4.トンボ
「到着いたしました」
先に降り差し伸べてくれたエレファスの手を取る。
乗る時にも同じことをされてどうするのか困った私にやり方を教えてくれたので、今度は多分ちゃんと出来たはず。
誰も見ていなかったけれど、エレファスも何も言わなかったので大丈夫そうだと安心した。
学園は大きな建物だった。
茶色い煉瓦で出来ていて、建物の高い部分には大きな時計があった。屋根は青緑で色の組み合わせが可愛いなと思った。
建物の中は長い廊下と教室、と呼ばれる部屋がいくつもあって、王宮とはまた違った雰囲気で緊張する。
エレファスに案内されるままに奥へと入っていくけれど、迷路みたいで自分では帰れないと思う。
帰り道のことで不安になっていると、遂にエレファスが扉を開けて足を止めた。
どうやらここが目的地みたいだ。
「トンボ、いるな。お前に会わせたい人がいるんだ」
エレファスに続いて私は部屋の中に一歩足を踏み入れて絶句していた。
部屋自体は私の森の家と変わらないくらいの大きさで、特に狭くも広くもない。
気持ちのいい日差しが差し込んでいて明るくていい部屋だと思う。でも。
どこに足を置けばいいのか分からないくらい紙が散らばっているし、いつ倒れるのかとハラハラされふ本や紙の塔がいくつも出来ている。壁を埋めるくらい本棚があるけど、そこは縦にも横にも隙間がないくらいぎゅうぎゅうに本が詰まっていて、入らない分が床に積み上がっているという感じだ。
今まで見たことがない種類の部屋で、─それは図書室もそうだったけれど─ちょっと感動していた。
「……急に来られても僕にも用事ってものがあるんだが」
部屋に見入っていると、どこからがそんな声がして驚く。
のっそりとどこからか現れたのは私よりも年下そうな小さな子どもだった。
焦げ茶色の髪は寝癖なのかぴょんぴょんとあちこちが跳ねているし、緑色の目は半分しか開いていない。
どう考えても寝起きのその姿にエレファスが呆れたようなため息をつく。
「お前、また机の下で寝てたのか?せめて椅子で寝てくれ…」
「うるさい」
冷たくそう言うその子は言い方は悪いけどかなり偉そうで、見た目と合わなくて私は静かに混乱した。
だって街で見かけたこのくらいの歳の子どもは、母親の後を追いかけたり我儘を言って怒られていたりして、こんな風に偉そうにしっかりと話している子なんていなかった。
エレファスの後ろからその子見つめていると、ぱちりと目が合う。思わず肩を揺らした私と反対に、その子は何の感情も浮かばなかったらしく、すぐにすいと逸らされた。
「で、何の用だ?」
……エレファスが事前に心配した理由がわかった気がする。
私の存在を丸々無視してエレファスにそう聞くんだから確かに変わった人だなぁと思った。
「さっきも言ったが……あのな、お前に会わせたい人を連れて来たんだ」
エレファスが一歩下がり、その背に隠れていた私はトンボというらしい少年の前に晒される。
じっと見つめられるのは居心地が悪かったけれど耐えた。
「この少女は先日お前に言われて穢れの森に行った時に森の中であったんだ」
「はあ?」
その言葉にトンボが訝しげに私を見る。穢れの森の中で他の人を見たことがないと思っていたけれど、この驚きようを見る限りやっぱりあそこには私たちだけしか住んでいないようだ。
「しかも、ドラゴンと話していた」
エレファスがそう言った途端、カッと今まで半開きだった彼の目が見開かれて、逃がさないとばかりに私の服を鷲づかんだ。
「えっ!」
思ってもいなかった力に私の体が踏ん張れずよろめくと、エレファスがさっと支えてくれた。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございま、」
「どういうことだ!?ドラゴンと話せるなんて聞いたことがない!!本当だろうな!?虚言だったら殺すぞ!!!!おい!!!聞いているのか!!!」
ぐいぐいと服を引っ張られながら詰め寄られてどうしていいのか分からない。
思わず身を強ばらせていると。
「トンボ、落ち着け」
「落ち着いてられるか!?エレファス!!どういうことなのか説明しろ!!!!」
「今からするから。だから彼女を離してやれ」
エレファスが止めに入り、やんわりとトンボの手を離してくれた。
借り物の服に皺がよってしまったけれど、許してくれると信じよう。
トンボは手を離したあとも鋭い目つきで私を見ている。まるで逃がさないぞと言っているようだ。
エレファスは眉間に皺を寄せて怖い顔をしていた。
ようやくそれが怒っているのではなくて、心配している時の顔なんだなと気づいた。
「はあ…あのな、この少女がドラゴンと話していたのは本当だ。俺だって、俺についていた者達だってしっかりと見ている。ドラゴンが何を言っているのかは分からなかったが、確かに会話しているようだった」
「この女の頭がイカれている可能性は?
一人芝居が上手いだけかもしれないぞ」
「……」
それは本人の前で言うことだろうか。
普通言わないんじゃないかと思ったけれど、あまりにも堂々と聞くので私は逆に感心してしまった。
エレファスがちらりと私を見る。すまない、と謝っているように見えたので気にしていないと首を振って答えた。
「それにしてはドラゴンも大人しかったし、そもそも彼女はあのドラゴンに寄り添っていたんだぞ。普通そんなことを彼らは許すのか?」
「…」
「それに…彼女と話しているときのドラゴンの威圧感は途轍もなかったぞ。そのせいで兵士たちは中々立ち上がれなかったし、俺も今思い出しても寒気がする」
そんなことになっていたなんて知らなかった。
私はりゅうを背にしていたから気づかなかったんだろうか。
エレファスの言葉に驚いていると、トンボが更にじっと見てきた。
何かを言わなければいけない気がして、慌てて言葉を探す。
「あ、えっと……その、私はりゅう……ドラゴン?と話せます。というか、そんなに特殊なことだとは知らなくて………幼い頃から穢れの森に住んでいたので…」
自分でも何を言っているのかは分からないくらい取り留めのないことを話すと、トンボがずいっと近づいてきた。
思わず身構える。
「本当なのか…本当なんだな……いや待てまだ早計だ。でも穢れの森に住んでいるなんて…ドラゴンが人間の接近を許すか?そもそも、穢れの森のドラゴンは起きているのか。反対にドラゴンが人間の言葉を理解しているのかなんて考えたことがなかったが、もしそうなら今までドラゴンと人間の交流は無かったのか?」
今度は洋服を掴まれることもなく、何かを唱えだしたのでほっとする。
エレファスはやれやれとばかりに吐息をし、トンボを突っついた。
「まあお前が信じるか信じないかは知らないが、彼女が何か特別なことがあるかもしれない。
それを調べてくれ」
「…………………分かった」
大丈夫なんだろうかと心配していたけれど、トンボは頷いた。
あっさりとした言い様とは正反対に、目はぎらぎらと私を見ている。獲物を逃さない目つきがどこか森で見る蛇に似ていた。
トンボが頷くのを見ると俺はこれで、と私に謝りエレファスは部屋を出ていってしまった。
物凄く難しい顔をしていたけれど、恐らくあれは心配していたんだろう。
ぱたんとドアが閉まると、部屋はとても静かになった。
とりあえず、どうしたらいいんだろう。
きょろきょろと視線をさ迷わせながら考えていれば、「お前の名前は?」とトンボの方から声をかけてきてくれたので驚く。
「ひ、ヒノキです」
返す声が揺れてしまったけれど、トンボは気にした様子も無くそのまま話しかけてきた。
「エレファスが言ったこと…お前がドラゴンと会話ができると仮定して今からは話をする。いいか、あくまでも仮定だからな。僕は自分の目で確かめたこと以外は信じないんだ」
「はい…」
なんだか真剣にそう言われたが、私は正直難しい言葉を使うなあと感心してしまっていた。
やっぱり学園に通うような人は頭の出来が違うという噂は正しいんだろう。
「で、お前…ヒノキ、か。
まずは生体検査からだな。とりあえず採血は必須だろう。あとは毛髪検査か?いや、一通り検査するべきだな」
「はい?」
なにかを言っているけれどなんの事だかさっぱり分からないまま、検査だと言われて部屋から連れ出された。
そこからは大変だった。
思い出せないくらい、何だか色んなことをやらされた。
血を取られたり髪の毛を取られたり、何かの上に乗ったりこれは見えるか聞こえるかなんて聞かれたり、手を上げさせられたり何かを握らされたり走らされたり。
今自分が何の検査をしているのか、なんて聞くのも途中でやめた。聞いてもよく分からないことが分かったから。
トンボに対して最初は少し怖かったけれど、それも検査をこなすほど消えていった。
彼は確かにはっきりとした物言いをする。でも走って息を切らす私に体力が無いと言いながら飲み物を渡してくれ、これをしろと言われて間違った時には何度でも説明をしてくれた。多分、エレファスが言うように悪い人ではないと分かった。
たくさんの検査をしてようやくトンボが満足した時には、もう夕暮れ時だった。
その頃には私も彼の言葉に慣れていて敬語を外して話せるようになっていた。同時に彼も私のことを呼び捨てにするくらいには信じてくれているようだった。
「さあこれで一通りの検査はよいだろう。
また何か思いついたら追加でやるからな、ヒノキ」
「えっまだやるの…」
ぐったりとソファに身を投げ出していた私をトンボが睨む。
ちなみにソファの上にも紙が散らばっていたけれど、それは全部床に落とした。床も紙だらけなので今更気が咎めることもない。
「何を言ってるんだ!ありとあらゆる検査をしたいところだが、今出来るので今日は我慢してやったんたぞ!」
憤ったトンボが喚いている。見かけは完全にワガママを言う微笑ましい子どもだが、言っていることは全然可愛らしくない。私はうえ、とソファの座面に顔を伏せた。
「とりあえず検査の結果が出るまでは聞き取りだな。
僕の質問に答えてもらおう。じゃあまずはお前の生い立ち、生まれてからここに来るまでだな。ドラゴンと出会う前に何かあったのかもしれないから、そこも含めて思い出せることは全部吐いてもらおうか」
「えええ………」
目をぎらぎらさせて質問責めにしようとする彼にげんなりとしたときだった。
何の前触れもなくガチャ、と扉が開く。
「トンボ、そろそろ彼女を引き取るぞ」
そう言って現れたエレファスが神様のように見えた。
トンボは思いっきりちっと舌打ちをした。
「お前も今日はここまでにしろ。それでいい加減ベッドで寝てこい」
そんな彼を咎めることなくエレファスはやはり難しい顔でそう言う。
トンボのことが心配なんだろう。
いくら大人びている言葉を使っていても、その見た目は子どもだから私もエレファスの気持ちが分かるような気がした。
トンボは嫌そうな顔をしたけれど、私たちと一緒に部屋を出た。あとで聞くとあの部屋は研究室というところらしい。もともと寝泊まりする部屋ではないのでベッドも無い。だからトンボは床で寝ていたそうだ。
3人で玄関まで歩く。
トンボが自分の部屋へ行くので別れたあと、エレファスが話しかけてきた。
「………今日のことで嫌なことは無かったか?トンボは歯に衣着せぬ言い方をするが、あまり気にしないで欲しい」
そう言う彼はやっぱり難しい顔をしている。
私のことも、そして多分トンボのことも心配なんだろう。
「大丈夫でしたよ。トンボも、悪い人ではないと思います」
本当にそう思ったから正直に言えば、ふっとエレファスは表情を和らげた。
「そう思ってくれたのなら嬉しい限りだ。
あいつは少々ひねくれているが、悪い奴じゃないんだ」
まるで自分の家族のことを話しているかのようで、私は少しだけ懐かしくなった。
私にはもう家族はいないから。
不意に訪れた淋しさを振りきって、慌てて心を切り替える。
「でも、トンボはすごいと思います。あんなにおさないのに。私には何を言ってるのか全然分からなくて、色んなことを知ってて…」
そう言うとエレファスが表情を曇らせた。
「そうだな………。
先に言っておくが、あいつはまだほんの子供だ」
「はい、そうですね?」
見かけ的にもどう考えても子どもだ。私より年下の、小さなこども。
なんでわざわざ改まってそんなことを言うのかわからず、首を傾げる。
「あいつは子どもだが、賢い。恐らく俺よりもずっと賢く、あいつに太刀打ちできる頭脳の持ち主はそういないだろう。
だが、あいつはまだほんの小さな子どもで、ただそれだけの理由で大人には相手にされないことが多くある。あいつの賢さが認められないことも、あいつの言葉が信じられないこともな」
「…」
「見た目というのはそれ程までに影響するんだ。
あいつが寝食を犠牲に研究をして、そして得られた成果でさえ、その正しさは"子どもの言うことだから"と一蹴されることもある。どんなに正しいことを言っていてもだ。まあ、だからきっと、あいつはあんなひねくれてしまったのかもしれないが。
でも、あいつはすごい奴だと俺は思う」
エレファスの言うことは正直難しくて、きっと完全には分かってないと思う。
私は彼の言ったことを考えながら言葉を探した。
「………賢いっていうことに大人とか子どもは関係ないってこと、ですか………?」
そう言うと、エレファスは笑った。
「それもそうだが。
とにかく、あいつは子どもだけど、それだけで判断しないでほしい」
「はい」
まるで弟を守る兄のようだ。
彼の横顔を見ながらそう思った。