二話 風の女神
二話 風の女神
飛翔百五十二年、春。
東の空が白み始めた頃、彼は目を覚ました。
「ふあ~ぁ」
あくびと共に置きだした少年の名は、アルフォート=アスタ。今年で十七歳になる彼は、適度な長さで切りそろえられた青みを帯びた黒髪に、褐色の目をのぞかせるそれなりの美少年だ。
彼はベッドを降りてすばやく着替えると、自室を出る。
「母さん、おはよう」
「おはよう、アル」
アルというのは、村の中でもすっかり定着しているアルフォートの愛称である。
アルがダイニングキッチンへ行くと、すでに母は、起きて朝食をつくっていた。
「……朝ご飯、もう食べる?」
「そうする」
アルは、六人掛けのテーブルの真ん中に腰を下ろす。
この家は、昔村長を務めていた。そのため、このように大勢で食事をできるスペースや、客室もある。しかし、その村長であった父はアルが物心が付く前に海で亡くなったとのことだった。
それ以来、アルは母と二人きりで、この田舎にしては少し広めの家に暮らしている。
食事を終えると、母は席を立ち方付けをはじめた。
「……そうそう」
アルがあくびをかみ殺していると、母がこちらを向かないまま話し出した。
「アル。あなたが起きる少し前だけど、村長さんがいらっしゃったの。それで、後から家に来て欲しいって」
村長は、父の亡くなった後は隣の家の者がやっている。
「あれ? 俺、何か怒られるようなことしたかな?」
さすがに最近はなくなったが・・・。昔は、友達と村の畑を荒らしてしまったり、夜の森で肝試しをしようとしたりで、村長のじい様によく叱られたものだった。
「身に覚えがないなら、『お叱り』ではないでしょう。お話がしたい、とのことよ」
「そうだよな。じゃ、今から行ってくる」
アルは簡単に身支度を済ますと、村長の家へ行った。
ドアを軽くノックすると、アルは勝手に中に入る。
「おじゃましまーす」
都会では考えられないことだが、ここではいたって普通の光景である。
奥の間に入っていくと、そこでは中年の男が一人、必要以上に大きな椅子に座っていた。
「……あの、……村長は…………?」
アルが尋ねると、男は不快そうな顔をしてから言う。
「……私だが?」
「へ? …………えぇ—――?!」
「そんなに驚くことでもないだろう」
アルがあからさまに驚いていると、彼はより一層不快そうな顔になった。
「で、でも……うっそだー! 五十歳にもなって、結婚の『け』の字も見えないおじさんがぁ?」
「余計なお世話だ! それから、まだ私は四十九だ」
そう。この男は五十を目の前にして未だ独身という、この「結婚する人は、遅くとも二十五までには結婚する。」という社会では珍しい存在なのだ。
「似たようなもんじゃねぇか。…………それにしても、」
アルは彼の家の中を見回す。
「残念ですね。家具まで用意して待ってるのに」
「あぁ、そうなんだよ……」
彼の家には、村長である彼、引退した元村長のじい様の二人分のほかに、余分にもう一組、椅子や寝具が用意されているのだ。しかもそれは、来客用のものとも違う。つまり、何が言いたいのかといえば、いつ来るかもしれない妻のために、この男は生活用品を一通り用意しているのだ。
彼がどれだけ妻を欲しいと思っているかがわかる。
彼は、本当に寂しそうに呟いた。が、しかし。アルはにこりと笑って言葉を続ける。
「所詮、待つだけじゃだめってことですよね」
「それを言うな、アルフォート!!」
アルフォート=アスタ。結構、一言多い少年であった。
「で、今日は何で呼んだんですか?」
「あぁ、そうだったな。……お前に、話があるんだ」
「だから、それがなんなんだよ」
村長のもったいぶった物言いに、アルはツッコミを入れずにはいられなかった。
「まぁ、簡単に言うとだな。お前に、旅に出てもらいたいんだ」
「…………たびぃ?!」
「あぁ。アスタさん……お前の母親にはもう許可を取った。ま、詳しいことは裏庭のほうへ行って……」
「なんでわざわざ裏庭に?!」という言葉が頭に浮かんだが、それ以上に「旅に出る」ということの方が衝撃的だった。
(たび?たびって……あの、「旅」だよなぁ?)
村長に先導され、アルは家の裏口から外へ出て、森の中へと入っていく。
森の深いところまで入っていくと、そこにあったのはテントのようなものだった。一応、元の色が白であるということは分かるが、だいぶ……いや、かなり古いものである。
「なんで……こんなところに?」(一度も見たことない……)
「さ、中に入れ」
アルの疑問に気付いているのかいないのか、それとも単に気にしていないだけなのかもしれない。村長は詳しいことは何も言わず、ただアルを中へと促す。
「……村長は?」
自分は中に入ろうとする気配のない村長を見て、アルは首を傾げる。
「お前に話があるのは、私ではなくこの中にいらっしゃる方だ」
「……わかりました。」
アルは釈然としない想いを覚えながらも、一人でテントの中へ入っていった。
テントの中は土がそのまま見えており、中も意外と狭く、奥にお社のようなものがあるだけで、他には何もない。
つまり、
「誰もいねぇじゃねぇか。」
という状態だったのだ。
アルが回れ右をして村長に文句を言いに戻ろうとしたその時
「あなたが、アルフォート=アスタ?」
誰もいなかったはずの空間から、女性の声が聞こえた。
「私は、この島の守護神。風の女神ウィア=リズナストです」