第45話 幸運の切符
パーシモン伯爵領にジュノスがやって来てまもなく、辺境の村が変わり始めていた。
それはジュノスがやって来た頃のような暗雲立ち込めるものではなく、活力を取り戻した者達の賑わいである。
「おーい、聞いただか?」
「ああ、聞いた聞いた! なんでもジュノス殿下が俺達に新たな農法を伝授してくれるらしいな!」
「バーカ! ジュノス殿下じゃねぇーだよ!」
「は? ジュノス殿下だろ?」
「ジュノス神様の間違いだっぺ! 気を付けるだよ! 天罰が下り、フライパンで脳天カチ割られるだよ!」
男は嬉々として話ながら、懐から木彫りのジュノス人形を取り出した。
白眼視を向ける男とは違い、人形を頬擦りしてうっとりと吐息を吐き出す。
「オラさ、ジュノス教に入信しただよ! これは幸せを呼ぶ有り難いもんだ!」
「お前……騙されてんじゃねぇーか?」
「バカなことを言うでねぇーだよ! ええが、そもそもジュノス神様がこの地をお救いになってくださるのはだな! ノエル様が熱心な信者であり、教祖様に認められるほどのお方だったからだ! 何より、この有り難い像をスリスリしていると、オラは幸せな気持ちになれるだよ!」
「嘘癖ぇ話だな! ……いてっ!? 何しやがんだっ!」
「おめぇさオラに喧嘩売ってるだかっ! 神を冒涜する罰当たりめがっ!」
「だ・か・ら・てめぇーは騙されてんだよ!」
狂信者に堕ちてしまった男に、冷静な男が言葉をかけるが、狂信者は畑を指差した。
そこには畑を耕す農民の姿があるのだが、彼の首には男の手に持つ不気味な木彫り像と同じものが下げられている。
それはまるで、ロザリオを身につける聖職者のように。
「嘘だろ!?」
口を開き目を丸くする男は、咄嗟に周囲を見渡した。
すると、誰も彼もが似た物を首から下げたり、大切そうに後生大事に握りしめている。
「いいでしょー! 私も入信しちゃった!」
「やだー、私もよ! ほらっ!」
「やっぱり結婚相手はジュノス教の人じゃなきゃ嫌よねー」
「そんなの当然よ!」
男は開いた口が塞がらない。
一体いつの間に、自分が知らな間にこんなことになっていたのだと驚愕にうち震えている。
「ほれ見ろ! おめえさだけだど、持ってねぇのは。本当に遅れてるやつだな。いいか? おめさが崇める嘘っぱちの神様はおめえさが困っても助けてくれねぇだよ。だけど、オラ達の神様はお救いくださるだよ! がーはははっ」
愉快そうに笑う男とは対照的に、悲壮に顔を歪める男。
次の瞬間、男は血相変えて走り出した。
「そっちじゃねぇーだよ、あっちだよ!」
走り出した男を嘲笑いながら、狂信者は逆側を指差す。あっちに木彫り像をくれる教祖様がいるのだと教えるように。
「す、すまねぇ! 助かった!」
「これで、また一人勧誘できただな。オラもそのうち幹部昇格だな! がーはははっ」
それから季節は移り変わり。
嘗て、不作に喘いでいたパーシモン伯爵領は、見事なまでに回復していた。
いや、寧ろこれまで以上の成果を上げることとなる。
パーシモン伯爵領が新たに試みた農法は帝国全土で話題となり、それは世界各地へと受け継がれていく。
が、それはまだ少し先のお話。
時間は少し遡る。
この日、リグテリア帝国の首都セルダンは、貴族平民問わず大勢の人々が何かを買い求めるために列をなしていた。
中央広場に隣接された小屋のような建物、そこで売られている何かを買うため大声を上げる人々。
「い、一枚売ってくれ!」
「俺は十枚だ!」
「ええーい、退かぬか! 私は千枚頂くとしよう!」
「「せ、千枚!?」」
「さすが貴族様だ!」
恰幅のいい男が臣下を引き連れ威風堂々と宣言すれば、まるでモーゼの海割りの如く人の群れが割れていく。
そのまま闊歩し、臣下の男がどっさりと重量感のある袋を店先に置いた。
「毎度です、お貴族様!」
「当たるのを入れるのだぞ!」
「そりゃ、無理ってもんですぜ旦那!」
「何故だ!? 私は子爵家の者なのだぞ!」
「いや、そうじゃねぇーです。抽選日まで誰にもどれが当たりかわかりやせん! 抽選日の日に、ここでインチキなしに抽選が行われやす。その結果次第では、一攫千金ですぜ」
「どうやって決める? 細工はできんのか!」
「無理ですね!」
きっぱりと言い張る店主に眉根を寄せる貴族の男だが、すぐにその言葉の意味を理解する。
「と、いうのもです! 抽選は超高速で回る九つのボードで行われるんです。そこに、目隠しをした者が順にナイフを投げ、一の位から億の位までの九つの番号を決めるので、はっきり言ってインチキなどできやせん! その際、この場は結界で覆われることになると思いますので、風魔法を用いた不正行為も不可です! それでも不正を行う輩がいた場合は、ジュノス・ハードナー殿下の名の下、罰せられます」
店主のジュノス・ハードナーという言葉を受け、貴族の男もそれならば致し方ないと、
「では、追加でもう千枚貰おう! 絶対に私が当ててやる!」
「へへ、毎度です! 旦那」
一方その頃、賑わう首都セルダンとは違い。
ポースターの革命軍本部は慌ただしかった。
「くそっ! 全然人手が足りねぇじゃねぇーか!」
「もっと各地から働き手を募れ! これから毎回これが続くんだぞ!」
革命軍は混乱の渦中にあった。
それというのも、彼らが作り売り出す宝くじはとにかく人手がいる。
宝くじを作り、それを各地の販売元に届け、売り子となる者を雇う。
これだけでもかなりの人手を要する。
まさに猫の手も借りたいとはこのことなのだが、忙しいはずの彼らは何故か皆笑顔を絶やさない。
額に汗を流しながら、働ける喜びに沸いていた。
彼らの多くはスラム出身者であり、これまでは働きたくても働き先がなかった者達だった。
そのため、犯罪に手を染める者も少なくなかったのだ。
それらは彼らに取って生きるための手段であり、本当は根の優しい者ばかり。
そんな彼らに新たな生きる手立てを与えたのが、ジュノス・ハードナーその人である。
彼の行ったスラム大掃除大作戦は、希望を失っていた人々に生きる力を灯しただけではなく、それは連鎖的に広がりをみせていた。
それが各地で実しやかに囁かれ始めている、青い鳥の伝説である。
革命軍のリーダークレバを通し、ジュノス・ハードナーから仕事を貰い。明日への希望を与えられた貧民街の若者は、いつしか全員が同じネックレスをしていた。
ジュノス・ハードナーの瞳の色を嵌め込んだネックレスを。
貧民街出身者の結束は固く、ジュノス・ハードナーに悪意を抱く者がいると知れば、知恵を出し合い排除を行う。
さらに、嘗て自分達が彼からしてもらったように、多くの同胞に手を差しのべることも怠らない。
いつしか不幸なことは青い鳥が連れ去ってくれるという都市伝説的な噂が、各地に広がりつつあるのだ。
「でもよ、なんだかんだジュノス殿下は人望があるよな」
「ああ、ジュノス殿下は汚くて臭くて暗かった街をピカピカにしてくれて、俺達に仕事をくれた。あの人が帝国のトップに立つ日が、俺は今から楽しみで仕方ねぇよ」
「そりゃあたいも同感だね! だから、ジュノス殿下の邪魔をする人はみんな消えちゃえばいい。ジュノス殿下に意地悪をする奴は絶対にあたいらが許さない」
「ああ、おめぇのいう通りだ! そのためにも、何がなんでも今回の仕事は成功させる!」
「その通りさ! さぁ、あんたら! 泣き言言ってる暇があったら手を動かしな! ここがあたいらの戦場で正念場だよ!」
「「「よっしゃぁああああああああああっ!!」」」
きっとジュノスもどこかで誰かを救うために、今も戦っている。
そう考えただけで、彼らの全身に力が漲る。
自分達も負けていられないと、彼に恥じぬ生き方をしたいと、誰もが奮闘する。
不幸は連鎖すると誰かは言う。
では、幸福や安らぎは連鎖しないのか?
そんなことはない。
革命は連鎖し、誰もが幸せになる日も近いのかも知れない。
ここに、そんな少女が一人いる。
「金がないならよそ行きな。商売の邪魔だ!」
「……」
お腹を空かせた少女は、香ばしい香りが漂う店先から追い払われる。
そんな少女の元に、ご機嫌でスッキプをする少女が歩み寄る。
「あら、お腹空いてるの? ステラお金持っていないけど……あっ、そうだ! これをあなたにあげるの!」
「何ですかこれ?」
「宝くじなの! ち・な・み・に・ステラの旦那様が発明したの! 凄い発明なの」
ステラは試しに買った宝くじを、少女に手渡して軽快な足取りで去っていく。
ほら、明日のパンを買うお金もない少女に、聖女が購入した幸せの切符が届けられた。
世界はこうして回っているのだ。




