第46話 その意味は……?
娯楽に飢えた人々が宝くじの抽選に沸いていた頃、パーシモン伯爵家の屋敷では、ジュノス・ハードナーが商人の女と向かい合っていた。
商人が腰を下ろすテーブルの前には、金貨がパンパンに詰められた袋が並んでいる。
「話はわかったね。今回のことはお互いのために水に流すということあるね?」
「はい。あなた方に取っても、スパイ活動を行っていたことが帝国側に知られれば、何かと問題があるでしょう。それはこちらとて同じです」
ジュノスは商業連合マルセスミスの商人、ランファ・ランにこの件から手を引くように合意を求めていた。
ランファは足を組み直し、チャイナドレスのスリットから露わになっている太ももの上でパチリと扇を閉じると、不敵な笑みを浮かべながら扇をジュノスへと突きつけた。
「それは良くないね。私はパーシモン伯爵に多額の資金を貸しているよ。その返済はどうするあるか?」
「それでしたら目の前にあると思うのですが?」
ジュノスの言うように、確かにランファの前には金貨が詰められた袋が置かれている。
だが、ランファはにんまりと微笑み、「圧倒的に足りないね」と口にする。
その言葉にジュノス達は眉根を寄せた。
「なにか言いたいことでもあるか?」
一昔前のアニメに登場しそうな訛った声音。
それがスーっとパーシモン伯爵に突き刺さると、身震いしては俯いてしまう。
ランファは商人としての勘を働かせ、すぐにこの場の状況を理解していた。
理解した上で、まだこちらが有利だと判断したのだ。
そう彼女が判断したのには幾つか理由がある。
一つ、パーシモン伯爵から得ていた情報によると、現在ジュノス・ハードナーは一部の貴族から煙たがられているということ。
その情報とこの場の状況を考慮したとき、ジュノスがパーシモン伯爵を自分の勢力図に加えようとしていることが窺える。
その上で、帝国側に今回の件が知られると困るのはジュノスも同様だと判断した。
立場が同じである以上、引くわけにいかないのが商人というものである。
二つ、ランファは様々な状況を視野に入れ、予め先手を打っていた。商売には欠かせない契約だ。
予めパーシモン伯爵と交わした契約内容には、途中で情報提供が行われなくなった場合、契約違反とし、貸し入れ額の倍を支払うと記載されていた。
パーシモン伯爵はこの契約書に署名していたのだ。
「つまり、圧倒的に足りないね! 私なにか間違ったこと言ってるか? 商売は信用が最も大切ね。信用を失った者は坂道から転げ落ちるよろし。圧倒的傲慢な者も、貴族からの信用を失うね。違うか?」
ランファは一歩も引かない。
それは商人としての損得勘定、謂わば矜持だ。
商人に取って銅貨一枚でも多く稼ごうする行為は、称賛されることはあれど、非難されることなどない。
彼女は商人としての正しい在り方を示しているのだ。
この場を支配しているのは私なのだと!
「なるほど! それはランファさんの仰る通りですね! では、クレバさん!」
「チッ、わかっているっ!」
反論することも、声を荒げることもないジュノスに困惑の色を示すランファ。
彼女はてっきりジュノスが怒り狂うと予想していたが、その反応はまるで歴戦を生き抜いてきた商人そのもの。
ジュノスの言葉を受けて、不満そうに舌打ちを打つクレバも、予め用意していた追加の袋を次々とランファの前に積み上げていく。
重量感のあるそれが積木のように幾重にも重なっていく様子に、ランファの瞳が見る見る開かれていく。
「ちょっ、なにあるか……これ!?」
「何って……お金ですよ?」
バカな……いくら帝国の次期皇帝と名高いジュノス・ハードナーとて、これだけの資金を短期間に用意することなどできるはずもないと、ランファは驚愕に戦慄していた。
何故なら、ランファの目の前に置かれたそれは、彼女が要求した倍の額ではなく、3倍はくだらないと思われる額だったのだ。相手の力を見誤っていた事実に背筋に冷たいものが走る。
「…………」
額からダラダラと汗を流すランファに対して、ジュノスは鷹揚と頷き、ゆったりとした口調で問いかけた。
「違約金の金貨と、そちらはお近づきの印です。受け取って頂けますか?」
「………っ!?」
ランファは喉をヒュッと鳴らし、目の前のジュノスを見つめた。
スパイ行為を暴き、なおかつこちらが把握していない財源を持っており、把握できず底が見えない。
そして、お近づきの印と差し出されたその大金は、目の前にどっしりと構えるジュノス・ハードナーからの暗黙の問いかけ。
つまり、金をやるから大人しくしていろと、彼は言っているのだ。
『やられたね』心の中で何度も、何度も駆け巡る言葉。ランファはジュノス・ハードナーを見下していたことを後悔し始めている。
商人である自分に取って、目の前の利益を見す見す放り出すことは敗北に当たる。
例え、後に莫大な利益がもたらされるかもしれないものを捨ててしまうことになったとしても、かもしれないものと、目前の利益、どちらを優先すべきかは明白であった。
商人に取って大切なことは、確実な利益なのだから。
しかし、これを受け取ってしまえば、後戻り出来なくなってしまう。
商人に取って信用は絶対であると自ら口にしたように、金銭を受け取り、それをなかったことにすることは彼女のプライドが許さない。
それは自ら信用を捨てる行為なのだから。
商人としては死んだも同然だ!
(この少年、ジュノス・ハードナーはただ者じゃないね。商人である私の先を読み、それらを封じるだけの策を練っている。さらに、これだけ莫大な資金を短期間に用意することのできる化け物でもあるね! 敵対するより仲良くした方が後々絶対に得ねっ!!)
と、考えるランファだが、ジュノスの考えはまるで違う。
そもそも、ジュノスに取って商業連合は未知の存在である。
そんな未知の存在に恐れをなさないほど、ジュノス・ハードナーは強くはない。
もとより彼は何よりも死を、バッドエンドを恐れているのだ。
だからこそ、彼は商業連合から差し向けられた刺客であるランファに、全力でゴマを擦っているに過ぎない。
少しでも機嫌良く祖国に帰って頂こうと、大金を積むという安易な考えに至ったのだ。
当然、革命軍の大切な資金の一部になるはずの大金を、見す見す渡すことにクレバは大反対した。
しかし、革命軍の経理のすべてを担っているのは、他ならぬセルバンティーヌその人だ。
セルバンティーヌはジュノスに執心している。
そんな彼も、ランファ同様勘違いを重ねていた。
自らがジュノス神と仰ぐ彼には、自分達では到底予想もつかないものを見据え、敢えてパーシモン伯爵が貸し入れた額よりも、遥かに多額の金銭を差し出しているのだと考えている。
そして、それは今確信に変わっていた。
目の前の彼女の焦りようを目にし、やはりジュノスが商人の先を行っていたのだと。
けれど、当のジュノス本人は『これで機嫌を害することはないだろう。どうせ棚から牡丹餅みたいなお金だしな。ケチって恨みを買いたくないもんね!』と、ランファの様子にご満悦のようだ。
「わ、わかったね。私も商人の意地と誇りがあるね! そこまで言うならお前に乗ってやるね!」
「ん?」
(乗るって何のことだろ? ああ、そういうことか!)
「わかりました。では、明日にも学園都市ポースターの方に戻りますので、ご一緒に竜車で参りましょう!」
「は?」
「いえ、わかってますよ! 水に流すのだから大浴場ですよね! 丁度、建設が終わったとの報告を受けていますので、私がご案内致しましょう!」
どうやらジュノスはランファが「乗る」と言った言葉を受けて、竜車に乗るイコール、大浴場へ行きたいと解釈してしまったようだ。
『読めないね』とは、ランファの心の声である。
これにてパーシモン伯爵領の件は一件落着したと思われた。
だがしかし、商業連合は一枚岩ではない。
事実、ステラ・ランナウェイの屋敷ではこの数日間、彼女の姿がどこにも見当たらず、母と使用人達が涙を浮かべていたのだ。




