第九十六章『土に、まみれた、プライド』
デジタル探偵シャドー:第九十六章『土に、まみれた、プライド』
2025年10月10日、金曜日、午後5時12分。
アグリネクスト社の、巨大なドームから、車で10分。
そこに、昔ながらの農家が集まる、小さな集会所が、あった。
冴木が、古い引き戸を開けると、土の、匂いと線香の香りが、混じり合った、独特の匂いがした。
部屋の中央で、腕を組み、厳しい顔で、座っていた老人が、ゆっくりと、顔を上げた。
深く刻まれた、シワ。日に焼けた肌。何十年も、畑仕事をしてきた者の、分厚い手。
彼こそが、AI農業に反対する、農家組合の、組合長、源氏 哲夫だった。
「……あんたが、東京から来た、刑事さんか」
源氏の、声は低く、そして重い。
「単刀直入に、聞きます」
と、冴木は、切り出した。
「あなたは、アグリネクスト社の、やり方を、快く、思っていない。違いますか?」
「当たり前だ」
源氏は、即答した。
「あれは、農業ではない。ただの工場だ。太陽も、土も知らん、ただの工業製品を、作っとるだけだ。わしらが、何十年も守ってきた、この土地への、冒涜だわ」
その、言葉に嘘は、ない。動機は、十分すぎるほど、ある。
冴木は、核心の質問を、投げかけた。
「昨夜、アグリネクスト社の、温室が機能不全に、陥りました。原因は、AIの安全プログラムが、何者かに、書き換えられたことによるものです」
冴木は、わざと専門的な、言葉を使った。
その、言葉を聞いた、源氏は一瞬きょとんとした後、心底馬鹿にしたように、鼻で笑った。
「……ぷろぐらむ?なんのこっちゃ、さっぱり、わからん」
彼は、ゴツゴゴツした、自分の両手を、テーブルに、叩きつけた。
「わしらが、文句を言うんなら、こんな陰湿な、やり方はせん!この手に鍬を、持って正面から、堂々と、文句を言いに行くわ!パソコンの画面の中で、こそこそやるなんぞ、わしらの、プライドが許さん!」
その瞳は、怒りに燃えていたが、それは刑事の、尋問に対する、怒りではない。
自らの美学を、汚されたことに対する、誇り高い、人間の怒りだった。
(…シロ、か)
冴木は、確信した。
その確信を裏付けるように、イヤホンから、シャドーの、報告が入る。
シャドー: (……冴木。組合員、全16名の、経歴を、調査しました。誰一人として、高度な、情報技術に、関わった、経歴は、ありません。この、犯行は、彼らには、実行不可能です)
「……失礼しました」
冴木は、深く頭を下げると、集会所を、後にした。
農家たちの、線は消えた。
ならば、残るは一つ。
ハイテク企業の、仮面を被り、同じハイテクな手口で、ライバルを蹴落とそうとした、もう一人の容疑者。
冴木: 『シャワー。……いや、シャドー。次の、ターゲットだ。競合他社『バイオ・フューチャー』社。金の流れ、社員の動向、サーバーの壁の厚さ。……徹底的に、調べ上げろ』
シャドー: 『……シャワー、ではありませんが、了解しました』
冗談なのか、本気なのか分からない、相棒の返事を聞きながら、冴木の目は、既に次の戦場を、見据えていた。




