第49話 sideユリウス
俺の名はユリウス・ハードナー。
リグテリア帝国次期皇帝だ!
アルカバス魔法学校で遊んでいる愚かなる兄を尻目に、俺は着々と地位を築き上げている。
くぅーーっ、完璧だ!
これなら母上も喜んでくれるに違いない。
ポースターから戻った俺は宮殿内を闊歩する。
以前までなら、皇帝に仕える家臣達の俺に対する態度はあからさまに悪かったが、今はどうだ!
「これはこれは、ユリウス殿下。この度は正式に御婚約なされたとか、実にめでたいですな」
「まぁな!」
ふんっ! 今更この俺に媚を売ろうって魂胆なのが見え見えだ、間抜け!
さぁ、バカに構っている時間はない。すぐに母上に褒めて貰いに行こう!
意気揚々と母上の部屋へやって来ると、顔の横を凄まじい速度で何かが通り過ぎていく。
瞬刻、けたたましい音が鼓膜を激しく揺らした。
一体なんだろうと振り返り確認すると、銀のグラスが床に転がっている。
「この、親不孝ものっ!」
「は?」
母上が涙ながらに、よくわからないことを口にしている。
「母上……どうかなされたのですか?」
「何故です、何故なのですかっ! ユリウス! 何故、何の権力も有することのない男爵家の娘と……婚約したのです!」
「…………えっ!?」
母上は何を仰っているんだ?
俺が婚約したのは男爵家の娘などではない。公爵家の娘、リズベット・ドルチェ・ウルドマンだ。
母上は何か酷い勘違いをなされている。
母上の誤解を解こうとしたのだが、そこにもう一人の愚かなる兄ハウスがやって来た。
「ユリウス、婚約祝いの品々が各国より届いているぞ。ちゃんと皇族に恥じぬよう、お礼の手紙を書くのだぞ。それと……人の価値は地位などでは決まらん。お前が選んだステラ・ランナェイという娘は幸せものだな。大切にしてやれ」
「は?」
ステラ……ランナェイだと!?
誰だよそれっ!?
「母上、ちょっと失礼します!」
俺は走った。
次期皇帝であるはずの俺が何故、こんなに必死に廊下を駆けずり回らねばならんのだ!
しかし、ハウスの言っていた祝いの品々とやらを確かめねばっ!
祝いの品が届いているとすれば、謁見の間しかない。
謁見の間にたどり着いたとき、俺は膝から崩れ落ちた。
何故ならそこには色とりどりの花束が飾られており、『(祝)ユリウス殿下、ステラ・ランナェイ御婚約』の文字がでかでかと書かれているのだ。
「な、なんなんだ……これは?」
というか……ステラ・ランナェイって誰なんだよ! 俺は誰と婚約させられているのだっ!!
「これはこれはユリウス殿下ね! この度はとてもめでたいあるよ! 私も商業連合を代表して祝い品を届けさせてもらったよ」
「だ、誰だ貴様はっ!」
「私はランファ・ランという商人ね。ユリウス殿下のお兄様、ジュノス殿下には御贔屓にさせてもらってるね」
ジュノスの仲間かっ!? ってことは……これは奴の仕業かっ!?
こんなものは無効だ! 俺は婚約などした覚えがない!
「なりません」
「何故だ、大臣!」
「既に各国から祝いの品々が届いております。商業連合はもちろん、アメストリア国からもレヴァリューツィヤ国からもです! 間違いでしたで済まされることではありませぬ! それに、ユリウス殿下が地位や権力にこだわらず、男爵家の娘と婚約されたと知った民はとても喜んでおいでです。婚約破棄など簡単にできるものではありません! おわかり頂けますね?」
おわかり……頂けるわけないわっ!!
会ったこともない女となんでこの俺が婚約せねばならんのだ!
冗談じゃないっ!!
「リズベットだ、すぐにウルドマン家の令嬢をここに呼べ! 俺の本来の婚約者は彼女だったはずだ、違うかっ!!」
「ええ、正式ではございませんが、確かにそうですね。しかし、ご自分でお取り止めになられ、ステラ・ランナェイとの御婚約に同意なされたとか?」
「なんだと!? 俺がいつリズベットとの婚約を取り止めたなど言った!」
「しかし、貴族や商人の間ではもっぱらの噂でございますよ? 更には、アメストリア国内やレヴァリューツィヤ国内でもそのように見聞されているとか」
どうなっている……。
これではまるで俺とリズベットが仕組んだ作戦…………やられた。
これは間違いなくジュノスの仕業だ。
ジュノスのクソが半端ない規模で、わけのわからん噂を広めたんだ!
その結果、デタラメな噂が世界を巻き込み、嘘を真実へと上書きしてしまったということか。
「リズベットは……なんと言っている」
「リズベット・ドルチェ・ウルドマンは……残念ながらウルドマン家当主から、絶縁を言い渡されたとか」
「絶縁……そうか」
ああ、そういうことか……ジュノス。
リズベットは俺と非公式に婚約していた事実を、リグテリア帝国内の一部の貴族にそれとなく伝え回っていた。
だが、その婚約が破棄されたとなれば、ウルドマン家の名誉に関わる一大事。
ウルドマン家の当主は面目を保つため、娘を切り捨てたということか。
リズベットが計画した作戦がすべて裏目に出てしまったということ。
いつもそうだ。幼き日から俺は何をしても兄には勝てない。
今回も何もせぬまま敗北してしまった。
男爵家の娘と正式に婚約させられた俺は、もう皇帝の座に就くことはない。
終わりだ。すべて終わった。
「キャーッ! リグテリア帝国の王子様で、イケメン王子様のユリウス王子様なの! ジュノス王子様から聞いたの、ステラが好き過ぎて婚約したいだなんて……感激なの!」
な、なんだ、この……凄く可愛い子はっ!?
す、ステラ……ってことは、この美少女が俺の婚約者なのか?
「ユリウス王子様はイケメンな上にお金持ちで文句のつけようがないの! まさに完璧なの!」
突然現れた美少女……ステラが熱い包容を交わしてくる。
あれ? こんな風に誰かに抱き締められたことなど今まであっただろうか?
あれ? なんで荒ぶっていた心がこんなにも、穏やかになっていくのだ?
「ジュノス王子様が言ってたの、ユリウス王子様は愛に飢えていると、その飢えを潤すことができるのはステラだけだって! ステラも夢が叶ってとても幸せなの! ユリウス王子様、大好きなの!」
「大好き……だと」
そんな風に言われたことなどあっただろうか?
幼い日に一度だけ母上に尋ねたことがある。人から愛されるにはどうすればいいかと。
母上は教えてくれた、皇帝になれば愛されるのだと。
「俺は……皇帝にはなれないのだぞ。たぶん公爵止まりだ」
「でも、ユリウス王子様は王子様なの! 皇帝は王子様じゃないからステラ興味ないの!」
「ははっ、そうか」
◆
ステラに抱きしめられたユリウスの曇っていた心は、聖女の力によって霧散していく。
ジュノスは当初、ユリウスとリズベットとの婚約を破棄させるためだけに、あらぬ噂を広めた。
しかし、それは結果的に愛に飢えたユリウスを救うこととなる。
ステラの愛はとても重たい。普通の者ならその重たさに耐えかねて押し潰されてしまうだろう。
だが、ユリウスは誰よりも愛に飢えた少年。
彼が求めていたものは揺るぎない愛なのだ。その絶え間ない愛を注いでくれるステラ・ランナェイと出会ったことにより、ユリウスの心は何れ愛で満たされることとなるだろう。
そして、ステラ・ランナェイもまた、幼き日の夢を叶える結果となった。
人の価値観とは様々である。その愛を重たいと吐き捨てる者もいれば、その愛を欲して手を伸ばす者もいる。
弟を守りたいと願ったジュノスは、知らず知らずに弟ユリウスを救う結果となる。
街では連日パレードが行われ、貴族からそっぽを向かれたユリウスだったが、身分を気にしない彼を民草達は称賛したという。
「偉大なるジュノス殿下の弟気味も素晴らしい御方だな」
「ああ、なんでも、ジュノス殿下の後押しがあったのだとか」
「そうでもないと、男爵家の娘がユリウス殿下と婚約なんて無理だろうな」
「やっぱり、ジュノス殿下は素晴らしい御方だよな」
「ジュノス神教って知ってるか?」
「バーカ! 俺はとっくに信者だよ!」
「「「ぎははははははははっ!!」」」
晴天に幸せの声が響き渡る中、リズベット・ドルチェ・ウルドマンは呆然と荒野に立ち尽くしていた。
そんな彼女の元に、一人の少年が歩みを進める。




