3.王子
「こちらが王宮の図書室です」
トリオンに案内されて部屋に入る。
「うわあ……」
本棚がいっぱいだった。
それも今まで見たことも無い大きな。
思わず声を上げてしまう。
「王制についての本もあると思うので探してみましょう。
……あれ、司書のじいさんは…」
トリオンがどこかに消える。
私も後を追おうかと思ったけれど、もう少しどんな本があるのか見たくて、本棚に近づいた。
「あり、てるたおう、こくの、しょ、く、せい?
きせ、つのは、な?ま、ちかどの…」
試しに背表紙を読んでみたけれど、読めるだけで意味が分からない。
広げて読んでみたいとも思ったけれど、勝手にそんなことをしていいのかと躊躇った。
「あれ、なんじゃ見かけん顔だな」
後ろから声をかけられて驚いて振り向く。
いつの間にかひょろりとした体つきのお爺さんが立っていた。眼鏡をかけていて身長が高い。無表情で見下ろされるのが咎められているかのように感じてしまって怖かった。
「あ、えっと、」
勝手に見たことを怒られるだろうか。
そう思った私の予想を裏切って、その人は「開いてみたらどうだ?」と言った。
「いいんですか?」
「もちろん。ここは王宮の図書室だからな。
ここに入れるのならお前には本を読む権利があるだろう」
よく分からないけれど、部屋に入れるということは本を読んでもいいと言うことだよね?
「…」
恐る恐る手を伸ばして本を一冊とった。
その本を選んだのは背表紙にもきらきらの縁がついていて綺麗だったから。
「ほお、『森の植生』か。
いい本だぞ。何しろ著者は更なる植物を求めてどこかの森で失踪したまんまじゃからな」
くっくっと声を潜めて笑うお爺さんを見つめていると、「あっここにいた!」とどこかに行っていたトリオンが走ってきた。
「騒々しいやつじゃな」
不機嫌そうにそう呟く。
トリオンは聞こえなかったらしく、ただ睨まれているのを見て不思議そうにしていた。
お爺さんはため息をつくと。
「何じゃ用か?」
「あ、その、王制の本を探してるんですが」
「王制と言ってもいろいろある」
「基本的なやつで…こちらの客人に読んでもらいたいんです」
そう言ってトリオンが私を見る。
お爺さんも視線をちらと私に向けると、少しだけ顎髭を触って考えていたようだった。
「ふむ……」
じっと私を見た後にお爺さんがどこかに消える。
呆気に取られて見ていると、トリオンが控えめに「…あの人は司書──この部屋の本を管理してる人なんです」と教えてくれた。
「これはどうじゃ?」
お爺さんが戻ってきて1冊の本を差し出す。
私は受け取ったものの、ここで開いていいのかと躊躇った。
「向こうに椅子があるからそこで読みなさい」
「あ…はい」
見透かしたようにお爺さんがそう言って、部屋の隅の椅子を指さしたので、言われた通りそこで座って読むことにした。
その本は王制という言葉よりは、この国について書かれた本だった。
この国、ユリノア王国は王制を敷いている。
国の頂点に立つものを王と呼ぶ。王制とは王を最高権力者としている制度のことらしい。
頂点ってつまり一番偉い人のことのはず。
それくらいは分かる。
私は続きの文字を追った。
王族はユリノア家。今代はテイネス王。次代はエレファス王子になることが決まっている。
「………」
エレファスは次の王様、そして王子というのは今の王様の息子ということだったんだ。
そこでようやく、私はエレファスだけがなぜあんな煌びやかな衣装を着ていたのか理由が分かった。
本には他にもユリノア王国の地図や、主な街について書かれていた。
ユリノア王国の地図の端に"穢れの森"という文字を見つけて、ページをめくる手を止めた。
私の住んでいる"穢れの森"はこの国と他の国の境界にあるらしい。
今自分が居る王宮と距離が離れているのを知ってびっくりする。転移陣だと一瞬だったから、そこまで離れていると思わなかったのだ。
……りゅう、どうしてるかな。
きっといつものようにお気に入りの場所で寝ているんだろうけど。
寂しいなという気持ちがわいてきて私は慌てて次のページを捲った。
それから本ともう一度向き合って読み始めた。
「ありがとうございました」
お爺さんに本を返す。
かなり時間が経ってしまった。
辞書、と言うらしい分厚い本も渡そうとした。
知らない言葉もたくさん出てきて読むのに詰まっていたら、お爺さんが貸してくれたのだ。
初めて見た種類の本だけど、使い方も教えてくれてその便利さが分かった。
「これはまだ貸していてやろう。ほれ、名前をこの紙に書きなさい」
差し出した辞書を受け取らず、お爺さんは代わりに紙を一枚渡してきた。
「ここに本の題名と、ほら名前はここじゃ」
「は、はい…」
辞書の名前と自分の名前を書く。
文字を書くのは自信が無かったけれど、本の題名は写せばいいし、自分の名前は書けるからよかった。
そんなことを思いつつ紙に書き終わると、お爺さんが紙を回収して行った。
「欲しくなったら街で売っている辞書を買えば言いじゃろう。この王宮を去る時に返してくれれば良いぞ」
「はい、ありがとうございます」
お礼を言うとふん、とお爺さんは部屋の奥へ消えていった。
「あ、読み終わりましたか?」
「ごめんなさい!時間かかってしまいました」
ずっと待っていてくれたらしいトリオンにそう謝ると、トリオンは大丈夫ですよと笑った。
「じゃあお部屋に戻りましょうか。そろそろ夕食の準備をしているかもしれないので」
「はい」
一緒に部屋にむかって歩いていると、トリオンがふとした様子で尋ねてきた。
「そういえば、ヒノキ様は森でお育ちになったのですよね」
「はい」
「文字などはご両親に?」
「あ、はい。そうです。
あとはその、りゅうに」
「ドラゴンに?」
不思議そうな顔をしたトリオンに私は説明する。
「その、家にも本があって…私のじゃないんですけど……それを読む時とか、今日みたいに知らない単語があった時は、りゅうに教えて貰ってました」
日向ぼっこをするりゅうに寄りかかりながら本を読んでいた。
分からない単語があったり、文字があったりしてページをめくる手が止まると、いつの間にかそれを察したりゅうが教えてくれるのだ。
敬語もりゅうが教えてくれた。
ある程度大きくなって街に出ようとした時に敬語の方がいいんじゃないかとりゅうが言ったのだ。
知らない相手はまず敬語で話した方がいいと、余計なトラブルを避けるためには知っておいた方がいいらしい。
本でそういう話し方をする人がいたから知ってはいたけれど、実際どうやって話すのか、どういうときに語尾は何を付けるのか教えてくれたのはりゅうだ。
「へぇー…ドラゴンが……
貴方は本当にドラゴンと話せるんですね」
何かに感心したようにトリオンが頷く。
どうして彼らはそんなにドラゴン─りゅうと私たちを区別するのだろう。
りゅうはとても物知りで、そして人間のこともよく知っているのに。
私はこんなにも彼らがりゅうを遠い存在だと思う理由が分からなかった。
部屋につくと、トリオンの言う通り夕食の準備の真っ最中だった。
テーブルに並べられていく知らない料理。辛うじてパンとスープは分かるけれど、見たこともないものがほとんど。
さあどうぞ、とばかりにセッティングされて私は困ってしまった。
「これ、何ですか…」
どうやって食べるのかも分からず、目の前に置かれた大きな皿を指さすと、傍に控えていた女の人が教えてくれた。
「こちらは子うさぎのソテーになります。そちらのブラウンソースをかけてお召し上がりください」
「…あの、それは………?」
「こちらは温野菜のサラダです」
「その、奥のやつは……?」
「そちらはデザートのアプフェルシュトュルーデルです」
「………」
分からない。全然分からない。
辞書で調べたら載っているだろうかと思いつつ、私はとりあえず食べてみることにした。
夜。
夕食を食べ終わったあと、湯浴みをさせてもらい、私は辞書で今日教えてもらった料理の名前を調べていた。
載っているものもあるし、載っていないものもあった。
りゅうは知っているだろうか。
たった1日だけれど、森で過ごしていたときより時間の流れを早く感じる。
辞書を傍らの机に置いて、ベッドに寝転がった。
とても広いそれは私が両腕を広げてもまだ余りあるくらい。
ぼんやりと天井を見上げる。
……………違う世界に来たみたい。
森での生活は、家の掃除をしたり、自分のご飯を作ったり、野菜に水を撒いたり、そういうことを毎日繰り返していた。
その合間にりゅうを探して、彼のお腹に寄りかかりながら昼寝をして、おしゃべりして、夜もたまに一緒に寝て。
だからりゅうのいない生活は考えられなかった。
「………りゅう」
どうしてるかな。私は今日本を読んだよ。辞書っていう新しい種類の本も貸してもらったよ。知らない食べ物もいっぱい食べたよ。どれもおいしかったよ。
思っていたよりも、ここで1人で過ごせているよ。
でも、でもね。
とっても淋しいよ。りゅうに今日あった事を話したいな。
頬にあたる柔らかな枕よりも、すべすべの鱗の感触が恋しかった。
コンコン、と音が鳴った。
「………………………は、」
いつの間にか寝ていたみたいだ。
しらない天井に一瞬なんで?と疑問に思ったけれど、すぐに思い出した。
──そうだ、森じゃないんだ。
「……失礼します、ヒノキさま」
「は、はい!!」
名前を呼ばれて慌てて体を起こした。
返事をすると、女の人が部屋に入ってくる。
「おはようございます。本日の朝食なのですが、王子から一緒にと言伝を承ってます」
「あ、はい…!」
多分今日学園にという所に連れて行ってもらうはずだから、きっとその話をされるんだろう。
女の人が用意してくれたワンピースに着替える。
白い生地のシンプルだけどとても肌触りがよいもので、気分が上がった。
女の人が案内してくれて、エレファスが待つという部屋まで向かう。
ノックをした後に彼女が言った。
「お客人をお連れしました」
「入れ」
どうぞ、とドアを開けられたので部屋に踏み込む。
こじんまりとした日当たりの良い部屋にエレファスがいた。今日は昨日よりも煌びやかではなく、動きやすそうな服を着ていた。
テーブルの上には昨日とはまた違う種類の料理が既に用意されており、エレファスに向かい合う形で椅子が置いてある。
その椅子に腰掛けたあと、私はなんて彼に声をかけようかと迷った。
昨日までは"王子"という言葉を知らなくて、そんなに偉い人だと思っていなかったけれど。
本当は私なんかとこんな風に食事をしていいんだろうかと、心配にもなる。
悩んでいると、「どうした?食べないのか?」とエレファスが言った。
椅子に座ったまま固まっていた私を不思議そうに見ている。
「あの、私…王子って言葉の意味を知りました」
そう言うとエレファスは目を丸くした。
「は?」
「その…すみません。知らなかったんです。おうじって何か、あなたが偉い人だってこと…」
いつの間にかテーブルの上に降りていた視線を上げた。エレファスの青い瞳を見て言う。
「ごめんなさい。何か失礼なことをしていませんでしたか?」
そう謝った私にエレファスは一瞬、ぽかんと口を開けたあと慌てたように言い募った。
「いや…いいんだ。お前は何もしてないし、寧ろこちらが連れ出しているから……。
そもそも王子なんて言っても世の中に数多くある仕事のひとつに過ぎない」
その声は彼が浮かべている難しい顔とは反対にどこか柔らかで、トリオンがエレファスは優しいと言っていた意味が分かった気がした。
「いいから、飯を食べてくれ。
そのあと今日の予定について話そう」
「分かりました」
私は漸く朝食に手を伸ばし食べ始めた。
美味しい朝食を食べ終わったあと、食後の飲み物と言われて紅茶をもらった。
それを飲みながらエレファスが話し始める。
「お前を今日連れて行くのは、学園という場所だ。……学園については知っているか?」
「はい。……選ばれた人だけが勉強をするところ…ですよね?」
町に行った時にそんなことを聞いたことがあった。
学園というところに入るには難しい試験に合格しなければいけなくて、もし入れたらそれだけでとても名誉なことなんだと。
仕事にも困らないからそこに入りたいと勉強を頑張る人は沢山いるらしい。ただし試験が本当に難しいので、そんな生半可な気持ちでは受からない受かるやつはそもそも頭の出来が違うんだ、と噂されていた。
私の拙い説明でもエレファス的には大丈夫だったようだ。
彼は頷くと話を続ける。
「学園は学ぶところと言うだけでなく、国の研究調査も行っているんだ。
そこにドラゴンの研究をしているやつがいて…お前にはそいつに協力してほしい。
………ただ、その」
そこで急にエレファスが何か言いづらそうに言葉を詰まらせた。
「その、そいつはちょっと気難しいやつで…悪いやつではないんだ。ただひねくれ者だから、辛辣なことを言われても気にしないでくれ」
「はあ……」
私は急に不安になった。
それでも今更帰るとは言えず、エレファスの手配した馬車に乗って学園を目指すことになった。
「あの、今回はてんいじん?じゃないんですね?」
エレファスも着いてきてくれたので、向かいに座る彼に不思議に思ったことを聞いてみた。
馬車の窓からは流れる風景が見えて新鮮だったから、これはこれで楽しい。私は馬車にも乗ったことは無かったから。
私の疑問にエレファスはああ、と答えてくれた。
「転移陣は転移陣が書かれている場所しか行けないんだ。学園にはないからな」
「?学園には描かないんですか??」
あんな便利なものをどうして描かないんだろう。
私の素朴な疑問はエレファスを難しい顔にさせてしまうものだったらしい。
眉間に皺を寄せたまま話し出す。
「……転移陣は古代の技術だ。古代、とは言っても俺たちの技術の何歩も先を行っていて、今の技術力では理解できないものが殆ど。転移陣もそうだ。仕組みは未だに分かっていない。
だから描きたくても描けないんだ」
「なる、ほど………」
昔の方が技術が進んでいたなんて不思議な話だ。
転移陣だけでもすごいけれど、きっと想像できないくらい今とは違った世界だったんだろう。
面白いなあと想像を巡らせていると、エレファスが言った。
「ドラゴンなら何か知っているかも知れないな。お前なら話が聞けるかもしれん」
「聞いてみます!」
確かにそうだ。
物知りなりゅうなら何かを知っているかもしれない。
森に帰ったら聞こうと忘れないように心に刻んでいると、馬車が止まった。
どうやら学園に着いたらしい。
アプフェルシュトュルーデルは、オーストリアとドイツ版のアップルパイらしいです