第51話 sideリズベット
公爵令嬢……リズベット・ドルチェ・ウルドマン。
それが私。
金髪の貴公子と謳われた、グリム・ウッド・ウルドマンの一人娘として私は生を受けた。
生まれたときから何一つ不自由のない暮らしを与えられ。欲しいものは何でも買い与えられた。私に手に入らないものなど何一つなかった。
いや、違う。それは嘘!
私の人生は偽りで塗り固められた人生でしかない。
グリム・ウッド・ウルドマンには妻がいた。
病弱なほどに白い肌と、艶やかな金色の髪の美しい女性。
名前は……覚えていない。
言葉を交わしたこともない。
ただ、物心ついたときには、彼女はいつも寝室のベッドの上。死んだような瞳で窓の外を眺めていた。
いや、彼女は死んでいた。
生きながらに心が死に絶え、怖いくらい美しく整った顔には表情がなかった。
父はそんな妻を愛していたのだろう。
だから、漆黒の闇をまとった髪の私を……父は毛嫌いしていた。
屋敷は広く、あの人が居る二階の寝室には近づくことを禁じられていた。
私は孤独だった。
欲しいものは何でも手に入ったが、誰からも必要とされない私は、広い屋敷をさ迷う亡霊のような存在。
現に、私が父と共に食事をしたのは……来客が来るときだけ。まるで備え付けの前菜のように。
あれは私が5歳の頃、ふと姿見に映った自分自身に疑問を抱いた。
何故……私の髪は黒いのか?
何故……私は父や母のように美しい金色ではないのか。
幼い日に抱えた疑問は日を追う毎に深まるばかり。知らなければ、疑問など抱かなければどれだけ良かっただろう。
だけど、それは不可能というもの。
一度でも知りたいと芽生えた思いを刈り取ることなど、幼い私には出来なかった。
「ねぇ、セバス」
「なんでございましょう、お嬢様」
「どうして私の髪は黒なの?」
「…………今日はとても良い日でございます。お庭でティータイムと致しましょう」
誰に聞いてもその答えを教えてはくれない。
隠されれば隠されるほど、知りたくなるのは人の常。
ある日、真夜中に目が覚めた私は、突然いいようのない寂しさに襲われた。
こっそり部屋を抜け出すと、揺らめく蝋の灯りが私に手招きをする。
誘われるまま私は灯りを追いかけ、隠し通路の先にある地下へとやって来た。
そこは暗くじめじめしており、まるで私の髪のよう。
だけど不思議と恐怖はなかった。
進む先で父が……女性に鞭を振るいながら、罵声を浴びせる姿を見るまでは。
「貴様のせいだ! 貴様のせいでシンシアは……シンシアはっ! 死ねっ死ね! 貴様が子など生まなければ……貴様がリズベットなど生まなければ!」
物陰に隠れる私は、ガタガタと震えながらすべてを見ていた。そして知ってしまった。
地下牢に閉じ込められ何度も、何度も鞭で打たれる彼女が本当の母なのだと。
数十分間、罵りと鞭を振るった父が地下を去ったあと。私は冷たい石畳の上で横たわる母に近づいた。
「リズ……ベット!?」
「お母……さま?」
驚愕に目を見開く母の黒髪をみたとき、奇妙な安心感を得た。
鉄格子の向こう側にいる母に手を伸ばそうとしたが、やめてと拒絶される。
泣き出しそうな私が母の黒い双眼に映ると、母は項垂れた。
きっと拒絶しきれなかったのだろう。
この日から、私は真夜中になるとこっそり母の元に会いに行った。母が鉄格子の向こう側から優しく髪を撫でてくれるのが好きだった。
今日はお花を摘んだの、今日はベルガモットの香りを楽しみながら読書をしたのよ。
私の話を天使のような微笑みで頷き、聞いてくれる。それだけで幸せだった。
「お母様はどうしてずっとここにいるの?」
それは何気ない疑問だった。
だが、聞かずにはいられなかった。
母は観念したようにすべての経緯を話してくれた。
グリム・ウッド・ウルドマンには妻がいた。
が、その妻は病弱で子の生めない体だった。
そこで、父は跡取りとなる子を作るため、家柄のよい貴族の娘をあてがってもらう。
帝国内において絶大な権力を振るうウルドマン家と、繋がりを得たい貴族など五万といた。
しかし、中々子宝に恵まれることはなく。父は鬱憤を晴らすように一人の奴隷を弄んだ。
それは不運だったのか、奴隷の女は父の子を身籠ってしまった。
しかし、女は父の子を身籠ったと伝えることが出来ず……父がそれを知ったのは数ヶ月後。
女のお腹が隠せぬほど大きくなってからだった。
当然、今さら堕胎などできるはずもない。そうして生まれたのが私、リズベット・ドルチェ・ウルドマン。
父は生まれたばかりの私を、一度は孤児院に預けようとした。
しかし、ここで二度目の不運がウルドマン家を襲う。
それは、父が子を作れない体になってしまったこと。
父に兄弟は居らず、祖父は私をウルドマン家の娘として育てるように父を説得したという。
だが、由緒正しきウルドマン家の令嬢が、奴隷との間に生まれたことなど、口が避けても口外できるものではない。知られればウルドマン家が地に堕ちてしまう。
父の精神は追い詰められたのだろう。
さらに、父の妻は現実を受け入れられず、精神が崩壊していく。
二重苦に挟まれた父は、母を地下牢に閉じ込めて、八つ当たりをすることで憂さ晴らしをしていたのだ。
私が10歳になった頃、母は誰にも看取られることなく、冷たい石畳の上で力尽きた。
ウルドマン家を繁栄させるためなら、何をやっても許されるというの?
一人の女性を弄び、あまつさえ自由を奪う。貴族ならそれが許されると? そんなわけない!
あってはならない。絶対にそのようなことはあってはならない!
だけど貴族という生き物は、人の尊厳までも簡単に踏みにじってしまう。
私は貴族が嫌いだ。
私はウルドマン家が心底憎い。
私は父の……貴族の血が通うこの体を恥じる。
私の中には冷徹な貴族の血が巡っている。
これが私、リズベット・ドルチェ・ウルドマンという女のすべて。
「私は……帝国が憎いのではないのです。ジュノス殿下……私は、すべての貴族が憎い。ただ、それだけです」
「………」
吐露された思い。知らなかった事実に涙を拭うジュノス。同時にすべてが府に落ちた。
どうして彼女がここまで帝国を陥れようと企てたのか。
しかし、それを知ったところで彼にはどうすることも出来ない。
リズベットの本当の母はもういない。自分には彼女の母を救うことは出来ない。
かと言って、共に革命を起こし、貴族制度をなくそうなど安易に口にできるものでもない。
確かに、同じ人間でありながら、家柄で人の価値を決めることにジュノスも少なからず嫌悪感を抱く。
それは彼がこことは違う世界で、文化で生きた過去を持っているからだ。
だが、貴族制度をなくすということは、この世界を破滅へと導くことになる。
すぐには変えられない。
だけどっ!
「リズベット先輩、俺も……自分が嫌いでした。あなたと俺とでは少し、いや……かなり違いますが、あなたの気持ちは痛いくらい……」
わかる。その言葉を彼は飲み込んだ。
違う。彼女の気持ちを容易くわかるなど口にしてはいけない。
それは優しさではない。単なる思い上がりに過ぎないのだと。
「どれだけ時間がかかるかわかりません。10年、50年……或いは何世代先になるかもしれない。だけど、必ずあなたが笑って過ごせる世界を俺は作ります! あなたのような……大好きだったお母さんのような思いを、もう二度と誰にもさせない! ジュノス・ハードナーの名において、あなたに誓いを立てる! 永遠に破られることのない誓いを!」
「……!?」
ジュノス・ハードナーの名において、それが如何に特別な意味を持つかを、リズベットは知っている。
その意味を、意図を理解した彼女の瞳からは、とめどない涙がこぼれ落ちる。くすんだミルクティーを浄化するように、滴り落ちた。
そのミルクティーはリズベットの心だったのかもしれない。
「だから……自分を蔑むような言葉を吐かないでくれ! リズベット・ドルチェ・ウルドマンは、気品溢れ、誰よりも気高く強い女性でいてください。俺は……やっぱりあなたを嫌いにはなれないから」
歪む視界に太陽のような笑顔が映り込む。黄昏に染まる美しいプラチナブロンドの少年。
偽りの自分を……奴隷の子と知っても尚、目前の少年は気高いという。奴隷の子に皇族の名を用いて誓いを立ててくれる。
その言葉に嘘も偽りもない。
「私は……もっと早くあなたと出会いたかった、ジュノス殿下」
「出会ったじゃないか! ここからリスタートを切りましょう! 人生をやり直すのに遅いことはない。生きることを投げ出してはいけない!」
ジュノスは知っていた。リズベットが自ら命を絶とうとしていることを。
最後のお茶会……彼女は確かにそう言った。
それは貴族でなくなったことに対する言葉ではなく、文字通り最後なのだと。
誰かを不幸にしてまで幸せになりたいなど、彼は思わない。全力でリズベットを救ってみせると、勇敢な瞳を輝かせる。
「共に生きよう、リズベット・ドルチェ・ウルドマン!」
「っ!?」
身を乗り出し、両手で彼女の手を優しく、だけど力強く包み込む。
共に生きよう……ジュノスが無意識の中、口にした言葉はまるで愛の告白のよう。
現に、リズベットの相貌は夕日のように色をつけていく。
あわあわと口元を動かし、恥ずかしさから視線を外す。けれど、美しい顔は彼に向けられたまま。
「慎んで……お引き受け致します」
「ん……?」
――慎んで……引き受ける? 何を?
俺のこれからを見届けるということなのだろうか。たぶんそういうことだな。
ジュノスに視線を戻したリズベットは、誰にも見せたことのないような、屈託のない笑顔を見せる。
それは、これまでのジュノスの彼女に対するイメージを、一瞬にして覆すほどのあどけないものだった。
前世でも恋愛などしたことのないジュノスは、自分が天性の人たらしであることに気づかない。
メインキャラ……攻略対象でない者達を次々とたらし込んでいく彼は、紛れもなく【悪役王子のエロエロ三昧】の主人公――ジュノス・ハードナー、その人であろう。




