7.目覚めた能力
足が縺れて倒れそうになりながらも、私は必死に逃げ続けた。
壁に擦れた左腕は擦り剥いて血を流している。
化け物は静かに私の後を追ってくるだけで、攻撃してくる様子は無い。
(どうしよう!どうしよう!どうしよう!!!どうしてこんな事に……!)
いくら考えても答えなど無い。
毎日自堕落に暮らして、たまにミトと一緒に生活費を稼ぐ日々。
今回だって仕事の内容を聞いてみて、私達に出来そうに無ければ他の仕事を探すつもりだった。
リアーナさんが帰って来るまで食い繋げれば、またどうにかなる。そういう軽いつもりだったのだ。
(ミトごめん……私が今すぐ行こうだなんて言い出したりしなかったら、明日になれば今日の事なんて忘れて他の仕事を探せたのに……)
私の頭の中はミトへの謝罪の気持ちでいっぱいだった。
確かに少年に騙された。だけど、それはどれも周囲に注意を払っていれば防げた事だ。私はただ自分の感情を優先して、当たり前で大事な事を忘れていた。
地上から魔物が消えて気持ちが緩んでいたからじゃない。リアーナさんの優しさに甘えた私は、この世界が沢山の不思議で満ちているのだという事すら忘れてしまっていた。
言葉や理屈じゃ説明出来無い不思議な出来事。
私はその中から“楽しい” を見つけたかった。
その為の力が固有能力『ギフト』の筈だったのに……。
その時だった。
私の行く手を遮る様に赤い雷の様な眩い光が通り過ぎた。
「きゃあああ!」
何かが削られた様な轟音と爆風に吹き飛ばされた私は、なす術も無く地面を転がった。
「くうぅ……」
どうにか起き上がった私の目に飛び込んで来たのは、引き裂かれ底が見えないくらいに深く抉られた地面と壁だった。
その深い溝は化け物の足元まで伸びていて、手に持っている不気味な剣には赤い雷が纏わりついていた。
「あ、あ、あぁぁぁぁぁ……!」
抗い様の無い絶対的な力。
おそらく目の前の化け物はまるで本気を出していない。
木の枝でも振っているかの様な何気ない剣の一振りで、ダンジョンの硬い地面を抉り取る化け物がこの世界に存在するだなんて想像もしていなかった。
私が注意を怠ったから?
私がもっと沢山の備えを普段からしていなかったから?
どれも違う。この化け物はそんな事でどうにかなる次元に無い。
化け物はどうにかして逃げようとする私の行く手を再び遮る様に剣を振った。
両側の地面を深く抉られて身動きの出来なくなった私を観察する様に見ている。
(や、やっぱりこんなの無理だよ……。こんなの誰にも勝てる訳が無いよ!)
今からでも少年に命乞いをすれば助けて貰えるだろうか?
そんな考えが頭を過ぎる。
「それで終わりか?」
(え?)
私は訳が分からなかった。
平坦で静かな声が化け物の方から聞こえて来た。
辺りを見回しても他に誰もいない。
「それで終わりかと聞いている」
やっぱり間違い無い。声は化け物から聞こえて来る。
人間と同じ知能があるなら交渉の余地があるかもしれない。
私はまた懲りもせずに、そんな漠然とした事を考えていた。
私とミトが生き残れる可能性がほんの砂の一欠片でも見つかった気がする。
「ま、待って!言葉が通じるなら私の……ガハッ!!!」
化け物は私が喋り終えるよりも速く、私の首を鷲掴みにして持ち上げた。
動き出す瞬間も全く見えなかった。
「何を待てと言うんだ?お前が生き残るには俺を倒す他に無い。そのままでは死ぬぞ?生きる事を諦めるな。命乞いをする前に足掻いてみせろ」
言っている事が滅茶苦茶だ。
ただでさえ絶望的な力の差があるのに、動きすら見えなかったのに。まともに戦って勝てる訳が無い。
「ぐっ…!かはぁっ……!」
息が出来無い。
抵抗するどころか、意識がどんどん遠退いて行く。
ーーーだってば!
問題ーーー。そろそろーーー離れていろ
(誰?誰か……いるの?)
内容は分からないけど、誰かの話し声が遠くで聞こえる。
(お願い、誰でも良い……誰か来たのなら……ミトを助けて……)
『固有能力ギフトの上位発動を確認しました。これより敵の掃討を開始します。安全の為、ギフト保有者ロアの意識を完全隔離。敵掃討に要する時間は……解析不能。対象を掃討不可の最大級の脅威と断定。ギフト保有者ロアの生命保持を最優先に指定。最適行動を開始します』
(……え?)
突然聞こえて来た謎の声は、はっきりと私の固有能力『ギフト』が発動したと告げた。
それと同時に、薄れていた意識が鮮明になって行く。
体の感覚は何も感じないのに、私の体は化け物の腕を掴むと、背後にある壁を勢いよく蹴った。
宙を舞う体は羽の様に身軽な着地を決めると、空中に魔法陣を描き始めていた。
私は魔法なんか使えないし、知識だって無い。ミトの魔法書を借りてみてもさっぱり読めもしなかった。過去にも魔法が使える人の能力をギフトで得た覚えも無い。
そもそも固有能力が勝手に発動している時点で私の理解の範疇を超えている。
「我が呼び声に応えて召喚に応じよ。我が名はロア。万物の創造者也。召喚、イフリート」
(精霊召喚⁈ 私が⁈ )
こんなの知らない。契約も無しに精霊の召喚を成功させて、それを使役している。
私の知らない力を使う、もう一人の私がいる事に恐怖を感じずにはいられなかった。
召喚されたイフリートは化け物に向かって攻撃を開始した。
けれど、化け物はそんな事は無意味だと言わんばかりに赤い雷を発生させてイフリートを消滅させてしまった。
魔法の事を知らない私でも、イフリートが炎の上位精霊である事くらい知っている。当然、その持っている強大な力もだ。なのにそれをたった一撃でだなんて無茶苦茶だ。
もう一人の私はそれにも動じず、既に次の詠唱に入っていた。
「我が名はロア。天と地の狭間に住まう闇の精霊よ。我が呼びかけに応え、眼前の敵を薙ぎ払う滅びの刃と化せ。召喚、ダーインスレイヴ」
何も無い空間に生じた隙間から漏れ出す黒い霧から剣を引き抜き、化け物に向かって振り抜いた。
魔剣から放たれた闇は、この世の終わりかと錯覚してしまう程の瘴気を撒き散らし、周囲の岩盤を空間ごと消滅させた。
鋭利な刃物で抉り取られた様な跡には何も残ってはいない。
(やった⁈ )
ダーインスレイヴと呼ばれた魔剣は、終末を齎すと言われる最悪の魔剣。伝承どころか、その存在も定かで無い空想上の魔剣だ。昔、ミトが面白がって話してくれたのを覚えている程度で、それ以上の事は知らない。
そんな魔剣を具現化出来たのは予想外だが、これなら流石の化け物もーーー
「面白い。だが、その魔剣の存在は容認出来無い。破壊する」
ーーードクンッ!!!
平坦な声が聞こえた後、心臓の鼓動に似た音が響いた。
(な、何⁈ 何が起こったの⁇ )
気付いた時には、魔剣ダーインスレイヴは粉々に砕かれて元の黒い霧に戻ってしまっていた。
(これでも駄目なの⁉︎ )
「対象の排除を放棄。逃走の為の時間を稼ぎます。我が名はロア。我が呼び声が聞こえるなら瘴気より生まれ出でよ。我が手足となって敵を討ち滅ぼせ」
漂う瘴気が急速に私の手に集まると、巨大な魔核を形成した。
魔核は魔物の心臓だ。魔物の力と強さは魔核の大きさに比例する。
であれば、生まれて来る魔物は相当に強力な個体に違い無い。
私はこの瞬間に自らの手で魔物を生み出そうとしているもう一人の自分を歓迎し、期待している事に愕然とした。剰え、私の心は今までに無い力を手にして愉悦を感じている。
いくら化け物をやり過ごす為でも、大切な親友を助ける為であっても、超えてはいけない一線がある。
(と、止まって!それは駄目!絶対に駄目!お願いだから止まって!止まってったら!!!)
魔核は激しく脈打ち生命を持った。
このままでは本当に魔物が生まれてしまう。
「ギフト保有者ロアからの行動修正を却下。生命活動の最優先に変更はありません」
何という事だ。もう一人の私は化け物に敵わないまでも、有り得ない力を持ってこの場を凌いでいる。しかし、これでは駄目だ。私が私で無くなってしまう。こんなモノ、何も楽しくなんか無い。
(嫌だ……私の力はこんな事の為にあるんじゃない!!!)
「安心しろ。目的は果たした。これで終わりだ」
私ともう一人の私の意識は、深い闇の底へと沈んでいった。