「君の話は長い」といつも遮る婚約者様。では結論だけ――貴方とは結婚いたしません
「クラリス。結婚したら、図書院での仕事は今期いっぱいで辞めてくれ」
その言葉を聞いたとき、クラリス・エヴァレットは、自分が何かを聞き間違えたのだと思った。
王都のデートスポットとして人気な喫茶室の向かいに座っている婚約者のアルフレッド・ローゼンベルクは、あまりにも当然のことを告げるような顔で紅茶を飲んでいる。
「え……今、仕事を辞めろとおっしゃいましたか?」
「ああ。結婚するんだから当然だろう?」
アルフレッドは不思議そうに眉を上げた。
クラリスは伯爵令嬢であると同時に、王立図書院で書記官として働いている。貴族女性が職を持つことは珍しいが、禁止されているわけではない。幼い頃から本が好きだったクラリスは試験を受けて図書院に入り、三年前から記録整理や蔵書管理の仕事を続けていた。
大きな功績を上げるような華々しい仕事ではないが、それでもクラリスにとっては自分で選び、自分の力で得た大切な居場所だった。
「私は、結婚後も図書院で働きたいと以前から――」
アルフレッドは面倒そうに片手を振りながら
「ああ・・・そんなことも言ってたっけ?でも状況が変わったんだ。結婚したら君はローゼンベルク家の人間になるんだ。いつまでも外で働いている必要はないだろう」
「・・・わ、私は今の仕事がす、好きで!これからも続けたいのです!」
「そういう細かい話はどうでもいいだろ?まったく・・・いつも君のお小言は長くなる・・・」
アルフレッドは苦笑した。
それは彼が何度も口にしてきた言葉だった。
――君の話は長い。
初めて言われたとき、クラリスは自分の伝え方が悪かったのだと思った。だから次からは話す内容を整理し、できるだけ簡潔に伝えるようにした。
それでも同じだった。
領地へ移る時期を相談しようとしたときも結婚式の招待客について確認しようとしたときも・・・互いの仕事や生活について話し合いたいと告げたときも
アルフレッドは少し話を聞くと、決まってこう言った。
――要するに何が言いたいんだ?
――結論だけ言ってくれ。
――君の話は本当に長いな。
だからクラリスは、今度こそ簡潔に尋ねた。
「アルフレッド様。私が仕事を辞めることは、貴方の中ではもう決定事項なのですか?」
「何を言ってるいるんだい?当たり前じゃないか?」
あまりに迷いのない返答に、クラリスは言葉を失ったが、その沈黙をアルフレッドは了承と受け取ったらしい。
「結婚したら君には本邸に入ってもらう。母が最近、腰を痛めていてね。父も年齢のせいか疲れやすくなっている。家に君がいてくれれば二人とも助かるだろう」
クラリスはしばらく瞬きを忘れた。
「……つまり私に仕事を辞めてローゼンベルク家の本邸に入り、あなたのご両親のお世話をしろと言うのですか?」
「そんな大げさに言わなくてもいいだろう。ただ家族として手伝ってほしいだけだ。わざわざ世話役を雇うと高くつくからな!余計な出費が減って助かるよ!」
「そのお話も、私は今日初めて聞きました」
「・・・だから今話しているじゃないか」
アルフレッドは呆れたように笑った。
「妻になるんだから、それくらい普通だろう?」
クラリスの胸の奥で、何かが静かに冷えていった。
アルフレッドの両親を嫌っているわけではない。二人ともクラリスには礼儀正しく接してくれているし、少なくとも今まで一度も、仕事を辞めて自分たちの世話をしてほしいなどと言われたことはなかった。
おそらく、これはアルフレッドが一人で決めたことなのだ。
彼は自分の両親にすら相談していないのかもしれない。
それなのにクラリスの仕事を辞めさせ、住む場所を決め、その後の生活まで当然のように決めている。
「アルフレッド様・・・結婚というのは、二人で生活を作っていくものではないのですか?」
「そうだよ。だから”僕が”ちゃんと考えているじゃないか・・・君の代わりに考えてやってるんだから感謝してくれよ?」
言い終わるとアルフレッドは深く息を吐いた。
「クラリス。君は何でも難しく考えすぎるんだ。僕たちは結婚して君は僕の妻になる。それが決まっているんだから、仕事を続けるなんて余計なことを考えてもしょうがないだろう?」
「私にとっては、仕事も、住む場所も、結婚後の生活も細かいことではありません!」
「ほら、また長くなる」
その一言で、口を閉じたクラリスを見てアルフレッドは満足そうに頷く。
「そう、それでいい。もっと簡単に考えればいいんだよ」
クラリスは何も答えなかった。その日、帰りの馬車の中で、彼女は初めて考えた。
――私は本当に、この人と結婚したいのだろうか。
これまでは、結婚することが前提だった。
クラリスとアルフレッドが婚約したのは十五歳の頃で、両家の交流を深める意味もある穏当な縁談だった。年齢も家格も釣り合い、アルフレッドは社交の場では朗らかで、人当たりも悪くない。
だからクラリスも、この人となら時間をかけて夫婦になっていけるだろうと思っていた。
けれど、そのためには話し合わなければならない。
好きなものも違うし育った家も違うのだ。そして仕事も違えば、生活習慣も違う。違う人間同士が家族になるのだから、話すことがあるのは当然だ。
それをアルフレッドは、すべて「話が長い」の一言で終わらせる。
クラリスが本当に恐ろしいと思ったのは、彼が悪意を持っているように見えないことだった。彼は本気で、自分が決めればクラリスも納得すると思っている。
クラリスの意見を聞かないことを、失礼だとも思っていない。
そして、結婚すれば変わるだろうという期待も、もう持てなかった。結婚前ですら聞いてもらえない話が、結婚した途端に聞いてもらえるはずがない。
数日後
クラリスはアルフレッドと再び会った。本当は嫌だったが来月に迫った婚約継続確認について話すために必要な場だった。
この国では、未成年のうちに家同士で結ばれた婚約は、成人直前に一度だけ本人たちの意思を確認することになっている。両者が継続を希望すれば、その婚約は正式なものとなり、婚姻へ向けた手続きが進む。
どちらか一方でも望まなければ、幼少期に結ばれた婚約契約はそこで終了する。
初代国王が”ジユウレンアイ”を保障するために決めた古い法律であり今では形式的なものとして扱われることも多いが、少なくとも法律上は明確に本人の意思を確認するための制度だった。
「アルフレッド様。来月の婚約継続確認について、お話があります」
「ああ、あれか」
アルフレッドはすぐに頷いた。
「継続するに決まっているだろう?」
「ですが、その前に私は――」
「クラリス・・・」
”また”だった。彼は困った子供を見るような目で笑った。
「そこからまた長い話が始まるんだろう?」
「大切なことなのです」
「何が大切なんだ?婚約を続ける。と言うそれで終わりじゃないか」
アルフレッドは一瞬だけ首を傾げた。
「それは君も同じだろう?」
なぜ確認する必要があるのか、本当に理解できないという顔をするアルフレッドをクラリスは静かに見つめた。
「どうしてそう思うのです?」
「だって君は僕の婚約者じゃないか」
「婚約者だから、必ず婚約の継続を望むと?」
「当たり前だろう」
アルフレッドは笑った。
「何年も結婚の準備をしてきたのに、今さら何を言っているんだ?」
「私は――」
「結論だけ言ってくれ」
クラリスの言葉が止まり、アルフレッドはそれを見て、満足そうに微笑んだ。
「婚約を続ける。そうだろう?」
クラリスはしばらく彼を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……分かりました。当日は結論だけをお伝えしますね。」
「ああ。最初からそう言えばいいんだ」
そう言いながらアルフレッドは上機嫌で紅茶に手を伸ばした。その瞬間、クラリスの中で迷いが消えた。
”この人とは結婚できない”
怒りよりも先に、妙な納得があった。何度説明しても届かないのなら、もう説明する必要はないし、そもそもアルフレッドが望んでいるのは話し合いではない。
自分が望んだ答えを、クラリスの口から聞くことだけだ。
それなら今度は、本当の結論だけを伝えればいい。
婚約継続確認の日
王国法務院の一室には、クラリスとアルフレッド、そして婚姻契約を担当する法務官だけがいた。
本人たちが家族の圧力を受けず、自分の意思で答えるための決まりであるため両家の家族は同席せず結果のみが伝えられる。
法務官は机の上に二枚の書類を置き、淡々と説明を始めた。
「これより、エヴァレット伯爵家令嬢クラリス様と、ローゼンベルク伯爵家嫡男アルフレッド様の婚約継続意思を確認いたします」
アルフレッドは余裕のある顔で椅子に座っていた。
クラリスも静かに背筋を伸ばす。
「双方が継続を希望された場合、現在の婚約契約は正式婚約へ移行します。いずれか一方が継続を希望されない場合、現契約は本日をもって終了となります」
「分かっています。早く終わらせましょう。僕は忙しいんだ。」
アルフレッドが答えたがその声には微塵の不安もない。
法務官は最初にアルフレッドを見た。
「アルフレッド・ローゼンベルク様。クラリス・エヴァレット様との婚約について、継続を希望されますか?」
「もちろんです」
即答だった。
アルフレッドは笑みを浮かべる。
「これまで通り、婚姻へ向けて準備を進めたいと思います」
「承知いたしました」
法務官は書類に記入し、次にクラリスへ視線を向けた。
「クラリス・エヴァレット様。あなたは、アルフレッド・ローゼンベルク様との婚約について、継続を希望されますか?」
アルフレッドが小さく笑った。
「聞くまでもありませんよ。彼女も――」
「いいえ」
クラリスの凜とした声が室内に響きアルフレッドの笑顔が止まる。
法務官だけが表情を変えず、クラリスを見ていた。
「念のため、もう一度確認いたします。婚約の継続を希望されない、ということでよろしいですか?」
「はい」
クラリスははっきり答えた。
「私は、アルフレッド・ローゼンベルク様との婚約継続を希望いたしません」
静寂が落ち、数秒遅れてアルフレッドが椅子から立ち上がった。
「な、何を言っているんだ?自分の言っている意味が分かっているのか?」
クラリスは彼を見た。
「ええ、申し上げた通りです」
「違う! そうじゃなくて、どうして婚約を継続しないんだ!」
「私たちは夫婦になるべきではないと判断しました」
「な・・・そ、そんな馬鹿な!」
アルフレッドは法務官を見る。
「少し待ってください。何かの間違いです。彼女は僕と結婚するはずなんです」
法務官は淡々と答えた。
「婚約継続には双方の同意が必要です。クラリス様が継続を希望されない以上、婚約契約は本日をもって終了となります」
「そんな……!」
アルフレッドの顔から血の気が引いた。
「クラリス。仕事のことなら考え直してもいい。母や父の世話だって、嫌なら別に――」
クラリスは少しだけ目を見開いた。今まで一度も、彼の方から「君はどうしたい」と聞かなかった。婚約を失うと分かって、初めて彼は話し合おうとしている。
だが、もう遅かった。
「今から話し合えばいいだろう。僕だって君の希望を聞く。だから婚約を継続すると言ってくれ」
「いいえ」
「どうしてだ!」
「私は何度も、お話ししようとしました」
「だったら、そんな大事なことならちゃんと言えばよかっただろう!」
クラリスは何も言わなかった。アルフレッドは苛立ったように声を荒らげる。
「婚約をやめたいなんて、僕は一度も聞いていない! そんな話、俺は聞いていないぞ!しっかりと説明をしろっっ!!話なら聞いてやるからっっ!」
ようやく・・・本当にようやく、彼はクラリスの言葉を聞こうとしているけれどクラリスは、もう長い説明をするつもりはなかった。
ほんの少しだけ微笑んで、彼女は答えた。
「いつも貴方は言っていたではないですか?ですから今日は、あなたのお望みどおり――」
クラリスは立ち上がり、そして最後に一言だけ告げた。
「結論だけ申し上げにきたのです。」
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それではまた次回!




