前にとってドラゴンはどんな性格に感じる?性別はあるのか?年齢は?」
ようやく私の覚えている限りのこれまでの人生について答え終わると、次はりゅうの話になった。
私の話が終わった時点で、休憩だと言ってトンボに食事をねだった。
エレファスから頼まれていたのもあるけれど、正直私もくたくただったのだ。
渋々トンボは私を食堂というところに連れていってくれた。
学園に所属している人であれば、何を食べてもお金はかからないらしい。
トンボの協力者という扱いになっているから、私の分もお金はかからないと言われて、見たことの無い料理に悩みながらもどうにか決めた。
ちなみにトンボはメニューを見ることもなくすぐに決めていた。彼が言うには、食事は食べられたらなんでもいい、悩む時間が勿体ないらしい。
あまりの速さにもうちょっと悩んであげたらと言いたくなってしまう。
そんなこんなで遅いと言いつつも、食べ終わるまで待ってくれたトンボと一緒に研究室に戻り。
一息着く間もなくさっきの質問、つまりりゅうのことを聞かれた。
「ドラゴン…えっとりゅうは多分、男の人だと思う…年齢は分からないけど、私より年上じゃないかな」
「男…雄か……年上というのはそうだろうな。ドラゴンはとても長い寿命を持つから」
「…」
「それで、そのドラゴンの鱗の色は?」
「黒、だよ」
りゅうの綺麗な黒い鱗を思い出す。
すべらかで少し冷たくて、美しいそれは私の大好きなものだ。
「黒か。やはり穢れの森に封印したとされていた個体だな。ずっと森にいたのか…?なら封印とやらは本当に効果があったということになるのか……?」
ぶつぶつと話しながらメモをとるトンボはとても器用だ。私にはとても出来そうにないなと思いながらも引っかかったことがあった。
「ほかの、こたい?他のドラゴンがいるの?それに気になってたんだけど、ドラゴンってそんなに長生きなの?」
思わずそう聞き返すと、そんなことも知らないのかとばかりに軽く睨まれる。その視線にももう慣れてきてしまった。
「お前、本当に何も知らないんだな。
まあいい、教えてやる。
そもそもドラゴンはこの国、いやこの世界が出来た時からずっと存在していると言われている生き物だ」
そう言ってトンボは簡単にこの世界が生まれたときの言い伝えを教えてくれた。
いちばんはじめに、青いドラゴンと赤いドラゴンがいた。
2匹は赤い炎と青い氷の吐息を吐いた。2つが混じりあったところから、花や木、鳥や羊など様々な生き物が生まれた。その中に人間も含まれていた。
沢山の生き物を生み出した彼らは、ある時に満足してもう眠ることにした。
しかし、2匹とも眠ると世界を見守るものがいなくなってしまう。見守るものがいないと、世界のバランスが崩れたときに誰も気づくことができない。
そこで彼らは鋭い爪でお互いの体を引っ掻いた。
すると赤と青の鱗が11枚剥がれ落ち、それに吐息をかけると、それは彼らとそっくりな形の生き物、ドラゴンになった。
彼らはそれらに世界を見守る役目を託すと、それぞれ眠りにつくことにした。
赤のドラゴンの体はやがてこの世界の大地と山になり、青のドラゴンの体はやがて海と空になった。
「だからこの世界には11体のドラゴンがいて、我々の世界を見守っている─…そんな話だ」
「………りゅうは、その一人、なの?」
「さあ?言っただろう、僕は自分の目で見たこと以外は信じない性格なんだ」
トンボは迷いもなくそう言った。
私にとってはあまりにも自分から遠い話で、でもそれにりゅうが関わっているというのは不思議で、何故かよく分からないけど─…もやもやした。それは淋しいという気持ちに似ている気がした。
「まあお前がドラゴンの言葉が分かるのなら、是非真偽を確かめてほしいところではあるな。本当にしろ嘘にしろ、ドラゴンが長い寿命の中で何を見てきたのかはとても興味がある」
「………りゅうは、どれくらい長生きなの?」
気になって聞いてみると、トンボはカリカリとメモを書く手を止めないまま答える。
「ドラゴンについては色々な文献・伝承があるが、どれにもその死については書かれていない。
つまり、誰もドラゴンが死んだところを見たことがない可能性が高い。彼らにそもそも寿命というものがあるのか、それさえも分かっていないというのが今の僕の回答だ」
「……」
どうしてだろう。
長生きするのはとてもいいことだ。だって置いてかれることは無いから。
私を残して死んでしまった両親を思い出す。少なくともりゅうはきっと、その心配はない。
だから嬉しいはずだ。
でも何でだろう。
もし本当に死なないのだとしたら、途方もないりゅうのその生の中で、きっと私なんてちっぽけで。
──怖くは無いのか?
──りゅうが?
──ああ。ドラゴンだ。
── 貴方は本当にドラゴンと話せるんですね
どうして彼らはそんなにドラゴン─りゅうと私たちを区別するのだろう、なんて思った私は何も知らなかったのだと、今更になって思った。
りゅうと私はいくら言葉が通じていても別の生き物なのだ。
彼らに死がないと言うのなら、私が死んだ後もずっと彼らは生き続けるのだろう。だから私と過ごした時間は瞬きのように一瞬で、そのうち忘れられてしまうに違いない。そんな存在なんだ。
何だかそれはとてもとても───。
ぐっと唇を噛み締めた私に気付いていないようで、トンボが何かを話していたけれどそれは耳を素通りした。
「まあそれもドラゴンの言葉が分かるというのなら、お前が聞いた方が早いだろう。他にもドラゴンの鱗や血や心臓には願いを叶えるだとかいう言い伝えもあるが、それが真実かはまだ確証が取れていない。
とにかく、ドラゴンはそれくらい伝説の存在なんだ………って!」
急に驚いたような声を上げたので、はっとなってトンボの方を見る。
トンボはいつの間にかメモを書く手を止めて、私のことを見ていた。
「どうしたの?」
「どうしたのはお前だ!?なんだ!?どうしてそんな顔をしている!?!?」
慌てたようにそう言われても、どんな顔をしているのかなんて自分では分からない。
首を傾げていると、私が分からないことにトンボは苛立ったようだった。
「あーもう!そんな泣きそうな顔をしているのに自覚がないのか!鏡!鏡はどこだ!!」
泣きそうな、顔?
……よく分からない。自分のことなのに。
トンボは部屋を漁って鏡を探している。
私はそれを他人事のように見ながら、りゅうに会いたいなと思った。
りゅうに会えれば、この気持ちもどこかに行く気がして。
結局鏡は見つからなかった。
でも代わりにお休みをもらった。
トンボは言葉は厳しいけれど、やっぱりエレファスの言う通り優しい人だ。自分が問い詰めたせいで私があんな顔をしたのではないかと気にしているみたいだった。それを言葉で言うことはなかったけれど。
もちろん、そんな理由ではないんだけれど、自分のこのよく分からない気持ちもあるし、慣れない場所に少し疲れたのもあったから、お休みは嬉しかった。
エレファスと一緒に王宮に帰ってくる。
このまま一緒に夕食を、という話になったので、2人でいつも朝食を食べる部屋に向かう。
「明日はどうするつもりだ?」
歩きながらそう聞いてきたエレファスに私は少し考えて答えた。
「えっと、前行った図書室、に行こうかなと」
色んな本があったし、トンボを見ていると自分は本当に何も知らないんだなと強く思うようになった。周りのことだけじゃなくて、あんなに近くにいたりゅうのことさえも。
「………そうか」
私の顔を見てエレファスが難しい顔、つまり心配そうな表情をする。
……今どんな顔をしているんだろう。
トンボに言われた「自覚がないのか」という言葉がまだ頭に残っていて、見えない自分の顔が気になってしまう。
そわそわとしていると、あら、とどこかで聞いたことのあるかわいい声が聞こえた。
「おかえりなさい、おにいさま」
「………テレシア」
向かいから歩いて、いや駆け寄ってきたのは焦げ茶の髪に赤い瞳の女の子─前も廊下ですれ違ったテレシア王女だった。
エレファスが走ってくる彼女を屈んで受け止めると、テレシアは嬉しそうに笑う。
見た目は似ていないけれど、二人が作る空気は仲のいい兄妹そのものだ。
それにどこか柔らかい雰囲気は二人とも同じ。トリオンが言っていたように、二人とも優しい人なんだろう。
「おにいさま、こんどはいついっしょにあそべます?わたし、ピアノをきいてほしいの!あのね、あしたはねエルナとおちゃかいをするの!だからおにいさまとはあそべないけど、いつなら…」
にこにことエレファスに抱かれたまま喋るテレシアの頭をエレファスは撫でる。
「テレシア」
そう呼ぶと、テレシアは言葉を止めてエレファスを見たあと、二人を見ていた私とぱちりと目があった。
「あっ、あなたは…」
私を見てそう言うと、少しだけ考えたあと顔を明るくする。
「おにいさまのおきゃくさま!」
「は、はい」
思わず返事をしてしまえば、エレファスは彼女を下ろして私の紹介をしてくれた。
「彼女は俺の客人で、ヒノキだ」
こてんと首を傾げてテレシアが私の名前を呼ぶ。
「……ひのき?」
「はい」
頷いてそう返せば、まるで花が咲くかのように満面の笑みを浮かべた。とても可愛くて、癒される。ちょうど同じ歳くらいのトンボとは大違いだなんて失礼なことを思った。
「ひのき、ヒノキね!
あっそうだ!!」
何度か名前を繰り返したあと、良いことを思いついたと言わんばかりにテレシアはにっこり笑った。
「あした、エルナといっしょにおちゃかいをするの!あなたも来て!!」
「………え」
まさかこんなことになるなんて。
テレシアと別れ夕食をエレファスと食べながら私は明日のことしか考えられなかった。
おちゃかい、ってなに?
部屋に帰ったら辞書で調べてみよう。辞書を貸してくれた司書のおじいさんに感謝する。
もし辞書にも載っていなかったら、どうしよう。
ぐるぐると頭の中で考えていると、同じように向かいで無言でご飯を食べていたエレファスがそっと気遣うように言った。
「テレシアが…その、悪いな」
「えっ!あ、いや、大丈夫、です!」
どう考えても大丈夫な言い方じゃない。
狼狽えながらそう答えると、エレファスは難しい顔で教えてくれた。
「お茶会…まあ茶会は、その名の通り、何人かで集まって茶を飲みつつ話をする会だ。基本女性がやることが多い。男は女性に招待されたら行くこともあるが、パーティと違ってそれは必須ではない」
「はい……?」
パーティ?も知らないけれど、今は置いておこう。
「招く側には色々考えることもあるが、今回お前は招かれた側だから、そんなに気を使う必要は無いはずだ。招いた側─ホスト、というが、その指示に従えばいい。
今回のホストは恐らくテレシアだし、招待客もエルナとお前だけだろうから、厳格なマナーも無いだろう。ただ本当にお茶を飲むだけのはずだ」
「…」
マナー、は分かる。作法のことだ。
そんなもの習ったことないけれど、今のエレファスの言い方だと普通のお茶会ではかなり重要なものみたいだ。
それがないのはとても嬉しい。今更習う訳にもいかないだろうから。
ただお茶を飲むだけ、と言われて少しだけ不安が減った。それでもひとつ気になることがあった。
「……その、エルナさんって誰ですか?」
テレシアもエレファスもかなり仲の良さそうなエルナというひと。
恐らく女性なんだろうけれど、私は全然知らない人だ。
明日いきなり会って初めましてよりは、少しはどんな人なのか知っておきたくてそう聞くと、エレファスはああと困った顔を緩めた。
「エルナはトラヴィス家の長女で、俺の婚約者だ」
「こん、やくしゃ」
婚約って、結婚の前の段階だったような。
ということはつまり将来のエレファスのお嫁さん、ということになるはず。
びっくりしてまじまじとエレファスを見てしまう。
本の中で出てくる結婚とか婚約とかそういう単語は森で暮らす自分とはかけ離れていて、別の世界の話だと思っていたから。
「お、おめでとう、ございます…?」
まさかこんな身近に結婚する人がいるなんて。
とりあえずお祝いの言葉を言うと、「まだ早いが」とエレファスに冷静に返された。