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1.偽りの姫

 ゆるやかな金のウェーブがすとんと腰まで落ちている。いかにも高級そうな生地が光を反射して輝いている。どこからかやさしい香りがする。


 草木を刈る使用人が思わず手を止めて「はぁ」と感嘆のため息を漏らすと──彼女がくるりと振り返った。エメラルドの瞳がぱちり、ぱちりと長い睫毛をはためかせ。彼女が桃色の唇をきゅっと持ち上げた。


「こんなに美しい庭を作っていただいてありがとうございます」


 陽だまりのような笑顔がそこにある。

 

 彼女は──海の国の姫・フィリア。その温かさから、ついたあだ名は太陽姫。

 金髪の髪の毛が今日も光を反射してキラキラ輝いている。

 銀月の国の使用人は「ああ、あの方がフィリア姫」と心の中で呟いた。

 

 フィリアは今日──銀月の国の第一王子・セヴィと結婚するために遠路はるばるやってきていた。けれど、その疲れを感じさせない溌溂とした笑顔だ。使用人はフィリアの綻ぶ笑顔を見つめながら、正反対の王子の顔を思い浮かべた。

 

 凍てつくように冷たく、冴え冴えとした、銀髪の王子の顔を。──笑顔など、見たこともない。

 

 ──フィリア姫は大丈夫なのだろうか。

 

 フィリアと同じ年の娘を持つその使用人はふと、思う。フィリアとセヴィは今日初めて会うという。国と国との婚約。政略結婚だ。そこに愛などある訳がない。ましてやあの氷のような王子は、やさしさの一欠けらも持っていないように見える。

 

 ──王子はだって、昔、人を……。

 

 使用人の脳裏に昔の記憶が思い浮かぶ。

 吠えるセヴィ王子。

 ひどく激昂されていたようで──なんて言っているのかもすら、分からない。 

 セヴィはツカツカと歩き、庭園で優雅にお茶していたあの人を──やんごとなき立場の女性を──殴りつけた。

 あの凶暴な瞳を、使用人は忘れることができない。

 

「フィリア姫」


 使用人は思わずその名を呼んでいた。フィリアはきょとん、と首を傾げる。そのやさしい瞳に、純粋無垢な瞳に見つめられ、使用人はなんと言えばいいか分からなくなる。

 

「ご武運を」

 

 口から転がり落ちたのはまるで戦地に向かう者への言葉。結婚する人への言葉とは真逆である。

 しかし、フィリアは馬鹿にしたりはしなかった。


 「ありがとう。行ってくるわ」

 

 美しく、綺麗に微笑むフィリア。目線の先には銀月の城が聳え立っている。やわらかな金糸がゆらゆら揺れる。そうして、フィリアはドレスの裾をつまんで、一歩一歩その階段を登り始めた。


 その後ろ姿を見惚れたように見つめる使用人はちっとも気付かなかった。


 フィリアは荷物一つ持たずに、銀月の国にやってきたことを。

 フィリアは使用人一人連れず、銀月の国にやってきたことを。

 


 すう、と息を吸って、吐く。

 

 そうすると冷たい空気が肺の中を満たして、少しだけ落ち着く。そうしてフィリアは微笑んだ。完璧なトーンで、完璧な笑顔で。弱々しく見えないように、気高く、美しく──誰もが好意を持つような、よく鍛えられた笑顔だった。

 

「ごきげんよう。わたくしが海の国よりまいりました、フィリア・アクアレーヌです」


 深くお辞儀をする。美しさと礼儀を同時に体現するような姿だった。

 それからきょとん、と首を傾げる。 


 「……セヴィ王子はどちらに?」


  事前に聞いていた銀髪の男は目の前にいない。海の国で何度も写真を見た、フィリアの婚約者になるはずの男。冷徹な目をして、それでいて近づきがたいほどの美貌を持つ男。

 しかし、そこにいるのは使用人たちばかりだ。彼ら彼女らは騒めき、眉を顰めている。歓迎ムードではないことぐらい、分かる。


 「ご多忙につき、後日ご挨拶されるとのこと」

 

 使用人の取りまとめをしているらしい男が重々しく告げてきた。

 

 ──明日って。

 明日が結婚式なのに。

 

 フィリアはこっそりため息を吐いた。

 

 今日挨拶して明日結婚式をする予定だったけれど、これじゃあ結婚式当日に初めて会うじゃない、と。少し文句が出そうになった心が、しかし一瞬で冷めたものに変わる。


  でも、泣いても喚いても結婚は確定しているのだから、今日会おうが明日会おうが関係ないかしら。

  フィリアの心を満たすのは諦めだ。──幼少期から、何度も何度も触れてきたもの。


 「そうですか。王子はとても民思いの素敵な方なんですね。明日お会いできるのがとても楽しみですわ」

 

 これもまた完璧な対応。

 ふんわりと花のように微笑む。他人に敵意を抱かせぬように、それでいて舐められないように、気高く、美しく、それがフィリアの磨いてきた笑顔という武器だった。


 「大変申し訳ございません。明日には、必ず」

 

 フィリアの武器に触れて、目の前の慇懃無礼な使用人も申し訳なさそうに謝ってくる。その様子に、フィリアはほっと息を吐いた。


 用意された部屋は随分と豪華だった。ベッドのふちに座りながら、フィリアは窓から覗く黒い夜を見上げた。窓にうっすらと自分の顔が映っている。フィリアは窓に向って微笑む。美しい笑みが反射する。


「大丈夫」

 

 その声は不安げに震えていた。


「大丈夫、私は」


 昼間の凛とした声とは大違いに、今にも泣きだしそうに震えていた。


「ちゃんと、上手く、やれてる」 


 完璧に笑いながら、けれど声だけがゆらゆらと揺れている。窓に映る自分の顔から顔を背けそうになりながらも、毅然として睨みつける。


 「上手くやるって、決めたもの」


 ここがどんなに最悪だったとしても──あの場所よりはましな場所のはずだから。  

 

 あの場所──海の国を思い浮かべる。

 

 思い出すのは光のない暗い部屋。

 小さなフィリアは力の限り泣いていた。ごめんなさい、私が悪いの、全部私のせいなの。私が生きているから、ここに来たから。ごめんなさい、ごめんなさい、だからここから出して。ドアを叩いた。窓を開けようと藻掻いた。助けを求めるように泣き喚いた。そうしたら段々と喉が枯れてきた。声は出なくなり、ただただ静かに涙を流した。


 人は本当に絶望したとき、助けを求めることができなくなる。

 助けを求めても誰も助けには来ないのだとそう突き付けられることが何よりも辛いから。


 あの部屋から出たときから、フィリアは悲しい時でも歪な笑みを作るようになった。歪な笑みも何度も作れば完璧な笑顔になる。そうして──フィリアは今のフィリアとなったのだ。

 

 ──誰もが魅了される、太陽姫・フィリアへと。


 フィリアは窓を睨みつけた。それは泣かないぞという意志だった。フィリアは窓辺に近づいて窓を開けた。冷たい空気が肺を満たす。それだけで、海の国とは違う国なのだと実感できる。

 

 ふと──視界にきらりと光るものがあった。


「雪……?」


 真白い雪の結晶が空から降り注いでくる。


 「きれい」


 フィリアは手を空に掲げ、雪の結晶を手に載せた。冷たい雪が手のひらを熱を奪っていく。


「ふふ、ここは海の国とは全然違うわね」


 フィリアは思わず笑顔になった。

 遠い遠い国で一からやるのだと、やってみせるのだと、そう心に誓う。


 過去が、フィリアの頭の中で甦る。

 何度も何度も自分を押し殺してきた、過去が。


 ──後から行くから、待っててね。

 

 ──フィリア。ねえ、フィリア。あなた、本当に分かってる?

 ──あなたの故郷も、あなたを救ってくれる人も、ぜーんぶなくなったってことを!


 ──楽しみだな。お前が女になる日が。

 

 ──お前は……死にたいだけなんだろう。


 フィリアは何度も自分を殺してきた。 

 母国・緑の国が滅びたときも、海の国で拾われ、偽りの王女として生きることになったときも。

 そして今、愛してもいない男と結婚することになっている。


「やってやるわ。この国で」


 窓には、誰もが魅了される美しい笑みを浮かべた太陽姫・フィリアが映っていた。




 陽がまだ高く昇る前。

 フィリアはひとり、石畳の廊下を歩いていた。カツン、カツンとフィリアの足音だけが反響する。

 重厚な天井の装飾や、寒色の壁に飾られた肖像画。

 そのどれもが、昨夜の夢の続きのように思えた。胸の奥がずっとざわざわしている。

 

 ──今日、私は結婚する。

 

 それは政略だと分かっている。覚悟している。

 けれど、今この瞬間にも「セヴィ王子とはまだ会っていない」という事実が、彼女をひどく落ち着かなくさせていた。

 

 「少し、歩けば気がまぎれると思ったのに……」

 

 ふと、足が止まった。

 庭に誰かがいる。


 夜明けの光を受けて淡く輝く銀色の髪。彼は上質そうなマントを羽織っている。ふわり、とその銀髪に粉雪が舞い降りた。

 その男は能面のような無表情でどこか遠くを見つめているようだった。

 

 ──あれは……。

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