第七十九章『思い出の彫刻家』
醜い「真実」と、美しい「嘘」。もし、神のように、過去を書き換えることができるなら、あなたは、どちらを選びますか?
デジタル探偵シャドー:第七十九章『思い出の彫刻家』
2025年8月9日、土曜日、午後11時17分。
その夜、インターネットは、一つの奇妙な「奇跡」の話題で、持ちきりだった。
数年前に、収賄スキャンダルで、完全に政界から葬られたはずの、大物政治家。彼の輝かしい経歴に泥を塗った、過去のあらゆる告発記事や、証拠データが、ネット上から綺麗に消え去っていたのだ。
そして、そのスキャンダルがあったはずの「空白の期間」は、全く別の美しい物語で、上書きされていた。
「彼はその時期、身分を隠し、東北の被災地で、長年ボランティア活動に、従事していた」
と。
その「美談」は、匿名ボランティア団体の、古い、活動記録ブログや現地の人々のSNSの、過去ログといった、膨大な、しかし、これまで誰にも、気づかれなかった、情報の中から「発掘」された、という体裁をとっていた。
あまりにも完璧な、歴史の改竄。
人々はこれを「政界の陰謀だ」と、騒ぎ立てた。
しかし、冴木は対策本部の会議室で、その美しすぎる「美談」に、強烈な違和感を覚えていた。
これは、ただの情報操作ではない。
そこには、確固たる、「物語を、より美しくしたい」という、芸術家のような、歪んだ意志が介在している。
彼の直感は、正しかった。
数日後、第二、第三の「記憶の彫刻」が、現れ始める。
若くして、才能を絶賛されながらも、薬物スキャンダルで、自ら命を絶った、伝説のロックシンガー。
彼の死の真相は、「薬物ではなく、長年難病と闘っていた」という、悲劇の物語に書き換えられた。
これもまた、彼の母親がひっそりと、つけていた、闘病日記という、誰も知らなかったはずの「証拠」と共に。
シャドーの分析は、困難を極めていた。
データが、改竄されていることは、間違いない。しかし、その手口は、あまりにも、完璧で、ハッキングの痕跡が、一切見つからないのだ。
そして、何よりも厄介なのは、過去を美しく、書き換えられた「被害者」の、遺族や関係者たちが誰一人、被害届を出そうとしないことだった。
彼らにとってそれは、醜い真実よりも、ずっと、都合のいい美しい「嘘」だったからだ。
「…手詰まり、か」
冴木は、自らのプロファイリング能力の、限界を感じていた。
この神を気取る、犯人の「美学」が、どうしても、理解できない。
善意なのか、悪意なのか。
救済なのか、冒涜なのか。
彼は、ついに決断した。
この、常識外れの芸術家の心理を、理解できるのは、世界でただ一人しかいない。
冴木は、重い足取りで、あのアクリル板の向こう側にいる「悪魔」に、再び会いに行くことを決めた。
時任錠だけが、この哀しき、ゴーストライターの正体を、見抜くことができるはずだった。




