第3話「“何者でもない”から見える世界」
檻の奥で、少年がわずかに身を震わせた。
傷のついた足首を抱え、周囲を警戒するように目を動かしている。
(クロノの爪、効いた……)
彼は何かに“触れられた”ことを確かに感じた。
だが、それが猫とは気づいていない。
そしてもちろん、悠斗の存在にも――
(俺のことは、まだ……見えてない)
そりゃそうだ。
スキル《存在薄弱》のせいで、まともに認識されることはない。
ここまで近づいても、誰一人、悠斗の気配に気づく気配はない。
けれど。
(じゃあ、“クロノを使えば”……)
意図的にではない。
でも、確かに今、悠斗の“意思”が、クロノを通して少年に届いた。
それは、思いがけない突破口だった。
⸻
建物の中には、檻のほかにも物資の山や地図のようなものが散らばっていた。
奥のテーブルでは、盗賊のリーダー格らしい男が、部下に命令を飛ばしている。
「明朝、別の村に移るぞ。ここは捨てろ」
「ガキは売り先が決まってる。逃がすなよ」
悠斗は自然に、彼らの声を記憶しはじめていた。
言葉、表情、配置、武器――
普段なら緊張で頭が真っ白になってもおかしくない距離。
だが、認識されない安心感が、冷静さを保たせてくれる。
(気づかれないからこそ、“観察”に全振りできる……)
自分は戦えない。力もない。
でも、だからこそ――「誰よりも見える場所にいられる」。
⸻
「クロノ」
肩の上に戻ってきた黒猫を見上げる。
賢そうな瞳が、こちらを静かに見返してきた。
「俺、あの子を助けたい。どうにかして……外に出してやりたい」
猫は返事のように、小さく鳴いた。
わかっている――そんな風に、悠斗には思えた。
⸻
作戦は、シンプルで無謀なものだった。
まずは檻の鍵の位置を確認。
盗賊の一人が腰に下げている。
(あの鍵を、まず……)
クロノが音もなくその男に近づき、
腰の布の上に飛び乗った。
「うおっ、なんだ猫か?」
ようやく“存在に気づいた”男が、慌てて猫を払おうとした瞬間――
鍵が、コトリと地面に落ちた。
「っ、てめぇ、何して――」
だがクロノはすでに次の棚の上へと跳んでいた。
盗賊たちは追い払おうと必死になるが、その動きが結果的に“視線と意識を分散”させていく。
(今だ!)
悠斗は鍵を拾い、檻の前まで移動した。
もちろん、少年には気づかれない。
けれど、彼の手元――鉄格子の隙間に、
カチャリ、と鍵を滑り込ませる。
少年が気配に気づき、鍵を握った。
「……っ!」
手探りで、鍵穴を見つける。
何度かカチャカチャと回す音がして――
やがて、重い錠が「ガチャン」と外れた。
(……よし!)
悠斗は何も言わず、少年の横を通って先回りし、
盗賊たちの意識が逸れている隙を利用して、
扉の外までの“安全ルート”を確保する。
クロノも合流し、少年の足元を滑るように走る。
(これなら……行ける!)
⸻
――そして、数分後。
少年は森の中を、泣きながら走っていた。
どこかで聞こえる兵士の声。
彼は森を抜け、村へと続く道へ戻っていった。
悠斗は、それを木陰から見送った。
誰にも名前を呼ばれなかった。
ありがとうも、振り向きもなかった。
けれど、それでよかった。
自分は、“いない者”なのだから。
それでも、
“見つけてあげること”はできる。
“救うこと”も、きっと――できる。
⸻
肩に乗ったクロノが、くすぐるように頬をなめた。
「……ありがとな、クロノ」
猫は何も言わず、ただまぶたを閉じた。




