第九十四章『緑の、マザーボード』
ハイテクな植物工場を、枯らした犯人が、残したサインは、江戸時代の『神の、一手』。知の巨人との、戦いは、デジタルな盤上から、アナログな盤上へと、収束する。
デジタル探偵シャドー:第九十四章『緑の、マザーボード』
2025年10月10日、金曜日、午前6時15分。
愛知県豊橋市郊外。
広大なキャベツ畑と、どこまでも続くビニールハウス。そののどかな、田園風景の中に、一つだけ異質な建物が、そびえ立っている。
金属とガラスで構成された、巨大なドーム。未来の、宇宙基地のようにも、見える、その、建物こそが、次世代型植物工場『アグリネクスト豊橋』だ。
その日、ドームの静寂を破ったのは、一人の若い研究員の、悲鳴だった。
「……うそだ……」
植物工場の心臓部である、第1ドームに足を踏み入れた、開発責任者の、鈴木海斗は、目の前の光景に、絶句した。
そこは、昨日まで青々とした葉と、宝石のような赤い実が、実っていたはずの、トマトの温室。
だが、今そこに、広がっていたのは、茶色く萎れ、垂れ下がった、膨大な、植物の「死骸」だった。
壁のモニターには、異常を示す、赤いアラートが、無数に点滅している。
温度95℃。湿度10%。二酸化炭素濃度、基準値の500%。
全ての環境制御AIが、植物を「育てる」ためではなく「殺す」ために、一晩中働き続けていたのだ。
「……ありえない……こんな、エラーは、ありえない……!」
鈴木は、駆けつけた上司や、警察に、必死に訴えた。
「これは、事故じゃない!僕の作った、完璧なシステムが、誰かに汚されたんだ!」
だが、外部から侵入された、痕跡は見つからない。
警察は、複雑すぎるシステムを前に「原因不明の、システムエラー」として、処理しようとしていた。
その報告書が、警視庁の冴木のデスクに、届いたのは、その日の午後だった。
「アグリネクスト社」は、政府とも繋がりの深い、重要企業。事件の真相を確かめるため、内々にスペシャリストの派遣が、要請されたのだ。
冴木は、報告書に添付されていた、枯れ果てたトマトの写真と、意味不明なエラーコードの羅列を、静かに見比べていた。
冴木: 『シャドー。被害総額数十億円の、トマト殺人事件、か。……犯人の動機は、なんだと思う?』
シャドー: 『……現時点では、情報が、不足しています。ただし、これほど、完璧に、システムを、掌握し、痕跡を、残さない、犯行。……実行犯は、内部の、人間か、あるいは、同等以上の、知識を持つ、プロの、可能性があります』
「……だろうな」
冴木は立ち上がると、コートを羽織った。
「豊橋行きの、チケットを取れ。……たまには、土の匂いを、嗅ぎながらの捜査も、悪くない」
ハイテクな温室に潜む、ゴーストを狩るため、デジタル探偵が、東三河の地へと向かう。




