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第5話「透明な英雄」


「腹減ったー……」


森の中、小さな泉のそばでごろりと寝転びながら、悠斗は声にならない声を漏らした。

朝の空気はひんやりと澄んでいる。

鳥の声、木々のざわめき、どこか心地よい静けさ――

だが、そんな自然の恵みだけでは、空腹は満たされない。


「ていうか……風呂入りたい。マジで」


水面に映った自分の姿は、あまりにも野生的だった。

髪は跳ね放題、服には土と草の染み。

高校の友人に見せたら、全員が泣いて笑うレベル。


「……文明が恋しい。コンビニ、シャワー、ふかふかの布団……」


肩に乗っていたクロノが「にゃ」と一声鳴く。


「お前はいいよな。毛づくろいで完結してて……」


気づけば、そんな他愛ない言葉をかけるのも自然になっていた。




村は静かだった。

盗賊団の襲撃騒動が収まり、ようやく人々に日常が戻ってきている。


「……って言ってたんだよ、本当に。誰もいなかったんだってさ」

「でも鍵が外れてたって……不思議すぎるよな」

「“透明な神さま”って話、うちの爺さんもしてた」


聞こえてくるのは、あちこちで囁かれる噂話。

子どもたちが目を輝かせ、大人たちは半信半疑ながらも、

“何者かが村を守ってくれた”という物語を、どこか嬉しそうに語っていた。


(なんか……照れるな)


姿を見せないまま村を歩く。

もちろん誰にも気づかれない。

けれど、かすかに自分の存在が“残っている”気がして――

そのことが、少しだけ心をあたためてくれる。



日陰の畑で、年老いた農夫が道具を落とした。

何度も腰をかがめて拾おうとするが、うまくいかない。


(よっと)


悠斗は無言で道具を拾い、農夫の手元に置いた。

気づかれないまま。


「……ん? あれ? わし、いつ拾ったっけ?」


農夫は不思議そうにしながらも、軽く笑って作業に戻った。



物陰からその様子を見ていたクロノが、悠斗の足元でくるりと回ってしっぽを巻いた。


「これで今日も、誰かひとり助けたな」


声は届かない。名も呼ばれない。

でも、確かに“誰かの一日”が少しだけ明るくなった。


それでいいと思えた。



村のはずれ、小さな祠の前。


「この辺りには、“いない者”が守ってくれているらしい」


祠を見守る神職の男が、ぽつりとつぶやいた。


「その姿は誰にも見えず、声も聞こえず、ただ困っている人のそばに現れる。……まるで風のようにな」


噂は、少しずつ“伝説”になろうとしていた。


(俺のことなんて、ほんとは誰も知らないのに……)


でも、悠斗はそれを止めようとは思わなかった。


むしろ、**“誰にも見えないからこそできること”**があると、ようやく気づき始めていた。



その夜。森の中。


焚き火もない。声も光もない。

静かな夜を、悠斗とクロノは寄り添って過ごしていた。


「不思議だよな。誰にも認識されないなんて、最初は地獄かと思ったのに……」


クロノが膝の上で喉を鳴らす。


「……今は、ちょっとだけ、ありがたいって思えるよ」


世界から消えかけたはずの存在が、

誰かの役に立てている。


見えなくても、そこにいる。


――そんな実感が、悠斗の胸の奥に、静かに灯っていた。

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