遊び場
蝉の鳴き声が聞こえなくなる夕暮れ。子供二人の人影が、差し込む夕日によって、道路のほうまで伸びてゆく。
一人は、健康的で活発な、クラスのリーダーと言われてもおかしくない雰囲気を放っている。隣で一緒に歩いている、もう一人は、眼鏡をかけ常に猫背であり、話す声も蚊が鳴くほど小さいものだ。典型的な、いじめられっ子の模範のような出で立ちである。
日焼けした腕を振り回し、眼鏡の子の肩を軽く小突く。
「あの時、言い返せば良かったんだよ。だから、なめられるんだよ」
「ごめん。けど、やっぱり怖くて」
心配そうな表情で、隣で俯いている顔を覗き込むのは紘一。いつもの、大きな声で励ましの言葉を浴びせる。
おどおどとしながらも、紘一から顔を覗き込まれないように、必死に視線を避けているのは和俊。小学校のクラス内では、いつも本ばかり読み、会話もしない為、浮いた存在となっていた。いじめの標的にもなっている。
今日は、学校帰りに公園のベンチに座って、
一人で静かに本を読んでいた。しかし、いじめの主犯格と子分に運悪く遭遇。和俊を見つけると、にやついた表情を露わにした。
すぐに逃げようとしたが、ランドセルを捕まれ、身動きが取れなくなった。和俊の本を地面に叩き付け、汚いスニーカーで踏みにじった。周りに人気が無い事を理由に、殴る蹴るの暴行にまで発展した。
殴られた鼻から垂れてきた血が、上着に数滴にじんだ頃、いじめっ子の表情が暗転する。
視線の先に、帽子を目深に被った、自分と同じ位の歳の男の子。一目で紘一だと分かった。
紘一に怒鳴りつけられた瞬間、いじめっ子は一目散に公園内から走って逃げて行った。紘一に助けられた事を、和俊は今更ながら理解した。
強く殴られた左頬の痛みに耐えながら、紘一に疑問を投げかける。
「どうして、僕なんか、いつも助けてくれるの?紘一君にまで、何かあったら嫌だよ」
「馬鹿な事言うなよ。ただ、弱い者いじめする奴が大嫌いなだけだ。するほうも、されるほうも見ていてイライラするんだよ」
「そ、そうなんだ……」
「もうあの公園、行かないほうがいいな。もしかしたら、他の奴にさっきの見られてたら、面倒だ」
「そうだよね」
「仕方ない。俺が付き合ってやるから、どこか他に、邪魔が入らないような遊び場探すぞ!」
「ええっ。今から?もう遅いよ」
和俊の声は届いていないのか、一人でどんどん先を歩いて行く。紘一の背後を、遅れないように、ついて行くのに精一杯であった。
もう九月に差し掛かったとは言え、首の後ろや背中を照りつける夕日は、肌を刺激する。
アスファルトから立ち昇る熱気にも当てられ、何度も袖で顔の汗を拭う。紘一も、時折帽子を脱いでは、右手に持って、自分の顔を仰いでいた。
「あった!」
暑さと汗の気持ち悪さから、帰りたい気持ちが高まった頃、紘一の足が止まり、溌剌とした声が上がった。突然の事に、飛び跳ねそうになる。
「え。何が?」
「お前、目の前見ろよ。ほら、でかい空き家があるだろ」
額に浮かんだ汗を右手で拭いながら、和俊の目の前にそびえ立つ、一軒家を指さす。
「前から、ここは隠れ家とかにいいなって、思ってたんだよ」
和俊は目の前にある物件に目をやる。確かに、周辺に人の気配は無く、道路も近くに無い為、誰かに見られる心配も少ない。日もあまり差し込まない為、湿度がこの周辺だけ、異様に高い感覚がある。
黒塗りの門扉の真ん中には、大きな文字で空き物件の印字がされている。しかし、かなり年月が経っているせいか、もうほとんど判別が出来ない程に、印字は茶色くかすれていた。
「けど、空き家だよね。入っていいの?」
「だいぶボロっちいから、誰か入っても何も言われないよ」
「そうかな……」
怯えと憔悴しきった表情で、紘一のほうを見やる。紘一はそんな和俊の表情を見ても、笑顔を絶やさず、勇ましい足取りで、空き家の周辺を探索し始めた。
空き家は二階建てではあるものの、外から見ても、すでに廃墟と化している事は、子供の眼から見ても明らかであった。
ボロボロになった外壁。門扉も錆がひどい為、素手で触る事に嫌悪感を抱く。試しに、門扉が開かないか、紘一が両手で引っ張ったり、押したりしていたが、びくともしなかった。
空き家の周辺には、取り囲むように、高さ約二メートルはある木製の塀が立てられていた。取り囲んでいる塀を、じっくりと見てまわる。
一か所だけ、塀の剥がれた場所を見つけた。
木製である為か、長い年月のせいで劣化し、剥がれたと思われる。子供一人なら、くぐって中に侵入出来そうな大きさである。
「ラッキー!早く、入ろうぜ」
剥がれた場所を見つけた途端、口笛を吹いて紘一は眼を輝かせる。もちろん、周りには和俊しかいない為、他に止める人はいない。
和俊は長い溜息を吐くと、
「分かったよ。一緒に行くよ」
諦めた表情で答えると、すでに塀をくぐり始めていた、紘一の後に続いた。
くぐり抜け、立ち上がると、庭と思われる場所に行き当たった。草は自分達の背丈ほどにまで、生い茂っており、コバエや蚊が近づく音が大きくなる。
たまらず何度も両手で虫を払いのける。和俊のその行為を眼に止めず、紘一は草を掻き分けると、一階の窓の割れた部分へと手を伸ばし、内側から鍵を開けた。
窓は簡単にスライドし、室内へ入り込む事が出来た。容易に侵入が成功した為、この行為が犯罪に結び付くとは思えない程。
「うわ……きったね」
「埃もひどいね」
床には所々、穴が開いていた。更に、夏の暑さがこもっており、汗がとめどなく流れ落ちる。外のほうがまだ涼しいと思えた。
歩くたびに埃が舞う。二人は口元を手で覆いながら、部屋を見て歩いた。
空き家の為か、家具や家電が一切無く、むき出しになったフローリングが埃をかぶっているだけ。
子供が興味を引きそうな、不気味な物体や壁のシミ等はどこにも見受けられなかった。
だが、二階までの階段を上り、ある部屋のドアを開けた瞬間、二人は息を呑んだ。
その部屋だけ、異様に綺麗であったからだ。
床には埃が全く無く、心なしか空気も悪くない。窓も割れておらず、鍵を開け、スライドしてみると、爽やかな風が二人の頬を撫でた。とても、居心地の良い空間だと思えた。
「この部屋いいな!今度から、ここで遊ぼう」
「けど、勝手に入っていいのかな。怒られないかな」
「大丈夫だろ。ここら辺、すごく人が少ないし、くぐってる所見られないなら、ばれないだろ」
「うーん。そうかな」
和俊はこの部屋の異常さに気付いてはいたが、あえてそこは指摘しない事にした。公園で本を読むよりも、この部屋で一人でゆっくり読めるなら、本望である。
「じゃあ、今度から、ここで遊ぼう。俺、この部屋気に入ったから、漫画とか持ってこよう」
「僕も、本持ってこよう」
二人は頷き合うと、誰にも見つからないように空き家を後にした。
一週間後
「カズ!今日もあそこに行くぞ」
「そんな大声で言ったらばれちゃうよ」
「大丈夫だって!ちゃんと周り、見張ってるからさ」
二人にとっては、あの部屋で遊ぶ事は最早日課になりつつあった。塀さえくぐってしまえば、周りの眼を気にせず部屋の中で遊べる。
部屋の中は、二人の持ち込んだ漫画や本が沢山置かれていた。今日も、数冊お互いに持ち込む予定だ。
空き家までの道のりを歩く。今日も夕日が首や背中を照り付けて暑い。けれど、あの部屋に入れば、不思議と体温が下がっていく事を実感していた。
塀をくぐろうと、地面に膝をつこうとした瞬間、後ろから声をかけられた。
「ちょっといいかな?」
二人は驚いて振り向く。腰に警棒と携えた一人の警察官と視線が合った。表情は穏やかであるが、空き家へは入らせないという気配が隠し切れていない。
和俊は警官の姿を見て、愕然とした。
(しまった。やっぱり誰か見ていたんだ。どうしよう)
紘一は警官に対して、ふてくした態度を取り続けていた。
警官は優しい声音で、笑顔を絶やさずに二人に質問する。
「三日前ぐらいから、子供が空き家に入るのを見たって言われたんだ。大体、夕方頃に、塀をくぐってるって、近所の方が言われててね」
「何だよ。空き家だから、別に入ってもいいじゃんかよ」
「うん。その気持ちは分かるけど、この家は近々取り壊す予定がある程、とても古い建物でね。もしかしたら、怪我をしていたかもしれないよ」
紘一は反発を続ける。和俊は怯えきり、何度も謝り続けていた。しかし、警官の次の言葉に二人は眼を丸くする。
「いつも、三人が塀をくぐっていたって、言われたけど、もう一人はどこかな?二人の後ろにいつも付いて行ってたと言われたよ」
二人は押し黙る。そんな人物いるはずが無い。警官が嘘をついているようにしか思えなかった。
「あれ?どうしたのかな?あっ!あの子かな……おーい!こっちへおいで」
警官は二人を交互に見やっていたが、視線を二人の向こう側、歩道の先へと向け、手を振った。
二人は振り返る事が出来なかった。状況を把握する事が出来ない。和俊は考えた。
自分達以外に、もう一人いた?そんな馬鹿な。では、あの部屋は自分達以外に、先に使っていた人物の……
そこまで考えた思考が中断する。排水溝から引き上げられた物体のように、腐った臭いが鼻をついたからだ。
どんどん、臭いは強烈になる。心臓が跳ね上がる。手を振っていた、警官の顔も蒼白になっていった。
臭いの元が、二人のすぐ後ろ、丁度真ん中に位置する場所にいる事は、すぐに分かった。
あまりにも、ひどい臭いに鼻がもげそうだ。
二人の間を掻き分けるように、第三者の両腕が真っ直ぐに伸ばされる。
二人は見てしまった。肉はただれ落ち、骨がうっすらと見える。指先には、うじのような物も湧いていた。
目の前にいた、警官はとっくに逃げ出していた。自分達は、足が歩道にへばりついたかのように動き出せないでいる。
うじをぼとぼとと、落としながら、二人の肩を叩く。背後からこの世の者とは思えない、声が響いてきた。
「今まで、僕と一緒に遊んでくれてありがとう。これからも、よろしくね」
日はとっくに落ちており、気温も下がっていた。しかし、二人はとめどなく溢れる汗を拭う事が出来ない。
自分達の意思とは反発し、震える足取りで、また、遊び場へと向かって行った。