第一話 衝撃
月明かりが照らす寂れた路地裏。違法建築の粗末な家が建ち並び、どこかカビ臭い通路に一人の男が立っていた。
男の手にはナイフのような刃物が握られ、鈍い光を反射している。
「てめぇか! 一昨日から俺を狙ってるクソ野郎は!!」
血走った目で男は暗闇に吠える。その感情は怒りに染められ、中肉中背の肉体には筋肉が浮き出ていた。
「ずっとちょっかいかけてきやがって……戦るなら正々堂々かかって来やがれ!!」
男の怒りは当然だ。何せ、この三日間のあいだ、食事を摂ろうとするときも、泥のように眠ろうとするときも、常に死角から執拗に石を投げつけられ続けていたのだから。
姿は見せず、ただ延々と意識外から地味でじんわりと残る痛みを叩き込まれ続ける。それは拷問に近い、冷徹なまでに必死な『嫌がらせ』だった。
「ぶっ殺してやる……そこに居るのは分かってんだよ!!」
そうして、男は三日の不眠と極度のストレスを抱えたままこの場に立っている。ついでに人生で経験したことの無いほどの怒りも抱えているだろう。
──対して、僕はいたって平静な頭とこまめにとっていた睡眠、そして戦いに対するちょっぴりの興奮を抱えている。
だが、油断することは決してあってはならない。三日間の事前準備と自分の命がかかっているのだ、全て計画通りに進める。
男は、暗闇を凝視し続けている。『足音』が鳴った暗闇を。
しかし、僕は今男の頭上に居る。ネズミも食わない錆び付いた屋根に乗っかり、肩掛け鞄にしまっていた『麻袋』を取り出した。
これが、僕の『コスチューム』だ。二つの穴をくり抜いた麻袋を被り、正体を隠す。少し息がしずらいが、短期決戦であれば問題ない。
「すー……はーっ……すー…………。」
屋根から飛び降り、男に襲い掛かる。
「なに!?」
屋根が軋む音で男がこちらを見たが、逆に好都合だ。このまま突っ込んでしまえば、反撃を食らってノックダウンしてしまうのは目に見えている。
故に、大きく開いた手のひらを相手に見せるように、僕は右手を突き出した。
「『灯れ』!」
その『詠唱』と共に、僕の手のひらは陽の光のように輝いて男の目を眩ませた。
「ぐぁっ!? なんだ、何も見えねぇ……!」
勿論、僕は目を閉じて光を回避した。その勢いのまま左手に持っていた木の角材で男の頭を打ち抜き、地面に着地した。
「ぐっ……ぞぉおお! 舐めやがって!!」
男の目はまだ眩んでいる、手に持ったナイフをやたらめったら振り回し、蹴り上げた足は空を切る。
初めて男の近くに立ったが、想像以上の体格差があるのを実感した。12歳の肉体では真っ向から戦っても勝てないのは明白だろう。
唯一の武器として持ち込んだ角材も、先程の一撃で折れて使い物にならなくなっている。金属製の武器が一つでもあれば楽だったんだが……そんな貴重品、手に入れるまでの時間で悪党を五人ぶっ倒せる。
つまり、ここからは僕の拳……それと『魔法』で切り抜けなきゃならない。
戦いでワクワクしたことなんて一度もないが、無理にでも気分を上げなければ足元をすくわれる。これはゲームじゃない、一手間違えれば死に至る。
「……うぉらぁあああああッ!!」
恐怖と勇気を雄叫びに変え、地を蹴り男へ突撃する。無論、これは策もなしに突っ込んだわけではない。
駆け出した勢いを乗せてジャンプし、相手の軸足となっている左足の脛を思いっきり蹴り飛ばした。このとき目は戻ったのだろう、確実に僕を睨み付けている。あと一歩遅ければ反撃を貰っていた。
苦痛に悶え、声にならない叫びを上げながら男は数歩後退りする。痛みと三日間の疲労でだいぶ動きが鈍くなったはずだ。
「クソガキが……ぶっ殺してやるッ!!」
血走った目で僕を見ながらナイフを振り翳す男、だが速度はそこまで速くない。『詠唱』の時間はある。
「おい、こっちにいるぞ! ……『鳴らせ』」
その言葉と詠唱と共に、男は驚いたように振り返り、足を止めた。無理もない、僕は仲間を呼ぶフリをして、実際に男の真後ろで『足音』が鳴ったのだから。冷静な頭であれば罠だと理解できたかもしれない、だが男は不眠不休だ。
「……ッ!」
男と僕との距離は数m、助走をつけるには十分だ。予め想定していた動きの通りに迷いなく駆け出し、今度は男の胴体に向かって全体重を乗せタックルをした。たかが12歳の体重を乗せたところで、屈強な男を倒せるわけがない。
だが、今の男は足を打撲し、振り向いた姿勢で重心も安定していない。そして不意打ちだ。
「うぉおっ!?」
ここまで条件が揃えることで、何とか男を地面に倒すことができた。全て達成していても成功するか怪しかったが……不意打ちだったことが功を奏したようだ。だがまだ終わっていない。
僕は男の上に飛び乗り、有無を言わさず顔面を殴り付けた。まだだ。
男の鼻から血が流れる、間髪入れずにもう一度男の顔を殴り付ける。まだ。
男が反撃しようと考える暇も与えず、何度も何度も男の顔を殴り続けた。男の腕が僕の服を掴んでも、拳を握って殴ろうとしても、その都度全力で顔面を打ちのめし、相手の力を削いでいく。
「もう二度と、二度と子供に手を出すな!! 弱者を痛め付けるな!!」
血まみれになった手で男の胸ぐらを掴み、足りない空気を精一杯吸い込んで叫ぶ。
男の目は既に虚ろで、歯が何本か欠けている口はかろうじて呼吸を続けていた。
「お前を倒したのは俺だ、子供だ! 忘れるな!! また同じようなことをすれば……今度は、お前の命が無いと思え!!」
痛みと共に言葉を相手に刻み込み、恐怖として植え付ける。最後に一発、力任せに拳を振り下ろし男の意識を途絶えさせた。
息が上がる、拳に刺さった歯が痛い。拳の皮膚が裂けて血が止まらない。……だが、勝った。
「……ははっ、はぁ……あぁ……勝てた……勝てたんだ……! やれる……僕はやれるぞ……!」
「あーあ、トルスくんカワイソ。こんなガキにやられるとはなぁ?」
拳を握って勝利を噛み締めるのも束の間、背後から複数人の足音と声が聞こえてきた。
……しくじった。
振り返れば、そこには剣や斧を携えた男達がヘラヘラと調子よく笑いながら僕に向かって歩いて来ていた。仲間だ。
「ガキ好きの変態だから多少ボコされてもいいけどさぁ、ガキにやられるのは俺らのメンツ的に有り得ねぇよなぁ」
魔力は……もうない。体力も尽きた、全身の疲労感が走る元気すらないことを伝える。
「その覆面……あー、もしかして最近流行りの『自警団』ってヤツ? ガキが一丁前に夢持つんじゃねぇよ、この街でさぁ!」
「俺達もボコボコにされちゃうのかな? こわーい! ギャハハハ!!」
数は五人、気色の悪い顔で笑っている。
僕はこんなヤツらに殺されるのか、それがこの物語のオチって訳か? 違うだろ、ダスク・デュケイン。僕はこの街で、憧れの自警団になるって決めたんだ。『前世』で何者にもなれなかった僕が……この街で憧れの存在になる為に!
「何人でも……かかって来い……!」
「こりゃあ凄い! ここで死んだって誰もテメェの勇姿は見ないってのに……マ、そう言われちゃ襲うしかないよねぇ!」
しんどいからどうした、魔力がないからどうした? ここで死んだら、この世界に、この街に生まれた意味がない!
死ぬまで必死に足掻いてやる、足掻いて必死に生きてやる!!
「うぉぉおおおおおおおおおッ!!!」
「気概は良い、だが実力が伴ってなければただの虚勢だ」
僕の顔が影に覆われる。目の前に居るフードを被った大柄な男の影だ。
いつの間に……そう考えるよりも先に、僕の目に映った灰や煤にまみれたロングコート、その背中に描かれている『ドラゴン』の紋章が心臓の早鐘を打った。街の噂に聞く、あの『本物』の──。
「まさか……」
そう呟く間もなかった。男は『黒い包帯』で覆われた拳を五人のうちの一人に突き出していた。僕では音も予備動作も捉えられない、まさに一瞬の出来事。理解が置き去りになる程の圧倒的なスピード。
「さっきまでの威勢はどうした、子供相手に調子乗りやがって」
「クソッ、なんだテメェ!」
殴られた男は、受けた衝撃の質すら理解できぬまま、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。残った仲間は恐怖を塗りつぶすように各々武器を振り翳し、フードの男に迫る。
「使い方がなっちゃいねぇ、お前ら最近『流れて』きた素人だろ」
そう言葉をかけるフードの男はいつの間にか囲っていた4人の男達の後ろに立っていた。ただの歩法すら目視できない。
ようやく顔が見えたが、フードを深く被り口元をスカーフで隠していたため赤い目しか見えなかった。
「ざけやがって……俺達冒険者をナメんじゃねぇよ! 喰らえ……俺のまほッ……」
一人がフードの男に手を翳した瞬間、その腕は有り得ない方向へ曲がっていた。僕がかろうじて見えたのは、曲がった腕を抑えてうずくまる男の前で、両方の手のひらを天と地に向けるフードの男の姿だった。既に攻撃が終わっていた、ということだ。
「くたばれぇぇええッ!!」
「この街で冒険者という肩書きに意味はない」
破裂音と共に斧を振り翳した男が急に倒れる。男の腹部辺りで残像が見えた、殴ったのか?
「テメェッ……どんな魔法を使ってやがる!?」
「知っているか、ここじゃ魔法を使えるやつは少ない。使えるやつは尽く潰されるからだ」
たじろぐ二人の男に、フードの男はゆっくりと近付く。
「魔法が使えなきゃ、どうやって戦うんだよ!? 嘘こいてんじゃねぇぞ!」
もはや戦う意思すら折られた男が弱気に吠える。
「『技術』だ、この街はそんな技術を研鑽してきた化け物が集まっている。生半可な魔法は通用しないんだよ」
フードの男の言葉に、片方の男が目を見開く。
「まさか……テメェらまじゅっ……」
二つの破裂音が路地裏に響き、ついに残りの二人も地面に伏せた。あっという間の出来事だった。僕が三日かけて弱らせたトルスという男を倒すまでの時間……その間に、フードの男は五人を倒してみせた。
「……今の話はお前にも聞かせていたんだぞ、ちゃんと覚えてるか?」
はっ、と傍観者に徹していた自分を呼び覚まししっかりとフードの男に目を向ける。
「は、はい! 聞いてました!」
自然と背筋が伸びる。その様子を見て、フードの男は頷いたように見えた。
「後ろの男、お前が倒したのか?」
フードの男が僕の後ろで倒れている血まみれの男に視線を向ける。
「え、えぇ……一人で倒しました」
フードの男は目を細め、僕と倒れた男を見比べながら再び小さく頷いた。
「スジは良いがお前はまだ子供だ、家に帰って勉強でもして……この街を出ることだな」
「家は、ないです。この街も出たくないです」
食い気味にそう返し、ギュッと拳を握る。拳がまだ痛む。だが僕の心はそれ以上の傷をすでに負っているのだ。
目の前で両親を殺され、家すらも無くなり、悪人を殴って泥水を啜ることが生きがいになっていた。錆び付いたこの街も、最悪の場所だが僕の一部。僕なりにこの街を良くしたかった。
「……そうか、行く宛ては?」
「どこにも……いや、一つだけあります」
フードの男の目を見る。
「貴方たちの……鉄錆の守護者達の一員にしてください!」
「知っているのか、俺たちのこと」
ロングコートに描かれたドラゴンは自警団の証。噂で何度も聞いたことがある。僕が被っているただの麻袋とは違う、正真正銘のコスチューム。
「もちろん、僕の憧れです!」
フードの男は微動だにせず、ただ慎重に、値踏みするようにこちらを睨んでいた。そう言われるのを最初から分かっていたかのような、重い沈黙が流れる。
「……断る」
「なっ……なんで!? 僕は……一人でも悪党を倒せるのに……!」
予想だにしていなかった返答に少し声がうわずる。心のどこかで、絶対に仲間にしてもらえると確信していたのに。
「団員になるのはまだ早い」
男は冷淡に、しかし切り捨てるのではない声音で続けた。
「……だが、自警団の一員になれるまで雑用として置いといてやる。それでいいか?」
目を見開き、肺いっぱいに空気を吸い込む。胸が高鳴って止まらない。耳の奥がじんわりと温かくなっていく。
「はいっ! よろしくお願いします!!」
拳の痛みなど、勝利の余韻など、もう忘れてしまった。今はただ、喜びを噛み締めるだけだ。憧れに一歩近付き、僕の夢を、『みんなの憧れになる』夢を叶えられるチャンスが目の前に現れたのだ。
暗闇のどん底で、この鉄錆の街で、僕は第二の人生を始める。ここからが本番だ!




