十六話 水の首飾り
十六話 水の首飾り
祭司の判断で、集まっていた聴衆のほとんどは家へと帰された。教会の中に残ったのは、祭司とその妻、先ほどの少年と、その両親と思われる男女、そのほか数人の……国の上層部の人間、もしくはさらわれた少女と関係が深かったのであろう人々、そして……旅人である、アルとユリだった。
「おじさん。なんで、セイカが?」
先程さらわれた少女・・・セイカを心配して、少年が祭司を問い詰めた。
時間をおいたことで、多少は落ち着いたようだったが、それと同時に不安も大きくなっていた。
「……わからない。しかし……」
祭司の言葉ははっきりしなかった。
「なぁ、ユリ。これは……どうする?」
アルは、声をひそめてユリに話しかけた。
「……とりあえず気になるのは、あの化け物が、何に使われているか」
「え、何の話?」
「さっきのことでしょ?」
「あ、まぁ……そうなんだけど」
人が一人さらわれたというのに、つとめて冷静な声音のユリに、アルは戸惑うとともに感心する。
「……じゃあ、使われて……って?」
それとともに、アルは耳慣れた言葉の、耳慣れない用法に、疑問を投げかけた。
「あの女の子をさらったのが、あの化け物自身の意思とは思えない。絶対、あの化け物を使って何かをしようとしている……誰か、あるいは何かの意図があるはずよ」
「へぇ……。なぁ、さっきのあれ……明らかに、闇の秘宝を狙ってるよな?『水の首飾りを差し出せ』って」
「そのようね」
「じゃあ……あれを操ってるのは、闇の秘宝を狙っている組織?」
「その可能性も高いと思うわ」
突如として遭遇した敵対するであろう組織の存在に、アルはゴクリと唾を呑んだ。
「おじさん、さっきのヤツが言ってた、水の首飾りって何なんだ?」
「え?」
少年の問いに、祭司は俯いていた顔を上げた。
「それを渡せば、セイカを返してくれるって話なんだろ?」
少女を助けるわずかな希望であるそれは、少年はおろか、村の大人たちでさえも知らないものだった。
「…………フォール君は、知っているかな? 闇の秘宝の伝説を」
祭司の言葉に、少年・フォールは小さくうなずいた。
「たしか、百年以上前に、闇の力を封じ込められたとかっていう、お宝のことだろ?」
フォールの答えに祭司はうなずくと、静かに語り始めた。
「知っての通り、闇の秘宝はかの有名な、伝説の勇者が闇の力を封印するのに媒体として用いた秘宝のことです。そして、水の首飾りは、その闇の秘宝の一つなのです」
祭司の言葉に、残っていた人々は驚き色を見せた。
「水の首飾りは、元はごく普通の、少し貴重な宝石が使われているだけの、この島の宝でした。 しかしその昔……伝説の勇者がこの島を訪れた際に、当時魔物の脅威に襲われていたこの島を助けて下さったお礼の品として、当時の長と、私の先祖が譲渡しました。彼はそれを大変気に入り、身に着けていたそうです。 その後、あの伝説で語られている出来事があり、闇の力を五つの宝石に封印することになりました。それらの宝石の一つが、水の首飾りに使われている宝石だったのです。 闇の秘宝はその後、宝石の故郷に帰され、それぞれの島で厳重に保管することになりました。その中で、水の首飾りは我が家の先祖、セリナ=マーキュリーに託されました」
よく知る伝説と、初めて聞くこの島との関係性に、人々は茫然と、あるいは唖然としていた。
「じゃあ、アイツは闇の秘宝の一つを欲しがっているのか?」
「そうでしょうね」
祭司は、難しい顔をして何かを考えていた。
「…………闇の秘宝とか何とか言ってるけど、結局はただの首飾りなんだろ?」
「そうだな、伝説がどうと言われても、本当という証拠はない」
「人の命がかかっているんだ、それを渡して助かるというのなら、さっさと渡してしまったらいいのではないか」
正気に戻った大人たちが、口々に様々な意見を述べる。しかし……肝心の、さらわれてしまった少女―セイカの父親である祭司は、それには参加せず難しい顔をしていた。
「おじさん……?」
祭司の様子に気がついたフォールが、不安げな顔をして祭司を見上げる。
「水の首飾りを……闇の秘宝を、渡すわけにはいかない。」
思いがけない言葉に、人々は信じられないと声を上げた。しかし、沈痛な面持ちの彼に、何も言えなかった。
「闇の秘宝の伝説は、本当です。なぜ、今このようにしか認知されてないのかが不思議なくらい。そんな危険なものを……得体のしれない……少なくとも、セイカをさらった時点で敵としか思えない相手に、渡すわけにはいきません」
「でも! そんなこと言ったらセイカは!?セイカはどうなるんだよ!!」
「…………わかってる。わかってはいる……しかし……。ここでやすやすと渡してしまって……素直に渡したとして、セイカが無事であるという保証はない。それに、一時的にセイカを助けることができても、その後……強大な闇の力を手にした者が、この国自体を滅ぼしに来るかもしれない。そんなことになってしまったら、私は……!」
「賢明なご判断、感服いたしました」
祭司の悲痛な声の後に、その場にそぐわない称賛の声が、しかも耳慣れない若い女性の声が響いた。
「え、ちょっ、ユリ!?」
声の主は、なんとユリだった。いきなり会話に参加した彼女は、慌てるアルを気にせず言葉を続ける。
「祭司様の判断は正しいです。今回の場合、相手の要求を呑んでは、新たな被害を生むだけです」
「いきなり出てきてなんだよ! あんたも、セイカを見捨てるってのかよ!!」
若さゆえか、一番に反応を返したのはまたもフォールであった。
「そうは言っていません。相手に言われた通りにするだけではダメだと言っているだけです。秘宝を渡すのは得策ではない。それは確か。でも、このままではいけない。そうでしょう? 祭司様。」
「キミは……何が言いたい。部外者は、黙っていてくれないか」
「あなたの娘さんを助けると言っても?」
「え……」
ユリの思わぬ発言に、祭司をはじめとする水の島の人々だけでなくアルも驚きの声を上げた。
(なんか、さっきから驚いてばっかりだよ……)
「そ、それは本当かい?」
「もちろん、ただの慈善事業と言うわけにはいきません。それ相応の対価は要求させていただきます。それを聞いて断るというのならば仕方ありませんが、悪い話ではないと思います」
「何を望む?」
「私たちは、ある目的のために旅をしています。その目的と言うのが、他でもない、闇の秘宝の回収なのです。しかし、ここで勘違いしないでいただきたいのは、先ほどこちらの水の首飾りを要求したやからとは、根本的にその理由が違うということです」
「……キミ達が、先の化け物と無関係だという保証がどこにある?」
「証拠になるものはありません。こちらの誠意を信じていただく他ありませんね」
自分の意思とは関係なくどんどん進んでいく話に、アルはとてつもない疎外感を感じていた。自分も、一緒に旅をしている者なのに。そもそも、旅を始めたのは自分なのに。
どうして、今このような状況になってしまっているのか、その説明を、切実に求めていた。
「今すぐ信じろと言っても、難しいでしょうね。むしろ、そんな簡単に人を信じるような人に、闇の秘宝の管理は任せられませんし。秘宝の件は、私たちが無事に娘さんを救出できてからで構いません。あなたが信じて下されば、私たちが秘宝を回収しようとしている理由もお話しましょう。その上で、どうするのが得策かは、あなた自身が判断すればいい。どうでしょうか、悪い話ではないでしょう?」
ユリの語り口に、聞いていた人々はただ茫然としていた。
「……あまりにも、キミ達に不利な取引ではないかい? どうしてそのようなことを……」
「こうでもして、信じていただくしか……私たちにできることは無いからです。それに、……女の子がさらわれてしまったのに、それを黙って見過ごすなんて、できるわけがない! と、彼は思っているはずですから」
そう言ってユリが視線を向けたのは……
「え、俺?」
「……彼は?」
「私の旅の同行者です。……私が、彼の旅に同行させていただいていると言った方が正しいのですが」
「では、彼が闇の秘宝の回収を?」
「えぇ。……それに、私も……あなたの娘さんの、あの素晴らしい歌を、最後まで聞かせていただきたいですから」
「キミ達は、一体何者なんだ」
「それも、後からお話ししましょう。今は、急いだ方がいい。娘さんのためにも、ね」
そんな言葉と笑顔を残し、ユリは教会を出ていく。
「あ」
はっとして、アルもをそれに続いて教会を出た。
「信じるのか? 彼らを」
現在のこの国の長である男が、祭司に言葉をかける。教会の一室でなされる会話に、他に参加者はいない。
先程まで教会に残っていた人々は、セイカの母や長の妻であるフォールの母も、そしてフォールも帰されたようだった。
「ソイド……。秘宝を渡すという選択肢はあってはならない。しかし、この国の者が化け物に立ち向かったところで、無事では済まないでしょう」
「確かに、それは否定できないな」
「今は、こうするしかありません」
彼らが祈るのは、娘の無事と……この国の平和。