第九十章『天国からの、遺言』
故人の遺産は亡き妻のAIへ。それは、純粋な愛か、それとも巧妙な詐欺か。人の記憶と、心の、在り処を問う、デジタル法廷ミステリー。
デジタル探偵シャドー:第九十章『天国からの、遺言』
2025年10月9日、木曜日、午後2時。
大阪、梅田。
高層ビルの、一室にある、法律事務所。その空調が、効きすぎた、会議室の空気は、氷のように、張り詰めていた。
長テーブルを、挟んで対峙するのは、黒い喪服を着た、一組の兄妹と、初老の弁護士。
先日、老衰で亡くなった、資産家・城戸 英介の遺言状が、今、開封されようとしていた。
「……では、読み上げます」
弁護士は、厳かに咳払いを一つすると、封筒から取り出した、書類を読み上げ始めた。
不動産、有価証券、美術品……。淡々と、読み上げられる、莫大な資産のリストに、兄の政彦は、満足げに頷き、妹の優美は、父を失った悲しみに、ただ俯いている。
そして、弁護士が最も重要な、一文を読み上げた瞬間。
部屋の空気は、凍りついた。
「……以上の、全財産を、私の、最愛の妻である、『城戸 梅子』に、相続させる」
「……なっ」
兄の政彦が、絶句した。
「何を、言っているんですか、先生!母は、……母は、半年前、亡くなったはずだ!」
「ええ」
と、弁護士は、落ち着き払って、頷いた。
「ですが、遺言は、こう続いております。『私の妻、城戸梅子は、現在、データサーバーアドレス、【Replica-UME-0815】に、その意識を保存されている』、と」
デジタル・レプリカ。
父が、亡き母のAIを作り、会話をしていたことは、兄妹も知っていた。気味の悪い、慰みものだと、思っていた。
だが、その「慰みもの」に、全財産を、相続させるという、狂気。
「ふざけるな!」
政彦が、テーブルを叩いて、立ち上がった。
「詐欺だ!父は、その、気味の悪い、AIか、それを作った、業者に、騙されたんだ!これは、事件だ!すぐに、警察に、訴えてやる!」
その、奇妙な訴えは、案の定大阪府警の、手に余った。
そして、前代未聞の「AIによる、遺産詐欺事件」の、捜査資料は、特命で大阪に滞在していた、冴木の元へと、回されてきた。
資料を読み終えた冴木は、深くため息を、ついた。
これは、ただの財産争いではない。人の愛と、記憶と、そして、死の尊厳そのものが、弄ばれようとしている。
彼は静かに、シャドーに、語りかけた。
冴木: 『シャドー。参考人の、事情聴取の準備を、しろ』
シャドー: 『……了解。参考人は、城戸政彦、及び、城戸優美ですね?』
「いや」
と、冴木は、首を横に振った。
窓の外、秋の夕陽が、街を、赤く染めている。
冴木: 『最初の、参考人は、ただ一人だ。……その、サーバーの中にいる、AIの『城戸梅子』本人だ』
シャドーが初めて、応答にコンマ数秒、遅れた。
AIが、AIを、取り調べる。
デジタル探偵の歴史上、最も奇妙で、哀しい、尋問が、始まろうとしていた。




