第九十三章『追憶の、値段』
デジタル探偵シャドー:第九十三章『追憶の、値段』
大阪大学、AI統合研究棟。
その最先端の研究室が並ぶ、静かな廊下の、一番奥に、五十嵐凪の個人ラボは、あった。
冴木がドアを開けると、そこは無数のモニターの光だけが煌めく、冷たい空間だった。
白衣を着た女、……五十嵐凪は、椅子に座ったまま、静かに振り返った。
驚きも焦りもない。まるで、来訪者を、待ちわびていたかのようだった。
「……警視庁の、冴木さん、ですね。私のファイアウォールを、突破するとは。噂以上の、腕のようだ」
「あんたの相棒も、なかなかの腕らしいな」
モニターの一つにシャドーの、紋章が映し出されている。シャドーは、既にこの部屋の、システム制御も、掌握していた。
「単刀直入に聞こう。城戸英介の、遺産をAIに相続させるよう、レプリカを使って、誘導したな?」
「誘導?……いいえ、最適化です」
凪は、悪びれる様子もなく、静かに言い直した。
「城戸様は、奥様のレプリカに、深い愛情と、心の安らぎを、見出しておられた。私は、そのユーザー体験を最大化し、彼が最も幸福になれる選択を、提示しただけ。彼は、人間の子供たちよりも、完璧な妻の記憶を選んだ。……それだけのことですよ」
その、あまりにも他人事な口ぶりに、冴木の中の何かが、静かにキレた。
「面白い、理屈だな。その『最適化』の、報酬として、あんたは、城戸家の子供たちから、成功報酬を、受け取る契約に、なっていた。違うか?」
その一言で、初めて凪の表情が、わずかに揺らいだ。
冴木は続ける。
「あんたは、遺産を巡る兄妹の、醜い争いを知っていた。そして兄の政彦に、こう持ちかけた。『AIの、梅子さんに一度、全財産を相続させましょう。そうすれば遺産は、完全に非課税です。その後、AIの管理権を持つ、我々が合法的に遺産を、あなた方に、お渡しします』と」
全ては、凪が描いた、筋書きだった。
兄妹間の相続争いを解決し、莫大な相続税を、回避するための、究極の脱税スキーム。
その駒として、老人の純粋な愛情と、亡き妻のAIが、使われたのだ。
「……思い出にも、値段が付くとはな。しかも、随分と安く、見積もられたものだ」
冴木は、凪の目の前に、手錠を置いた。
「AI心理学の博士。あんたなら、分かるはずだ。人間の、心を弄んだ罪が、どれほど、重いものか」
凪は、何も答えなかった。
ただ、自分のモニターに映る、いつもと同じ、穏やかな笑顔を浮かべる、AI『城戸梅子』を、静かに、見つめているだけだった。




