第2話「気づかれないスキルの“価値”」
朝露が干し草を濡らす冷たさで、目が覚めた。
黒猫はまだ膝の上で丸くなっている。
その呼吸の一定さに、ほんの少しだけ安心する。
(ほんとに……ずっとここにいてくれたんだな)
頭を撫でてみると、ふにゃっと目を細めたあと、しっぽをくるんと巻きつけてくる。
まるで「もう少し寝ていたい」とでも言うように。
「……そろそろ起きようぜ」
猫をそっと下ろし、干し草を払って立ち上がる。
軽く伸びをすると、どこか現実味のなかった身体の感覚が、ようやく自分のものに思えた。
⸻
村はすでに活動を始めていた。
行き交う人々の声。焼きたてのパンの香り。
でも、やはり――
誰も、こちらを見ない。
目の前を通っても、ぶつかりそうになっても、反応はない。
(やっぱり、スキルは有効ってことか)
自分の存在が、意識の網から滑り落ちていく感じ。
見られてはいる。でも“認識されない”。
この感覚には、もう慣れかけていた。
⸻
猫がぴょんと肩に乗ってくる。
すっかり懐かれたようで、視線の高さが少しだけ変わった。
(名前……つけてやるか)
「おまえ、なんて呼べばいいんだろうな……」
黒くて、静かで、人懐っこい。
でもどこか、人間の目を見透かすような賢さがある。
ふと、脳裏に浮かんだ言葉。
「――クロノ」
猫が小さく鳴いた。
まるで気に入った、とでも言いたげに、しっぽが軽く揺れる。
「よし、クロノで決まりだ。よろしくな」
⸻
市場の近くに差し掛かったとき、ふと気になる会話が耳に入った。
「……だから、村の周りを見張ってたらしいぜ」
「盗賊、また出たのか……」
「北の森に拠点があるって話もある。こわいなぁ」
盗賊――
異世界らしい物騒な単語が、唐突に現実を引き戻す。
(北の森……って、あの辺りか?)
森は広い。だが、昨日自分がいたあたりだ。
意識されない自分なら、確かめに行っても――
「……行ってみるか、クロノ」
猫が肩で身体を丸めながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。
それが「いいよ」と言っているようで、思わず小さく笑ってしまう。
⸻
森に戻る途中、通りかかった兵士たちの横をすれ違ってみた。
荷車に武器が積まれている。物騒な雰囲気。
一人の兵士の肩に、自分の腕がほんの少し触れた。
――だが、彼は全く気づかず、軽く肩を回すようにして通り過ぎた。
(やっぱり、認識されないってレベルじゃない。完全に“気配がない”って感じだ……)
茂みを抜け、森の奥へと足を踏み入れる。
すると、岩場の奥に、石造りの小屋のような建物が見えた。
(……マジであった)
数人の男たちが、入り口で酒を飲みながら騒いでいる。
会話の内容からして、間違いない。盗賊だ。
普通なら、息を潜めて隠れるしかない。
でも、今の悠斗には、その必要すらなかった。
堂々と、建物の近くまで歩く。
物音も気配も一切察知されないまま、彼は扉のそばまでたどり着いた。
⸻
中では、金や武器、さらには人が運び込まれていた。
「村からの荷だ」「明日には売りに出す」と笑い合う盗賊たち。
悠斗は思わず息を飲んだ。
自分一人では何もできない。けれど、これを“知ること”ができるのは、
《存在薄弱》というスキルの力があるからこそだった。
(誰にも見えない。声も届かない。
でもその代わり、どこまでも近づける。どこまでも、聞ける――)
クロノが小さく鳴いた。
その目が、盗賊たちの奥――檻の中にいた、少年の姿をとらえていた。
(……捕まってる!?)
それは、昨日市場で見かけた少年だった。
無表情で、恐怖に顔を強張らせ、両腕を縛られている。
「……助けなきゃ」
だが、どうやって?
このスキルは便利だ。
でも――あまりに孤独で、誰にも届かない。
悠斗は初めて、**“力があっても、繋がる手段がなければ無力”**だと思い知った。
⸻
そんな彼の視線の先で、クロノがふいに動いた。
するりと檻の隙間から入り、少年の足を軽く爪でひっかいた。
「っ……!」
少年がびくりと反応し、周囲を見回す。
その目が、一瞬こちらに向けられた。
(……見えた? いや……違う。今のは……)
悠斗は、じっと己の手を見つめた。
直接は届かない。
でも、“行動”を通じてなら、誰かに何かを伝えることができるかもしれない――。
「……クロノ、やってみるか?」
黒猫が尻尾をひと振りした。
どこか得意げに、にゃあと鳴いた。




