第39話 ワルプルギスの夜
レイラの手を引いて馬車から降り立った俺達の前には、すでに多くの来客の姿がある。
皆、それぞれきらびやかな衣装に身を包み、相手方のパートナーを堂々とエスコートしている。
圧巻の光景に気後れしてしまいそうな俺は、遅々とした足取りとなっていた。
臆病風に吹かれてしまった俺に気がついたのか、「背筋を伸ばしなさい。あなたはリグテリア帝国の次期皇帝なのですわよ! 堂々と胸を張っていればよろしくてよ」と、見透かされたように耳元で言葉が飛んだ。
本当に彼女が一緒に来てくれて助かった。俺一人だったら足がすくんでしまうところだ。
頷き返しながら彼女を見やると、さすがアメストリア国の姫君だな。
威風堂々とした品のある姿は、さすがの一言に尽きる。
一瞬狼狽してしまった俺とは違い、根っからの王族気質というところか。
いや、彼女に取ってこれは日常なのかもしれない。
本来なら俺に取っても日常なのであろう。
が、前世のチキンハートが尾を引いてしまっている。
それに、この場にいる紳士淑女方の多くが、リズベット先輩側の人間であることは言うまでもない。
俺は破滅の魔女の屋敷に乗り込んでしまったのだ。
「夜会に招待されている方々の多くが上級生のようですわね」
「ああ、リズベット先輩自体が上級生だからね。必然的に上級生ばかりになることは当然かな」
「けれど、これはあからさまではなくて?」
「ん……どういうこと?」
周囲を見渡したレイラは怪訝に首を傾げた。
だが、その相好を崩すことはない。
「貴族社会において、このような夜会が催される場合、一般的には分け隔てなく招待状を学院の方々にお出しするはず。そうしなければ、貴族間で軋轢が生じますわ。特に、ウルドマン家のような公爵家なら尚更ですわ」
確かに……それは一理あるな。
「だけど、ここには少なくとも私の知り合いの姿がありませんわ。何より、私は招待状を受け取っていませんもの」
言われてみれば、確かにそれはおかしい。
リグテリア帝国の公爵令嬢たる者が、アメストリア国の姫君であるレイラに、何故招待状を出さなかったのだろう。
普通出すよね? 出さなかったのはどうしてだ?
レイラに来てもらいたくなかったからか。
夜会は親しい者を呼ぶものとばかり思っていたが、俺の認識が甘かった。
おそらく、リズベット先輩は自分に取って都合の悪い者達を呼んでいない。
何のために? 俺を辱しめるためか?
それは少し杞憂し過ぎかもしれないが、リズベット先輩の狙いがわからない以上、厳かな気持ちで挑まなければ。
ウルドマン家の使用人達に迎え入れられて、屋敷内へと足を運ぶ。
長い廊下の先、両脇に控えていた使用人が扉を開ける。ゆったりとした楽団が奏でる優雅な音が鼓膜を揺らし、燦然と煌めくシャンデリアの下、誰も彼もがピエロのように張り付けた笑顔を浮かべていた。やはりここは道化者達の巣窟か。
一斉に向けられた視線、つい力んでしまう。
「どうやら、会場の注目を集めてしまったようですわね」
「うん。少し目立ち過ぎたかな……」
「何を言っていますの。舞踏会では目立たなければ意味はありませんのよ? 壁に掛けられた絵画に成り果ててしまえば、その時点でここでは弱者と認識されると言うもの。より多くの注視を浴びることこそが、舞踏会の基本ではなくて?」
それはわかっているのだが、さすがに皆驚きを隠せずにいる様子だ。
無理もない。俺が連れ添うパートナーはアメストリア国の姫、レイラ・ランフェストなのだから。
誰もが驚きを隠せない様子で一瞬目を丸くさせ、すぐに何事もなかったように振る舞っている。
だが、彼らの口元の動きを見ればわかる。
何故アメストリアの姫がと……唇が物語っていた。
やはり、ここはレベッカが憧憬を滲ませるような夢のまほろばではない。
欲深き者達が集うワルプルギスの夜だ!
「ジュノス、どうやら主役のご登場のようですわよ」
レイラの声が優しく鼓膜を揺らしたかと思えば、次の瞬間、割れんばかりの歓声が会場を包み込んだ。
誰もが注視する大階段へと視線を向けると、妖艶な黒のドレスに身をまとったリズベット先輩の姿を視界に捉えた。
それと同時に、「嘘だろ……」喉の奥から漏れ出した声音。
唖然と見つめる視線の先には、この場に居るはずのない少年の姿。リグテリア帝国第四王子、ユリウス・ハードナーの姿を、同時に捉えてしまった。
「ジュノス……どうかしましたの?」
「……」
レイラは気がついていないのか?
いや、彼女は俺のことさえ覚えていなかったのだ。そんなレイラが弟のユリウスを覚えているはずもなかった。
勝ち誇ったように見下ろす二人と、不意に目が合う。
リズベット先輩は優雅に微笑み、ユリウスは魔女に取り憑かれたように不敵に微笑んでいる。そのまま一直線に、こちらへと向かってくる。
「お久し振りです。ジュノス殿下」
「お元気そうで何よりだ、兄上!」
「兄上……? この方はジュノスの弟君なの?」
「申し遅れました、アメストリア国の姫君、レイラ・ランフェスト姫。僕はユリウス・ハードナー、次期リグテリア帝国皇帝です!」
「へ?」
ユリウスの言葉にざわつく会場。
やられた。同時にすべて理解した。
何故、リズベット先輩が唐突に夜会の招待状を送りつけてきたのか。
何故、この場にリズベット先輩を慕う者達しかいないのか。
これは俺への宣戦布告。
ユリウスは今確かに、自分が次期皇帝であると宣言した。そんな愚かなことは本来なら許されない。
しかし、ここには学生しか居らず、彼らが今見聞きしたことを口外したとしても、真実は歪むだろう。
人は本当に大切なことだけしか受け取らない。それはこの場に居合わせた者達から聞くことになるであろう、大人達に波及していくこととなる。
つまり、この場合……ユリウスが次期皇帝という噂だけが独り歩きするように仕組まれている。
そして、これは紛れもなく魔女の集い。
欲に溺れる子息息女達に、リズベット先輩は問いかけているのだ。
自分が後押しするユリウス側につくか、或いは自分と敵対する俺につくかと。
勿論、この場に集まった者達からすれば迷うことなく前者だろう。
本来はこんなことで慌てる俺ではない。
何故なら、俺は皇位を放棄すると宣言してこの地にやって来たのだから。
しかし、これは不味い。
彼女は帝国を滅ぼす魔女だ。
もしも彼女が皇妃の座に就くことになれば、帝国を滅びへと誘うことなど容易い。
そうなったとき……ユリウスはどうなる?
ユリウスは……俺の身代わりに……。
ダメだっ! そんなの絶対にダメだ!
俺の代わりにユリウスが断罪される未来などあっていいはずがない!
腹違いの兄弟とはいえ、ユリウスは俺の弟なんだ! 見殺しにできるわけなんてないじゃないか!!
くそっ! 俺は酷い勘違いをしていたのかもしれない。
俺は今までずっと、このゲームのバッドエンドはジュノス・ハードナー(俺)の死なのだと思い込んでいた。
だけど、それこそが間違いだった。
この【悪役王子のエロエロ三昧】のバッドエンドはリグテリア帝国の崩壊にある!
つまり、兄弟の誰が皇帝に即位したとしても、最悪の展開は免れない。
それこそが、この物語に予め用意されたシナリオなのだから!
そうだよ、なんでこんな簡単な答えに気がつかなかった。
本来のゲームで皇帝である俺が断罪された後、兄弟は無事に人生をまっとう出来たのか?
いや、おそらく身を隠し、長い逃亡生活を続けていたに違いない。
もしくはその先で……。
くそっ! ってことは、どの道俺も死んでしまうじゃないか!
やってくれたな、リズベット・ドルチェ・ウルドマン!
「ちょっとジュノス、これはどういうことかしら?」
素っ頓狂な声を上げたレイラが、説明しなさいと力強い眼差しを向けてくる。
だけど、二人を目の前にして、答えられる問題ではない。
「あら、随分と顔色が優れませんわね……ジュノス殿下?」
この魔女めっ!
これまでで一番の焦燥が胸を焼く。
「いや、まさかユリウスが居るなんて思いもしなかったからね!」
「あら、皇帝陛下から聞いてませんか?」
「聞いてない? 何を?」
「私達……婚約したのですよ」
「……………」
う、うぎぁぁああああああああああああああああっ!?
ふ、ふざけんなよっ! そんなこと一ミリも聞いちゃいないぞ!
第一、兄である俺より先に婚約するなどおかしいだろ!
兄のハウスが婚約を決めたのだって、つい数ヶ月前だぞ!
なんで俺を差し置いてお前が先に婚約してんだよ! って、落ち着け。
相手は帝国で皇帝の次に権力を有するウルドマン家。
そのウルドマン家が相手となれば……父上も大臣も無下に反対できないということか!?
ユリウス……選りに選ってなんという相手を婚約者に選ぶのだ!
そいつは魔女! 死神なんだぞ!!
「あら、そのご様子ではやはり、連絡が遅れているのかしら? とはいえ、正式な婚約はまだなのですが。うふふ」
「そうそう、近頃兄上は大層張り切ってらっしゃるとか? 何でも民草の暮らしをよくするために、これまで帝国に尽くしてきた者達を取り締まっているとか何とか。お陰で、貴様にハメられて奪われた門閥貴族達が僕のところに帰って来てくれたよ! 感謝しているよ、兄上!」
あはは……はは。
マジかよ!?
王都ではそんなことになっているの?
「最近では父上も何かと機嫌が悪い。きっと、兄上が取り締まってくれたお陰で、色々と帝国内で問題が生じているのだろうな」
あはは、これが皇位継承争いというやつかい?
確かに、確かに俺は皇位継承争いくらいしろと言ったさ! でも、これは違い過ぎるだろ!
レイラも何がなんだかわからないと言った様子で、口を閉ざしてしまっている。
いや、俺にも意味がわからないんだけどね。
良かれと思ってやっていたことが、すべて裏目に出てしまったなんて……笑えないよ。
「そうそう、ジュノス殿下とレイラ様にご紹介したいお方がいるのですよ。メビウス!」
会場の奥に視線を向けたリズベット先輩の合図を受けて、長身のイケメンが颯爽と歩み寄ってくる。
誰だ……こいつ? こんな気障っぽいキャラ見たことないぞ。
「お初にお目にかかる、ジュノス殿下! それと、我が愛しの君、レイィィラッ!!」
な、なんだこの変なのは!?
タンゴのステップを踏みながら、タッと足を踏み鳴らすと同時に、胸に挿した薔薇をレイラに差し出している。
なんて気障な奴だ。
「………」
「受け取ってはくれないのかい? レイィィラッ! それとも私の美しさに酔ってしまわれたか?」
キモッ! レイラがドン引きしてるじゃないか!
「失礼ですが……あなたは?」
「ん? 今私はレイィィラッと、話をしているのだが……? まぁいいだろう。私はレヴァリューツィヤ国第一王子、メビウス・シリアル・アンソージュルだ! 君に婚約者を奪われた者だが……なにか?」
げっ!? ななな、なんでレヴァリューツィヤ国の王子がこんなところにいてるんだよ!
ハッ……そうか!
喰魔植物の種を植えた本当の黒幕は……お前かリズベット!!
穴が空いてしまうほど睨みつけてやるが、リズベット先輩は可憐に微笑んでいる。
俺など敵ではないというように。
にしても、ユリウスとメビウスが敵愾心のようなものを滲ませてくる。
こいつらの思惑が一致したということか。
とにかく、ここは一度撤退して策を練らねば!
そのためにも、この窮地を何とか乗り切らないと!




