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カルネアデスの弾劾  作者: 雨流し
番外編

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24/24

ch.24 Dear

番外編1

ロザリオが語るギルベルトの過去の話

 少し昔話をしようか。

 むかしむかし、といってもそう遠い過去の話ではない。しかしこれは、俺の基準でそういっているに過ぎないから、人間の子達からしたら文献にも残らないくらい大昔のことになるのかもしれない。

 俺がまだ全盛期で吸血鬼の二代目の王として君臨し、今のような少年の姿ではなくれっきとした成人男性の形りをしていた頃の話だ。身長だって、ギルベルト程でなくともあったんだよ。……ガレッタよりは高かったかな。今更いっても仕方がないけれど。


 北方に他の国を一国で圧倒するほどの大国があった。それは「黄昏の国」と呼ばれ、堅牢な砦とも言えるハイデンライシュタイ城を王城とし強い支持を持った王が代々納めていた。

 ある王は賢君として名を馳せ、国民を貧困や病から守り抜いた。またある王は双子でありながらも調和を重んじ共に王となり、芸術や文化を慈しんだ。そして、最期の王は歴代の中で最も苛烈で他人の支配、制圧に長けていた。その王は一度隣国に攻め込めば瞬く間に侵略せしめ、最低限の犠牲で過去最大の領土を保有した。その軍略、カリスマ性に誰も彼もが魅了された。そして国民の皆が、この黄昏の国の恒久の栄華が約束されたと確信していた。

 しかし、黄昏の国は一夜にして滅んだ。なんの前触れもなく極夜の満月の夜、王城は燃え落ちた。王城だけではない。生き残りは国中どこにもいなかった。国民全員、1人残らず。女子供、老人問わず。皆、世が明ける頃には生き絶え、次の黄昏を拝むことはなかった。

 最期の王は、国民全員が死んだことを認めるとうっそりと嗤い、燃える城からその屍を眺めながら己の心臓を抉り取り自ら首を跳ね飛ばした。

 王による国民全員を巻き込んだ心中自殺。これがかつて大国と呼ばれた黄昏の国の終わりだった。

 何をどう思ってそんなことをしたのか、まずどうやって一夜にして国民全員を殺したのか。そんなことは王様本人に聞かなければわからないけれど、本人ももう覚えていないだろう。

 だって、死んでしまったのだから。

 死人に口なし。一度死んだ人間が持ち合わせていた記憶なんて、もう2度と表には出てこない。それこそ、今のあの子とはなんの関係もない過去のことだ。


 ペルセウス。

 それが黄昏の国の最後の王の名前。最大の領土を誇り栄華の盛りを極めせしめた大君。それと同時に守るべき己の大国を滅ぼし国民全員を殺害した大罪人。

 そして、その死後に俺が渡した名前はギルベルト。

 月の写身、影の王。

 俺を喰らって3代目の吸血鬼の王になった可哀想な子。

 今からするのは、その子が吸血鬼に成って俺と出会ってから今夜までの話。

 なぜ俺が、ギルベルトの生前を知っているかだって?それは、まあ。年の功としか言えないかな。


 ♦︎


 吸血鬼は極夜の満月の夜に、嗤いながら自殺すると成ってしまう化物だ。

 その時にどれだけの犠牲を出したか、巻き込んでしまったか、呪いを向けられたかで吸血鬼に成った時の強度が決まる。

 吸血鬼の王は単純に最も強い者がその椅子に座す。つまりは王であった俺も生前に何かしら盛大な死に方をして、多くの人間を巻き込んでしまったのだろう。まあ、俺は覚えてもないことについて感傷に耽るような、ましてや罪悪感を覚えるような奴ではないのだけれど。同胞には吸血鬼としては珍しい人格者なんて言われているけれど、決してそんなことはない。

 それに、俺が生前にやったことはその時の判断が俺にとってもっとも正しかったのだろう。それだけは確信を持って言える。


 ギルベルトの話に戻ろう。大国の王であり、一国と心中したあの子が引き起こした被害は尋常ではないものだということは、もはや説明するまでもない。これが全てだ。

 この犠牲、生贄とも言えるが、流された血の量だけあの子の力となる。

 初めて会った時は驚いたものだ。俺の統べる領域の近くに尋常ではない力を持った怪異がいると、眷属がやたらと騒ぎ立てていた。様子を見に行ってみれば、あの子は湖のほとりで呆然と水面の月を見ていた。水面の月と、あの子の金髪が共鳴するように揺れていた。

 吸血鬼は存在が確定した段階から姿が大人の者もいれば、子供の姿でその後成長する個体もいる。ギルベルトは前者だった。月色の髪を持ち恐ろしいほどの美貌を貼り付けられた子だった。

 近づいて話しかけても表情が抜け落ちた顔でこちらを見るばかりで、なんの反応も返ってこなく、自分の名前すらわからないようだった。

 この症状は吸血鬼に成ったばかりの子たちが陥る症状だった。吸血鬼になりたての子は大抵は誰にも見つからずに本能のままに人間を襲い出し、それを繰り返していくことで人間を観察しかつての人間性を朧げながら思い出し獲得していく。

 人間性を思い出すといっても、性格が全く変わる子もいればそのままの子もいる。倫理観については期待しないでおくれ。吸血鬼は人間を喰らうんだ。最初から、根本から化物なんだよ。元が人間だとしてもね。


 当時の俺はその時の神と協定を結んでいてね。今は悪魔様と名乗っていたっけ。あれ?また神に戻ったの?忙しないねー。

 ともかくある程度、吸血鬼の人間に対する被害を抑える約束をしていた。つまりは吸血鬼をかなり厳密に管理していたんだよ。

 だから、この世に存在を定義し直された吸血鬼を見つければ保護し、落ち着くまである程度の教養を施し面倒を見ていた。

 吸血鬼の衝動の抑え方、自身の中身の定義の仕方、この先の永遠とも言える時を過ごすにあたっての心構えなんかをね。

 大半の子がそのまま俺に懐いてくれたから、契約して眷属にしたりもしたけれど。

 ギルベルトもそのうちの1人だった。

 あの子を見つけてすぐに、根城にしている捨てられた大聖堂に連れて帰って、他の子達と同じように部屋を与えた。とりあえずの食料として動物の血を渡しておいた。

 その晩は、腐れ縁の神様と会う約束をしていてね。ギルベルトを保護して早々に俺は大聖堂を後にした。


 つつがなく、いつも通りに、皮肉の応酬をして、仲良く会合を終わらせて大聖堂に帰ってくれば、そこは不自然に静まり返っていた。

 うちの子たちは、いつも騒いでいるわけではないけれどここまでお行儀のいい子たちばかりではない。まだ月が支配する時間だというのに、大聖堂の中は今までになく静寂に満ちていた。いつもならば、お酒で何かしらをやらかした子たち同士が喧嘩して、またそれを誰かが嗜めているはずなのに。

 違和感は静寂だけではない。夥しく、そして芳しく漂う血の香り。俺たち吸血鬼を魅了してやまない、抗えないもの。

 一歩一歩進むたびに、その香の濃度が上がる。ぴちゃりぴちゃりと、まだ消滅しきれていない眷属の亡骸から流れる鮮血が大理石の床を染め上げていた。

 奥に進むほどに匂い立つ香りと堆く、無造作に積まれている骸の中を進む。

 大聖堂の最奥、礼拝堂。ステンドグラスから採光された月光の中で、血を浴びながら鈍く煌めいていたのは長い月色の髪だった。


 ♦︎


「お前は、そこで何をしているのかな」


 息を詰めつつ極めて穏やかに問いを投げかけては見たものの、答えは明白だった。先ほど拾った若い吸血鬼が、俺の眷属を喰らい尽くしていたのだ。

 惨たらしく、容赦なく。元凶の吸血鬼の周りには、ここに来るまでとは比にならないほどの同胞の死体が乱雑に放置されていた。よく見ると物言わぬ眷属たちの身体は、あちらこちらが喰い荒らされていた。臓腑を引きちぎられ、脳髄をぶちまけられ、骨を引き抜かれ、顔ごと食い潰されていた。

 これでも俺は統治をする吸血鬼の王だったからね。眷属は300を下らなかったし、王である俺と契約を結んでいる子達だ。他の場所で彷徨っている吸血鬼たちとは力の差が段違いにあるはずなのに。あの子は、月色の吸血鬼は、その力の差も経験値の差も数の差も、一夜にして全てねじ伏せて喰らい尽くしてしまった。

 とんだ悪食の子を拾ってしまったものだ。


 すでに喰べられてしまった眷属たちに、憐れみを一瞥投げかける。すでに殺されてしまったものはしょうがない。俺の保護下ではあったけれど、弱いものが淘汰されるのも吸血鬼の中では当たり前のことだ。それにいちいち感傷に浸っているような、そんな殊勝な人格は俺は持ち合わせてはいないのでね。もちろん、可哀想だとは思うよ。助けてあげられなくて悪かったとも。まあ、それだけなのだけれど。

 むしろ、あのニヤニヤ笑いを貼り付けた神からしたらいきなりの吸血鬼の減少は喜ばれるかもしれない。いや、あいつはそんな奴ではないか。怪異だろうが人間だろうが、博愛という名の暴力を押し付ける奴だ。今夜のこの惨状を伝えれば、身勝手に心を痛めるのだろう。俺とは違って。


 ぐちゃりと、臓腑に喰らい付いていた顔を上げた若い吸血鬼はそのままじっと俺を観察しているようだった。

 品定めされていると感じた。吸血鬼の王である、俺を。


「はは」


 思わず笑いがこぼれる。どうやらこの子は、この短時間の食事で己の人格と性質を完全に自覚したようだった。その上で、俺が自身の上に立つ存在かを見定めようとしている。

 だって、俺を見るその子の目にはもう、水面の前で茫洋としていた残像なんてありはしない。ただ、俺を喰うか喰わざるか、それだけを本能ではない力での支配という圧を持って俺を見ていた。

 こんな子は初めてだ。いつも、皆すがるように俺を見てくるのに。


「俺を喰べる気かい?その子たちのように、喰い散らかして」

「お前が、俺の上に立つに足らぬ者ならば」


 ♦︎


 まず簡潔に結果だけ伝えよう。俺はその子に喰われてしまった。

 吸血鬼としての力の差はなかった。いや、厳密に言えば、純粋な力だけの押し合いならば俺に勝ち目はなかった。引き分けに持って行けたのは経験値かな。お互いに爪の一薙で相手の臓腑を裂き散らして、頭蓋を掴んでは砕き引き抜く。あたりには鮮血が塗り重ねられ、血肉と脳漿がそれをさらに彩った。

 相手を壊しても壊しても、瞬く間に身体が再生してまた壊す。その繰り返し。お互いに壊された瞬間には再生が終わっている、破滅的といっていい不死身性。血みどろに血みどろを重ね、どれくらい経っただろうか。

 月がもう隠れてしまうという頃、この子を大聖堂の最奥で見つけてから気に掛かっていたことがあった。


「お前は、どうして泣いているんだい?」


 若い吸血鬼はずっと泣いていた。俺の眷属を引き裂いて、中身に喰らい付いて、脳に齧り付いて。そうして普通の吸血鬼ならば満たされるような本能に忠実な行動をとっていても、ずっと泣き続けていた。

 それは俺を壊しにかかった時もずっと。あの子は声も出さずに、ただ涙を流して、そして俺を壊して、壊して、また幾度もなく自分も壊されて、再生しても泣き止むことはなくて。

 

「わからない」


 ぐちゃり、と俺の片腕が握り潰され引きちぎられた。


「わからない、から。お前たちを喰らっている」


 ずるり、と先ほど再生したばかりの自分の臓器が再び飛び散るのを横目に見た。


「そうか。ならばお前は、やはりまだ若すぎる」


 王の俺に匹敵するほどの膂力を持っていても、即座に自身を把握する能力を有していても、この子はまだ迷子だった。

 早々に自身を察してしまったがために、自身を扱いかねて持て余して、どうしていいのかわからなくて、とりあえず本能に身を任せてみたというところだろうか。

 そして吸血鬼の本能に従ってみたものの、自身は何も満たされずに諦観と絶望を抱え込んだ。

 再三言うがこんな厄介な子は初めてだった。というか、この子くらいだ。

 だが、夜に招かれたばかりの迷子を導くのが王としての俺の役目なのだから、それを全うするのが道理だろう。

 道理も何も、それを俺が自身に定義づけて存在理由を保っていたと言うだけだけどね。吸血鬼は存在理由を見つけないとすぐに自殺するから。

 だから、これからすることもあの子のためだと言うよりかは、俺の存在理由のため。


 ふっと力を抜いて首に噛みついてきた幼子を抱き止める。


「いいよ。お前が泣き終わるまで、俺が見届けてやろう」


 ♦︎


「お前は、それでよかったのか」

「何がだい?」

「……俺に、喰われて、王からそんな矮小な存在になってしまって」

「矮小だなんて、お前がやっておいて酷いことを言うなあ。まあ、構わないよ。これでも600年?だったかな。王様やってきたんだ。そろそろ代替わりしたっていいだろう」


 それに、と迷子の頬に小さくなってしまった己の手を添える。


「ようやく泣き止んだね」


 そういうと、またじわりと陰った月色の目が波紋を生む。強大な力を持ってはいても、恐ろしく精神が脆弱な子だった。まだまだ、この子には教えることがたくさんありそうだ。


「ああ、ごめんごめん。また泣かす気はなかったんだ。落ち着いておくれ。大丈夫。お前のそばを離れるつもりはないから」


 とりあえず落ち着かせようと俺が吸血を受け入れた時も、相変わらずその子は泣いていた。声も出さずに涙だけ流して、俺の血肉を噛みちぎって嚥下するものだから、頭を撫でて髪を梳いてやって宥めながら俺はその子に少しずつ喰われていった。

 その結果、成人男性の姿から少年の姿まで質量がなくなり、吸血鬼としての概念というか存在ごと希薄になってしまったけれど。別にそこはそんなに気にすることではない。

 俺は元々、血の闘争を好む性質ではないし、力に執着もしていないかった。もう不要なものならば手放すのも手段だろう。

 しかし、やっと泣き止んでくれたのになあ。泣いている子にはどうしたらいいんだっけ。

 吸血鬼は悦楽と法悦、怠惰の塊と言っていい。言ってしまえばみんなろくでなしのクズだ。精神がどこかしら歪んだ人間で言う快楽主義の殺人鬼集団。だから、狂気に飲まれる子はいても、この子みたいな静かに泣いている子は本当に初めてなんだけれど。


「まだお腹は空いているかい?それとも……そうだな……」


 うんうんと、唸ってこの子を泣き止ませる方法を考えている間も座り込んではらはらと涙を流し続ける。覗き込んだ俺の顔を見てはいるものの、濁った金の瞳はどこも見ていない。

 よしよしと頭をしばらく撫で続けているうちにあ、と最も大事なことを失念していたことに気づいた。


「お前の名前を定義していなかったね」


 怪異、ことさら上位ともなる吸血鬼にとってその個体を表す名というのは重要な役割と意味を持つ。

 ただ名前を知られることが問題なわけではないよ。本人が、本人の意思で、相手に自分の名前を渡してもいいと思って告げた場合、それは強固な縛りとなる。相手にとっても、本人にとっても。

 それこそ眷属化なんて簡単にできてしまう。

 また、名前は人間でもそうだけれどその個人を特定するためのものとなる。つまりは存在、概念の固定化だ。

 吸血鬼は生じたばかりの時は自我も存在も希薄で、後天的に自己の存在を確立していく。名前はその最たるもので、最初のきっかけだ。

 それは他者から与えられるものでもあれば、自分で己を定義するために望むものを名乗る場合もある。

 俺が王になって積極的に生じたばかりのは吸血鬼を保護していた頃は、自己を確立させるまで面倒を見て、自分の名前を自身でつけられるようになるまでがゴールだった。俺から名を与えるなんてことはなかった。

 誰しもなりたい理想像というものがあるし、吸血鬼は名に中身が引っ張られる傾向が強いからね。望むものになりたいならばそれを自分で見つけて、己に課すのが最もいいだろう。

 けれど、この子はどうしようか。このままだと早々に自我の形成の前に自殺をするか、暴走して虐殺を繰り返すかの二択だろう。

 この子の精神が今後安定するのかも読めない。これは……仕方ないか。


「ギルベルト」


 泣いてる子の顔を両手で包み込んで目を合わせて微笑みかける。


「高貴、気高い者、という意味だ。その理由は……まあ、おいおい話してあげるよ。別に眷属にするわけではないけれど、とにかく俺からお前に名前を与えよう。水面の月の愛し子。影夜の迷い子。これからは、この名がお前の存在を証明するだろう」


 ぱちり、と瞬きの後には見開かれた金の水面は凪いでいた。まだまだ、目を離せないけれど今夜はもう大丈夫かな。


「……お前のことは、なんと呼べばいい」


 こてりと首を傾げる仕草にやはり幼さを感じる。この子を今後王に足る存在にまで教育しないといけないのだけれど、今は会話が成り立った時点で合格かな。


「ロザリオ。吸血鬼の2代目の王だよ。お前が俺の後継となるまで見届けよう」


 ♦︎


 次に月が昇った時にギルベルトにやらせたことは、まず昨夜の惨状を残す大聖堂の掃除だった。吸血鬼の死体は殺し方にもよるけれど、だいたいは時間経過で血の中に溶けて消えていく。巻き散らかした血肉もそう。蒸発するようにいつの間にか消えているんだよね。まるで俺たちの存在なんてはなからこの世界になかったことを証明するかのように。

 ただ、あの子が暴れ回って破壊した家財とかは別だけれど。


「俺は今から用事で出てくるけれど、戻ってくるまでにお前が壊したものを全て片付けておくように。捨てるだけだから、ちゃんと留守番するんだよ?いいかい?」


 幼児のように扱ったせいなのか、そもそも自分がやることが気に入らないのか。むすっと明らかな不機嫌を隠そうともせず、俺を睨みつける。まあ、そんな若造がいくら睨みや殺気を効かせてもなんとも思わないけれど。


 適当に宥めすかしてとりあえず、ギルベルトに留守を任せてあのにやついた神様に会いにいくことにした。協定はもう守れそうにないからね。

 俺が喰われてしまったから、今の王は未熟でもギルベルトだ。間違いなく、今現存する吸血鬼の中であの子に敵う個体はいないだろう。怪異の中ですら、あの子に打ち勝てる存在はあるのだろうか。女皇……ローレライはそもそも一騎当千型ではないしな。まあ、そのくらいの力を持っていたとしてもあの子は吸血鬼全体の統治や管理に関してはやらないだろうなあ。やろうと思えばできるだろうけれど。


 案の定。というか予想通りも通り越して予定調和。

 あのじーさん、俺のなりを見た瞬間に爆笑してきた。これでいいと俺が決めたことだけれど、あのじーさんに馬鹿にされると腹が立つな。

 まあ、俺が協定を反故にし今後の責任を取れなくなったことに対して負い目を感じないように、あのふざけた態度をとったのだろうけれど。それと癪に触るのは別だよね。

 いつまで笑ってるんだかわからない全能神を無視して、白い巨塔を後にした。もうしばらくは、あのにやついた顔を見ずに済むだろう。

 さて、あの子はちゃんと俺が言ったことをやっているだろうか。サボって寝ているか、もしかしたらあの場からいなくなっている可能性もあるなあ。この状態でも出せる使いの眷属くらいは大聖堂に残して見張らせておいても良かったかもしれない。


 果たして、大聖堂に帰って見ればそこは昨夜嵐が吹き荒れたような痕から、元通りの荘厳な様相に戻っていた。なんなら、俺のように教会の加護に対して耐性がない子のためにわざわざ廃屋のように壊しておいた外装まで綺麗になっていた。怪異は聖職者がいなくても力量によっては教会の建物や関連する遺物に近づくだけでも辛いからね。

 おや、と思って最奥の礼拝堂まで行くとそこの長椅子であの子がすやすやと眠っていた。その長椅子も昨夜、俺とギルベルトでほとんどを粉々にしたはずなのだけれど。見事に元あった台数分、綺麗に整列されて置かれていた。俺と喰いあった時に壊したステンドグラスも元通りになっている。

 ふむ、これは予想外だ。というか、この子、俺のいうことを聞く気があるのか。てっきり、もう喰ってしまった俺のことはすでに眼中から消えていたかと思っていたのだけれど。


「ギルベルト、戻ったよ。起きなさい」


 眠りが浅かったのか、それともそもそも寝ていなかったのか。すぐに不機嫌そうに身を起こして気だるげに椅子にもたれかかった。


「片付けるだけでいいと思っていたのだけれど、ここまで元通りにしてくれるとはね。というか、お前。物質の創造能力があるね?」


 隣に座って問いかけると、おもむろにギルベルトは宙に手をさっと振り、大聖堂に嵌め込まれているステンドグラスの一部を作ってみせた。月の光を受けてキラキラとガラス片があの子の手の内で煌めいていた。

 なるほど、これで大聖堂の修復をしたわけだ。この大規模の建物の内装外装含めて、俺が戻ってくるまでに終えたとなると、やはりこの子の力は果てしなく強い。

 そもそも物質の創造自体、できる怪異個体は稀であるしできたとしても小さく純度の低い装飾品がせいぜいだ。俺たち吸血鬼には固有の能力を持つ個体がいる場合があるけれど、そのエネルギー源、質量源ともいうかな、それは己の血液だからね。ギルベルトにはそれだけの量の血液を即座に放出、利用し、変化また補充できる身体的な強さがあるということになる。

 では片付けはどうしたのだろう。あの瓦礫の山は一体どこに消えたのか。大聖堂の外には何もなかったけれど。

 これも、まあ直接聞くしかないね。


「瓦礫はどこにやったんだい?結構な量があっただろう。どうやって片付けたのかな」


 すると今度は、ギルベルト自身は動かずギルベルトの影がみるみるうちに広がりその影が急に立体となってかぱりと顎門を開いた。さながら、あの子の影自体が質量を持った大顎を持つ化物のように。


「……これで、たべたのかい?」


 こくりとうなづく。まあ、本当に食べたわけではなく、これもこの子の能力で影の中に物質を収納しそれを分解することができるのだろう。

 というか、この子影があるな。吸血鬼は鏡に映らないというのが人間の中でも通説として有名だろう。鏡は光による己の虚像の反射であるからそもそも光を受け付けない吸血鬼は鏡に映らない。そして、光を受け付けない、結ぶ像がそもそもない吸血鬼には影がない。ほとんどの個体はね。

 しかし、この子には影がありそれを自在に操っている。おそらく影由来のものがギルベルト固有の能力になるのだろう。ならば鏡に映る映らないも、この子の気分次第でどうとでもなる。

 俺かい?俺は今は純粋な吸血鬼と言えるかも怪しい存在だからね。鏡にも映るし、真昼でも外に出歩けるよ。全盛期の頃は、そうだな。鏡に映る映らないは好きにできたかな。俺の能力は影由来ではないけれどね。一口に吸血鬼と言っても、吸血鬼の種類も能力も多種多様ということさ。

 ともかく。これでギルベルトがこの広い大聖堂をどう掃除したのかが発覚したわけだ。おまけにこの子の能力もわかったわけだけれど。まさか、己の能力まですでに把握してある程度使えるようになっているとは思わなかったな。


「なるほどね。とにかく、偉いじゃないか。ちゃんと俺の言ったことをやってくれたんだね。しかも予想以上の働きだよ。だから、どうか泣き止んでおくれ」


 この子はずっと泣いている。俺が大聖堂の掃除を頼んだ時も、帰ってきてからも。今の今までずっと。声も出さずに、静かに涙だけを流している。


「どうして、お前はずっと泣いているんだい?」


 俺を見てるのか見ていないのか、虚な視線と沈黙しか返ってはこなかった。

 この世は息苦しい。

 狂乱と怠惰に身を委ね、不死身と呼ばれる俺たちでさえそれを持て余して自我の獲得と共に死を望むようになる。忘我を期待し本能に身を投げ自己破壊、他者破壊を繰り返す。

 なぜって?

 だって、存在理由がないからさ。人間でも生涯をかけて何百人もの優秀な哲学者が何百年もの時間をかけて臨む命題だろう。

 しかし、人間の場合は生への執着と営みがある。本能的な種族の繁栄をもたらそうとする思考が根底にあるからこそ、個々人は惰性であっても日々に励んでいる。

 吸血鬼はどうだろう。まず、俺たちに純粋な同種の繁殖能力なんてものはないし、種族の繁栄なんて望むわけがない。だってもうとうに死んでいる。そもそも前提から違うんだよ。

 俺たちには何もない。何も、存在するための縁がない。存在していたからってなんだと言うのだろう。だから、皆それに気づいた時に自殺するのさ。

 自分の居場所のなさを世界に見出して、窒息する。

 俺が面倒を見ていた子たちには、なるべく自身で存在理由を見つけるよう促していた。例えば、教会に対抗することを、魔女の殲滅を、己の悦楽を追うことを。

 これでもちゃんと王として統率していたからね。同族が死に絶えるのを流石にそのまま放置はしなかったよ。

 それが、俺が自身に与えた存在理由でもあったからね。俺だってはなから自分本位さ。


 では、ギルベルトはどうだろう。涙を拭うことすら億劫で、ただ月を眺めて泣いている。あの子の中身がぐちゃぐちゃなことは誰が見たってわかる。

 しかし、結果がわかっても原因と過程がわからないから手の出しようがない。俺の話はある程度は聞くつもりはあるようだけれど、あの子から口を開いてもらうにはまだまだ時間がかかるだろう。

 まあ、いいさ。構わない。それこそ、俺たちには無限と言えるほどの時間がある。いつか、あの子が楽に息ができるようになるまで、俺は見届けるだけだ。


 ♦︎


「ロザリオ、ここの本はもう飽いた」

「おや、もう読み終わってしまったのかい?蔵書の量には結構自信があったのだけれど」


 俺がギルベルトに対してまず行ったことは、本を読むことを勧めることだった。

 読書による知識の獲得と理解、解釈への思考の結合は自我の確立と同時に自己理解につながる。これは結構、場合によっては即刻自殺コースにも行きかねないのだけれど、ギルベルトは自分のことを把握しているようでしていない。漠然とした己への諦観と絶望を見出したまでだ。そこを深く覗くことができれば、あの子が泣いている原因がはっきりするかもしれない。それに死にたくても、あの子は強すぎて死ねないだろう。可哀想だけど。

 喰われる前の全盛期の俺が全力でやっても、あの子を消滅まで持っていけたかと思うと難しいね。

 ギルベルトの生前の資料は当然読ませないよ。というか、残っていないんだ。生前のあの子が全て隠蔽したようでね。本当、何を考えていたのやら。


 あの子は結局、俺と一緒に大聖堂に居着いた。懐かれた、のかもしれない。なぜだかは知らないけれど。あれから俺を喰おうともしないし、俺のいうことを素直に聞いている。寝なさいと言えば素直にベッドに入るし、勧めた本はすぐに受け取って読んでいた。相変わらず不機嫌そうにムスッとはしてるけど。可愛いものだよ。

 毛を逆立てていた野良猫に気に入られたような、そんな気分になる。俺の使役する直属の眷属は猫ではなくて狼なんだけどな。

 食事についても、なるべく人間ではなくて動物や怪異にするように、という俺の言いつけはちゃんと守っていた。守ってはいたが、あれだけの力を持つこの子にそれだけでは、エネルギー供給が足りてないのは明らかだった。人間の血液は吸血鬼にとっては他とは別格でね。エネルギー源として最上級のものなんだよ。だから、俺は頻繁に知り合いの病院へ行って輸血用の血を分けてもらったり、裁判所に行って死刑囚を引き取ったり、色々していたんだ。

 これでも人間の方にも顔が効くものでね。それに、人間に紛れて暮らしている怪異なんて珍しくはない。

 さて、今俺の言ったどこに彼らは潜んでいるのだろうね。

 

 毎夜、あの子と対話を試みた。最初の方は月を見て涙を流すだけで、なんの反応もなかった。けれど、本を読ませること、あの子の好きな月光浴へ連れ出してあげること、そして根気強く対話を続けていくうちに少しずつだけど、あの子は自身の中身を見せてくれるようになった。

 曰く、気づいた時から頭の中の思考を何かに占領されているらしい。何か、とは、言ってしまえば漠然とした不安と絶望、諦観と猜疑心。例えば己の存在を問い詰める声、他の存在と己との差異を見出したがための孤立感、そして何よりいくら苦しくても死ねないことに気づいたどこにも持っていきようがない深淵のような感情。

 この子は寝ていない。寝ているように見えて常に頭の半分は覚醒状態にある。だから、自身でも意識を落とせない。怪異として強すぎるがために他人からの意識への干渉も受け付けない。己の辛さを己だけで抱え込んで、それに耐えるしかない。死ねないのに、死ぬまでずっと。だからこの子は中身の負荷に耐えかねて、ずっと泣き続けて死を望む。

 これは人間で言うところの重度の鬱と呼ばれる状態だろう。

 なぜ吸血鬼として成った状態からそうなっているのかは、この子の生前に理由がありそうだけれど、これはもう誰にもわからない。ギルベルト自身にも。

 だから、死ねる夜が来るまでこの苦痛を受け入れて耐え続けるしかない。


「今までの子たちもそうだった。お前も何か己に課すといい。存在理由をお前自身で定義していいんだよ。それができればずっと楽になる」

「……何にも惹かれない。俺は死ぬことができればそれでいい。……ロザリオ、お前ならば俺を殺せたのではないのか。あの時、俺に身を差し出さずに首を刎ねていれば」

「……ごめんね、俺ではきっとお前を殺し切ることは無理だったよ」


 泣き続けるギルベルトの柔らかな金髪をすくように撫でてやる。


「けれど、お前のことはちゃんと一番近くで見届けるから。安心しなさい。投げ出したりなんてしないよ」


 ♦︎


 俺があの子を見つけてから、100年くらいかな。それまであの子は俺とずっと一緒にいた。幸いなことに、魔女の女皇ローレライも教会に対して何かしでかそうと準備しているのか、それにかかりきりで俺らのことは眼中にないみたいだったから平和なものだったよ。教会の方も、その魔女への対策やらで忙しそうだったし、吸血鬼の母数はギルベルトが一気に減らしてしまったからね。それほど脅威とは捉えられなかったのか、あのニヤついたじーさんが気を回したのかは知らないけれど。


 その100年でギルベルトは随分と落ち着いた……のならば良かったのだけれど、精神の脆弱性はそのまま。改善という改善はできなかった。ただ、ずっと泣き続けるということは無くなったかな。それこそ、新月の時のように殊更不安定になる時くらい。吸血鬼はだいたいそうでもあるけれど、その中でもこの子は月の満ち欠けに異様に心身の状態を左右される。そういう時は、隣に座って頭を撫でてやるくらいしか俺にはできないけれど、ギルベルトも大人しく撫でられてるし放置してると撫でろとでも言うように頭突きしてくるから対処はこれで合ってるのだろう。

 別に撫でて欲しいならいくらでもそうしてあげるし、頭突きも俺に甘えて戯れてるつもりなのだろうからいいけれど、お前はまだ力加減ができてないから頭突かれるたびに俺の体のその箇所が砕ける。今までは長い目で精神の安定を目指してみたけれど、そろそろ力の制御も覚えさせないとな。この子の力は強すぎる。大聖堂の扉も何度壊して直させたことか。

 そう思っていた頃に、あの子にとって転機が来た。しかも悪い方の。

 ギルベルトが、聖騎士に出会ってしまった。


 聖騎士については、君も知っているだろう。俺より君の方が詳しいかもね。そう。君の友人が成った人間側の最高戦力。教会最後の砦。太陽の騎士。神の加護と聖女の洗礼を受けたその時代唯一の人間。

 本当にきっと偶然だったんだ。あのじーさんもギルベルトが不安定なことは知っていたし、こちらに何も差し向けるつもりなんてなかったはずだ。

 でも、出会ってしまった。

 極夜の満月の日だった。極夜になるとあの子はひどく感情が昂る。だから外に連れ出して、適当に月光浴なりなんなりで発散させてあげてたんだ。けれど、極夜で活動が活発になるのはあの子だけじゃない。ましてや吸血鬼だけではない。怪異全体に言えることだ。だからだろうね。怪異を警戒して巡回していたその当時の聖騎士に出会してしまった。

 

 あの頃の聖騎士の名はアイゼンベルク。鮮烈な夏の空のような青い髪を靡かせた若い青年だった。……君の友人と同じ髪色をしていた。当然、聖騎士はこちらを見咎めるなり討伐対象とみなし攻撃体制に入った。それを見て昂ったギルベルトが応戦しないわけがないよね。

 戦闘はギルベルトが押していた。当然だ。若い聖騎士になったばかりの人間では、この子の相手は手に余るだろう。

 けれど、聖騎士は無傷でギルベルトの攻撃を凌ぎ切った。携えた大剣を見事に扱い、あの子の一方的な暴力に耐えて見せたんだ。

 それにはギルベルトも流石に驚いたみたいでね。今まで俺以外にあの子と並べるまでの戦闘力を持つ者に会ったことがなかったし、自分が壊せないものがある、ということに戸惑ったのかも知れない。

 その様子を見て、そろそろ頃合いだと思いギルベルトを回収して帰ることにしたんだ。朝も近づきかけていたし、教会の子たちが応援に来てしまっていたからね。

 その夜は、まだそれだけで済んだんだ。けれど、あの聖騎士はギルベルトをかなりの脅威だとみなしたようでそれから何度も対敵することになった。

 その度に聖騎士の戦闘の習熟度は上がっていく。初めはいなすだけで精一杯だったのが、あちらからも攻勢に転じるようになった。無論、ギルベルトにその刃が届くことはないけれど。10年、20年、と何度も何度もあの子と聖騎士は打ち合った。そして打ち合うたびに聖騎士は歳を重ね、精神も戦闘の技量も円熟していった。心身ともに成長を続ける聖騎士を見て、ギルベルトは酷く憔悴していった。戦闘であの子が負けることなんてありえないけれど、精神面ではどうやったって勝ち目はなかった。すぐにわかったよ。最初に見た時からアイゼンベルクはすでに揺るがない強靭な精神を持っていた。水面の月の例えでは相応しくない。あれは熱い鉄を打ち武々のように鍛えられた鋼そのものだ。そしてそれは歳を重ねるごとにさらに熱い鉄で打ち重ねられ、研鑽を積まれより確固たる強度を築いていく。

 俺らのような吸血鬼には喉から手が出るほど欲しくても、届かないものだね。何せ俺らには鍛えるだけの精神の土台がはなからない。前提が人間とは違うんだ。ギルベルトもそれに気づいたのだろう。初めは歯牙にもかけなかった聖騎士との邂逅に、顔を歪めて苦しみ出した。そしてアイゼンベルクを殺すことに執着し始めるようになった。あの子にとってアイゼンベルクとの接触は悪影響しかないから、大人しくして欲しかったんだけどね。全然聞いてくれなかったよ。

 ギルベルトは俺と会った時から自分の精神の脆弱性にひどく自覚的だったからね。それをなんとかしようと、少しでもマシにしようと今まで凌いで耐えてきた。なのに目の前で俺らにとっては瞬く間の時間で成長して心身ともに円熟していく存在がいる。それをまざまざと目の前で見せつけられたんだ。とんでもないだろうね。

 もう何度目の邂逅だろうか。その頃にはアイゼンベルクは壮年の練達した聖騎士になっていた。最初の頃の若く経験も浅い時から比べるのも烏滸がましいくらいに、見事に成長して聖騎士たる風格と圧を宿していた。そして、ここまででアイゼンベルクは傷は負っても5体満足でギルベルトと戦い続けていた。ギルベルトは、あの子は、彼に致命傷と言えるものを与えることができずにいたんだ。

 その頃からだ。アイゼンベルクはギルベルトと戦闘中に対話を試みるようになった。それだけの余裕が生まれたということだろうね。それがさらにあの子を煽ることになるのだけれど。


「貴殿の望みはなんだ」

「貴殿はどうして研鑽を積まない。その戦い方はただの癇癪や八つ当たりだ」

「貴殿は、なぜ、存在している」


 中々に酷なことを聞くよね。そんなこと俺らが知りたいくらいさ。とくにギルベルトにとってはよく効いたよ。

 対話なんて全て無視していたのに、最後の問いを投げかけられた時に、あの子は目を見開いて呆然として動けなくなってしまった。

 そして、その隙にアイゼンベルクに首を刎ねられた。

 真一文字に迷いの無い軌道で抜かれた刃は、ついに吸血鬼の王の首を落としたんだ。

 今まであの子は聖騎士に致命傷を与えられなかったけれど、聖騎士もあの子に手傷を負わせることができなかったんだ。でも、その時初めて、ギルベルトはアイゼンベルクに屈してしまったのだろう。

 もちろん首を切られたくらいではあの子は死なないし死ねないよ?でも、これは中身の問題。

 瞬く間に再生したギルベルトはそのまま接近していた聖騎士の右肩から腕の全てを衝動に任せて食いちぎった。あの子の表情は見えなかったけれど、ひどく動揺していたのは流石にわかったよ。

 大剣を持てなくなった聖騎士は、もう撤退するしかないし、アイゼンベルクは教会に戻ったとしても聖騎士ではいられないだろう。代替わりだ。

 無言を貫いて尚も彼を壊そうとするギルベルトを、片腕を無くし真白の鎧を血で濡らした聖騎士は言葉だけで止めて見せた。


「脆弱で傲慢な吸血鬼の王。不変の月の影でしかない憐れな存在。私では貴殿を仕留めきれなかったが、これから先も我々は貴殿を追い続けていつか必ず死にいたらしめるだろう。それまで、夜を這いずって己の至らなさに耐え続けるがいい。それが貴殿の存在理由だ」


 ♦︎


 そのあとはご想像通り、散々だったよ。あの子の精神状況は出会った頃にまで戻ってしまった。いや、より酷くなったと言ってもいい。大聖堂に限らず、視界に入ったありとあらゆるものを破壊し、人間だろうが怪異だろうが、手当たり次第に喰らった。

 俺の声は、もうあの子には届かなかった。そして、ふらりとギルベルトは俺の前から姿を消した。どこに行ったのか、本気であの子が行方をくらませる気ならば、弱体化し吸血鬼としても怪異としても、ギルベルトがいうところの矮小な俺にはもうどうにもできない。

 ただ、あの子の破壊衝動は続いているようで北の街で一夜にして人が食い尽くされた、だったり、また代替わりした聖騎士とやり合ってる怪異がいるなり、あの子がやらかしたであろう被害状況は俺の耳にも届いてきた。しかしそれも座標がめちゃくちゃで、あの子の居場所を特定するには至らなかった。

 投げ出さずに見届けてやると言いながら、この体たらくだ。今でもあの子は月を見て、ずっと声も出さずに泣いているのだろう。なんとかしてあげたいとは勿論思っていた。

 でもね、驚いたことに俺も少々不安定になってしまった。俺自身が自分に課していた存在理由が吸血鬼の統治と庇護だったからかな。庇護する対象がいなくなって、俺の存在理由もブレてしまった。ふふ。子離れできない親ってこんな感じなのかね。俺も、ギルベルトや眷属の子達に依存していたのかもしれない。

 

 そんなことを考えているうちにギルベルトがいなくなって、100年が経った。

 そして、これは完全に私事になるが俺は伴侶を娶った。そのおかげで今の俺があるし、俺の不安定さは取り除かれた。

 でも、この話はまた今度ね。今、君が聞きたいのはそこではないだろう?

 さあ、夜はまだ長い。続きを話そうか。


 ♦︎


「ロザリオ、お前に頼みがある」

「ようやく再開して開口一番それかい?それが100年以上、心配をかけた相手に対する態度かな?」


 ギルベルトがいなくなってから100年と少しかな?俺もちゃんとは覚えてないけれど。あの子は消えた時と同じように突然、俺の前に再び現れた。俺は相変わらずずっと大聖堂にいたからね。そこで吸血鬼の墓地を作って墓守をしていたんだ。

 墓による埋葬は信仰ありきのものだろうって?だからって教会の管轄になるわけではないよ。俺らだって消失した後の安寧を祈ったっていいだろう?散々苦しんで、のたうち回ったうちに泡沫の幻影のように消えるのが吸血鬼の最期なのだから。最初からこの世に認められない存在だとしても、何も残さずに消えてしまっても、それを俺は覚えていようと思ったのさ。それが、俺が俺に課した新しい存在理由の一つでもあるけれど。

 俺たちを憐れだと、思われたくなかったんだよ。それに信仰があるかないかで言えばあるよ。月だ。俺たち吸血鬼は月に支配された夜でしか存在できない。ならば祈るのは、願うのは、縋るのは、無貌に微笑むあれしかないだろう。


 話が逸れてしまったね。ギルベルトが急に俺を訪ねてきたというところだった。

 その頃にはもうあの子は天災と呼ばれるようになっていた。魔女の女皇、吸血鬼の王、悪魔の首魁。最上位の災害と呼ばれる怪異のことは君も知っているだろう。女皇のローレライは戦災、王のギルベルトは天災、そして首魁は人災。

 これは余談だけれど、ギルベルトが行方をくらました直後にあの神様も失踪したんだよ。そして次に会った時にはあのニヤついた顔はそのままに悪魔様と名乗った。あのじーさん、神様の次は悪魔の首魁になっていたけれど、また神様に戻ったんだろ?慈愛と慈悲を持ち合わせると苦労するね、全く。


 おっと、また話が逸れてしまった。ごめんね。俺も流石に耄碌したのだろうか。まあ、年寄りは話したがりだから、許しておくれ。

 ギルベルトが訪ねてきた時は随分と驚いたよ。俺にもう会う気はないかと思っていたのもそうだけれど、纏う雰囲気が全く以前と異なっていた。

 まだまだ未熟ではあるけれど、王と呼ばれるに相応しい圧迫感とも言えるカリスマ性を持って、泣いてばかりの迷子の目は月ではなくしっかりと俺を見ていた。

 ギルベルトはハイデンライシュタイン城というところを居城として定めたそうだ。その過程やこの子の生前のことを考えると、今や城化物となった怪異の子には憐れみを覚えてしまう。けれど、一所に留まるようになったのはいい傾向だと思う。帰る場所、安全圏があるというのはこの子の精神を守ることにもつながるだろう。

 俺の知っている姿とは比べ物にならないほど、安定してるギルベルトと話してみると、ギルベルトは俺に頼み事があって来たようだった。頼み事をできるようになっただけでもすごい進歩だ。

 はて、俺の預かり知らぬところでこの子に何があったのだろうか。そう首を傾げつつも感動していると、さらに追加で驚かされることになる。


「もう一度、会いたい人間がいる。必ず見つけると、約束した。そのために、俺を躾けてくれ」

「なんだって?躾ける?」

「あの子を見つけたとしても、その時点のあの子は俺を知らない。ならば、あの子に俺を見初めてもらえなければ、取り合うことさえしないと言われた」

「……ちゃんと全て説明しなさい」


 頭を抑えながら詳細な説明を促すと、ギルベルトは水面の月の裏側から訪れた客人の話をしてくれた。

 夜の眷属が虜になるような、静謐な夜闇の魔性を纏った子の話。光を呑み込む黒髪に、吸血鬼の王相手でも躊躇なく殺意を込め睨む深い紫の目を持った女性。女性としては低音で凛としながらも、艶美さと甘やかさを秘めた脳で揺蕩う声をしていたと。

 そして、自分の名前を何度も呼んで引きとどめて、泣き止むまで離れずにいてくれて、臓器を引き摺り出しても直接文句を言いに来てその後で許してくれたと。

 何もかも不安定で何もないのに、それでも自分だけを求めてくれて、息をさせてくれた。

 ふふ。君のことだね。そんな顔をしかめないで。ギルベルトはいなくなった君のことを忘れないようにしようと、必死だったんだから。僕らは長く存在しているからね。記憶も意識して留めようとしていないと摩耗していくんだよ。


「初めて、焦がれた、のだと思う。あの子は俺に恋慕の情を向けてくれた。手放したくはない。俺も」


 あの子と共に堕ちて行きたい。

 苦しそうに胸を押さえて俯いたギルベルトの頭を撫でてやる。こうしてこの子の頭を撫ぜるのは久しぶりだね。情操教育はまだ時間がかかると思っていたし、吸血鬼に必要かと言われればそうでもないのだけれど、君との邂逅はギルベルトにとって良い転機となった。

 アイゼンベルクの課した存在理由よりも、ギルベルトは君を己の存在理由と定義したんだ。


「そうかい。それはよかった。あの聖騎士に囚われる必要はないからね。お前の好きなようにしなさい。お前が楽にいられることが俺にとっては最も大事なことだ。ところで、お前は形態変化と直属の眷属はどうしたんだい?」

「……まだ、決めてない」


 吸血鬼は変身能力がある。それに特化して何にでもなれる子もいるけれど、大体は己の気質に近しいものや理想に近いものを、自分のもう一つの姿として動物の形態を定める。そして、それが直属の眷属、使い魔と言ってもいいかな、使役できるようになるんだ。それも吸血鬼が自身の中身を安定させる手段の一つでもある。自分の中身が一目で見てこういうものに寄っているのだと分かれば、思考も言動もそれを元に指標になるだろう?雛形があるというのは、随分と助けになるんだよ。


「では、今決めてしまおうか。お前はどの動物に己を定義するんだい?」


 この子は気ままだから猫科……黒豹かジャガー、繊細で過敏でもあるから大型の蛇でもいいかもしれない。この子自身の力が強いから、皮は大型生物が相応しいかな。なんて、思っていたのだけれど。


「……黒猫がいい」

「……猫かい?豹などではなく?」

「……あの子が、黒猫が好きだと言っていた」


 思わずポカンと口を開けて呆けてしまった。けれど。ふふ。そうかい。


「良いんじゃないかな。お前がそうしたいならばそうするといい。確かにお前の性質は猫に近しいし大きさにこだわる必要もないかもね」


 早速形態変化をさせてみると、艶やかな毛並みを持ったしなやかで美しい黒猫が佇んでいた。金の瞳が二つ、こちらをじっと見つめている。ああ、そうだ。


「お前の話でそのオルドレットという子は黒猫が好きなことは分かったけれど、お前は王なのだからもう少し品があったっていいだろう」


 大聖堂の1番奥の部屋からそっと、繊細で精巧に編まれたヴェールを取り出す。

 このレースは妻が繕ったものだから、手元に置いておきたいけれど、可愛い子のささやかでも成長のお祝いだからね。


 それを猫の状態のギルベルトに合わせて耳の形に被れるように調整して被せてやる。うん。他の猫やケット・シーとも違うとわかりやすいし、俺の妻が作ったものだからね。ギルベルトが元々持ってる気品がよく引き出されてる。


「そのヴェールをお前にあげよう。猫の時はそれを被っているといい。そうすれば、お前のいうその子も、お前と他の猫をすぐに区別して目に止めてくれるはずだ」


 褒めてやると、ギルベルトはふいとそっぽを向いたがそのまま撫でているとぐいぐいと頭突きで押し返してきたので喜んではいるのだろう。


「さて、お前を躾けて欲しいとのことだったね。いいよ。請け負おう。そうだな、まずは力加減から覚えようか。でないと、お前のいうその子に触れることすらもできないからね」


 そうはいったものの、この訓練は中々に大変だったね。ギルベルトってば本当に力が強すぎるんだから。それに、今まで力を加減しようと思ったこともない子だから。

 何度も俺の体を壊してくれたよ。手を握ってごらんと言えば手のひらをぐちゃぐちゃに握りつぶすし、エスコートのために腕を引いてごらんと言えば肩から引っこ抜くし。

 あはは。あれはあれで面白かったし、その度に珍しく焦って顔が真っ青になるギルベルトを見るのも愉快だったよ。

 なんとか力加減ができて、俺を壊さなくなったから、次は精神面のコントロールをと思ったのだけどそれは以前面倒を見ていた時に無理だとわかったからね。こればかりは、ギルベルトが君を見つけるのを待つしかないと思ったんだ。だから、そのために君相手に相応しい振る舞いを叩き込んだ。

 君もギルベルトの素は知っているだろう?表情を動かすのすら面倒で、目に入るものをすぐに破壊したがる。いくら繕っても根幹は変わらないから、繕ってる面もあの子ではあるけれど、君と相対する時はもう少し紳士的に振る舞えるように躾けようと思ってね。

 だから一人称を俺から僕に変えさせて、温厚柔和に見えるような立ち振る舞い、言葉遣いを教えた。何度も言うし、君もわかってるとは思うけど中身は全く変わらないからね?

 でも、ギルベルトから君の話を聞いた時に最初はそう接した方がいいと思ったんだ。あの子はそれよりも猫の形態を選んだみたいだけれど。

 ふふ。こう聞くと、ギルベルトが全力で最初から君を落としに行っているように聞こえるだろうけれど、その通りだよ。あの子は君を見つけて引きとどめようと必死だった。

 

 俺とギルベルトが再開してから150年くらい経ってからかな。君はギルベルトにどの時代に自分が存在するかを告げていなかっただろう。君にも何かしらの考えがあったのだろうし、責めるつもりはないけれどあの子の精神の脆弱性は君も知るところだろう?だから、そのせいで少々困ったことが起きたんだよ。


 有り体に言ってしまえば、ギルベルトが折れて壊れかけてしまった。


 ♦︎


 ギルベルトはもう吸血鬼の王、最上位怪異の災害の一つとして君臨していた。

 そしてあの子の食欲は尋常ではないからね。それこそ食事は数ヶ月に一回だけれど、それで冗談ではなく街一つ消えてしまうんだよ。

 これは余談だけれど、吸血鬼にも人間のように三大欲求は存在している。睡眠欲、食欲、性欲だね。そして、それは己の存在を長らえるために必要なものだ。つまり、人間よりもはるかに再生力、生存力が強い吸血鬼はそもそもその欲求が人間より強い。そしてもっと言えば、生存力が強い吸血鬼、力が強い吸血鬼ほどその欲求は強くなるんだよ。

 あはは。すごい顔顰めたね。そうだよ。吸血鬼の中で、と言うか現存する人間怪異含めて本能的な欲求が1番強いのはギルベルトじゃないかな。

 話を戻そうか。その強い欲求と、おそらく君を見逃さないためだろうね。街の人間を一人残らず喰ってしまう、なんてことを繰り返していれば当然教会に目をつけられる。

 つまりね、聖騎士が出てくるんだ。


 ギルベルトはアイゼンベルクの後も何度も、その代の聖騎士とやり合ってきた。そしてその度に聖騎士の成長を見て心身共に練度の上限に達した聖騎士たちと対面した。

 聖騎士には殉職がない、というのは君も知っているかな。聖騎士は必ず勇退するんだ。これがどう言うことか、わかるかい?

 俺と初代は対敵しても殺さないようにしていたけれど、ギルベルトはそうではない。

 ギルベルトは聖騎士に殺されることはなかったが、聖騎士を殺すこともできなかったんだよ。純粋な力では明らかに勝っているのに。これは決してギルベルトが手加減をしているとか、そう言う問題ではない。また別の、あの子の中身の問題だよ。引け目、嫉妬、劣等感と言ってもいい。

 あの子は自身の中身の未熟さ、混沌さにひどく自覚的だと言ったね。その対局を行く存在がずっと自分を追ってきている。代を超えて、ずっと。それは酷くギルベルトを摩耗させた。

 それに加えて、縁にしている君は一向に見つからない。見つけようとすれば聖騎士と対面することになる。手詰まりだよ。

 だから、次にギルベルトが俺を訪ねてきた時にはもうあの子は壊れかけてしまったんだ。

 かなり憔悴していた。泣くことすら辞めたようだった。痛々しかったよ。

 ギルベルトは前から手を変え品を変え、自殺を繰り返す子だったんだけどね。まあ、死ねないけれど。それが酷くなったのもこの頃からだった。

 ギロチン、首吊り、串刺し、火炙り、出血多量、毒に聖水。何をもってしても、あの子を死にいたらしめるに足るものはなかった。

 挙げ句の果てに、最初に会った時のように俺に殺してくれと頼んできた。もう、俺にはなんの力もないのにね。そんなこと、俺を喰ったギルベルトが1番よくわかってるはずなんだけれど。それくらい、追い詰められていた。

 

「ギルベルト。今から、お前に酷なことを言う。よく聞きなさい。お前は強すぎる。誰が何をしたって、お前は死ねない。お前だとしても、お前を殺せない。お前が繰り返してる自殺だって、縄をかけた一瞬は荷を下ろしたように楽なったと感じるだろう。だけれどどうだ。次に目が覚めた時にはお前は何の傷もなく再生している。そして己が存在していることをより強く絶望するんだ。自殺に失敗した後、お前は毎回酷く取り乱すね。それはそうだ。1番高いところから地の底へと叩き落とされているのだから。だから、もう諦めなさい。長らえろとは言わないけれど、死ぬことを諦めろ。そうでも思わないと、いつまで経ってもお前が辛いだけだよ」

 

 ギルベルトは俯いて、もう月も見ていなかった。


「お前の縁になってくれるあの子は必ず見つかる。他でもないオルドレットという子が、そう言ったのだろう?なら、それまででいいから。長らえなさい」

「……お前は」

「ん?」

「お前の存在理由はなんだ。どうしてお前は王を降りてもなお、そうして存在していられる」

「俺だって不安定な時代もあったさ。けれど王になってからはお前のような子たちの庇護を存在理由にしていた。それ以降は……妻のおかげかな」


 少し気恥ずかしくなりながらも伝えると、ギルベルトは大層驚いた様子だった。こんなに純粋に驚いたこの子の顔を見たのは初めてかもしれないな。


「ロザリオ……お前、番がいるのか」

「もうとうに亡くなってしまったよ。妻は人間のまま、死ぬことを選んだ。俺はそれを受け入れた。それだけだ」

「番が死んだのに、なぜお前はまだ平静を保って、正気のまま存在している……死のうとは思わないのか。番を眷属にしもしないで」

「人のまま死にたいと、妻が言ったものだからね。それにね、眷属にすると言っても俺たち吸血鬼は吸血鬼そのものを生み出すことはできない。吸血鬼を眷属にするならば己の力を分け与える。そうでないものを眷属化するならば、せいぜいが中位までの吸血種止まりだ。そして能力が向上したとしても、先天的に持っている特性はそのままなんだよ。妻は病弱だった。ベッドから出て数歩ほど歩いただけで高熱を出すような状態だった。そんな状態で俺の眷属にしても幾許も持たないと、俺も妻もわかっていた。だから、これ以上辛くないようにと看取ったんだ」

「けれど、もういないのだろう」

「そうだよ。だからこそ、俺の今の存在理由は妻の墓守をすることだ。他にも交わした約束もあるけれど、それはお前にも内緒かな」

「番が、近しいものがいたから、お前は存在できるのか」

「そうかもね。吸血鬼にはそういう子は少なくない。伴侶を見つけて、それに依存という形にはなるが伴侶自体を己の存在理由にしてしまう。そうなると、精神的に安定する場合が多い。これは自論だけれど、たまに思うんだよね。吸血鬼は極夜の満月に嗤いながら自殺したものが成る。長いこと人間を見ていると、自殺する者の特徴が見えてくる。死にたくないけれど、現状に困窮して、どうしようもなくて、助けを求めて死に縋る者。死にたいわけではないけれど、消えていなくなりたい。これは人間の生存本能に反してでも己を守ろうとした自己防衛が起こす行動だ。そして、その根底にある感情は孤独だ。頼れる者がいない。縋る縁がない。他人に助けを求めるという選択肢すら思い浮かばないし、あったとしても選ばない。完全に完結した己の中での最適解が自殺となった。ただそれだけなんだよ。それでも、最期には安らかなることを願うのに、俺たちは嗤ったんだ。己が死んだところでどうしようもないことを、この安寧がまやかしであることを悟って、存在する世界を唾棄して、絶望して。だから俺たちは最初から終わっているんだ。中身も何もかもが。自身にもこの世にも価値がないことがわかりきっているから。安寧などどこにもないことに気づいて祈ることさえ放棄したから。なのにまた、存在を確定され直されてしまった。ふふ。誰からの、なんの罰だろうね。自殺した時の呪いの大きさで強さが決まって死ににくくなる、というのも罰と考えると納得だよね。だからかな。とっくに諦めたところに自分を見てくれる存在がいると、つい依存してしまう。それを存在理由にしてしまう。最初から最期まで孤独でそれを嗤いながら呪った俺たちには、そんな存在は血よりも甘露な毒だ。もし見つけたならば安定はする。けれどそれがいなくなれば、壊れるのが必然だろう。俺が今そうなってないのは、本当に妻のおかげだよ」


 俺には勿体無いくらい素敵な奥さんだよ。死後だって誰にも渡さないけれど。


 ギルベルトはその後、しばらく何事か考え込んでいた。そして不意に目が合ったかと思ったら、急に俺の肩を掴んで距離を詰めてきた。加減は覚えたみたいだけど、やっぱりまだ痛いなあ。女性相手にはもっと加減しないとだよ、という前に押し倒されて背中をまた強く打った。だから、痛いって。加減なさい。俺を床に押し倒したまま、泣きそうな顔で見下ろすギルベルトを見やる。とりあえずお小言は後にしておくか。


「なんだい。どうしたのかな」

「近しい相手がいれば、俺の中身の抑止になるのか」

「そうだろうね。だから、お前はあの子を探しているのだろう?」

「でも、いない」

「俺たちの時間と、人の子の時間を同期させてはいけないよ」

「なら、それまで、俺は何に縋ればいい。どうしたら楽になる」


 ぽたぽたと氷のように冷たい涙が降ってくる。


「ロザリオ。お前ならば、俺の理由になるのか」


 ギルベルトの顔がゆっくりと近づいて、吐息が唇に触れ合う距離。

 そこで、ぺちんとギルベルトの額を軽く叩いてやった。


「……何をする」

「お前ねえ……恋慕と好意の区別くらいつけなさい。多分だけれど、オルドレットという子は節操ない奴は嫌いなんじゃないかな。浮気したら殺されると思うけれど」

「お前ならばいいだろう」

「よくないよ。まず俺は妻帯者だし。自分の孫のように扱ってるお前に襲われる趣味はないよ」


 それに。と、さっき留めておいたお小言に追加で説教することとする。


「ギルベルト。オルドレットが向けてくれた恋慕に同じものを向けて、焦がれて、堕ちたいと言ったのはお前だ。俺に手を出す暇があるなら、もう一度力加減のやり方を叩き込んでやるからそのつもりでいるように」


 俺が叩いた額を抑えてむくれているギルベルトに苦笑する。

 この子が限界なのはわかってる。焦がれた相手がいない辛さも痛いほどわかる。けれど、それが辛いほど惹かれているならば、尚更相手のために己の衝動を律しなければならない。

 

「ギルベルト、俺が死んだらどうする」

「何も」

「お前が探しているあの子が死んだらどうする」


 そう問うと、元々ない表情がさらに抜け落ち目がどろりと濁った。そして重圧と共に殺気が漏れ出て大聖堂の壁が音を鳴らす。

 ほら、ちゃんと区別はついてるじゃないか。全く。

 パンパンと、手を鳴らしてギルベルトの意識をこちらに戻させる。


「ほら、所作から言葉遣いまで、また躾直してあげるから。あの子が向けてくれた感情と、お前の感情を決して忘れてはいけないよ」


 ♦︎

 

 それからまた時が経って、ようやく。本当、ようやく。ギルベルトが君を見つけた。その知らせを聞いた時は、本当に嬉しかったよ。そして安堵もした。

 その後のギルベルトの言動も面白かったけれど。


「見られた」

「何をだい?」

「人間を喰っているところを」


 せっかく会えたのに、第一印象としてはかなり最悪な出会い方をしてしまったものだな、と遠い目をしてしまった。のだけれど。


「綺麗だと言われた」

「え?ん?」

「人間を喰っているところを」


 あの子はおかしいのかもしれない、とギルベルトが真剣に言うものだからつい笑ってしまったよ。ごめんね。でも、ギルベルトに付き合える子なのだから、それくらいでないとねとも思ったよ。

 その後も何回もギルベルトが、君について相談に来ていたんだよ。男自体にかなりの嫌悪を持っているから人間形態で近づくのはまず無理、とか。黒猫になると構ってくれるけど抱っこしようとしてくるから襲わないように逃げてる、とか。

 おや、ギルベルトが猫形態の時に抱っこさせてくれない理由を知らなかったのかい。なら言わない方がよかったかな。まあ、いいか。ふふ。

 君に初めて会った時、君も君で不安定な子だなと思ったよ。

 けれど、君もあの子も一緒にいることでようやく息ができるようになったんだね。それで十分なんだと俺は思うよ。

 ギルベルトはあの通り根幹から屑だけれど、君もなかなかに性格悪いよね。ふふ。嫌いじゃないよ。むしろ好ましい。君を見ると、妻を思い出すよ。彼女もなかなか厄介な性格をしていたからね。

 やっぱり君もギルベルトも俺にとっては孫かな。俺も長く存在したものだね。吸血鬼の中では最年長になってしまった。

 まあ、またあの子のことで困ったことがあったら言いなさい。俺の言うことならば、多少は聞くし、叱れるから。

 だから、できるだけ長く、あの子と共に夜を越してあげておくれ。


 ♦︎


「オルドレット、君が聞きたいことはこんなところかな?」


 にこにこと好好爺のように笑う少年の姿をした吸血鬼は、すっかり冷めた紅茶に手をつけた。


「はい。ありがとうございました。あいつ何も話さないので。特に猫の時に抱っこさせてくれない理由とか」

「ふふ。ギルベルトなりに君に配慮してるんだよ」


 そんなことは言われるまでもなくわかっている。あの月色の吸血鬼が私に接する時に、細心の注意を払っていることなんて最初から気づいていた。

 まさか、ここまでいじらしいと言うか、健気だとは思わなかったけれど。屑のくせに。

 そして黄昏の国の最期の大君ときたか。道理で他人を使うことに慣れているやつだと思った。あれは上に立ったことがある者からでる態度だ。

 黄昏の国は文献から消えた国として、今でも存在が疑われている程の幻想の王国とされている。しかし、それでも他国には侵略の跡がある。長年研究者たちを悩ませていた元凶がすぐそばにいたとは。やっぱりあいつ、どこにいてもどの時代でも何かしら大事をしでかすのだな。

 そしてやっぱりよく泣くのね。月の満ち欠けのような不安定さは変わらないようで、かえって安心する。私が過去で会った時もあいつは泣いていたっけ。今はその姿を見なくなったけれど、これは喜んでいいのだろうか。知らないうちに私を存在理由にされてしまったのも、困惑しかないが困惑しかない、と言うところが私にとっては良いことなのだろう。前ならば、そんなやつ嫌悪と不快感でしか見れなくてなんとかして壊そうとしただろうから。あいつにそれを感じることがないことに安堵する。私はちゃんとまだあいつが好きなんだ。だから、過去を知りたいと思った。なにより、私ばかり話してあっちは黙秘なんて許さない。浮気をしていたらどう苦しめてやろうとは思っていたけれど。

 思いの外、あの王様に入れ込まれていることに顔が火照るのを感じる。こんなことを聞いた後で、あいつになんて顔して会えばいいの。また逃げ出そうかな。


「そろそろ、ギルベルトが起きてくる頃だね。俺は帰るとするよ」

「いえ、待ってください。お渡しするものがあります」


 席を立とうとする先代の王を慌てて引き留める。自分のことなんて何も話そうとしないあいつの話を聞きたくて内緒で呼び出したのもあるが、もう一つの理由としてこの方に渡さなければならないものがあった。

 というか、普通にこの状態の私を置いて帰らないでほしい。あいつと今二人にしないで。逃げ回る自信しかない。そして絶対に捕まってろくでもないことになる。


「俺に渡すもの?」

「この手記をロザリオ様にお渡しします。私の先代のアイリーンの名を与えられた方。ガレッタ・アイリーン様の私物です」


 私の生家の隠し部屋にあった吸血鬼に娶られたと言う女性の日記。その女性の部屋に逃げ込んで私は幼少の日々を過ごしていたのだ。なんとなく何度もページを開くうちに愛着が湧いて、あそこから持ち出した唯一のもの。ヴェレーアから断片的に聞いた、私の前に聖女になるはずだった女性が吸血鬼の王に娶られたと言う話。そして、あの屑がガレッタと言う名前をロザリオ様から聞いたことがあると言っていた。そして、今聞いたロザリオ様の奥方の話。

 もしや、とは思っていたが私の先代の聖女になるはずだったガレッタ・アイリーンという方はロザリオ様の奥方だった。ならば、渡すべき方に渡すのがいいだろう。特にそれが、最愛の妻の遺品なのであれば。


「……ガレッタの、手記?」

「私とガレッタ様の生家に隠されていたものです。ロザリオ様にお返しします」


 らしくもなく瞳を揺らして動揺する少年の姿をした吸血鬼に手渡す。表紙を愛おしそうにひと撫でして、胸に大切そうに抱いた。


「……ありがとう」


 その顔は、姿相応の少年が泣いてしまいそうに、けれど慈しみを湛えて笑んでいた。


「ふふ。ああ、ガレッタの字だ。懐かしい」


 パラパラとめくっていた手記をゆっくり閉じて、再度こちらを見た先代の王は今度はいたずらっ子のような目をしていた。


「最後にまだ伝えていなかった良いことを教えてあげよう」

「いえ、結構です」


 なんとなく嫌な予感がして断るも、まあまあと宥められる。


「白夜の時にギルベルトに着付け薬、月の雫を作ってもらったよね。君の血を一滴もらったやつ」

「……それが、なにか」

「その時に君以外の血だと人間二、三人分は必要になるとも言ったことは覚えてる?」

「……ええ。その理由はあの屑に聞けと仰いましたね」

「そうだね。聞いてみたかい?」

「聞きましたけれど、私の血があいつにとって特別だから、としか」

「嘘ではないし、その通りなんだけれどね。ちゃんとした解答を言うならば、より欲する血、ギルベルトでいうならば恋慕した君の血が最も効果があるということだね。さらに言うと、欲すれば欲するほど、わかりやすく言うとなると惚れていれば惚れているほどその血は劇薬になる。つまり摂取量は少量に抑えなければならない」


 襲ってしまいかねないからね、と老吸血鬼は微笑んでいた。

 なんだかもう耳を塞ぎたくなってきた。あちらにも、私が思い切り顔を顰めているのがわかるだろう。からからと愉快そうに笑っている。


「くれぐれも、ギルベルトに血を与える時は気をつけるように。冗談ではなく、喰われてしまうよ」


 さて、今宵の昔話はここまでにしよう。そう言って月夜に溶けていった少年の姿をした吸血鬼が、一瞬成人男性のような背丈にぶれて見えたのはきっと月のまやかしだろう。



 

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