閑話 闇ギルドと残党討伐の冒険者
某日、温泉街ガイアナのとある路地裏にて。
街中の湯から漂う硫黄の匂いを吸った夜風の中、一人の男が重い足取りで移動していた。
「……おいおい、どうして俺がこんな使いっ走りなんか……はぁ」
そうぼやいた男……ギルド【風精の翼】所属の冒険者マイングは、外套のフードを外して顔を晒した。
視界が開ければ少しはこの淀んだ気持ちもすっきりするだろうかと思ったのだが、そうでもないらしい。
マイングは顔をしかめて何故自分がこんなところまで来たのかを、ゆっくりと頭の中で反芻した。
「そりゃぁミアが絡む話とは言え、あの武器職人にカッとなって斬りかかったのは俺が悪かったかもしれねぇ。……でもだからって牢から出されてすぐ、闇ギルドの残党狩りに行けってのはなぁ……」
牢の中で鈍った体は以前より重く感じられ、気分も晴れない。
どうやらあの武器職人が偶然この街に潜んでいた闇ギルド【双頭のオロチ】の人間に接触し、その後に通報を受けた【風精の翼】所属の冒険者とこの街の冒険者によって、【双頭のオロチ】のアジトが潰されたと言うのは聞いた。
しかしその後しばらくして、その時偶然アジトにいなかった【双頭のオロチ】構成員がまだ街に潜んでいるらしいとの情報が入ったのだ。
よって【風精の翼】ギルドマスターは、マイングへと「牢から出す代わりに、お前も現地の冒険者と協力して捜索に当たれ。手は多い方がいいからな」といった趣旨の指示を出すに至ったのだ。
……要するに反省したならしたなりに、少しはギルドや人々の役に立てというギルドマスターの意思表示であった。
「……チッ。俺が使いっ走りたぁ癪だけどよ。それでも少しは腕を見込まれての残党討伐依頼だと思えばな。どうにかやる気にもなるってもんだがな」
どうやらマイングも、短くない牢生活は中々応えたらしい。
捕まる原因となった事件自体も、マイング本人的には好きな女がどこぞの武器職人にたぶらかされていると思っての短慮だったのだが、それはそれとして今後しばらくはギルドに対しては従順にしておこうと感じている次第だった。
……あの武器職人ことラルドの元には、またほとぼりが冷めたらリベンジの殴り込みをかましにいくとしてもだ。
「で、例の合流地点がこの辺か」
マイングはあれこれ考えているうちに、自分が目的地に到着したらしいことに気がついた。
この温泉街に拠点を置く正規ギルド【妖狐の灯】の冒険者とは、この辺りの裏路地で落ち合う予定だったのだ。
しかしその場所には、誰一人として現れていなかった。
「おかしいな。もう一人くらい現れても良いはずだが……ん?」
ひくりとマイングの鼻が動き、眉間にしわが寄る。
それは硫黄臭混じりの夜風の中に、ただならぬ匂いを感じたからに他ならなかった。
「血の匂いだと?」
牢暮らしで鈍っていたマイングの感覚が、鋭く尖っていく。
背に担いだ大剣の柄を握り、いつでも抜刀できるよう身構えながら動く。
周囲の気配を探りながら風上に歩いていけば……血の匂いが濃くなっていき、その大元にはすぐ行き着いた。
マイングは、脂汗を流して目を見開いた。
「こ、こいつぁ……!?」
集合地点の付近、路地裏の中でもさらに狭っ苦しく月明かりも差さないその場所に。
落ち合う予定だったと思しき冒険者たちの遺体が、血の海の中に転がっていた。
よく見れば頭や胸部を一突きにされたと思しき遺体の中には、見たことのある顔もあった。
そしてそれは……【妖狐の灯】の誇る、S級冒険者のものだった。
「そ、そんなバカな……っ!? 遺跡を単騎攻略できるような猛者が、こんな!?」
背筋を撫でる悪寒に、マイング数歩後退った。
……その直後、マイングの背後から銀の閃光が走った。
マイングもその気配を感じ取ったが遅い。
中途半端に引き抜いた大剣を持っていた右腕が、閃光に抉られ血を散らす。
「ぐぅっ……!?」
鮮血を滴らせながらも体をひねり、急所への攻撃をマイングはしのいだ。
そのマイングへと、軽い声音が投げかけられた。
「へぇ、避けるんだ。意外とやるね」
マイングが振り向いた先には、中肉中背の若い男がいた。
どこにでもいそうな平凡な容姿にありふれた白髪、けれどその瞳は月明かりを飲み込みそうなほどにドロリと濁っていた。
「君、どこの冒険者? 僕の周りを嗅ぎ回ってたそこの死体連中を探していたっぽいけど、お仲間?」
問いかけられ、マイングは抉られた右腕を抑えながら呻くように答えた。
「へっ、俺は【風精の翼】のマイングだ。あいつらとは仲間ってか、同業者だな」
「ふぅん、【風精の翼】ね。冒険者ギルドの中でも凄腕揃いって噂の、あの」
白髪の男は興味もなさげに言って、かちゃりと手から音を鳴らした。
……否、男の腕にはよく見れば、ナイフが収まっていた。
そのナイフは小ぶりで、角度によっては見えないほどに極薄。
けれどその刃から滴る鮮血が、マイングの片腕を使い物にならなくしたのは明白だった。
「で、そういうテメェは? 人に名乗らせて、自分は名乗らないって腹か? ……状況からして、お前が例の【双頭のオロチ】残党っぽいがよ」
「ああ、君、死ぬ前でもそう言うの気にする派なんだね。まぁでも……今更名乗っても意味なさげだけど、冥土の土産にはっきり教えてあげるよ」
白髪の男は狂犬めいた笑みを頬に貼り付けながら、濁った瞳を細め、得物であるナイフを構えた。
「僕はグシオル。君の言う通りに元【双頭のオロチ】所属で、今は残党かな。で、そのうちあの組織を引き継ぐ予定の者……だったんだけどさぁ」
グシオルのナイフが銀の光を帯びて輝く。
そしてナイフから溢れたその魔力光が、路地裏を包み込んでマイングを包囲してゆく。
「ま、君らがたまたま僕不在の時に組織を潰しちゃったから。僕は無所属になっちゃったってわけ。お陰で金にも困って、追い剥ぎみたいな生活を強いられてる。要はこれ、未だに僕を嗅ぎ回る君らへの八つ当たり兼復讐って訳なんだけど……おわかりかな?」
そう淡々と告げていたグシオルの語尾に、ちらりと怒気が混じった。
マイングは己の死を強く感じながら、掠れた声を漏らした。
「魔力膨張による領域形成だと……!? サフィアの結界と似た展開方法……まさかそのナイフ、【聖剣】か!?」
「ばいばい、哀れなお馬鹿さん。恨むなら、僕を嗅ぎ回っていた君の愚かさを恨みなよ」
「まっ……ッ!?」
次の瞬間、ドン! と鋭い衝撃がマイングを襲った。
見れば自分の胸に、転がっていた死体と同様、一突きにされたかのような傷ができている。
しかし奴は【聖剣】の結界を展開していただけで、特に刃を自分の体に突きつけてはいなかった。
一体何が、そう思う暇もなくマイングはその場に崩れ落ちた。
「……さて。しかし【風精の翼】か。どうやら【妖狐の灯】と一緒に僕の組織を潰したのはやっぱあいつらみたいだけど……ふんふん」
グシオルはナイフを揺らしてから、ふいにピタリと止めた。
「決めた。暇だしどっちにもお礼参りに行こうかな。ついでに当面の生活費も、奴らの金庫から奪えばいいや」
軽い声音で呟いたグシオルは現れる前と同様、ナイフを片手に闇へと消えた。
そうしてその場には、血の海と死体だけが残った。




