2.王宮
「じゃあ、行ってくる……」
鞄を肩に掛けてりゅうの方を振り返った。
私の後ろでは昨日来た彼らが今日もまた私を迎えに来ていた。
«ああ…何かあったら呼べ»
りゅうは相変わらずぶっきらぼうにそう言ったけれど、その瞳は真っ直ぐ私を見ていてそれを見るとまた寂しさが込み上げてきた。
「っりゅう!!」
堪えきれず、走った勢いのままりゅうに抱きつくと、後ろの人たちが「おお!?」「ど、ドラゴンに!?」とどよめいていた。
足にすがりついた私にりゅうの顔がそっと擦り寄る。
«………何かあったら呼べばいい»
「……そうしたら迎えに来てくれる?」
«ああ»
たった数日間だけれど、今まで日を跨いで森からもりゅうからも離れたことがないからやっぱり不安だった。
しかも知らない人達について知らない場所に行くのだから。
私もそっとりゅうの頭に頬を擦り寄せて、そして離れた。
「行ってきます」
首に下げていたりゅうの鱗が風に吹かれてしゃら、と鳴った。
***
「………お前はドラゴンと本当に心を通わせているんだな」
りゅうと離れて森の出口に向かって歩いているとき、そう言われて振り向く。
今日も綺麗な洋服を来た人が私を見ていた。
どういう意味なんだろうと考えて、でも分からなかったので曖昧に頷いた。
「怖くないのか」
「りゅうが?」
「ああ。ドラゴンだ」
その人に同意するように周りの人たちも頷く。
りゅうは私に比べたらかなり大きいし、あの硬い鱗で覆われているのだからとても頑丈だ。
実際に見たことはないけれど口から火も出せると言っていた。
確かに知らない相手だったら怖いと思う。
───でも。
「りゅうなら怖くない、です」
りゅうだから。
それだけで私にとっては十分信じられる。
だってもう何年も一緒に過ごしてきた。例え言葉が分からなかったとしても、きっと私は彼を怖がらない。
そう答えるとその人は「そうか」と静かに言った。
森を抜け小さな村にたどり着く。
この村自体は買い物に来ることがあるので知っている。
彼らはその村の外れの方に向かっているようだ。
「…こっちに、何かあるんですか?」
不思議に思って隣を歩いていた人に尋ねると、その人はびっくりしたようだったけれど優しく教えてくれた。
「こっちには転移陣があるんですよ」
「てんいじん?」
知らない言葉に聞き返してみると、今度は後ろを歩いていた別の人が答えを返してくれる。
「ああ、転移陣というのは地面に書いてある陣を踏んで合言葉を唱えると、別の所に転移できる術なんです。
古代の技術なので、実際どういう仕組みなのかは分かってないらしいですが」
「すごいですね!」
そんなものがあるなんて知らなかった。
初めて聞いたそれを今から使うのかと思うとちょっぴり怖いけれど、楽しみかもしれない。
それを使えば一瞬で森にも戻ってこれると聞いて安心したのもある。
「着いたぞ」
綺麗な服の人がそう言って、地面に書いてある大きな模様の前で足を止めた。
10人は入れそうなその模様の中に一緒に歩いてきた人たちも足を踏み入れる。
模様が消えてしまわないか心配になったが、みんなに踏まれても不思議とはっきりとしたままだったので安心して私もその中に入った。
「これで全員だな」
最後の1人が入ったのを確認したあと、綺麗な服の人─王子と呼ばれていた人が何かを言った。
地面の模様の輪郭部分から光が湧き出す。
その眩しさに目がくらんで瞼を閉じる。
視界の端に私の生まれ育った森が、そしてりゅうがいる森が映って──………
「着いた」
次に目を開けた時、周りを石造りで囲まれた大きな部屋の中だった。
驚いて瞬きを何度もする私と違い、一緒に移動した人たちはきびきびと陣の外に歩き出している。
「こ、ここは……?」
「王宮の一室だ」
状況がうまく飲み込めないでいると、私の呟きを拾ってくれた王子が教えてくれた。
「王子、その方はどうされますか?」
「俺から報告しておく。明日学園に連れていこうと思うから、今日は客室へ案内してやってくれ」
「承知しました。……ええと、」
そう言って私を見つめたその人は何かに気づいたようで口をもごもごさせる。
どうしたんだろうと不思議に思っていると、王子と呼ばれたその人もああ、と気づいたようだった。
「そうだ、お前の名前をまだ聞いていなかったな。
名前は何と言う?」
「あ、」
確かに私も彼らの名前を知らない。
急に来て欲しいと言われたから今更だけど、お互い名前を知らないのは不便だ。
「私の名前はヒノキです。ええっと、あなたは"おうじ"ですか?」
何回かそう呼ばれていた気がしたからそう聞けば、彼には違うと言われた。
「王子は役職…まあ仕事の名前みたいなものだ。
俺の名前はエレファス。
急に連れてきて悪かった。
森でも言ったように、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「はい」
「とりあえず部屋に案内させるから今日はそこで過ごしてくれ。明日またドラゴンの調査をしているやつのところに連れていく」
「わかりました」
頷いてみせるとエレファスの顔が少しだけ曇った。
「……できるだけ、早く帰れるようにする」
そう言って彼は他の人を引き連れて部屋から出ていった。
「では、ご案内します」
彼に案内するよう言われていた人が扉を開けて待っていてくれたので慌ててそこまで走る。
部屋を出て私はまた驚いた。
「ここは…?」
だってなんだかとってもきらきらしている。
廊下には絨毯が敷かれているし、壁には絵がかかっている。花も飾ってある。
王宮って言ってたけどこんなところなんて。
見たこともないくらいとっても豪華だけど…。
「…」
そこでようやく私は自分が全然知らない場所に全然知らない人たちと来てしまったという実感が沸いた。
なんだか、怖い。
廊下に一歩踏み出したまま動けないでいると、案内のために先に歩いていた人が後について来てないことに気付いたのか、戻ってきてくれた。
「大丈夫ですか?どこか具合でも……」
そう心配そうに聞いてくれたけれど、私の不安は消えてくれない。
そのときふと思い出し、自分の首にかかっているりゅうの鱗を服の上から握った。
他の人間にばれると面倒だから隠しておけ、とりゅうに朝それを見せに言った時に言われたから、洋服の下にくるようにしていた。
そっと握ると服越しだけど、りゅうの鱗に触れたときのようなすべすべとした感触を思い出して、よく分からないけれど不安が消えていくような気がした。
──そうだ。大丈夫。
だって何かあったらりゅうが迎えに来てくれると言ったから。
それに、エレファスも困ったら言えと言われたし、何か嫌なことをされた訳でもない。
ただ知らない場所に臆病になっているだけ。
「…ごめんなさい、大丈夫です」
いつの間にか下を向いていた顔を上げてそう言うとその人はほっとしたようにまた歩き出した。
それに着いて行きながら、もう森が恋しくなった自分が小さい子供のようで恥ずかしくなった。そして決めた。
──せっかく来たんだから、りゅうにも話せるように色んなことを見ていこう、と。
「こちらになります」
案内された先は、とても豪華な部屋だった。
部屋自体が森の家よりも大きい。
本当にここを使っていいのか不安になり振り返ると、案内してくれた人にそっと頷かれた。
「食事はお部屋にお持ちいたします。それと、まだ夕食までは時間があるので、もし良ければお部屋以外も案内しましょうか?」
「はい、お願いします」
部屋に案内されても明日までどうしようと思っていたのでその提案が嬉しかった。
暇を潰せるようなものは持ってきてないし、ただぽつんと部屋に1人でいたらきっとまた淋しくなってしまうから。
こくこくと何度も頭を振ると、その人はほっと微笑んだように見えた。
そういえば、と私はふと思いつく。
「………あの、お名前を聞いてなかったですね?」
あのときも周りに人がいたが、結局エレファスの名前しか聞いていない。
もう会う機会が無いのならいらないかもしれないが、この人には案内もしてもらうのだ。ここまで連れてきてくれたお礼も言いたいし、知っておいたほうがいいと思った。
「あ、私の名前はヒノキです」
「はっはい、存じております!」
自分の名前も名乗っていなかったと名乗れば、その人は驚いていた。
なぜそんな反応をされたんだろう、と不思議に思っていたら顔に出ていたらしい。
「ええと、俺はトリオンって言います。
その……貴人と同様に自分のような者に名前を尋ねられるとは思わなかったので」
「そうなんですね…?」
よく分からないけれど、それがここのルールだとしたら従うべきだと思ったからとりあえず頷いておいた。
「エレファス…は貴人、何ですよね?」
「ええと…そうですが………
失礼ですが、ヒノキ様は王制をご存知ですか?」
「おうせい」
知らない単語を繰り返すと、トリオンは分かりました、と言った。
「とりあえず、図書館にご案内しますね。
あ、字は読めますか?」
「文字を読むのはできます。書くのはあんまり得意ではないです」
「承知しました」
荷物を置いて行っても大丈夫だというから、部屋に鞄を置きトリオンの後をついて行く。
廊下を歩いていると、向かいからきらきらしい服を着た女の子と普通の服を着た女性が歩いてきた。
明るいブラウンの髪にリンゴのような赤い瞳の、可愛い女の子だった。
容姿は似ていないけれど雰囲気がなんだかエレファスに似ていて、兄妹だろうかと思いつつすれ違おうとすると、トリオンがすすすと廊下の脇に寄ったので私も真似して寄ってみる。
「………あれ、どなた?」
そのまま通り過ぎて行くのかと思えば、女の子は私を見て足を止めた。
一緒にいた女性も足を止める。
多分私のことだろうなと思って名前を言うべきか迷っていると、トリオンが先に話し始めた。
「王女様。この方はええと、王子のお客様です」
「おにいさまの?」
女の子の赤い瞳が私を見て瞬く。
「はい」
こくんと頷くと、女の子は朗らかに笑った。
「こんどおはなししましょう!」
「は、はい」
かわいい笑顔でそう言われて嬉しくなる。
おにいさま、と言っていたし、やっぱりエレファスの妹なんだろう。
女の子はまたね、と手を振り歩いていった。その後ろにいた女性も私たちに頭を下げて後を追う。
トリオンと2人でそれを見送ってから歩き出すと、彼が教えてくれた。
「今のは王女のテレシア様です。王子の妹さまです」
「やっぱりそうなんですね。何だか雰囲気が似てるなとは思いました」
「そうですね。この国の王族の方はみんなお優しいです」
私は彼女の雰囲気がエレファスと似ていると思ったのだけれど、性格も似ているらしい。
エレファスとはまだ会ってから時間が経ってないからよく分からない。でも確かに「早く帰そう」って言ってくれたし、優しいのかもしれない。
今までりゅうくらいしか深く関わったことがないからよく分からない。
でももう怖くはない気がした。