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23.たすけて

「……遅くなったな」


 フィリアは唇を噛み締めた。

 

 いつも冷たい顔をした顔のセヴィが、必死な形相でそこにいた。

 頬は仄かに赤く、真白い顔ではない。


「あら、セヴィ王子」


 セレナがうっそりと微笑んだ。


「急用がありまして、この子を海の国に連れていくところですの」


「本当か?」


 セヴィがセレナを疑った口調なのが嬉しかった。

 それでも、セレナに掴まれた右腕が痛い。

 フィリアの唇は岩のように動かなかった。


「俺の妻を勝手に連れて行こうとしているようにしか見えないが」


 はっとフィリアはセヴィの顔を見た。

 

 ──どうして。

 ──どうして、セヴィが怒ってくれるの。


「いいえ、この子も里帰りしたいって言ってるから」


 セレナはきゅうと目を細めた。


「本当か?」


 セヴィが言う。

 アイスブルーの瞳がこちらを見た。

 信じるような色を帯びて。


「本当か? フィリア」


 それでもフィリアの唇は動かない。

 いや、動けなかった。


 そんな様子を見て、セヴィは少しだけ微笑んだ。

 と言っても、口角を上げた程度だが。

 

「助けて、と言ってごらん」

「……!」


 それは──。

 フィリアには言うことのできない言葉。

 だって、そんなことを言って、助けてもらえなかったら、そこには本当の絶望が待っている。

 あの暗闇の中で誰にも聞こえない助けてを言った日に、フィリアはもう人を信じることをやめたのだ。


 それでも、アイスブルーの瞳がフィリアの心に迫ってくる。

 どうして、泣きそうなんだろう。


「君が助けて、と言ったら俺は」


 ──何も聞かずに君を助ける。


「……」


 ぱらり、と粉雪がセヴィの高い鼻筋に舞い降りた。

  ──ここは、海の国ではない。

 

 セヴィは、じっとフィリアを見つめている。

 永遠にも思える時間の間、セヴィは、ただただ待っていた。

 フィリアを信じて待っていた。

 

 ──この想いに、私は何を返せるのだろう。

 喉の奥が震えた。

 はじめて覚えた言葉を口にする子どもみたいに、たどたどしくフィリアは音を発した。

 

「……たすけて。…………たすけて、セヴィ」


 喉奥から絞り出した声はか細くて、震えていて、とんでもなくみっともなかった。

 それでも、セヴィは──微笑みを浮かべた。

 よくやった──そんな風に慈愛に満ちた笑み。


「俺の妻を返してもらう」


 その言葉が耳に入って、我に返ったときにはもう、フィリアはセヴィの腕の中にいた。その腕は、温かくて、どこか優しかった。

 ドクン、ドクン、と自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。

 

「奴は帰った」


 セヴィは呟いた。

 先ほどの自信ありげな言葉とは裏腹に、今度はすこし震えていた。


「間に合って……良かった」

「……うん」


 セヴィの無骨な腕の中で、フィリアは啜り泣いた。

 セヴィは、そんな音が聞こえないかのように、ただ黙って立っていた。

 何も聞かずに、立っていた。


 ──本当にやさしい人。


 ここに帰ってこれて良かった、とフィリアは胸の中で呟いた。

 暗い部屋の匂いが、ようやく少し薄れた気がした。

 

第一章、完!

第二章からは新たな登場人物も増え、セヴィの過去と王国の秘密に迫っていきます…!

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