4話 過去の悪夢
―これは夢だ。そうわかる時がある。
「クイナ、夕飯作って待っているから早く帰ってきてね」
優しい姉の声が聞こえる。切なく、温かい思い出。
振り返ると白いワンピース姿で洗濯物を抱えた姉の姿。家事の邪魔になるからと無造作に束ねた長い黒髪がとても美しかった。
今でも鮮明に覚えている生きている姉の最期の姿―
出かけてはいけない、そう思ったところで自分の意識で体は動かせない。ここは単なる過去の世界なのはわかっている。
あの日は町に買い物に行く、ただそれだけのこと。いつもの姉の笑顔に見送られ、そして帰ればおいしい夕食と共に出迎えてくれる・・・そう信じていた。
家から少し離れた町まで出かけ、日用品を仕入れ、そして家に帰る。特にいつもと変わらない日常。それが一変したあの日の記憶、それを夢として見ている。
町の人と他愛もない会話をし、姉が好きな果物を選ぶ。林檎と桃で悩んでいたら、お店のおばちゃんが林檎をサービスしてくれた。
「クイナ、こっちの店も寄って行けよ」
この町の人たちは優しくとても親切だった。少し離れた森に住む僕ら姉弟を気にかけていつも声を掛けてくれる。
そんな人間たちが僕も姉も大好きだった・・・
夕暮れ時。両手いっぱいの荷物をもって帰宅し、家の扉を開けるとむせかえるような血の匂いを感じた。
「姉さん!!」
嫌な予感がし、玄関に荷物を全て放り出して室内に飛び込む。気持ち悪さと不安で心までもが押しつぶされそうだ。
たどり着いた部屋の奥では白いワンピースを自身の血で染め上げ、床に倒れこんだ姉。その瞳は何も映しておらず、力の抜けた四肢からはまるで生気を感じることが出来なかった。
そしてその姉の前に立つ1人の青年。
「クイナ、早かったね」
青年はその身に返り血を浴びながらも、まるで日常のひとコマのように微笑みながら振り返った。
「・・・ムツ!」
何が起きたか信じられなかった。兄のように、親友だと思っていた友が姉を殺した・・・?
状況はそういっているのに、心はそれを否定しようとする。
「本当は君もテセナさんのところに送ってあげたいところだけど。また今度の楽しみにしよう」
深い海のような青い瞳が怪しく光り、その威圧から体の震えが止まらない。
ムツには魔道の心得があると聞いたことがある、僕も日頃体を鍛えてはいるが勝てるとは思えない。
「どうして、こんなことを・・・」
手を出そうにもその隙もない・・・自ら腕に爪を立て、震える体を戒める。
正面から睨み返し、ムツへ声をかけるが答えはない。
「クイナ、答えを聞きたかったら俺より強くなるといい。そして俺を追って殺しにおいで・・・再び会えるその日を楽しみにしているよ」
それだけ言い残すと風のように消えてしまった。
何がなんだかわからないまま目の前には冷たくなった姉の体・・・その体を抱きしめ、そして誓った。強くなることを、そしてムツをこの手で殺すことを・・・
―私たちは静かにただ幸せに生きていこうね。
―力あるものに手を出してはダメ。それはあなたを不幸にするの。
―私はクイナと一緒にこうして生きていることが幸せなの。
日々そう言っていた姉さんの言葉が頭の中を駆け巡る。
僕も姉さんさえいればそれでよかった・・・幸せだった。だから、これ以上の不幸なんてない。涙を流しながら心に暗い何かが宿った瞬間だった。
枯れるほど涙を流し、どのくらいの時間が経ったのかもよくわからない。
気づけば空は明るくなっており、夜が明けたことを示していた。それが次の日だったのか、それとも数日経っていたのかもよくわからなかった。ようやく姉をこのままにしておくことはできないと思い、近くの森に埋めにいくことにした。
「姉さん、僕は行くことにするよ。約束守れなくてごめん」
森の片隅に咲く小さな白い花を摘み、その手に抱かせる。
「姉さんは森で静かに眠っていて。そしていつの日か・・・また姉さんと一緒に暮らしたいな」
最後の別れの言葉を告げ、土をかける。
あとは必要なくなった家を燃やし、この地を去るだけ。優しかった町の人、お別れも言わずに旅立つのは心苦しくもある。それでも、何を捨ててでもこの道を行くと決めた。
「いってきます。そして、さようなら・・・」
森から町を見下ろし、二度と足を運ぶことのない町に声をかけ決別した。
まずは強くならなければ・・・力を手にするな、と姉には強く言われていたがもう手段は選んでいられない。あの人の元に弟子入りをし、水晶精霊使いになると決めたのだった・・・
「・・・っ」
瞳を開けると木の板の天井が映る。
そう、ここはサキノグラス・シティの宿屋。その一室を借りて、昨晩倒れるようにしてベッドで眠りに落ちたことを思い出す。
・・・あれはただの悪夢。繰り返し見るあの日の夢なのはわかっていた。
火照った体、全身が汗ばんでいる。疲労による発熱の為かそれとも悪夢のせいか。どちらにしても体調も気分も最悪なことには違いない。
この2日で魔力も使い過ぎた。久々にぶっ倒れるまで使いきったな・・・
起き上がろうとしても体に力が入らず、そのままベッドに身を沈めておく。
【ラピスラズリ 精霊召喚】
どうせ放っておいてもそのうち飛び出てきて怒られるんだから、それならば先に呼び出しておくことにした。
「マスター、やっぱり魔力の使い過ぎですよ」
ラピスは少し呆れた口調でその手を伸ばし、僕の頬に触れてきた。
「大丈夫だと思ったんだけどね、あはは・・・」
「体の水分を少し調整しておきます」
ラピスは自身の魔力で脱水気味だった体の水分を調整し、ついでに汗ばんだ皮膚、服の水分を飛ばしさっぱりさせてくれた。
そして空のグラスを手に取ると、そのまま冷たい水を注ぎ手渡してきた。
「体は起こせますか?」
ラピスの魔力を借り、背を押すように力を込める。
「ありがとう、ラピス」
冷たい水を口に含むと、気分もさっぱりしてきた。
「テシミック山脈山頂付近の雪解け水なのでミネラル豊富ですよ、ありがたーく飲んでください」
空気を読んでか、和むようにラピスは水についての説明し、そして体調管理の甘さについてお説教が始まる。これが僕の今の日常・・・かわいく頼りになる精霊たちと共に強くなった。もう何の力を持たなかったあの時の自分ではない。
「・・・わかった、わかったから。気を付けます」
「マスターのその言葉、何度目でしょうね・・・本当に気を付けてくださいよ。あなたがいるから私たちは・・・」
「ラピス・・・」
「とりあえず、今日はこのまま休んでください。私もしばらくこのままマスターの傍におりますので」
飲み終わったグラスをラピスに手渡し、再びベッドに横になる。
「宿屋のマスターのところにいって、ジュリアスからの謝礼金だけ受け取っておいてもらえる? もうひと眠りすればちゃんと回復するから・・・」
眠りの魔法を掛けられた訳でもないのに、急に眠気が襲ってきて意識が薄れていく。
「わかりました」
いつの間に用意したのか、水に濡らされた冷たいタオルを額に乗せられる。
「マスター、私はあなたを・・・」
ラピスの言葉は最後まで耳にすることはできなかったが、優しいぬくもりを感じ、安心して眠りにつくことができた。今度は夢も見ることのないくらい深く静かな闇に意識を委ねたのだった・・・
「・・・マスター、おやすみなさい」
黒い髪、美しい炎のような赤い瞳、人並み以上の魔力を持つこの少年(あ、年齢的に少年なんていったらマスターに怒られてしまいます)我々のマスターはすべて1人でその苦しみを背負おうとされている。
もっと私たちを頼ってくれたらいいのに・・・
「今は少しでも穏やかに眠れますように」
その額に手を当て、熱をコントロールしつつほんの少し、マスターが眠りから覚めないよう気づかれぬように魔力を注ぎ込む。
本当ならばこのサイズではなく人間と同じサイズになって、寄り添いたい。でも自らの魔力だけではそれは成し得ない。マスターの力を借りなければ上位精霊だってそんなことできないのはわかっている。
「こんなにもマスターのこと好きなのに・・・」
精霊であるこの身が恨めしい。でも、精霊だからこそマスターの一番近くにいれるもどかしさ・・・
でも知っている。マスターが持つ数多の精霊の中で1番近い存在なのは私。
属性の相性の問題もあるのだろうが・・・いや、それは関係ない。人間のような恋だの愛だのは求めていない。ただずっと、マスターの1番傍にいたいだけ。
最期の最期まで傍に・・・狂っていると言われても構わない。だからお願い・・・
姉がムツに殺されていること2話のジュリアスとの会話にあったんですが、軽すぎたのでそこを差しぬいて今回新規で4話で回想の形をとりました。
そんな訳で次の5話で1章が終わる予定です。