第35話 夜会の招待状
アメストリア国の事件から時は流れ、季節は緑が生い茂る夏へと移り変わろうとしていた。
王立アルカバス魔法学園に通うジュノスにとって、初めての夏休みは、一通の手紙から始まることとなる。
それが後に、偉業と呼ばれる大革命へ繋がることなど……このときのジュノス・ハードナーには知るよしもない。
◆
早朝、俺が鼻唄を口ずさみながらご機嫌で服を着替えていると、レベッカが部屋へとやって来る。
そのまま一通の手紙を差し出してきた。
差出人は……。
「リズベット・ドルチェ・ウルドマン……公爵令嬢か」
入学式の翌日、あの日以来のリズベット先輩からの手紙。彼女は俺を破滅へと誘う悪魔のような人だが、それは今となっては叶わぬことだろう。
何故なら、彼女が陰で操るはずだったクレバ達が率いる革命軍は、今や単なる慈善団体へと様変わりしてしまったのだ。
そんな彼女が今更俺に何の用なのだろうと、手紙の内容を確認すると、そこには手紙と一緒に招待状……カードが同封されている。
「夜会の招待状か……」
「学園の先輩からのお誘いですか? 素敵ですね、ジュノス殿下」
「あ、ああ……」
これのどこが素敵なんだ。レベッカは何も知らないからそんな呑気なことを口にしているが、彼女は敵なのだ。
彼女の手足となる革命軍が消滅したとはいえ、この誘いは不気味過ぎる。
勿論、俺も彼女を野放しにしていたわけじゃない。クレバ達革命軍に頼み、密かにリズベット先輩や、その周辺の動向を監視させていた。
が、これは予想外の展開だ。
まさか、リズベット先輩本人から俺との接触に打って出てくるなんて予想だにしていなかった。
ゲーム内では名前しか出てこなかったキャラだが、彼女が危険だということは言うまでもない。
そんな危険人物からの招待状。
しかも、ゲームの中では決して自ら動くことのなかったキャラが動き出した瞬間でもある。
もうこのストーリーはとっくに俺が知るものではなくなっている。
否が応にも警戒心が強まってしまうというものだ。
完全にバッドエンドを回避したと思っていたわけではないが、黒幕の一人であるリズベット先輩が本格的に動き出したとなれば……最悪も想定しなければ。
しかし、そうと決まったわけではない。
これは単なる親睦を深めるための誘いなのかもしれないが、なぜ夜会なんだ? 気になる。
「夜会の招待状なんて素敵です。お月様をバックに踊ったり、きらびやかなシャンデリアの下で踊ったり、ああ本当に素敵です! さすがウルドマン公爵家のお嬢様ですね!」
「そ、そうだね。だけど、普通はそれほど親しくない者を夜会に招待することなんてないだろうに」
リズベット先輩が夜会を開くというと、何故かワルプルギスの夜を連想してしまう。
……やはり彼女は魔女か?
断りたい。できれば今すぐにお断りの手紙を差し出したいのに、それができない。
できるわけがない。
相手は公爵家の令嬢だ。
いくら帝国の王子たる立場の俺でも、ウルドマン公爵家の夜会を断るなど無礼に当たる。
ウルドマン家は帝国内において、その発言力は絶大だ。
理由もなく断れば、社交界での俺の評判はガタ落ち。そうなれば、ウルドマン公爵家寄りの貴族達に睨まれる可能性も否定できない。
くそっ、おっさん久しぶりにプチパニックだ! しかし、一人で敵地に赴くなんてそんな危険な真似したくない。
それに、夜会ともなれば相手だって必要だろ?
だが、今回ばかりはジェネルやシェルバちゃんに頼ることは不可能だろう。
俺は国とか人種とか、そんなくだらないことで人を見ることも、判断することもしない。
でも、それは俺がこの世界とは違う知識や文明の下で生きてきた記憶を持っているからだ。
それがなければ……俺も。
この世界でオルパナール人が迫害を受けていることは紛れもない事実。
そんなマイスター兄妹を夜会に連れていけば、最悪リズベット先輩の俺に対する見方がさらに悪い方に向かうかもしれない。
それだけじゃない。リズベット先輩が主催する夜会ともなれば、きっと学院派閥のセルーヌの方々が大半を占めているだろう。
そうなれば、目立ち過ぎると却って敵意を産み出してしまいかねない。
ここはあまり目立たずに行動しなければ。
「ジュノス殿下? 少し顔色が優れないようですが?」
不安気な瞳でレベッカが小首を傾げている。
主たる者、仕えてくれているメイドに要らぬ心配をかけるのは良くないよな。
「大丈夫だよ。それより、夜会に正装していく衣装を選ばないとね。一緒に選んでくれるかい?」
「ええ、勿論です、ジュノス殿下! 私気合い入りまくりですよ!!」
「あはは……」
今は余計な心配をしたって仕方がない。
招待状が送られてきたからには行かないと。
それに、リズベット先輩が何の考えもなしに招待状を送りつけてくるなんて思えない。
と、なると、やはり何かあると考えて置くのが普通だろう。
レベッカと共に今夜の衣装を選んでいると、「客が来たぞ」とアゼルが執事にあるまじき態度でやって来た。
両手をポッケに入れて、欠伸をするその姿は、どこからどう見てもやんちゃ坊主だ。
「ハァー……アゼル、少しは執事らしく振る舞ってもらえるとありがたいのだが」
「んっなことより客を通したぞ」
んっなことって……まぁいい。
「それで客人とはだれ……」
「し、失礼致しますわ。あ、遊びにきて差し上げましたわよ!」
「お久しぶりです、ジュノス殿下」
アゼルの背後から堂々と現れたのはレイラとエルザ。客人とは二人のことか。
それにしても何用だ?
「何か俺に用ですか?」
何気なく聞いただけなのだが、何故かレイラの顔がムッと強張った。
吊り上がる目元と不満そうに尖った唇。
あれ……怒ってらっしゃる?
「何か用ですってっ!? 信じられませんわっ! ああ、あなた私にあのようなだ、だだだ、大胆なことをしておいて、一度も私を誘わないとはどういった了見ですのっ!!」
「は?」
彼女は何を言ってるんだ?
それに大胆なことってなんだ? 俺はレイラを怒らせてしまう何かをしてしまったのか?
冗談じゃないっ!!
せっかくレイラと仲良くなれたのに、また振り出しに戻るなんて絶対にゴメンだ!
「その、俺が何か気に障ることをしてしまったのかな?」
射殺すように睨みつけてくるレイラに、苦笑いを浮かべながら尋ねてみると、そっとエルザが歩み寄ってくる。
そのまま耳元で囁くように言葉を紡いだ。
「ゴホンッ、何もしなかったのが不味かったのではありませんか、ジュノス殿下」
はい? どういう意味だ?
エルザは上手くやれと言わんばかりにウインクを投げてくるが、何のことかさっぱりわからない。
意味不明過ぎる。
「とと、殿方が駆け引きをするなど失礼ではないかしら? それとも……みみ、身のほどをわきまえたということかしら? って、まぁいいわ。ところでお洋服を引っ張り出して何をなさっているの?」
レイラがベッドに並べられた衣装に目を細めていたかと思ったら、次の瞬間目を見開いている。
「まさか!?」
仲良くなってからというもの、随分と表情が豊かになったな。というか……随分とバカかっぽくなったよね。
なんて決して口にできないことを密かに考えていると、「そ、そうでしたの。今から私を誘いに来るおつもりでしたようね」と、またわけのわからないことを口にしている。
「いや、これは今夜リズベット先輩のところにお邪魔するための衣装を選んでいるところなんだよ」
「ななな、なんですってっ!?」
「へ?」
リズベット先輩のお屋敷に伺うと言っただけで、レイラが初めて会った時のように顔を歪めてしまった。
鼻息荒く吐き出されたそれは、まるでドラゴンのファイヤブレスのようだ。
詰め寄ってくるレイラの灼熱ブレスが首元に当たって熱いです。
というか、怖い。
「ここ、今夜……リズベット先輩の元に行くですって!?」
「いや、あの……その、やや、夜会の招待状が届いたので……」
「見せなさいっ!」
「はい、これです」
恐怖のあまり差し出したカードを引ったくるように奪い取ると、食い入るように見ていらっしゃる。
何か不味かったのだろうか?
「なるほど。公爵家の人間にして、学園内において先輩であるウルドマン家からの招待状のようね。だからと言って、私に黙って行くとはどういう了見なのかしら? ことと次第によっては死罪も免れないわよ!」
「え!? なんでっ!?」
なんでレイラに黙って夜会に行ったらダメなんだ?
……そうか! わかったぞ!
レイラは俺の知らぬところで既にリズベット先輩と接触していたんだ!
そのとき、レイラはリズベット先輩に何かを言われていたのかもしれない。
ゲームの最後ではリズベット先輩が陰で操る革命軍と、レイラが指揮するアメストリア軍によって俺は捕らえられる。
そう考えると、レイラとリズベット先輩が既に繋がっていても何の不思議でもない!
だが、今のレイラは少なくとも帝国を、俺を破滅に追いやろうとはしていない。
つまり、レイラは敵地に出向くなら、「私にも一声かけなさい」と言ってくれているんだ。
早い話が、協力してくれると手を挙げてくれているということ。
なんていい子なんだ!!
「レイラ、すまないっ! 君の考えを理解できなかった俺を許してくれ。そして、できることなら一緒にリズベット先輩の夜会に行って欲しい!」
「そ、そんなに謝らなくてもよろしくてよ。それに……わわ、私をエスコートして行きたいだなんてっ! 相変わらずだ、だだ、大胆過ぎるわよ! だ、だけど、そこまでジュノスが言うなら……仕方ないわね」
おお! 確かにこれは我ながらかなり大胆な作戦だと思う。
アメストリア国のレイラ・ランフェストと、俺が既に友好関係であるとリズベット先輩に知らしめることで、大きな牽制になり得る。
それに、アメストリア国の姫君なら、公爵家の夜会にエスコートしていく相手としては申し分ない。
まさに、夜会にエスコートしていくパートナーとしては打ってつけだ!
頼もしい! 頼もし過ぎるよレイラ!
敵だった頃は恐怖の対象でしかなかったが、仲間になるとこうも頼もしいとは。
俺では思いもつかない先制攻撃だ!
さすが帝国を転覆させるだけはある!
ただ、レイラだと少し目立ってしまって、当初の目立たぬ忍者作戦は不可能だろうな。
「レイラ、君が居てくれるだけで俺は……俺はなんだか上手くやれそうな気がしてきたよ!」
「ひぃやぁっ!?」
嬉しさのあまり、姫君の手を握るなんて無粋だった。そのせいでレイラの顔が薔薇のように染めてしまった。
こういう馴れ馴れしいところが王子らしくないんだよな。
姫君が男性と肌を触れ合うなんて滅多にないもんね。それに、レイラは意外と人に頼られなれていないんだろう。
これからは頼りまくっちゃうもんね。えへへ。
ご覧頂きありがとうございます!
これからもできる限り毎日投稿を続けますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m




