1.外
ねえ、長い時を生きるあなたにとっては、私と過ごした時間なんて、きっとまたたきと同じくらい短い時間なんだろうけれど。
でも、それでも、私にとってはずっとずっと大切で輝いていて、宝物のような時間だよ。
***
「お昼寝してるの、りゅう?」
家の掃除と洗濯物を干すのが終わって、ひとごこちついた私は、いつもの湖のほとりで丸まっているりゅうを見つけて駆け寄った。
りゅうは大きな翼を畳んでしっぽを丸めている。そのポーズだけなら猫にも似ているが、こんなに大きな猫はいないと思う。
りゅうは私の2倍くらいの大きさをしていて、黒い鱗と翼を持つ生きものだ。
りゅうみたいな生きものをわたしは他に見たことがなくて、彼がなんていう種類の生きものなのかは知らない。彼が初めて会ったときに自分はりゅうだと名乗ったからそう呼んでいる。
今のところ別にそれで困ってないから、知らなくてもいいやと放っておいている。
きらきらと太陽の光を反射して輝く鱗が綺麗で、私はりゅうに近寄って鱗に手を伸ばした。
「りゅうのうろこきれいだね」
りゅうがちらっと目を開けて私を見る。その瞳は金色でトカゲみたい。
«………また取れたら分けてやる»
りゅうの低い声がそう言う。
「本当!?やったあ!
コレクションが増える!!」
«あんなのを取っておいて何が楽しいのか……»
飽きれたように言われたが、別にいい。
私は自分の宝箱の中にしまってある鱗コレクションを思い浮かべて、あれがまた増えるのかと思って嬉しくなった。
ぎゅうとりゅうのしっぽに抱きつくと、りゅうが丸まっていた格好からお腹の辺りに少し隙間を開けてくれた。
私はいつもの様にその間に入り込んでりゅうのお腹にもたれかかった。
ぽかぽかの陽気にりゅうのひんやりした鱗を枕にすると、心地よくてだんたんと眠くなる。
ふわあと欠伸をすると、ふっとりゅうが笑った気配がした。
«ひのき、起きろ»
「…………ん、」
りゅうの鼻先でお腹辺りをつつかれて目を覚ます。
見上げると、太陽はまだあまり動いていないみたいだ。
まだそんなに時間経ってないのに。
恨めしげにりゅうを睨むと、りゅうが呆れたようなため息をついた。
«睨むな。誰か来たぞ»
「……………え?」
───誰か、来た?
「この森に??」
思わずそう聞き返してしまった。
私の住んでいるこの森に人が入ってくるなんて今まで一度もなかった。
理由は知らないけれど、生まれたときからこの森に住んでいる私は、家族以外の人間をこの森の中で見たことは無い。その家族ももう何年も前に死んでいるので、森にいる人間は私だけのはずだ。
服とか、森の中では手に入らないものを買いに数年に一度森から出ることはあるけれど、その時しか人間を見たことがなかったのに。
どうしてこの森の中に人がいるの?
不機嫌そうにどこかを睨みつけるりゅうにそう聞こうとしたその時。
「おい!人がいるぞ!!」
「なぜここに?」
「っうわあ!!!!おい待て!
ど、ドラゴンだ!!!!!」
「なんだと!?」
「伝説は本当だったのか!?!?」
段々と声が近づいてきて、私とりゅうの前に本当に人間が現れた。
その人たちは初めは私を見て不思議そうな顔をしていたけれど、私の後ろで日向ぼっこをしていたりゅうを見ると、口をぽかんと開けたり、尻もちをついて驚いていた。
「お前たち、どうした…?っ、ドラゴン……!?」
その後ろから周りに比べて豪華な服を来た人がやってきて、やっぱりりゅうを見て絶句した。
──どらごん?
聞いたことない言葉だなあと思ってりゅうの方に振り返ると、りゅうは今まで見たことがない顔をしていて驚いてしまった。
「ど、どうしたの?」
りゅうはやって来た人間から視線を私に向けた。
«…………別に。うるさい連中が来たなと思っただけだ»
暫く黙ったあと、ふう、とため息をついて持ち上げていた首を元に戻す。
「…そ、そうなの………?」
うるさい連中?ってあの人たちのことだよね?
どういう意味なんだろう、と思ったけれど流石に本人たちの前で聞くのはどうかと思って私は口をつぐんだ。
「お、おい…あの子、今ドラゴンと……」
「……………お前も見たか?」
「み、見た!話して、たよな?」
ひそひそとやって来た人たちが何かを言っていて気になった。
よく聞こえなかったけれど、この人たちは何にそんなに驚いているんだろう。
りゅうに聞こうかなとも思ったけれど、りゅうはむっすりと黙ってあの人たちの事は無視しているし……。
どうしようかなと私が考えていると、お前、と呼ばれた。
「えっと、私…です、よね?」
「そうだ」
きらびやかな衣装の人が頷く。
周りに比べてその人は服が綺麗なだけじゃなくて、若かった。私より少し年上くらいの年齢だと思う。
年上の人には敬語を使うって本に書いてあったからそうして見たけれど、敬語をあまり使ったことがないから正直不安だ。変なことをいいませんように。
「お前、なぜここにいる?」
そう聞かれて正直困ってしまった。
なぜここに?ってどういう意味だろう。
よく分からないけど、質問には答えないと。
「えっと、私は、この森に住んでて…」
「この"穢れの森"にか?」
「"穢れの森"………」
確か、何年か前に服を買いに街に行った時もこの森の方角を指してそんな事を言っていた人がいたような…。
なんとなく思い出して私は多分そうだと頷いた。
「王子、もしかして彼女は"穢人"の末裔なのでは…」
後ろで私たちのやりとりを見ていた人がそっと彼に何かを囁いていたけれど、私には聞こえなかった。
ただ囁かれてたその人は何か納得したように頷いたのだけは分かった。
「…なるほど。
ではお前はここでずっと生きてきたのか?」
「はあ…そうです」
なんでそんなことを聞いてくるんだろう。
「まだこんな悪習が残っていたとはな…
まあそれはあとだ。
じゃあお前の後ろにいる、そのドラゴンは……」
私はりゅうの方をちらりと振り返った。
このやりとりを聞いているはずなのに、さっきからりゅうは目をつぶってこの人たちに全く反応を返さない。
よく分からないから助けてくれたっていいのに。
そんな恨み言を心の中でぶちぶち呟きながらも私は頑張って答える。
「ええと、その、"どらごん"ってりゅうのことですよね?」
「りゅう……?………ああ、竜か。
古い呼び名だな」
「?ふるい??」
「いや、そうだな。
その竜と、お前はさっき会話をしているようにみえたが」
そう言った彼の難しい顔がまるで睨んでいるようにも見えて、私は何かいけないことをしてしまったのかと不安になった。
確かにりゅうと話してた、けど。
それがなにかだめなのだろうか。
「えっと、はい……そうですけど……………」
恐る恐る彼にそう返せば、彼と周りの人は驚いた顔で私を見た。
……やっぱり何かいけないんだろうか。
綺麗な服の人が驚いたような、困ったような、それでいて何かを怖がっているような顔で私に問いかけてくる。
「……………お前は人間だよな?」
え?
「はい……そうだと思います、けど……」
どういう意味?
なんでそんなこと聞くの?
怖くなった私が少しだけ彼らから後ずさると、とんっと後ろのりゅうに当たった。
するとりゅうのしっぽがゆっくり動き、そっと私の足を撫でた。
«………面倒だな»
今まで会話に参加しなかったりゅうがそう言ってのっそりと首を持ち上げた。
「りゅう」
漸く話す気になってくれた、と安堵と呆れが合わさったため息を私は零した。
「ど、ドラゴンが動いた!?」
「王子、お下がりください!!」
そう言ってわあわあと彼らは何かを喚いていたけれど、どうしてそんなにりゅうを怖がるのか分からなくて、私はきょとんと見つめることしか出来ない。
そんな私にりゅうが囁く。
«ひのき、話せるようになった理由は言うな»
「え、どうして?」
«……どうしてもだ»
りゅうが何でそんなことを言うのか分からなくて、そう聞き返したけれど、りゅうは教えてくれなかった。というか、多分教える気がなかった。
「……分かった」
むっとしながらも頷けばりゅうが喉奥で笑った。
「やはり今…」
「ドラゴンと話すなんて」
「どういうことだ?」
「何か特殊な…」
「調査を」
気づけば私たちのやりとりは他の人に見守られていて、注目を集めていたことに気づいて恥ずかしくなった。
「あの…」
私とりゅうをじっと見てくるその人たちの視線に耐えられず、おずおずと声をかければ、綺麗な服を着ている彼が言った。
「お前はここで暮らしていると言ったな」
「は、はい」
「その竜とか?」
「はい…そうです」
そうか、と彼は一度青色の目を瞑り、再び開く。
「ではお前は知らないかもしれないが、ドラゴンと話せるのは特殊なことだ。
先程人間かと聞いたが、ただの人間がドラゴンと話せる理由を知りたい。
何か思い当たることはあるか?」
「え、ええ!?」
りゅうと話せることが特別なこと???
驚いてりゅうを振り返ると、まあそうだな、とりゅうが呑気に頷き返す。
「そ、そうなんだ…」
知らなかった。
だからこの人たち驚いてたんだ。
ようやく納得出来たけれど、何て答えたらいいんだろう。
………正直に言うと、私がりゅうと話せるようになった思い当たることはある。さっきのりゅうの感じからして、多分私の予想はあっているはずだ。幼い私が引き起こした事故のようなもの。
それをすれば誰でもりゅうと話せるようになると思う。
でもりゅうには言うなって言われたし、どうしよう。
答え方を考えていると、私に問いかけてきたその人は、私が理由が分からないと思ったのか「では」と話を続ける。
「思い当たりが無いようなら、ぜひ調べさせて欲しい。
一度この森を出て、中央にある学園で調べさせてもらえないだろうか。
恐らく一定の期間はこの森から離れることになってしまうが……」
「…森を………」
それは、全く考えたことの無い提案だった。
───森を出る。
生まれてからずっと過ごしてきたこの森を出るなんて。
いや、服を買いに外に出たことはあるけれど、それだって森のすぐ側の町だから日帰りで。森の外で夜を明かしたことはない。
どうしよう。
困って後ろのりゅうを見上げると、りゅうが私を見て言った。
«まあそうなるか。…いい機会だから行ってこい»
「りゅう…」
あっさりとりゅうはそう言ったけど、まるで突き放されたように感じて私は悲しくなった。
前足を思わずぎゅっと掴むと、りゅうが飽きれたように言う。
«普通ここは喜ぶところだろう。
こんな森に閉じこもっているなんて退屈で仕方ないはずだからな»
「そんなこと、ない…」
確かにほとんどいつも様子の変わらない森は退屈だけど。でもりゅうがいるからそんなことは無かった。
行きたくない。外は怖いから。
りゅうは行けっていうけど、断ってしまおうかなと思えば、それを見透かしたようにりゅうが再び低い声で言った。
«行ってこい»
「う……じゃ、じゃあ、りゅうも一緒に……」
「ドラゴンはここから出れるのか!?」
「そんな、封印されているはずだ!」
行こうよ、と言おうと思ったけれど、周りの人が焦った反応を返すから怖くなって口を閉じた。
りゅうを見上げる。
«俺は行かない。出られないことになっている»
きっぱりそう告げられて私はしょげ返った。
「ドラゴンも一緒に来れるならこちらも嬉しいが…だが、この森に封印されているから出られないはずだ」
綺麗な服を来た人もそう言う。
りゅうは出られないとは言ってない。
でもきっとそう思われているからそうしないんだ。
一緒に来て欲しかったけれど、しょうがないんだと思う。
でも…。
それでも行きたくないと渋る私に綺麗な服を着た人が言う。
「もちろん身の安全は保証する。滞在先も用意するし、こちらに出来ることなら便宜ははかるつもりだ」
「……」
その人から視線を逸らし、今度は無言でじっとりゅうを見つめると、金色の目を細めて彼も言った。
«何かあったら名前を呼べばいい。
どうにかしてやる»
「………」
りゅうがそう言うのなら。
「頼む」
「……………………………分かりました」
ぎゅっと眉根を寄せていたその人にそう言うと、彼は顔を明るくした。
外に出るのが久しぶりすぎて怖い。しかも一人なんて。
喜んでいるその人たちから見えないように、私は震えた手でぎゅっと自分の服を掴んだ。
明日また迎えに来ると言い、その人たちは去っていった。
その夜、私はたった一つしか持ってない鞄に必要そうなものを詰め込んでいた。
家を離れたことがないから、何を持っていけばいいのか分からなかったけれど、服とかはあの人たちが用意してくれるらしいから大切なものだけ持っていくことにした。
家の鍵と、お金と、それから。
「…」
宝箱として使っている古い木箱を開ける。
お母さんの大切にしていたネックレス。お金。森で拾った綺麗な石。
そして、きらきらと美しく輝く黒。
それはりゅうの鱗だ。
そっと摘みあげると、ランプの灯りに反射してまるで星のように煌めいた。
「……」
ぎゅっと手のひらに握りしめ、私はお母さんの使っていた錐を持ってくるとそれに突き刺そうとした。
キン、と高い音がして鱗を見ると穴は空いていなかった。
もう一度錐で試す。また音がしたが、やっぱり穴は空かない。
「なんで…」
何度試してもだめだった。
自分ではどうしようもないと諦めて、私は錐を放り投げると、ドアを開けて夜の森に繰り出した。
りゅうはいつも大体同じところで寝て過ごしている。
湖の傍。大きな古い木の下。小さな花が集まって咲いているところ。
思いつく所を順番に見て行き、今日は木の下でりゅうを見つけた。
かさかさと私が落ち葉を踏みしめて歩く音に気づいたらしく、名前を呼ぶ前にりゅうは閉じていた目を開けた。
«……どうした»
「…」
ぶっきらぼうだけど、どこか優しい声に私はなんだか泣きそうになった。
やっぱりりゅうと離れるなんていやだ、と心が叫ぶ。
目が熱くなったのをどうにか堪えて、私はりゅうのそばに近寄って、無言で手のひらを開いた。
«俺の鱗か?»
きらきらと月の光を反射するそれを見て、りゅうが不思議そうにそう言う。
「……………穴、空けたいの」
たくさん話すと泣きそうになるから、短くそう言うとりゅうはやっぱり不思議そうなままだった。
私は言葉を足す。
「穴をあけて、ネックレスにしたいの」
りゅうの鱗はとても綺麗だ。
明日も持っていくつもりだけど、もし盗まれてしまったらと考えるだけで怖くなる。
だからと言って森に置き去りにするのも寂しかった。
そこで身につけられるものに加工したらいいんじゃないかと思ったのだ。
りゅうは驚いたようで暫く固まっていたが、私から顔を逸らすと分かった、と短く言った。
「できる?」
錐でも穴が空かなかったのだ。
たぶんかなり頑丈なのだと思う。
«……ああ。もとは俺の一部だから、加工も出来る»
りゅうはそう言うと、じっと鱗を見つめた。
するときらきらと光っていた鱗が震えて形を変えていく。
糸が通せる程度の穴が空くと、震えがとまった。
「ありがとう」
私は鱗をそっと握りしめると、そのままりゅうの体に正面から身を預けた。
«おい…!»
りゅうが抗議するようにぺちんとしっぽを地面に叩きつける。
でもそれを無視した。
つるつるの鱗が気持ちいい。
ふんわりと不思議な匂いがする。
«…………ひのき»
名前を呼ばれたけれど、私は顔を上げられなかった。
抑えきれなかった涙が流れて、りゅうの黒い鱗を濡らす。
「行きたくない…………」
ついそう言葉が溢れると、りゅうは片方だけ翼を広げてぱたりと私を覆った。
暗くなった影の下で私は涙を鱗に押し付けた。
「……どうして行かなきゃダメなの?」
別に行かなくてもいいじゃないか。
りゅうにあんなにもあっさりと行けと言った理由が私には分からなかったから。
りゅうは暫く黙ったあと、言った。
«………………お前が人間だからだ»
「…………」
そんなことが関係があるとは思えない。
だったら私もりゅうと同じ、"どらごん"になりたい。
そう言おうとして、でも言えなかった。
ドラゴンだったらりゅうとは出会えていなかったかもしれないから。
だから私はその事についてもう考えないように、別の話をすることにした。
「ねえりゅう、なんで言っちゃダメなの?
りゅうの血を舐めたら、りゅうの言葉が分かるってこと」
私がりゅうの言葉が分かるのはわかるのは、りゅうの血を舐めたことがあるから。
だから私を調べることにはなんの意味もない。
だって答えはもう分かっている。
言葉を交わしたいのなら、他の人もりゅうの血を舐めればいいだけの話なのだから。
顔を上げて翼を持ち上げ、りゅうを見ると彼は難しい顔をしていた。
«………»
「りゅう?」
«他の奴に血を求められても俺は与える気は無いからだ»
「…」
そう言ってりゅうは首を地面に下ろすと瞳を閉じた。
持ち上げていた翼がふんわりと上がり、私を解放する。
«ほら、もう帰って寝ろ»
「………うん」
私はりゅうの鱗を握りしめて家に帰ろうと歩きだして、りゅうの方を振り返った。
「………………ねえ、りゅう。
今日一緒に寝てもいい?」
もう寝てしまっただろうか。
目は閉じられたままだったから、そう残念に思った時、遅れて返事が返ってきた。
«…………好きにしろ»
嬉しくなって私はスキップをしながら、毛布を取りに家に向かった。