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ロストハートガーディアン

作者: 平泉いばら

「レオリア様ぁ、ちょっと待ってくださーい!」


 鬱蒼と茂る森の中、少年は、主である少女の後を追っていた。きっちりと揃えられたおかっぱ頭が幼さを強調しており、きょろきょろと不安そうに辺りを窺う瞳からは、いかにも気が弱そうな印象を受ける。

 少年は、つい最近、少女の付き人になったばかりであった。


「レオリア様、どこですかぁ?」


 村長の娘であり、村の巫女でもあるレオリアは、良く言えば天真爛漫。悪く言えば自分勝手な性格だった。そのため、同い年くらいの少年は、レオリアの恰好の悪戯の標的にされてしまっていた。

 少年は途方に暮れて立ち尽くす。木漏れ日が射しているとはいえ、森はうっすらと暗くて見通しが悪い。子供ぐらいの大きさのものが物陰に隠れてしまえば、探し出すのは容易ではなかった。

 少年から少し離れた場所で、大きな木の根元の茂みが、ガサガサと揺れた。茂みの中から愉快そうな囁き声が漏れてくる。


「うふふ。探してる、探してる」


 困り果てる少年を茂みの中から覗き見て、レオリアは楽しそうに笑みをこぼした。


「あいつが悪いんだから。もっと困ればいいのよ」


 そう言うとレオリアは、ちょっぴり意地悪そうな表情になる。

 レオリアだって、初対面の時から意地悪をしようと思っていた訳ではない。最初は、同世代の友達ができた事が嬉しくて、一緒に遊ぼうとしただけなのだ。


「それなのに、あいつってば妙によそよそしいし、説教っぽくて気に食わないのよ。『自分は、レオリア様をお守りする立場ですから、一緒には遊べません』ですって? 失礼しちゃうわ」


 レオリアは頬を膨らませて遺憾の意を顕わにした。


「そう言えば、あいつ、名前は何て言ったかしら? ううん、興味無かったから思い出せないわ。まあ、あんな堅物の名前なんか、覚える必要もないわよね!」


 ブツブツと一通りの悪態をつくが、急に真顔に戻り、レオリアは溜息を吐いた。

 本当は、このむしゃくしゃした気持ちの原因が、少年のせいでないのは自分でも分かっていた。本当の理由は、父親である村長と、占い師のおばばの話を聞いてしまったからなのだ。

 レオリアは朝の出来事を思い出し、もう一度、大きく頬を膨らませた。




 その日の朝、レオリアは荘厳な石造りの神殿で一人、静寂に耳を傾けていた。張り詰めた空気を肌で感じ、森羅万象の意思を汲み上げる。それが巫女としての彼女に課せられた使命であった。

 祭壇には朝もやを通り抜けた柔らかな光が射し込み、涼やかな空気が心地よい。

 レオリアは瞳を閉じて石畳に両膝を着く。全神経を外界に向けながら、雑念を消し去って頭の中をからっぽにする。

 辺りからは物音ひとつ聞こえない。

 そのままの姿勢で約十分。

 レオリアはゆっくりと目を開き、天を仰いだ。


「んんんんー。やっぱり分かんない……」


 教わった通りにやっているはずなのに、世界の意思なんてものは、これっぽっちも感じられない。からっぽの頭に思い浮かぶのは、今朝の朝食のメニュー候補ぐらいだった。


「分からないものは分からないんだから、仕方ないじゃない!」


 レオリアは誰にともなく怒りだす。


「て言うか、世界の意思って何? 意味が分からないんだけど!」


 先代の巫女や、占い師のおばばには、溢れんばかりの才能が有ると言われているのに、自分では全く実感できないのが何ともじれったかった。

 その時、レオリアのお腹がグーっと鳴る。


「あーもう! おなか空いた!」


 もはや、何に対して怒っているのかさえも分からなくなってしまう。


「ふー。ま、いいわ。今日はもう終わりっと」


 癇癪を撒き散らすだけ撒き散らしてすっきりしたのか、レオリアはころりと普段の口調に戻り、神殿を出ようと出入口に向かう。と、扉越しに、なにやら話し声が聞こえてくる。

 レオリアは思わず立ち止まり、扉に耳を押し当てた。


『やはり、余命わずかなのは間違いないか……』


 これは、村長であるレオリアの父親の声だ。


『そうじゃ。あの子は死神に狙われておる。このままでは十日と経たずに連れて行かれてしまうよ』


 話している相手は、占い師のおばばらしい。


『冥界の女王ヘルに目を付けられるとは……。我が娘ながら、なんとも運が悪い……』


 村長の口調は重い。そんな村長を諌めるように、おばばは語気を強めた。


『あんたが気を落としてどうするのさ。まだ諦めるのは早い。なにか方法があるはずだよ』


 盗み聞きしていたレオリアは、目を丸くした。

 どうやら話題の中心はレオリアのようだが、冥界の女王に狙われているとはどういう事だろうか。状況を理解できないレオリアは更に耳を澄ますが、話はそれで終わりらしく、それっきり声は途絶えてしまった。

 レオリアは仕方なく扉から耳を離し、「おっほん!」と、わざとらしい咳払いをしてから、重い神殿の扉を押し広げたのだった。





「レオリア様ぁ」


 今朝の出来事を思い出していたレオリアは、自分を探している少年の、泣きそうな声で我に返った。

 そんな事があって何だかモヤモヤしていたせいで、ついつい意地悪をしてしまったのだ。レオリアはちょっぴり反省をする。


「でもまだ、出て行ってあげないけどね!」


 レオリアは小悪魔じみた笑みを浮かべ、ふふんと鼻を鳴らす。

 茂みの葉の隙間からは空が覗いている。昼下がりの空はどこまでも高く、雲ひとつ無い青一色が広がっていた。

 神殿の裏の森は、驚くほど静まりかえっていた。時折吹く風が優しく枝を揺らすが、木の葉のざわめきは耳に心地よく、音というよりも、自然の一部として常にそこに在るものでしかない。何も考えずにボーっとしていると、自分もその森の一部になった様な、不思議な一体感を覚える。

 どれ程の時間が経っただろうか。気が付くと、レオリアを探す少年の声が聞こえなくなっていた。もしかしたら、探すのを諦めて村に帰ってしまったのかもしれない。


「ちょっと、ちょっと! なんで勝手に探すの止めてるのよ!」


 レオリアは茂みから這い出すと、文句を言うために少年を探す。


「……あれ?」


 だがそこで、レオリアは首を傾げた。

 改めて周囲を見回し、奇妙な違和感を感じたのだ。森がいつもより深い気がする。レオリアの知っている森は、自然の形を残しながらも、それなりに人の手が入っており、整然とした美しさがあった。だが、今、目の前に立ち並ぶ木々は、各々が奔放に枝を伸ばし、雑然と重なり合っている。

 レオリアは何だか恐ろしくなり、何歩か後ずさりすると、慌てて村へと帰る道を戻り始める。

 胸騒ぎが歩調を早めさせ、少女は、半ば駆けるように村へと急ぐ。

 しかし、やはりおかしい。通い慣れているはずの道には雑草が生い茂り、木の根が張り出して歩き難い。それに加えて、村の方からは全く人の気配が感じられなかった。

 まるで、見知らぬ土地で迷子になったかの様な不安が、彼女を襲う。

 何かの間違いであって欲しい。自分の勘違いであって欲しい。そう思う気持ちとは裏腹に、嫌な予感はどんどん大きくなってゆく。

 森を抜け、村の大広場に辿り着くと、レオリアは目の前に広がる光景に息を呑んだ。

 つい先程までピカピカに磨きぬかれていた大理石の柱は、ひび割れ、端々が欠けており、中には折れて倒れているものまである。建物の壁には苔が生え、蔦が絡まり、まるで何十年もの間放置されているかのようであった。


「なに? なんなの?」


 レオリアは戸惑いを隠せない。

 廃墟の様になってしまった村の様子もさることながら、何よりも奇妙なのは、人が全く居ない事であった。その代わり、と言って良いのだろうか。村のそこかしこに人の形をした石像が置かれていた。まるで、生きているかのように精巧で緻密な像なのだが、その顔は一貫して無表情であった。

 レオリアは、ふらふらと彷徨い歩く。

 かつては石畳が整然と敷き詰められていた道も、僅かな石の隙間から雑草が顔を出し、もはや道として機能しているかどうかも怪しい。途中で何件もの民家を覗いたが、どの家にも無表情な石像が在るだけで、生活感は一切感じられなかった。

 それでも一縷の望みに掛けて、村の端から端まで歩き回る。

 しかし、どこにも人間は見つからない。ほんの数時間の間に何があったというのだろうか。村は全くの廃墟となってしまっていた。

 仕方なく大広場に引き返すが、レオリアの足取りは重い。

 広場の中央には水の枯れた噴水があり、その中心には見た事の無い美しい女性の像が立っていた。また、噴水の縁には髪の長い男の石像が片膝を抱えて座っている。男の石像は立てた膝に頭を置き、眠っているかのように目を瞑っていた。

 レオリアは噴水の縁に腰を下ろし、男の石像に、力無く背中を預ける。歩き過ぎて足が痛む。今まで気を張って頑張っていたが、その気力も限界に近い。

 これからどうしようかと、レオリアは考えを巡らせる。しかし、どうすれば良いのか分からない。分からなくて、涙が溢れてくる。


「うっ……うぅ……」


 レオリアは嗚咽の声を漏らした。

 いくら気が強くても、所詮は年端の行かぬ少女。悲しみを押し込めることができなかった。

 と、その時、レオリアの寄り掛かっていた石像が姿勢を変える。


「きゃっ!!」


 突然の事に、レオリアは驚きの悲鳴をあげる。慌てて立ち上がり、距離を取る為に大きく飛び退いた。

 男の石像の表面を覆っていた砂がぼろぼろと崩れ落ち、その下から土気色をした肌が現われる。男はゆっくりと目を開いて、寝ぼけているのか何度かまばたきをする。そして、顔をレオリアに向けて値踏みするようにじーっと見詰めると、気怠そうに口を開いた。


「なんだぁ? いつもの奴等かと思ったら、ただのガキかよ。まったく、目が覚めちまったじゃねえか」


 それが、レオリアとサイファーの出会いであった。






 サイファーが髪を掻き上げると、癖の強い長髪から砂埃が舞い上がる。埃が落ちると、灰色に見えた髪が、実は黒だというのが分かる。きっと長い間、太陽や雨風に晒されていたのだろう。ぼさぼさで、お世辞にも手入れが行き届いているとは言いがたい。

 レオリアは茫然と成り行きを見守る。先程まで泣いていた目は赤味を残しているものの、びっくりしたお陰か、いつの間にか涙は止まっていた。

 サイファーは、レオリアの事をさして気にする様子もなく、全身のストレッチを始める。身体を動かす度にパキパキと骨の鳴る音がして、全身に張り付いていた砂がはがれ落ちる。サイファー本人は「目が覚めた」と言っていたが、一日二日程度で、これ程の砂が積もるとは思えない。サイファーの発言が本当なら、少なくとも数カ月以上の間、同じ格好で寝ていたという事になる。

 レオリアの中で、少しずつ、サイファーに対する興味が大きくなってゆく。レオリアは改めて、上から下までサイファーを観察した。

 百八十センチはある長身に、筋骨隆々のたくましい体付き。年齢は二十代後半ぐらいだろうか。顔立ちは美男と形容するのに十分なほど整っている。だたし、彫りが深い上に無精髭を蓄えているので、野性的な印象を受けた。身に着けている衣服は薄汚れていたが、生地自体は上質で、元々は立派な衣装だった事を窺わせた。


「ねえ……」


 恐る恐るレオリアが声を掛ける。しかし、緊張で声が掠れてしまったせいか、サイファーは反応しない。


「ねえってば」


 レオリアはもう一度呼びかける。今度は、はっきりと声が出せた。だが、聞こえなかったのだろうか。やはりサイファーは、レオリアを見ようともせずに、ストレッチを続けていた。


「ちょっと! 少しは私の事を気にしなさいよ!」


 むっとしたレオリアが大声を出すと、サイファーはようやくレオリアに目を向け、面倒そうに口を開く。


「ああ? お前、まだ居たのか」


 レオリアの中で、ぷっちーんと、何かが切れる音が聞こえた。

 それがこめかみの血管なのか、それとも堪忍袋の緒なのかは定かではないが、途端に今まで溜め込んできた感情が溢れ出す。


「そんな言い方って無いでしょ! こっちは突然村が変になっちゃって泣きそうなぐらい心細いってのに何なのその態度? 女の子が一人で心配そうにしていたら安心させるのが男としての甲斐性でしょ! 自分は無関係です、みたいな顔しちゃってるけど、大人として恥ずかしくないの!?」


 レオリアは息継ぎを忘れるぐらい一気にまくし立てたが、まだ言い足りずに、更に大きく息を吸い込む。


「大体、あんたは誰なの? 村がおかしくなったのも、あんたのせいなんでしょ? だとしたら許さない! 絶対に許さないから!」


 興奮して詰め寄る姿に気圧されたのか、サイファーはうんざりした表情で溜息混じりに少女をたしなめる。


「あー、分かった分かった。答えてやるから少し落ち付けって」


 そう言いながら、レオリアの頭を手の平でポンポンと叩いた。

 しかし、そう簡単に興奮が収まるはずもない。レオリアはうーうー唸って不機嫌を主張する。


「いいから早く答えなさい! この村は一体どうなっちゃったの!?」


 サイファーは、落ち着きの無い少女を珍しそうに見詰めて、それから事もなげに答えた。


「どうなったも何も、ずっと前からこんな感じだったと思うが?」


 しかし、レオリアがその答えに満足するはずがない。


「そんな訳ない! ついさっきまでは、みんな普通だったもの。急に人が居なくなるなんておかしいわ!」


 レオリアの抗議に、サイファーは不思議そうに首を傾げる。


「はあ? 何言ってるんだよ。人ならそこらじゅうに居るじゃねぇか」


 だが、辺りを見回す彼の視線の先に在るのは、人間の形をした石像のみ。

 レオリアは「ふざけないで」と言いかけ、そのまま口をつぐむ。レオリアの脳裏に、今まで意識的に避けていた考えがよぎったからだ。たとえ本当だとしても、どうしても受け入れられない可能性。レオリアは自分の想像に動揺し、視線をサイファーから逸らす。

 しかし、そんなレオリアに追い打ちするように、サイファーの無慈悲な言葉が浴びせられた。


「あれは、永遠の命を持った人間だぜ」


 レオリアは、両手の拳をギュッと握り、唇を噛み締める。否定の言葉を言い返せないのは、サイファーの言っている事が嘘ではないと、薄々感づいていたからだ。

 村を見回った時に見かけた石像の多くは、レオリアの知らない顔だった。子供の像は一つもなく、二十代から三十代と思われる姿の像が多かった。しかし、老人の姿をしている像の中には、レオリアの知っている人に似た顔もあった。

 だから、もしかして、という予感はあったのだ。

 ただ、どうしても認めたく無かったのだ。

 レオリアは言葉を失ったまま、ただただ、立ち尽くす事しか出来なかった。





 レオリアが茫然自失している中。

 サイファーが、村の外れに顔を向け、眼光鋭く目を細める。

 気が付けば、傾きかけた太陽が西の空を茜色に染め上げ、辺りには暗闇の帳が降りてきていた。

 生温く湿った風が、広場を通り抜ける。

 チリーン、チリーンと、どこからともなくベルの鳴る音が聞こえてきた。


「今度こそ、待ち人来たる、か……」


 サイファーが、今までの飄々とした態度を一変し、真剣な面持ちになる。どこから取り出したのか、その手には見事に宝飾された剣が握られていた。

 サイファーは、レオリアを一瞥して声を掛ける。


「おい。いつまでも突っ立ってないで、お前は何処かに隠れてな」


 しかしレオリアは、意味が分からずにきょとんとした表情をしている。


「え? なに? どうかしたの?」

「だから隠れてろって……チッ、もう遅いか」


 サイファーは苛立たしそうに舌打ちをした。

 広場に黒い霧が流れ込んでくる。それはまるで、意思を持っているかのように一ヶ所に集まり、次第に色濃くなってゆく。


「下がってな」


 サイファーが短く指示をすると、さすがにレオリアも事態を察し、噴水の後ろに回り込んで姿勢を低くした。

 黒い霧はその間にも密度を高め、いつしかはっきりと人の姿をかたどっていた。先の尖ったフードを目深にかぶり、片手には大きな鎌を、もう片手にはハンドベルを持っている。フードの下から僅かに覗く皮膚は、干し肉の様にカラカラに干からびていた。

 チリーン。

 フードの男がベルを振ると、繊細だが、よく通る音が鳴り響く。


「ごきげんよう、皆さん」


 男は慇懃に頭を下げた。


「おや? 今日は新しい人が居ますね。初めましてお嬢さん、私は冥界の国のカロン。魂を運ぶ、しがない運び屋でございます」


 それを聞き、サイファーがフンッと鼻を鳴らす。


「てめえの自己紹介なんざ誰も聞いてねえよ。しっかしお前も、懲りない奴だな」


 サイファーは手に持った剣を、カロンに対して真っ直ぐに突き付けた。しかしカロンには、全く怯む様子が無い。


「ほほほ。私も早くその剣を持ち帰らないと、ヘル様からお叱りを受けてしまいますので」


 カロンはそう言いながら、手に持った鎌をゆらゆらと揺らす。


「はっ! 御託はいいから、さっさとかかってきな!」


 サイファーが大きく剣を振りかぶり、地面を蹴る。

 ギィンと、耳障りな音を立てて剣と鎌がぶつかり合い、火花を散らす。

 カロンの動きは変幻自在。ヒラリヒラリと剣戟をかわしながら、霧に紛れて消えたかと思えば、在らぬ所から姿を現して鎌を振るう。

 それに対し、サイファーの動きは直線的。とにかく速く、力強く、相手の懐に飛び込み、最短の軌跡を描いて剣を打ち込む。

 お互いの技量は互角か、ややもすれば、サイファーの方が僅かに上回っていた。

 次第に受け手一方になるカロンから、先程までの余裕が消える。


「くぅ、さすがは四百年の間、一人で村を守ってきただけのことはありますね」


 唸るようなカロンの言葉が、レオリアの注意を引く。四百年とはどういう事だろうか。


「おいおい、無駄な事をしゃべっている余裕があるのか?」


 サイファーの鋭い攻撃が、カロンの脇をかすめる。切り付けられた所から黒い霧が吹き出し、風に吹かれて散ってゆく。


「ぐぅ。やはり、あなたを倒すには、まだ時期尚早ですか。でもね……」


 そう言うと、カロンはすぅっと霧に溶け込んでゆく。


「そちらのお嬢さんはどうでしょうか……」


 霧が、噴水の反対側に居るレオリアの周りに集まってゆく。


「ちぃ、間に合わねぇ!」


 サイファーはそう言うと、剣を飾る宝石の中で、一番大ぶりな赤い宝石に手をかけた。


「おい、受け取れ!」


 そして宝石を外すと、レオリアに向かって勢いよく投げつける。


「えっ、えっ?」


 レオリアが、訳も分からず慌てて宝石を受け止めると、その直後、レオリアの背後にカロンが姿を現した。


「お逝きなさい!」


 カロンは天高く掲げた鎌を、真っ直ぐレオリアに振り下ろす。


「きゃあ!」


 レオリアが、小さく悲鳴を上げた。

 絶対に避けられないタイミングの、命を刈り取る一撃。

 だがその瞬間、レオリアの持つ宝石が眩い光を解き放つ。

 バチンという音と共に目に見えない力に弾かれた鎌は、カロンの手を離れて遠くに落ち、そのまま地面に溶けて消えてゆく。尚も光を放ち続ける宝石が更に輝きを増すと、カロンは苦しそうに呻き声を漏らした。


「うぉぉぉ、まだ、心を持った人間が残っていたとは……。早くヘル様に報告せねば……」


 カロンの姿が光によって掻き消されてゆく。苦悶の表情を浮かべながら徐々に姿は薄くなり、最後には風に吹かれて霧散していった。

 同時に宝石も光を収める。


「ふぅ……」


 レオリアが、全身から力を抜いて溜息を吐く。そこへ、剣を肩に担いだサイファーが近づいてくる。


「大丈夫か?」


 サイファーは、大して心配してる風もなく、レオリアの無事を確認した。


「う、うん」


 レオリアは、現実に理解が追いついていないのか、戸惑いがちに返事をする。そして、手に持っている宝石をサイファーに差し出した。しかし、サイファーは受け取ろうとしない。


「ああ、それはもう俺には必要の無いものだ。お前が持ってろ」

「……いいの? 大切な物じゃないの?」


 聞き返したレオリアの言葉に、サイファーは少し困ったような表情を浮かべた。


「ま、大切と言えば大切な物だったな。もっとも、大事な時にはいつも手元に無い宝石だったが」


 不思議そうな顔をするレオリアから、サイファーは目を逸らす。


「何故か落としちまうんだよなぁ。暖炉の裏とか、森の中とか」


 サイファーは自嘲するようにフンと鼻を鳴らした。


「どっちにしろ、その石はもう俺には使えない。それに……」


 そう言って、レオリアの顔をまじまじと見詰める。


「な、なによ?」


 急に顔を覗きこまれ、レオリアは思わず顔を赤らめた。


「なんとなく、似ている気がする」


 ボソッと呟いたその声は囁くように小さくて、レオリアには聞き取る事が出来なかった。


「えっ、なに?」


 レオリアは聞き返してみたが、サイファーは照れ臭そうにそっぽを向くと、それっきり口を閉ざしてしまった。

 それ以上は踏み込めない雰囲気に、レオリアは、手に持つ宝石をギュッと握り締める。

 太陽が地平線に身を隠し、空には星も瞬き始めている。普段なら、そろそろ窓に明かりが灯り、煙突から煙が立ち上る時間だ。しかし当然ながら、どの家からもそんな気配はしてこない。

 ふと思い出したように、サイファーがレオリアに向き直る。


「そう言えばお前、なんで村がこんな風になったかって聞いてたな?」


 こくん、と頷くレオリアを見て、サイファーもゆっくりと首を縦に振る。


「ふむ。それじゃあ、昔話をしてやろう」






 パチパチと生木の弾ける音をさせながら、焚き火が辺りを照らしていた。

 広場を通り抜ける風に肌寒さを覚え、レオリアは襟元を寄せて火に近づく。

 ふとサイファーに目を向けると、彼はぼんやりと炎を眺めていた。


「もう、ずっと昔の事なんだがな。この村には一人のお姫様が居たんだ」


 ゆっくりとした語り口で、サイファーが話し始める。

 どこか寂しいような、懐かしむような、そんな口調だった。


「お姫様?」


 レオリアは、思わず口を挟んでしまう。この村にお姫様が居たなんて話は初耳だ。王制だった事があったのだろうか。


「んー、いや、喩えの話だ。俺にとってお姫様みたいな人、とでも思ってくれ」

「うん。分かった」


 レオリアは、素直に頷く。


「そのお姫様は、ある時、邪悪な魔女に命を狙われてしまったんだ。お姫様の周りの者たちは、そりゃあ慌てふためいた。魔女は強大な力を持っていて、逆らう事など出来やしない。だが、姫を見殺しにする事も、もちろん出来ない。困った者たちは、いっそのこと魔女と交渉しようと考えたんだ」


 サイファーは一旦言葉を切る。

 手にしていた宝飾剣は、どこに隠したのか、いつの間にか見当たらない。代わりに、細い木の枝を弄んでいた。


「交渉は順調だった。こちらの提案に、魔女はあっさりと乗ってきてくれたよ。魔女は姫の命を助ける代償として村人全員の心を要求した。しかも同時に、この村の住人全員に永遠の命を約束してくれたんだ」


 サイファーは話しながら、どこか遠くを見詰めていた。

 どんな心境なのだろう。その表情からは読み取ることができない。


「それから百年は、平和な日々だった。飢えもしなければ、病気にならず、誰一人として命を落とさない。若い者は肉体の最盛期で成長を止め、老いた者はそれ以上歳をとらなくなった。次第に感情を失い、心を動かされる事がなくなっても、それなりに平穏な暮らしが続いたよ。次の百年は惰性の日々だった。恋をする事もなければ、喧嘩をする事も無い。誰もが必死に生きる事を忘れ、ただただ、なんとなく毎日を過ごしていた。更に次の百年は苦痛の日々だった。生きる事に意味を失い、何も感じなくなっては、もはや死んでいるのと変わらない。人々は生きる事に疲れ果て、自ら石になる事を選んだ」


 サイファーは周囲の石像一つ一つに目を向けてから、大きく両腕を広げた。


「そしてこれが、この村のなれの果てだ。皆が石になってから百年、俺だけが一人で、この村を護っている」


 レオリアは、サイファーの話を否定するかのように頭を横に振る。サイファーが何を言っているのか分からなかった。いや、頭では理解している。でも、とてもじゃないが、全てを信じる気にはなれなかった。


「どういう事? みんな、死んだって事なの?」

「いや、生きてるさ。生理的にはな。だが、もう彼らは何も感じないし、何も考えない。文字通り、生きてるだけの存在だ」


 それを聞いて、レオリアの中で抑えつけられていた感情が、一気に吹き出した。


「そんなの、そんなのおかしいわ! 生きるって、もっと嬉しくて、キラキラと輝いていて、楽しい事のはずよ! 毎日笑って、話して、そういうのが生きるって事でしょう?」


 嫌だ。何も感じないなんて嫌だ。何も考えないなんて嫌だ。世間知らずな子供の、ただの我がままかもしれない。でも、私は認めない。そんなの絶対に違う。

 レオリアの主張に、サイファーも大きく頷く。


「ああ、そうだ。心の力は魂の力。色々と感じるからこそ、人は生きていると実感できるんだ。それに、心を失った人々は魔女に抵抗することが出来ない。四百年なんて、奴等にしてみればほんの一時。なんの事は無い。奴等はただ待つだけで、村人全員の魂を易々と手に入れられるようになったのさ」


 サイファーは天を仰いで息を吐く。過ぎし日の記憶に、想いを馳せるように。長く長く、ゆっくりと。


「この数百年間、俺は自分を責め続けた。どうしてあんな契約を結ばせてしまったのかって。でも、気付いた時には遅かった。一度結んだ契約はどうやっても反故には出来なかった。だから、せめて俺の心が残っているうちは、この村を守り続ける。それが、ただの時間稼ぎに過ぎないとしてもな」


 穏やかな口調だったが、そこには内に秘めた信念と、悲壮なまでの決意があった。

 それなのに、その行き着く先に待っているのは、緩やかな絶望だけ。

 その事実が悲しくて、レオリアは思わず涙ぐんでしまう。

 すると、レオリアの様子に気付いたサイファーが、彼女の顔を覗き込んだ。


「どうした? 泣いているのか?」

「そうよ! 悪い!?」


 悲しむ顔を見せまいと、レオリアは大声で誤魔化す。信念を持って行動している相手を可哀そうだと憐れむなんて、失礼でしかないと思ったのだ。

 サイファーは少女の頭にポンと手を置く。


「いや、悪くなんてないさ。むしろ、うらやましいぐらいだ。それこそが正しい心の在り方。楽しい事があれば笑い、悲しい事があれば泣く。それでいいんだ」


 頭に置かれた大きな手の平から、温もりと優しさが伝わってくる。レオリアが目を瞑ると、目尻から涙がこぼれた。


「そうね……。でも、悲しいのは嫌いだわ」


 その言葉に、サイファーは穏やかに微笑む。


「そうだな。じゃあ、悲しいことが一つあったら、楽しい事を二つ探せばいい。下を向いていたら嫌なことしか目に入らないぞ。上を向いて周りを見渡せば、きっと嬉しい事だってあるはずだ」


 レオリアは、コクンと頷く。


「いい子だ。それでも、どうしようもなく苦しい事にぶち当たって、悩んでも悩んでもどうしようもなくなったらな」

「うん」

「誰でもいいから、誰かに助けてもらえ。その代わり、お前の周りの奴が苦しんでいたら、お前が助けてやるんだ」

「ええ、当然よ!」


 先程までの暗い表情は何処へ消えたのか、答えるレオリアの顔は希望に満ち溢れていた。

 サイファーはレオリアの髪の毛を、わしゃわしゃとかき混ぜる。


「はは。良い返事だ。ま、それでもどうしようもない事もあるかもしれないがな。その時はその時。なるようになれ、だ」


 レオリアはサイファーの手を鬱陶しそうに払い除け、乱れた髪の毛を撫で付ける。


「そんなの平気よ。私は諦めないもの。もがいて、もがいて、何が何でもやり遂げてやるわ。だって、生きるってそういうことでしょ?」


 そう言って、大輪の花の様な笑顔を浮かべる少女に、サイファーは目を細める。


「驚いた。本当に眩しいな。まるで太陽みたいだ……」


 レオリアは何を褒められたのか分からず、はにかんだ笑顔を浮かべていた。が、急に真顔になって、僅かに首を傾げる。


「ねえ、一つ教えて欲しいんだけど。どうして、あなただけは石像にならなかったの?」

「ああ、それは……」


 サイファーは、また、どこからともなく宝飾剣を取り出して手に持った。


「この剣のおかげだろうな。この剣が、魔女の力を抑えている。俺の家は代々、村の守人を務めてきた。この剣は俺の生まれるずっと前のご先祖様が、神から賜った退魔の剣なんだとさ」


 レオリアの見ている前で、すっと、宝飾剣が虚空に消える。


「ま、それももう限界かな。最近は俺も、感情が希薄になってきている……」


 サイファーは一瞬だけ、疲れ果てた表情を浮かべた。だが、直ぐに元の無表情に戻り、噴水の縁に深く腰掛けると、レオリアに顔を向ける。


「さぁて、俺はまた、しばらく眠ることにするよ。お前もそろそろ、自分の居場所に帰れ」


 しっしっと、追い払うように手を振り、いつまでもここに居るなと無言の視線を浴びせてくる。


「そこで寝るの? どうせなら家の中で寝ればいいのに」


 夜になれば外は寒い。レオリアは気を遣って勧める。

 しかしサイファーは、ゆっくりと首を横に振った。


「いいや。ここが俺の居場所だ」


 そう言って彼は、噴水の中央に佇む、美しい女性の像を眩しそうに見上げた。


「主を守りきれなかった、業深き守人のな……」


 サイファー、と名前を呼ぼうとして、レオリアは急に目眩を覚えた。くらくらと目が回り、目の前が真っ暗になったかと思うと、そのまま意識を失っていた。







「……リアさ……レオリ……」


 どこか遠くで、聞き覚えのある声が聞こえる。

 何処で聞いた声だろうか。まだ幼い少年の声だ。


「……オリア様! 起きてくださいってば!」


 徐々にはっきりと聞こえてくる声に、レオリアはぼんやりと目を開く。

 いつの間に寝ていたのだろう。レオリアは森の茂みの中でうつ伏せに寝転んでいた。

 ふと、直ぐ側に人の気配を感じて顔を上げると、茂みの中を心配そうに覗きこんでいる少年と目が合う。つい最近付き人になったばかりの、あの少年だ。


「よかった、気が付いた! 心配したんですよ」


 少年は、心底うれしそうな表情を浮かべて、レオリアに手を差し伸べる。


「……ありがとう」


 未だにボーっとした頭のままで、レオリアは少年の手を掴んで起き上がる。だが、一瞬だけ目眩がして、ふらっと体が流れた。


「うわっと、大丈夫ですか?」


 体を支えてくれた少年に笑顔を返し、レオリアは体に付いていた草を払い落す。


「それじゃあ、先に戻って報告しておきます。村長様が呼んでますので、急いで来てくださいね」


 そう言い残して駆けてゆく少年を見送りながら、レオリアは森の中を観察する。

 そこは、いつもの見慣れた森の中。村に続いているのも、いつもの見慣れた道だ。

 辺りは既に薄暗く、東の空から夕闇が迫って来ていた。


「夢……だったの?」


 それにしては、やけにはっきりと記憶に残っている。

 廃墟となった村。かつては人だった石像。そして、四百年の間、ただ一人で村を守り続ける守人。夢で片づけるには、余りに印象的な出来事だった。

 でも、それが何なのか、考えてみても今一つ理解できない。


「ま、いっか」


 諦めて村に向かおうとしたレオリアの視界に、きらりと光る物が映る。

 その場所を探してみると、草の中に紛れていたのは、燃えるように赤い、眩しく輝く宝石。サイファーに託された、あの宝石だった。


「夢、じゃない?」


 レオリアは宝石を拾い上げ、しっかりと握り締める。

 手の中の確かな感触を感じながら、レオリアは今度こそ、村に向かって歩き出した。






 レオリアが村に着くと、大広場は、大勢の人であふれていた。

 村長がレオリアを見つけて近づいてくる。


「おお、レオリアよ、遅いではないか。探したのだぞ」

「お父様、これは一体……?」


 噴水の周りに集められた人たちを見て、レオリアは困惑した表情を浮かべる。


「なあに、大した事じゃない。これからちょっと話し合いを行うだけだ。お前は側で見ていれば良い」


 レオリアは事情を聞き出そうと思ったが、それより先に、占い師のおばばが村長に声をかけてくる。


「村長よ、そろそろじゃ」


 村長は無言で頷くと、一歩前に進み出た。


「皆の者、聞いてくれ」


 ざわめいていた広場が、村長の話を聞こうと静まりかえる。


「既に説明してある通り、これより、巫女レオリアについて、冥界の女王ヘルと交渉を行う」


 村長は一旦言葉を切り、集まった人々の顔を見回してから、言葉を続けた。


「皆にはしっかりと、その証人になってもらいたい」


 冥界の女王との対話という非現実的な話を聞いても、村人にうろたえる様子は無かった。

 元々村長が信頼されているという事もあるが、それに加えて、きちんと事情を説明してあったのだろう。村人たちの表情には、むしろ一致団結した決意が見て取れた。

 村長は噴水の方に向き直ると、占い師のおばばに視線を送る。

 おばばは深く頷き、呪文を唱え始めた。


「黒き淀みの集まる場所、世界の澱の積りし国、冥界の果てに御す御方に申し上げ奉る。御身に捧げし七つの贄と引き換えに御姿を現し給え」


 噴水の前には、牛、豚、ヤギ、羊、鴨、鶏、鯉の死体が置かれ、噴水の周りに置かれたかがり火の明かりに照らされていた。

 おばばの呪文は更に続き、かがり火の炎が風も無いのに揺れ始める。呪文に合わせて揺れる炎は、やがて、一際明るく燃え上がる。

 同時に、噴水の中央に濃い暗闇が集まり、人の形を作り上げた。


「我を呼び出すは何者ぞ?」


 暗闇の人影が、低く響く声を発する。


「冥界の女王ヘルよ、そなたと、我が娘レオリアについて話し合いを行いたい」


 気圧されまいと歯を食いしばり、村長が負けじと大声を振り絞る。


「ほう、そこの娘の事をとな。その娘の魂は実に美しい。故に近々もらい受けに出向くつもりであったが、そちらから声がかかるとは有り難い」


 暗闇が、愉快そうにゆらゆらと揺れる。


「ヘルよ、レオリアはこの村にとって大事な巫女だ。どうか彼女の命だけは見逃して欲しい。その代わりに、わしの命なら喜んで差しだそう」

「ほほほっ。可笑しなことを言う。今にも死にそうな老いぼれの命など、一片の価値も無いわ。とはいえ、わざわざこうして交渉の場を持とうという気概は認めよう」


 ヘルの言葉が一旦途切れ、人影が僅かに首を傾げた。


「ふーむ、それでは、お前達全員の心ではどうだ?」

「心……だと?」

「そうだ。その代わり、と言っては何だが、お前達には永遠の命を約束しよう。どうだ? 悪い条件ではあるまい」


 おお、と村人たちにどよめきが起こる。

 永遠の命。それは甘美な響き。巫女の命が助かるだけではなく、自分たちまで永遠の命を手に入れられるとは、何と素晴しい条件ではないか。

 皆がお互いに顔を見合わせて、それならばと頷き合う。

 村長も、ヘルの申し出に納得をした様子で、満足そうな表情を浮かべていた。

 だが、ただ一人、レオリアだけはその条件に対して疑問を抱く。

 心を失って永遠の命を手に入れる。それは正に、サイファーから聞いた話そのものだった。

 サイファーは言っていた。心を失ってしまえば死んでいるのと変わりないと。その結果として訪れるのは、石像だらけの村。一人ぼっちの守人。

 そこでは、誰も話さず、誰も笑わず、誰も悲しまない。何一つ感じずに、ただ生きているだけの存在が在る場所。

 そんなの……そんなの間違っている。


「ちょっと待って!」


 溢れ出る感情を抑えられなくなり、レオリアは村長の前に跳び出した。


「心を失ってまでして命を永らえさせて、何になると言うの? そんなの、生きているとは言えないわ」

「我が娘、レオリアよ。何を言っておるのだ。皆はお前の事を思ってくれているのだぞ?」

「私は、そんな気遣いなら要らない!」


 戸惑う村長を、レオリアは強い視線で黙らせる。

 その様子を見て、今まで穏やかだったヘルの口調に苛立ちが現れた。


「小娘よ。そなたの命は残りもう僅か。直ぐにでも冥界に連れて行けるのだよ。その命を永遠に永らえさせてやろうと言っておるのだ。何の不満がある? なんなら、今ここで、そのか細い炎を消してやってもいいんだよ?」


 しかし、レオリアは毅然と、真っ直ぐにヘルを見据えて言い放つ。


「それでも私は、心と共に生きる道を選ぶわ。喩えそれが、残り僅かな命だとしてもね」


 レオリアは、自分の胸に手を当てて、サイファーの言葉を想い出す。


「生きるってのは、笑って、泣いて、楽しくて、悲しくて、もちろん嫌な事も一杯あるけど、それ以上に嬉しい事が沢山あって。悩んだり苦しんだりしても、助けたり助けられたりして乗り越えてゆく。そういうのを全部含めて生きるってことでしょう? あなたの言葉は、ただのまやかしだわ!」


 レオリアの言葉を聞いて、村人たちが沈黙する。だが、次第にポツリポツリと拍手が起こり、その音は次第に大きくなって、広場全体を呑み込んでゆく。


「下賤の者どもめ。情けを掛けてやろうと思えば付け上がりおって! 許さぬぞ!」


 拍手の音を掻き消すように、ビリビリと空気を震わせて、暗闇が吼える。

 もやもやとした闇の中心部に青白い稲光が生じる。何の知識も無い者にさえも、とてつもない魔力が渦巻いているのが見て取れた。


「後悔するがよい!」


 ヘルの左腕が槍のように尖り、突如、レオリアに向けて猛烈に伸びてゆく。それはまるで、意思を持った触手のように、自在に軌道を変えながら、レオリアの心臓へと突進した。

 もはやレオリアの命は助からない。

 誰もがそう考えた瞬間、闇の槍がレオリアに届くよりも早く、白刃の閃きが二人の間を切り払った。

 ギンッという甲高い音をさせて、光と闇がほとばしる。闇の槍はあらぬ方向に弾かれて、空中で霧散して消えていった。


「何? 何なの?」


 困惑するレオリアの視界に跳び込んできたのは、目の前に立つ者の背中。

 ヘルの攻撃を届かせまいと、一人の者が立ちはだかっていた。


「あんたは……」


 そう言ってレオリアは息を呑む。目の前に立っていたのは、付き人の少年だった。

 しかも、その手に握られているのは、見紛うべくも無き、あの宝飾剣。四百年の長きに渡り村を守る事になるその剣は、闇からの攻撃を弾き飛ばし、その存在感だけでヘルからの追撃を抑え込んでいた。


「レオリア様、お下がりください!」


 少年は、ヘルを見据えたまま、そう告げる。


「ぐぬぅ、その剣は……」


 ヘルは少年の持つ剣を睨み付け、悔しそうに低い声で唸る。が、何かに気付いたのか、突然笑い声を上げ始めた。


「くっくっくっ。大層な剣を持ち出してきたかと思えば、なんだい。不完全じゃないか」


 そう。少年の持つ宝飾剣からは、本来在るはずの大きな宝石が外されていた。それを指摘され、少年は唇を噛む。

 ヘルは、愉快そうに少年を揶揄した。


「そこには心の力を増幅する宝石、ブリーシンガメンの宝玉が無ければならぬのだ。何処に忘れて来たんだい、坊や?」


 同時に、ヘルの体のあちこちに、何本もの闇の槍が現れる。


「そんな不完全な剣など、恐れるに足らぬわ!」


 咆哮と共に、無数の槍が突き出される。視界を覆い尽くす程の数の触手が、弧を描いて全方向から少年に襲い掛かる。

 さすがの宝飾剣でも、さばき切れる数ではない。

 だが。


「ダメッ!」


 レオリアの叫びが響き渡り、同時に発せられた眩しい閃光が、闇の槍を掻き消してゆく。


「なんだと!?」


 驚愕の声を上げるヘルの目に映ったものは、彼女が最も恐れていた宝玉だった。広場に灯されたどんな炎よりも赤く、眩しく、猛々しく、宝玉が放つ光は闇を追い払う。


「これを!」


 レオリアの投げた宝玉を受け取ると、少年は、自らの持つ宝飾剣にはめ込んだ。その瞬間、剣は真っ赤な炎を纏い、邪悪な存在を寄せ付けぬ、究極の宝剣に昇華する。

 少年は剣を振りかぶると、そのまま真っ直ぐにヘルを見据え、堂々と名乗りを上げる。


「我が名はサイファー。代々この村を守る、ダイン家の戦士。覚えておけ! お前が何度レオリア様の前に現れようとも、指一本触れさせはしない!」


 少年が名乗ったサイファーという名前を聞いて、レオリアの中で全てが繋がってゆく。

 あの夢は未来の出来事だったのだ。巫女の血が見せた、四百年後のこの村の出来事だったのだと。

 宝飾剣が、サイファーの想いを受け、その輝きを増してゆく。大きく振り上げられた剣は、天空まで届く程の火柱を上げて、振り下ろされた爆炎は全ての闇を焼き尽くさんと、ヘルに対して叩きつけられる。

 だが、相手も冥界を統べし者。その魔力は絶大で、噴き出す炎を一身に浴びながらも、じわりじわりとサイファーに近づき、闇の腕の伸ばしてくる。

 吹き荒れる熱風が少年の髪を後方になびかせる。死力を尽くすその表情に、レオリアは、少年の未来の面影を垣間見る。

 人の居なくなった村でただ一人、主を護り続ける守人。彼が護っていたのは、きっと未来の私自身。

 温かな気持ちが、レオリアの心に溢れてくる。

 四百年の間、私を護ってくれてありがとう。もう、絶対に、あんたを一人ぼっちにさせはしない。

 レオリアは、そっと少年の背中に手を触れた。

 サイファーとレオリアの心が重なり合い、宝玉に想いが流れ込む。剣から吹き出す炎の色が、赤から白、更には青の光に変って、ヘルの体を突き抜けてゆく。

 まるでその場に太陽が現れたかのように、世界が光に塗りつぶされて。

 光が納まった時には、ヘルの姿は掻き消されていた。

 僅かに残る闇の残滓だけが、噴水の上にたゆたんでいる。


「口惜しや、人間ども。今日の所は大人しく退散しよう。だが、ゆめ忘れるなかれ。必ずやそなた達の魂をもらいに参ろうぞ……」


 掠れ掠れに、ヘルの声が聞こえてくる。

 レオリアは一歩前に出ると、胸を張って宣言をした。


「ヘルよ、死を司る冥界の女王よ。何度でも来るがいい。その度その都度、強き心、魂の煌めきを以て、私たちはあんたを打ち払ってみせる!」


 僅かに残っていた闇の欠片が微かに揺れて、滲むように消えてゆく。

 レオリアが右手を振り上げると、村人たちから大きな歓声が聞こえてきた。

 サイファーはレオリアに向き直ると、こぼれんばかりの笑顔を浮かべる。


「さすがです、レオリア様。僕、感動しました。特に途中の演説には鳥肌が立ちました!」


 心底嬉しそうに笑う少年に、レオリアは得意げに答える。


「ふふん、そうでしょう。ま、全部受け売りなんだけどね」

「へぇ、誰のですか?」


 無邪気に聞き返すサイファーに、レオリアは一瞬言葉に詰まる。


「誰って……あんたのよ!」

「えぇ?」


 訳が分からずに首を傾げる少年に、レオリアは右手を差し出した。


「それじゃ、さっきの宝石は私に返しなさい」

「え、でも、これは僕が落としたもので……」

「いいのよ。それは私が貰ったんだから。それに、あんたが持っていても、どうせ失くしちゃうんだしね」


 一方的な物言いに、サイファーは戸惑う。


「えっ? えっ? 僕はレオリア様に差し上げるなんて一言も……」

「いいから、さっさと渡しなさい!」

「はっ、はい!」


 しぶしぶと宝石を渡す少年に、レオリアはこう伝えるのだった。


「よし。これは私が持っておくから、その代わり、あんたはずっと私の側に居るのよ」



 完


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