第11話:新米冒険者、仲間を逃がす
犬のようなふさふさの毛皮に身を包んだ黒い魔物。この世のものとは思えないおぞましい顔を見ているだけで、不安になってくる。多種多様な魔物がいる世界ではあるが、こんな魔物は初めて見た。
見たことはないが、どこかで聞いたことのある見た目ではあった。……神話に登場する架空の魔物ヘルハウンド――魔女の番犬と特徴が酷似している。
もしもこいつがヘルハウンドだとしたら……状況は最悪の一言に尽きる。
「ガウルルル…………」
よだれを垂らして、俺たち四人をギロリと覗く獰猛な犬。のそりと爪を立てて、低い唸りを上げた。
魔力感知を意識的に使わずとも、強大な魔力の固まりであることは分かった。
「シオン……あれって!?」
ミリアが、悲鳴に近い――きりきりとした声で叫ぶ。
子どもの頃に誰もが聞かされる神話なだけに、さすがのミリアでも知っているか。
「ああ、ヘルハウンドだろうな。……最悪だ」
悠長に話している時間はない。倒すか、逃げるか。選択肢としては二択。
逃げるにしても、ヘルハウンドはとにかく動きが速い。戦わずして……とはならないだろうな。
転移結晶さえ使えれば、すぐにでも撤退するのだが、ダンジョンでは使えない。
自力でどうにかして逃げるしかない。
「三人とも、よく聞いてくれ。今からヘルハウンドの足止めをしつつ、撤退するぞ! 持てる限りの力を使って集中砲火してくれ。俺が誘導する!」
「わ、わかった!」
「わかったわ」
「承知しました」
緊急時こそ、まずは落ち着いてパーティメンバーとコミュニケーションを取る――これが最も生存率を高めると言われている。――冒険者学校で学んだ基礎を思い出した。
俺は剣を片手に持ち、土の地面を蹴りつけてヘルハウンドに急接近した。
横薙ぎに剣を振り、斬りつける――が、避けられてしまった。
「……なっ!」
この眼を手にしてから、動きを追い切れずに攻撃を避けられるということは一度もなかった。特殊な魔力の動きなどは感じられなかったので、これがヘルハウンド本体の身体能力ということか――。
だが、俺の役目はこいつを誘導すること。攻撃が当たらないことは然したる問題ではない。注意を引き付けた俺は、ボス部屋を移動しながら三人の正面まで誘導する。ちょうどいい場所に来たところで、思い切り跳躍し、距離を取った。
「今だ――――!」
俺の合図で、ミリアが矢を放ち、シロナが爆撃を始め、ルビスが翼の針を発射する。被害を逃れるための跳躍の後、俺は姿勢を保てなくなり地面を転がる。直接見たわけでなくても、その振動、音、光が凄まじいことが分かった。
視界が見えなくなるほどの土煙が上がる。さすがにこれだけの猛攻撃を受けて無傷のはずはない。多少のダメージは入っているはずだ。
煙が晴れて、視界が戻る。
「……嘘だろ」
逆上し、目を真っ赤に充血させた犬。赤い瞳と相まって、より一層凶暴そうな見た目になった。……まったく怪我をしているようには見えない。
もう、普通のやり方では無理か――。
「……作戦変更だ! 俺がやつの足止めをする。その間にお前たちは逃げろ!」
「シオンを置いていけないよ!」
「……何も、俺は勝算なしでこんなことを言ってるわけじゃない」
「秘策があるのかしら?」
「そういうことだ。ここでゆっくり話してる時間が惜しい。俺にはここを安全に離脱する手段があるんだ。うまくいけばこいつも倒せる」
三人は悩まし気に顔を見合わせる。彼女たちも時間がもうないことは分かっている。決断は早かった。
「シオン様、それは本当に……信じていいんですか?」
「……もちろんだ」
頼む、ここは納得してくれ……!
「わかりました。私はシオン様を信じます。……行きましょう」
「え、ちょっとルビス!?」
「本気で言っているの……? いくらなんでも無茶よ」
「シオン様が仰ることは絶対です。何か考えがあるはずなのです」
ルビスに説得され、二人は返す言葉を失った。ルビスの説明には何の根拠もない。だが、逆に言えば俺ができると言っている以上否定するのは容易ではない。
「わかったわ。……でも、シオン。絶対帰ってきてよね」
「いつでも戦えるように外で待ってるよ!」
「二人とも、助かるよ。それとルビスもな」
三人がボス部屋を離れていく。ヘルハウンドが追いかけるように疾走するが、その前に立ちはだかり、妨害する。
たとえ攻撃が当たらなくても、邪魔をするくらいのことはできる。
しばらくは追いかけようと足掻いていたヘルハウンドだったが、今度は残った俺に矛先が移った。
敵の動きが速すぎて、完全に躱すことはできない。でも、ダメージを最小限に抑えるくらいのことはできる。俺は小さい傷をいくつも負いながら戦った。
……いや、俺の攻撃は一切当たらず、逃げているだけなので、戦ったというと語弊があるかもしれない。
全身の痛みを感じながら、時間が過ぎるのを待った。
「……五分。そろそろだな」
俺の剣技や魔法では、ヘルハウンドを倒すことはできない。それはもう初手の時点で分かっていた。だが、このダンジョン自体を利用してやれば、倒せなくても相打ちに持ち込むはできる。
俺には魔力感知のスキルがある。
だから、地下一層から地下三層までの全てのフロアの構造は完璧に理解できているのだ。どこを崩せばこの広大な地下空間が崩落するか――そのくらいのことはわかる。
ヘルハウンドがいくら強いとは言っても、ダンジョンの崩落には耐えられないはずだ。必要なのは、初級の爆破魔法だけでいい。
いつでもできた。だけど、五分の時間を稼いだのは、三人がダンジョンを脱出する時間を稼ぐため。
死ぬのは俺だけでいい。
三人を騙してしまったという罪悪感はある。……でも、騙さなければここで全滅していた。ルビスの聞き訳が良かったのも幸いした。
あいつなら自分を犠牲にしてでも俺を守るとか言い出すかもしれないとひやひやしたものだ。
俺は、ダンジョンを構成する魔力の柱の一つ一つを爆破していく。ミシミシと音を立て、最初に地下三層――ここが崩落を始めた。
まず初めに壊れるのは、このボス部屋だ。ヘルハウンドは逃げようとするだろう。だが、絶対に逃さない。この命と引き換えに、魔女の番犬とやらを道ずれにしてやろうじゃないか。
刻々と死の時間が近づいてくる。
死を覚悟すればできること――捨て身の攻撃というものがある。
俺は、剣を振る時に意識的に身体を酷使しないようにしていた。左眼――賢者の瞳の力の一つに動体視力の上昇がある。
眼で敵の動きがわかっても、それに追いつける肉体がなければ、理想の動きをすることはできない。だが、一時的に魔法を使った強引な身体移動をすることで、極端に機敏な動きができるようになる。当然、それには強烈な重力で身体を痛めてしまうというリスクもあるのだが……。
俺は、ヘルハウンドの攻撃を予測で回避して、攻撃に移る。魔法による圧迫で無理やり身体を押し付けて、急激な方向転換。
その隙を狙って、ヘルハウンドの横っ腹に全力で剣を振り下ろす――。
想定通り強烈なダメージが入り、ヘルハウンドの動きがよろよろとしたものになる。
「うぐっ…………」
攻撃には成功したものの、俺も反動で大ダメージを受けてしまい、全身を激痛が襲う。
今にも意識が飛んでしまいそうなほどの痛み――。これに耐えられたのは、つい先日にもっと強烈な痛みを感じたことがあったからだ。
この左眼の視力が回復した時だ。
――この一撃は大きかった。それでも、敵は一撃で倒れない。
さて、第二回戦だな……。
第11話はいわゆる鬱展開ですが、タグをご覧ください『ハッピーエンド』とあります。
ネタバレはしませんが、期待を裏切りませんのでどうか第12話もよろしくお願いいたします。