5. 君のことを愛するつもりはない
カツン、カツン、カツン……。
足音が近づいてくる。
部屋から逃げ出したフィリアを追いかけたのだろうか。
だとしたら──だとしたら、どうすればいい?
心臓が震える。
こころが震える。
耐えきれなくなってフィリアは振り向いた。
やはり、そこには彼がいた。
「セヴィ王子」
結婚式でほとんど言葉を交わさなかった、彼が。
銀髪の髪は闇夜でも高貴に輝いている。
フィリアはびくりと肩を震わせた。
「……こんなところにいるとはな」
低く静かな声だった。責めるでもなく、ただ確認するような。
「眠れなくて……つい、出てきてしまいました」
フィリアは微笑んで答えた。どんな時でも笑顔でいるのが癖になっている。
内心、初夜の話をされたらと思うと心が震えていた。
セヴィはじっとその笑顔を見ている。
それから、こう言った。
「君は俺のお気に入りの場所を潰していくつもりか」
「え……」
「ここは一人になれるからお気に入りだったんだがな。もう使えそうにない」
──追いかけてきた訳ではなさそうだ。
瞠目したフィリアをセヴィは見た。
「君はこの結婚に納得してるのか」
「……王子の妻としての役目は、果たすつもりです」
「そういうことじゃない」
セヴィは冷たくこう告げた。
「俺は納得していない」
すっと尖った瞳が、またさらに尖った。
氷のように冴え冴えとした顔には何の温度も乗っていない。
「君のことを愛するつもりもない。君もそうだろう?」
なんて答えればいいのか分からなくて、固まっているうちにセヴィはくるりと振り返った。
カツン、カツン、と冷たい音を立てて去っていく。黒い背中が遠くなっていく。角を曲がる直前で、思いついたように彼は言った。
「ここはもう寒い。早く寝ろ」
その声は冷たいのに、どこか温かいように聞こえた。
◇
フィリアは、王妃用に用意された部屋で、深くため息を吐いた。
無事に一日を終えたことに安堵する一方で、ふと心の奥がざわめく。
あの人の、あの目。
感情のない仮面のような顔の奥に、確かに……なにかがあった。
「セヴィ王子……いえ、旦那様」
口にしてから、苦笑する。
やはり、旦那ができたという実感はない。
だけれど、それで良かったのだと思う。
フィリアの身は、フィリアだけのものであった。
誰にも傷つけられることなく、そこにあった。
すこし泣きそうになって──フィリアは、窓を開けた。
雪が、今日も降っていた。
白く、静かに。
「……負けないわ」
フィリアは小さく、そう呟いた。
誰の知り合いもいないこの地で、一人で、必死に生きてやる。生き抜いてやる。
そう誓った。