ゆっくりの世界
私の歩みは遅い。
一歩、また一歩、やっとの思いで足を進める。まだ三十八でしかなのに、
私の歩みはまるで老人のようだ。
一歩歩くたびに激痛が腰に走る。
痛さのあまり脂汗が顔に浮かぶ。
ため息をついてビルの壁に手を置き、しばらく立ち止まらざるを得ない。
通りでは誰もが皆急がしそうに歩いて行く。
さっき一人の男が舌打ちをして私を追い越して行った。
女子高生の二人連れが「プータロー」と小声で云い、笑いながらすれ違って行った。
しかし考えてみれば私も、ちょっと前までは彼らと同じように歩いていたのだ。
人混みの中さっと身をかわし、人を追い越しては、まるで競争でもするかのように、
早く、早く、とにかく早く歩いていた。
それはたぶん、世の流れに遅れまいとして…いやむしろ、それに流されていたからだろう。
みんな早ければ、気づくもんじゃないさ…。
それがいまでは嘘のよう。
小刻みに、まるでゾンビのように歩いてく。
一歩一歩がたまらない痛みだ。
「なぜこんなことに…?」と神をさえ恨みたくなる。
トラックの運転手の職業病だよと云われればそれまでだが、納得できるものじゃないさ。
「なぜ自分が?」「仕事ができないじゃないか!」「(人生は)不公平だ」等々、
愚痴が尽きることはない。
…この痛みはなんのための痛みなのか?
…この痛みは身ではない。心の痛みだよ。
馴染みの運河の畔へようようの思いで身を運ぶ。欄干に肘をついて眼下の川面に眺め入る。
早春のさわやかな風を受けて、たろやかに水が流れている。
「おーい、川よ。俺はこの先いったいどうなるのかな?たしか俺は大型の免許を取って、あの資格も取って…いい仕事見っけて、金を稼ごうと…」心中で問いかける。
川の水が一瞬笑ったような気がした。
さらに川面を見つめていると、いろいろな人の顔が水に浮かんでは流れて行った。
自由で、とらわれのない、みんないい顔をして流れて行った。
「おい、いつまで‘ねばならぬ’人生を送るつもりなんだ?重い荷物はみんな捨てて、流してしまえよ。その腰にかかえている、重たいやつをさ」と、
そう云って、流れて行った。
…新しい世界を見よ。触れよ。
…主が重荷を担ってくださる。
家路につく私。
駅からアパートまでの距離が途方もなく長い。
だけど、そのいつもの道が、今日は特別。今日は新鮮。
痛みを受け入れたゆっくりの目で見ると、いままで見えなかった、
いや、見なかったものが、よく見えて来る。
足もとの草が、側面のブロック塀の割れ目が、その奥の庭先で植木に水をやっている老婆の姿が、
見える。
夕焼けの空が見える。
通りの銀杏の木に手を触れ、それを等身大で見る。
すると葉っぱ一枚一枚までもが見えて来る。
ああ、なんとゆっくりの世界は豊かだったのだろう!
あせって、生き急いで、その実私はすべてをPASSしていた。
もしこのまま突っ走っていたならば…?
ゆっくりの世界はこうして私を止めてくれた。しかし、はて、
いつかどこかで、私は同じことに気づかなかっただろうか…?
…そう。スイスの白銀の窓辺で。
この先、もしかしてまた、私が道を外したならば、
ゆっくりの世界は、また現れてくれるだろうか? いつでも…?
…然り。しかし重荷となって現れよう。都度現れよう。あなたが重荷を望むからだ。
主が何度でも背負われたのに。あなたに御頭を下げられて、合掌されてまで、託されたことを、
あなたが忘れる度ごとに…。
〔※一九八六年頃、横浜・井土ヶ谷在住時〕