6.化け物
私だってダンジョンくらい入った事はある。
あの時はミトや仕事の依頼人さんも一緒だったけれど、仕事の内容は護衛だった。
「ランクの低い魔物が相手なら素手でも何とかなるかもだけど」
どんなに理不尽な事態に陥っても、状況を正確に把握する事は大切だ。
固有能力ギフトが使えなくなっている今、私に出来る事は少ない。
これがあの少年の罠だとか、どうやってとか、そんな事を考えている余裕すら無い。先ずはどうにかしてダンジョンから脱出する方法を探さないと話にならないのだ。
(やってやろうじゃん)
私は着ていた上着を脱いで袖の部分を破り、近くにあった手頃な石を拾って中に詰め込んだ。袖の先端に石が来る様にして結んでおけば即席の武器の完成だ。
モーニングスターって訳にはいかないけれど、当たればそれなりにダメージは与えられる。
持ち切れない分はポケットに入れて持ち歩く。魔物の注意を逸らすのに使う為だ。
「スゥーーー……」
静かに呼吸を整えて集中力を高めて行く。
自堕落な生活が長かったせいで戦闘の勘はあてにならない。ダンジョンの構造を把握する事も大切だけど、食料も回復薬も無い状況で魔物と戦うのは出来るだけ避けたい。出口が何処に繋がっているのか分からないけど、風の流れがある以上、外に繋がっている通路か穴が空いている筈だ。
狭い通路を進んで行く。
方角も何も分からない。突然こんな所に放り込まれても冷静さを失わずに済んでいるのは、多分私が怒っているからだ。
あの少年が言った様に私は感情に左右され易い。それは欠点だと誰かに言われた事があるけれど、錆び付いた感覚を取り戻すのに怒り以上に都合の良い感情は無いと思う。
これもあの少年の狙いという線もあるだけに一層私の不満は高まるばかりだ。
(魔物の気配はあちこちからするのに、全然姿が見えない……。ううん、違う。私が見えていないだけだ)
魔物は擬態の得意な種が多い。特にこういう薄暗くて狭いダンジョンの中は、ほんの僅かな隙間に潜んでいたりする事もある。実際に触れてみても動かずに獲物が通り過ぎた後、背後から襲うなんて魔物も珍しく無い。
ただし、それはもう百年以上前の話だ。世界に起きた変革の影響でダンジョン内の魔物は以前よりも強力な個体で溢れているらしいとミトが言っていた。それが事実なら、私の持っている魔物の知識なんて全く役に立たない。
(よし……小さな魔物ならどうにかなりそう)
避けて通るのが難しいコウモリ型の魔物や壁に張り付いた小さなトカゲは出来るだけ倒しておかないと後で厄介な事になる。奴等は感知力が高く、獲物を見つけたり危機を感じると仲間を呼び寄せる。それだけは何としても阻止しなければ、数で圧倒される事にでもなったらそこで終了だ。
ーーーテス、テステス。あー!あー!聞こえてるー?
(何?)
頭の中に直接響いて来たのは少年の声だ。
やはり何処かで私の事を見ているに違いない。
だが、怒りの感情を表に出しては駄目だ。
そんな事をすれば立ち所に魔物に見つかってしまう。
ーーー少なくとも百年くらいは戦闘行為をしていない筈だと思っていたけれど、意外にやるもんだね。咄嗟に武器を作った判断、冷静さを失わない状況判断能力、そして、こうしている間も僕に対して怒りを覚えているのに、それを抑制する精神力。ま、及第点って所かな。じゃあ、次行ってみようか。
(この……ッ!!!)
私はギュッと拳を握りしめて怒声を浴びせてやりたいのを必死に堪えた。
あの少年は狂っている。こんな事をする時点で正気じゃないとは思っていたけど、声色からこの状況を楽しんでいるのが伝わって来る。この様子では外にいる筈のミトの安全も絶対じゃないかもしれない。
曲がり角を曲がると周囲の景色が一変した。
さっきまで歩いていた通路は消えて無くなり、何も無い広い空間に出た私は周囲を警戒しながら壁際へと移動した。
ここは所謂ボス部屋というヤツだ。
ダンジョンという物の詳しい仕組みは知らないが、何処のダンジョンでも一定進むとこういった部屋が用意されている。出現する魔物はそれ迄の通路で接敵した魔物よりも数段強力な個体と相場は決まっている。
ーーーもう薄々勘付いていると思うから言うけど、ミトの身柄は僕が預かってる。ボスを倒した先の部屋まで来られたらパフェの代金と一緒にミトを返してあげるよ。それじゃあ、始めようか。
本当にふざけてる。
冒険者になれと言ったり、世界を救えと言ってみたり、挙句私の大親友で姉妹同然のミトを人質に取るなんて……!
「ボスが何だか知らないけど、絶対倒して少年をぶん殴ってやるんだから!」
目の前の空間が揺らぎ始めた。
もう直ぐボスが姿を現す。
ここまでに確認出来た魔物の強さからすると今の私でも上手くやればギリギリ勝てる程度の魔物が出現すると思われる。
だがーーー
「うぐっ!」
歪んた空間から現れたソレは尋常で無い圧力を纏っていた。
相対しただけで吐き気を催す程の強烈な魔力。禍々しいを通り越して正確な戦力分析をする気すら失せる。
漆黒の鎧に不気味な装飾の剣。背中には白い四枚の翼が生えている。
気味の悪い心臓の様な物体が鼓動しているのが見えた。
冗談では無い。過去には命の危険すらある強大な魔物を相手にしなければならない事もあった。だけどこれは、勝てるとか勝てないとかいう次元の相手では無い。
待っているのは確実な死だ。
(む、無理だよ……。あんな化け物に勝てるわけない!)
武器も魔法も、きっと何も通じない。
こんな石ころだけで一体何が出来るというのだ。
私の戦意は完全に打ち砕かれてしまった。
気付けば私は壁に体を擦り付ける様にしながら少しでも化け物から離れようとしていた。
全身から噴き出す汗と荒くなって行く呼吸。
化け物はただそこに立っているだけなのに、何処に居ても手が届く様な気がしてならない。
「ひぃっ……!」
黒い鎧の化け物はゆっくりと近付いて来る。
私はもう何が何だか分からなくなってしまった。
手に持っていた石を闇雲に投げて壁沿いに走り出した。
化け物の赤く光る目は、私をずっと追って来る。
少しでも遠くへ逃げたい。
この場から居なくなってしまいたかった。