第10話「姿なき獲物」
「……あれ? 今、誰かいた?」
梓が小さくつぶやいた。
森の中、柔らかな木漏れ日が差す静寂のなかで、微かな“気配”のようなものを感じたという。
悠斗もその場で足を止める。
「見えた?」
「ううん、姿は見えなかった。気配、というか……背筋がぞわっとした感じ」
梓は辺りを見回しながら、慎重に腰を落とす。
先ほどまでの明るいテンションとは打って変わって、真剣な表情になっていた。
「もしかして……魔物?」
悠斗の声も少し低くなる。
「このへん、基本的には小動物しかいないって聞いたけど。念のため、警戒しておこう」
2人はそれぞれ、視線を交錯させることなく自然に背中を合わせるようにして、周囲を探る。
だが、どれだけ目を凝らしても、「それ」は見えなかった。
「……気のせい、かな」
梓がようやく口を開いた。
「さっきの気配、もう感じないや。こういうこと、たまにあるらしいから」
「どういう意味?」
悠斗が聞くと、梓は指先で地面の草をなぞりながら答えた。
「たとえば、強い隠密スキルを持ってる人とか、魔力操作がうまい人が近くにいると、姿は見えなくても“何かがいる”って感じることがあるんだって。気配が消えてるはずなのに、逆に違和感として伝わるっていうか……」
「違和感……か」
悠斗は、ふと自分のスキルを思い出す。
——《存在薄弱》。
「自らの存在感を極端に希薄化し、視覚・聴覚・気配など各種感知を困難にする。
一定以上の感覚能力を持つ対象には、ごく微細な“違和感”として伝わる可能性がある」
(まさか……今のが、俺のせいだったりする?)
自分のスキルが、ただ消えるだけの能力ではないこと。
完全な透明ではなく、感覚の鋭い相手には“気配のノイズ”のように感知されてしまうこと。
それは、悠斗にとって初めての気づきだった。
(俺の《存在薄弱》って……そういう作用もあるのか)
彼は少しだけ背筋を伸ばしながら、胸の中に新たな理解を刻み込んだ。
「まあ、とりあえず……シュリ草、まだ全部そろってないし、続けようか!」
梓はぱっと切り替えて、地面の草むらにしゃがみ込む。
悠斗もその横に腰を落とし、地味ながらも確かに“自分の役割”を感じながら、手を動かし始めた。
そのときだった。
「にゃ」
どこからともなく、短く低い鳴き声。
2人が顔を上げると、森の小道の端に黒猫が座っていた。
ギルド前で、悠斗の肩に乗っていたあの猫——クロノだ。
「またついてきたな……」悠斗が小さく笑う。
「なんかもう、当然のようにいるよね」梓がくすりと笑った。
クロノは悠斗の足元まで近づいて、しばらくじっと見上げていたが、
やがて興味を失ったように、その場に座り込んだ。
「気づけばいつもそばにいるし……もう相棒みたいなもんか」
悠斗はそうつぶやきながら、草むらに目を戻す。
まるで当たり前のようにそこにいる黒猫の存在が、今や自然に感じられていた。